二十三話 賽の結末

 

 血なまぐさい場所だけが戦場ではない。そんなものは戦乱の世に生きるものには常識だ。

 一見何気ないような世間話であっても、立場という重みがあるだけで、それは容易く人の命や国を奪い取る。


 信行は笑顔を浮かべようとしているが、いつも以上に固く見えるあたり、緊張していることが見て取れた。その緊張した顔で、信行は濃の顔を見ると、一息に言った。


「義姉上は相変わらずお綺麗ですね。花のように麗しく、何より気品がある。兄上にはもったいないお方です」

「あら、お上手なことで」


 濃は口元を袖で覆いながら、微笑んだ。言いなれていなさそうな固い言い方は、初々しさとも見えるが、そうでないことを濃はこれまでの関係性で知っている。


「義姉上、以前にお会いした時に比べると少々顔色が悪くはありませんか」

「そうでしょうか? 親切にしていただいているとはいえ、異郷のものですから、少し疲れが出ているのかもしれませんね、お気遣いありがたいですが、大丈夫ですよ」

「兄上は悪い方ではありませんが、うつけとも噂されているご様子。義姉上がいらぬ気苦労をしていなければよいと思っていますが……」


 信行の視線は親子だからか、よく土田御前に似ていた。濃は上っ面に張り付けたような笑顔でそれに対峙すると、小首をかしげて見せた。


「まあ、そのような噂もあるのですね。織田の方にはご親切にしていただいているので、気苦労などありませんから、お気になさらないでください。――さて賽はどちらから降りますか?」


 濃としてはこれまでのように、あいまいにお茶を濁して逃げ切るつもりだった。だが、信行はそうではなかったらしく、一息で彼は言った。


「義姉上、尾張のこれからをどう思いますか」


 真っすぐな声音に濃は一瞬、返答に詰まった。


「――尾張の御当主様は才のあるかたですし、美濃も味方につけております。今川の力は大きいとはいえ、お家は安泰でしょう」

「私が言っているのはその後です。父が亡くなった、その後、兄上が当主になった後です」


 それは女同士の化かしあいでは出てこなかった、ひどく直情的な問いかけだった。

 濃を味方に取り込む覚悟を決めているのか、信行はこれまでの嘘くさい笑顔をはいでいた。射貫くような力強い視線はひどく澄んでいて、底の見えなさは多少違うといえ、信長に似ていると初めて思った。当然のことだが、彼も立場が違えど尾張という家を背負う覚悟を持って生きている。

 美濃の姫ならばどう返すのだろう、直接的に突き付けられた言葉に濃は答えがわからなかった。打てる手はたくさんある、だが。


「……そうですね」


 緊迫した沈黙の間は、間違いなく濃の言葉を待っていた。仕込んでいた小細工を使ってもいいが、それをしたところで逃げ切ることはできまい。それに真っ直ぐな眼差しが逃げるような真似はしたくなかった。

 だからこそ、濃ははっきりとした目で信行を見た。


「私は尾張の嫡男の妻です。務めを果たすことが尾張のためであり、育ててもらった美濃への恩返しだと心得ています。信長公は」

「失礼いたします!」


 濃の言葉は思いがけない乱入者によって遮られた。驚いたことに声の主は衛門で、切羽詰まった顔、おそらく演技ではなく本心の顔だった。


「衛門、いったい何事ですか」

「姫様それが」

「失礼する」


 困ったように顔を出した衛門の背後に男がいた。茶筅頭に独特の着物の着こなし、そして見覚えのある顔は、方向性の違いはあれどこの場の全員にとって悩みの種である人物だった。

 すました顔で、されどどこか得意げにも見える男の顔に、濃はしばし唖然とした。その場の全員が同じ気持ちだった。


「信長公……」

「母上、信行、お久しゅう。濃から楽しい催し事があると聞いて、参上した」


 信長はずかずかと遠慮なく部屋に入ると、信行と濃の間の双六盤から駒をつまみ上げる。


「双六か、地味な遊びは好みじゃないが、たまには悪くない。やるか」

「やるって、信長公」


 嫌な予感がして濃が問いかけるが、信長は手ぶりで席をはずせと示しながら、見当違いのことを言う。


「ん? 土産か? 悪いが持ってきていないぞ」

「そこではなくて!」


 信長の一挙一動すべてに濃のあれこれが崩される気分がした。誰もが、予想外の状況に目を白黒させているうちに、信長はあっさり濃を追いやると、信行に対面して腰を下ろした。


「それじゃあ、やるか」


 信長は面白そうに肩眉を上げると誰に問うわけでもなく賽を手に持つ。振るのは自分からと決まっているらしい。


「……吉法師」

「ああ、母上。何か?」


 やっとのことで衝撃から立ち直ったらしい土田御前は、案の定険しい顔色をしていた。


「何故、ここに」

「濃から話を聞いて、母上と濃の仲を俺なりに取り持とうかと」

「な」


 途端に土田御前の険しい顔が濃へと向けられた。その顔は明らかにこの事態を濃が仕組んだと思っている。濃としては己の身の潔白を大声で主張したいが、この状況でできるわけもない。

 そんな空気を知らないでか、或いはどうでもいいのか、信長は意に介さず、楽し気に信行を見やる。


「まあ、お前がいることは少し驚いたが」


 くつりと面白そうに笑う信長に対し、信行は凍り付いたように動かなかった。言葉はなかったが、その顔からは恐怖、忌避感、動揺、そして怒りが読み取れた。それが如実に出てしまうところが、彼の若さなのだろう。

 信長は弟のそんな表情にも気に留めず賽を振った。つまらなそうにも、面白そうにもみえるその表情から濃はなんとか真意を読み取ろうと穴が開くほどみたが、あしらうような視線を一度投げられただけで、意図の一端もわからなかった。


 この男は本当に予想外だと、濃は頭を抱えたくなった。その場のすべてを一瞬でひっくり返す、他人には分からない思考で動く嵐のような男だった。

 いったいこの男の頭には何がつまっているのだろう。濃には本当にそれがわからなかった。


 その後、双六の勝敗は信長になり、菓子を適当につまむと、興味を失ったようにその場を後にした。仲を取り持つとはいったい何だったのか、彼が過ぎ去った後には脱力感と圧倒的な気まずさが残った。






 この日以降、土田御前と濃の中は以前よりも一層の犬猿の仲と噂されることになる。濃は織田家中で腫物のように扱われるようになり、濃はさらに頭を抱えたのであった。


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