十八話 夜に訪れるもの

 戦国の世で月は非常に重要視されていた。

 例え炎という灯りがあったとしても見える範囲は日中に比べれば僅かでしかない。

 結局のところ暗闇の夜道では月がなければ話にならないのだ、ゆえに新月の日などは出歩く人影はめったにいない。

 その日の月は少々いびつな左端がかけた月だった。もうあと一週間もすれば満月になるだろう。そんなことをぼんやりと思いながら濃は夜空を見ていた。


「姫様、そんなに夜風にあたっていたら風邪をひかれてしまいますよ。明日は大事な日だといいますのに」


 衛門が羽織れるような着物を一枚持ってきながら、濃のもとへとやってくる。


「うん、それは分かっているんだけどね、ちょっと予感がしていて……」

「予感?」


 首を傾げた衛門の後ろで寝支度を整えていた近衛が、何かに気が付いたように二人を見た。


「お二人とも、どなたか来るようです」


 そういうと相変わらず変わらない表情で近衛は手早く身の回りの物を片付け始めた。そのころには濃と衛門の耳にも、やたらと音のする足音が聞こえていた。


「一体こんな時間なんてまさか、曲者でしょうか」

「あんなに足音を立てる曲者はさすがにいないと思う。だから多分――」


 小声で言い合っていると、ふすまの先に人影が現れた。人影はうんともすんとも何も言わず、そのまま勢いよく開けた。


「なっ、無礼者!」


 衛門も近衛も無作法かつ奇怪な動作にそれぞれ懐に忍ばせていた暗器や短刀を取り出し身構えたが、その刃が侵入者に届くことはなかった。


「よっ」


 たった一言でも彼が誰なのかはわかる、もちろん薄闇でもすぐに彼とわかる奇抜な姿も彼が誰かを説明するのに一役を買っているが。


「信長公……」


 濃はおそらくあっけにとられた顔をしてしまっていたのだろう、それが嬉しかったのか信長はどこか楽しげに腰にぶら下がっていた茜色の巾着を濃に向かって投げた。


「の、信長公!?」

「心配するな、ただの快気祝いだ、体調崩していたんだろう」


 とんだ祝いの渡し方である。

 衛門としては濃がそのように扱われるのがよほど腹に耐えかねたらしく、二人の間に割って入ると今にも飛び掛からんばかりに信長をにらみつけた。


「このような夜中に何の用でございますか、それにこの振る舞いは無礼でございましょう! 美濃をなんと心得ておられる!」

「……相変わらずお前のほうは騒がしいんだな」


 どことなく感心したような様子の信長はまさしく余裕綽々と言った様子であり、激高している衛門と並べると、なんだか衛門が哀れに思える構図だった。

 一方的な一触即発といった様子の中で真っ先に動いたのは近衛だった。

 彼女は無言で立ち上がると、部屋の隅に行くと日用品がしまわれている箱から椀などを取り出した。


「ちょ、お鷺殿!? 何をされているのですか!?」


 あまりにも予想外だったからか、衛門が目をひんむかんと言わん様子で近衛を見た。

 こんな様子でもきっちり偽名で呼べているあたりは、さすがは衛門といえるかもしれない。


「ああ、お茶の用意をしたほうがよいかと」

「お茶ってこの男にですか!? 病に臥せっていた姫様の閨を訪ねてきたこの不埒者にですか!?」

「あ、茶はいい。白湯で」

「かしこまりました」


 衛門の激怒などどこ吹く風の様子の二人は、意外と似た者同士なのかもしれない。濃は言葉を失った様子の衛門を落ち着かせようと、彼女の名を呼んだ。


「衛門、落ち着きなさい、私は誰ですか」

「な、何ですか、姫様。斎藤道三様の娘である美濃の姫でございましょう」


 突然の質問に困惑したのか、衛門の顔からは先ほどまでの怒りはどこかへと消えた。


「その通り、私は濃です。では衛門、私はどうして尾張にいて、信長公は私にとってどんな存在でしょうか」

「姫様は美濃と尾張の同盟のために嫁がれて」


 答えながら衛門の目が自然と信長にいく。いつの間にか白湯を近衛から受け取っていた信長が、言葉の先を続けた。


「俺の正妻になった。夜中に訪れて何が悪い」


 日ごろ理解しがたい行動をとっている信長にしては、もっともな論理であった。

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