第25話

 満身創痍の身体を起こそうとするベティーナの下に、俺とシエラが歩み寄る。


「……終わりだよ、ベティーナ。今度こそ本当に、お前の負けだ」


 俺は【シグアームズ SIG556自動小銃オートマチックライフル】をベティーナに向け、諭すように言う。


「その様子では内蔵系を損傷、それに肋骨も折れているはずです。右手も、もはや指1本動かせないのでしょう?」


 ベティーナの様子を見たシエラが、彼女の容体を分析する。


 俺の目から見ても、ベティーナは十分過ぎる程に重傷だった。呼吸も乱れ、口から血を流し、右腕の骨は明らかに砕かれている。もはや戦うどころか、立ち上がる事さえ困難だろう。


「……降伏しろ。俺は、アンタを殺したくない」


「何を……馬鹿な……!」


「……ずっと思ってた。アンタ、どうして俺が学校にいる間に襲って来なかった?」


「何……?」


「学校を戦場にしちまえば、生徒を盾にするなり人質にするなり出来て、ずっと有利に事を運べたはずだ。なのに、アンタはそれをしなかった」


「……」


「……コイツはただの推測だが……アンタは、本当は子供を殺したくないんじゃないか? 自分の生まれが、出生が憎くて憎くて仕方ないからテロリストなんてやってる。だけど子供を殺したくない理由があるから、ワザと学校って場所を戦場にしなかったんだ」


「…………」


 ベティーナは黙ったまま、言葉を返さない。

 そんな彼女を見た俺は、確信した。


「……やっぱりな。アンタは、。だから、出来るだけ子供を巻き込みたくなかった。そして自分と同じような境遇の子供を、もう見たくなかったんだ。その為に戦っていたんだろ?」


「わ……私は……私は……!」


「……アンタは罪人だ。人殺しだ。でも……〝極悪人〟じゃない。アンタはまだやり直せる。ベティーナ・グルバヴィッツァの理想は、テロなんかに頼らなくても叶えられるはずだ」


 俺は銃を降ろし、そう諭した。そう、信じる事が出来た。


「……もう、止めましょう。降伏して下さい。私達は、戦えぬ者の命まで取ろうとは思いません。もし貴女の意思で降伏しないというのなら、気絶させて病院まで担ぎ込みます」


 シエラも強い口調で降伏を促す。



 ――――丁度その時、コンクリートの地面がシトシトと濡れ始める。



 天気予報の通り、いよいよ雨が降って来たのだ。

 雨は徐々に強くなり、豪雨とまでは言わないまでも、あっという間に本降りになる。


 俺達3人共すぐにびしょ濡れになり、髪から水滴を垂らす。

 そんな中、


「…………フ……フフフ…………そうね。私の負けだわ。この身体じゃ、もう戦う事は出来ない……」


 ベティーナが笑い、不気味に声を上げる。


「では……」


「……でもね、私は言ったはずよ? 私の選択肢は〝任務の達成〟か、そもなくば〝死〟だってね……」


 呟くように言ったベティーナはフッと笑い、ポーチから宝石を取り出す。


「ッ! 何を――――ッ!」


 俺はベティーナの行動を止めようとするが――――――それよりも早く、ベティーナは唱えた。



魔界の者よ、我が魂と契約せよBy demons, contract my soul



 瞬間――――――ベティーナの持っていた宝石が閃光を発し、突如俺達の周囲に強烈な突風が吹き荒れる。


「ぐ……っ!? なっ、なんだ!?」


 俺は突然発生した突風に困惑し、飛び散る雨水から視界を守る為に左腕で目を覆う。


「今の呪文……まさかっ!」


 シエラも俺同様に怯んでいるが、ベティーナが何をしようとしているのかいち早く気付いた。


「止めなさい! 今の呪文は――――ッ!!」


 しかし、時既に遅し――――――



 ベティーナの背後の時空が、まるで生き物の肌を裂くように縦に割れ、紫とも黒とも違う形容し難い色の液体が、血液のように流出する。



 そしてその傷口のような割れ目は――――――――――


「――――ッ!!!」


 俺は、その大きく開いた裂け目を見た瞬間、思わず絶句する。

 何故なら、それは傷口などではなかったからだ。


 俺が見た物、それは――――――――――〝目〟だ。


 大きく開いた空間の中は禍々しいもやのような物が蠢き続けており、そしてその中心には、確かに〝瞳〟がある。

 それは、とてもこの世の物とは思えない。

 その裂け目を〝目〟と表現するのが正しいのかさえ俺には分からないが、しかし俺には〝目〟以外の表現が思い付かない。


 そしてその〝目〟のギョロリとした〝瞳〟は、しっかりとベティーナの事を見つめている。


「フ……フフフ……」


 ベティーナは傷だらけの身体で、ゆらりと立ち上がる。

 俺達はベティーナを止めに入ろうにも、瘴気が凄まじくて近づく事さえままならない。

 むしろ瘴気はどんどん強くなって毒気を帯びていき、俺もシエラも1歩ずつ後退している有様だ。


「任務は……失敗した……もはや私には、帰る組織も国も無い……。生きる意味さえも…………ガハッ、ハッ!」


 ベティーナは咽返るように血を吐き、痙攣しているかの如く両脚を震わせながらも、地面に足を立て、俺達を見る。


「……でも……はある…………私の望む世界の為に…………私のような呪われた子供が、これ以上生まれてこない世界の為に……!」


 ベティーナは、左腕を天へと掲げる。


「ッ! 何をする気だ! 止めろッ!!」


 俺は精一杯の声で、ベティーナを制止しようとする。

 しかし――――俺の声は、彼女には届かなかった。



「聞け! 『魔界』に住む異形の『魔神』よ! この場にいる、日向七御斗以外の我が敵を殲滅したまえ! 契約の代償は…………だッ!!」



 ベティーナが叫んだ瞬間、彼女の背後の〝目〟からまるで生き物のようにもやが飛び出し、ベティーナの身体を覆い始める。


「ア、アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!」


 そしてベティーナは高笑いと共に、身体を完全に靄に飲み込まれた。


 瞬間、俺達の周囲に吹き荒れていた突風が止み、同時にベティーナを包む靄が何かの形を形勢し始める。

 

 そして靄が完全な形を成すと――――――――――俺達は、目を丸くした。


 つい今しがたまでベティーナがいた場所に現れたのは物は、くすんだ白色の肌を持つ2メートルを超す体躯、表情の無い石像のような女の顔、妊婦のように膨れた腹には子供の顔があり、背中からは千切れた脊髄のような物が幾つも飛び出ている。さらに手足には鎖の付いた手枷と足枷が巻かれ、左腕はまるで肉塊のように大きく肥大化し、先端は電動丸ノコサーキュラソーのようになっている。

 強烈な威圧感と吐き気を催すような禍々しいその風貌は完全に人知を超越しており、俺は恐怖のあまり後退りする。


「な……何だ、コイツは……」


「あれは……『アスト・ヴィダーツ』!」


 変わり果てた姿のベティーナを見たシエラが叫んだ。


「な、何?」


「ゾロアスター教に伝わる、死を司る魔神です! 『肉体の粉砕者』の異名を持ち、あらゆる人間の生命を奪うという…………そ……そんなモノが、現れるなんて……!」


 シエラも俺同様、本能的に奴から身体を離す。

 シエラの足は、ガタガタと震えていた。

 俺にとって目の前にいるアストなんとかってデカブツは未知の恐怖だが、シエラは知っているのだろう。

 奴が――――具体的にどれほど恐ろしいのかを。


『なん、だ……そりゃあ……』


 無線機の向こうで、正樹が声を漏らした。

 当然、今俺の目の前にいる怪物を正樹も春も見ているはずだ。

 おそらく、俺と同じ様な反応を示しているのだろう。


 アスト・ヴィダーツは、1歩ずつ、チャリ、チャリという鎖の音を奏でながらゆっくりと俺達の方に近づいて来る。


『ばっ、化け物が……!』


 無線機から正樹の力む声が聞こえる。

 俺はその声から、正樹が何をしようとしているのかすぐに分かった。


「ッ! 止めろ正樹ッ!!」


 だが言うが遅し、正樹は【バレット M82A対物アンチマテリアルライフル》をアスト・ヴィダーツに向けて撃つ。


 撃った弾は2発。

 そして2発ともアスト・ヴィダーツに命中する。

 50口径弾の直撃を受けたアスト・ヴィダーツは、まるで水風船が如く上半身が吹き飛ぶ。

 傍から見れば、どう考えても即死だ。


「――――ア――――ア――――ア――――」


 ――――しかしアスト・ヴィダーツは呻き声のような音を発すると、まるで粘土を練り直すように瞬時に上半身を再生し、身体を元通りにしてしまった。


『な……っ!?』


 その常軌を逸した光景に、正樹を始め俺達は一様に声が出ない。

 そして攻撃を受けたアスト・ヴィダーツは500メートル先の正樹に顔を見ると、狙いを定めるかのように左腕を正樹の方角に向ける。


 次の瞬間、電動丸ノコサーキュラソーの形状をした左腕が変形し、まるで〝砲身〟のような物が飛び出る。

 そして砲身の先に魔力が集中し始めたかと思うと――――


「ア――――」



 アスト・ヴィダーツは、〝砲〟を撃った。



 まるで光線のような魔力の渦が、地面を揺さぶるほどの衝撃波と共に正樹に向かう。


『……え?』


 放たれた魔力の渦はモノの数秒と掛らず――――――――――正樹のいるコンテナに直撃した。


 そして爆発、炎上。


 今まで正樹がいた場所が木端微塵に吹き飛び、雨が降っているにも関わらず上空にキノコ雲が出来上がる。


『う…………嘘……』


 無線機の向こうで、春が声を漏らす。

 凄まじい威力だ。

 人間1人が叩き出せる破壊力とは桁が違う。


 これが、魔界に住む魔神の力なのか……。


「クソッ! 春、聞こえるか! 俺達の援護はもういい! すぐに正樹の救助に向かってくれ!」


『…………』


「おい! 聞いてるのかッ!?」


『あっ、わ、分かった! すぐに向かう!』


 春はショックのあまり茫然としていたのか反応が遅れたが、正樹の救援に向かってくれた。


「シエラ! コイツは、俺達で何とかするぞ!!」


 俺は手にしていた【シグアームズ SIG556自動小銃オートマチックライフル】を構え直し、アスト・ヴィダーツに向けて発砲する。


 弾丸は確実にアスト・ヴィダーツの身体に当たるが、アスト・ヴィダーツは小口径ライフル弾など物ともしない。足止めにもなっていないどころか、警戒すらしされていないといった感じだ。

 そして俺が射撃していると、突如アスト・ヴィダーツが姿を消す。


「なっ!?」


 まるで瞬間移動したかのように目の前から忽然と消え去り、俺は射撃の手を止める。

 同時に――――背後に、文字通り背筋が凍り付くようなプレッシャーを感じた。

 俺は、恐る恐る背後を見る。すると、


「ア――――ア――――」


 ――――

 今まで目の前にいたはずの、アスト・ヴィダーツの巨体がそこにはあった。


「――――ッ!!」


 俺はすかさず振り返り、銃弾を撃ち込もうとする。しかしアスト・ヴィダーツはそれよりも早く、人の形をした右手を俺に向ける。


 刹那――――――――――巨大な魔力の塊が、俺の身体を吹き飛ばした。


 猛烈な勢いで吹っ飛んだ七御斗はコンテナを幾つも薙ぎ倒し、100メートル以上吹っ飛んだ所で止まる。


「七御斗先輩ッ!!」


 七御斗が吹き飛ばされる所を見たシエラは叫ぶ。しかし、七御斗から返事はない。


「――――ア――――ア――――ア――――」


 そしてアスト・ヴィダーツはゆっくりとシエラを見ると、左腕の電動丸ノコサーキュラソーを機動させ、再び鎖の音を奏でながらシエラに近づく。


「ッ!」


 シエラも、恐怖という感情を必死に押し殺し、【ドラゴンズ・アーム】を構えた。

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