十三話 予想外の来訪
「衛門、今戻ったけど!」
「ひ――じゃなくてお鷺! なんという走り方をして」
部屋に飛び込むようにしてやってきた濃の姿に衛門は目を丸くして、顔を引きつらせた。
「それどころではないでしょう、濃姫はどうなっているの?」
手早く片手で扉を閉め、片手で傘を脱ぎ捨てる。幸いにも信行一行と会ってからは誰とも出会わず、部屋の周囲に人がいる気配もなかったが念には念を入れるに越したことはない。
「姫様、一体何を焦っておいでなんですか?」
「さっき信行公と会った時に土田御前がこちらに来るって言っていたの――早く準備しないと」
「ああ、それならば先ほど来られましたよ」
衛門の言葉に濃は目を丸くして、視線で穴が開くのではないかというくらいじっと衛門の顔を見返した。
「ちなみに信長公も来られましたよ、土田御前が来られた話を聞いてきたみたいですがうまいこと言ってお返ししました」
「信長公まで……」
「まあ、あのお方の日ごろの行動を思えばこちらは想定内で取り立てて気にすることではないと思いますが」
信長としては敵対関係に近い母が妻のところに行ったとなれば探りたくなるだろう、濃は衛門に首肯した。
「そうね、理由がわかっていることより、今は義母様の話が問題先でしょうね。どうして私の見舞いに?」
「いえ、見舞いには来ておりませんよ。用があってこられたら姫様が病だったので、後日見舞いに伺うとおっしゃっておりました」
「あら、そうなの?」
それはそれで濃姫が御前への嫌がらせとして病を負ったふりをしているなど、嫌なうわさが立ちそうな展開である。
だが、それ以上に土田御前の用とは一体なんであったのかが問題である、いやな予感に交じりだが濃はやっと求めていたものが動き出した気配を感じた。
「土田御前のご不興に関しては問題ありません、うまく誤魔化せましたから」
「どうやったの?」
「たまたま替え玉がいましたので――ほら、寝たふりをしているのか、本当に寝ているのか知りませんけど、そちらに」
そう言って衛門が指を挿した先には布団が敷かれていた。
見れば部屋の奥には濃姫の布団が引かれており、それは人型にこんもりと膨れ上がっている。艶やかな黒髪が覗いているからして、単に詰め物ではなさそうだがそれは全く微動だにせず、あまりの気配の薄さに濃は指摘されるまで気が付かなかった。
髪だけで人を判断できるほどではないが、美濃の家やこの状況を少し考えればそれが誰なのか濃は察しがついた。
「えっと、もしかして……十兵衛?」
「おや、お分かりになられましたか」
そういって起き上がったのは見覚えのある人物、十兵衛だった。
「どうしてここに」
「美濃に帰る前に姫様の顔のところへ顔を出そうと思いましたところ、元気に出奔なされていたようで、衛門殿がちょうどいいから替え玉にと」
「……濃姫のふりをしたの?」
十兵衛は確かに男らしい顔つきとはいえず、線の細さ、背格好は女に見えなくもない。そしてこの男の演技力の高さを濃は十分に知っている、病人の真似をして追い返すぐらい苦もないことだろう。
そして同時に濃は衛門は彼が来ることもみこして濃を気晴らしに送り出していたのだろうということを悟った。だからこそ、不測の事態にも全く彼女は慌てていなかったのだ、改めて濃はそれを嬉しく思い、少し自分の行動を恥じた。美濃の姫君になるのは難しい。
「病人に声を似せるくらいでしたら朝飯前ですので」
「なるほど」
「二日ほど寝ておりませんでしたから、ちょうどよい休息ではありました」
姫君のふりをして誤魔化すことが休息であると、いけしゃあしゃあと言い切る十兵衛に、濃は何とも言い難い気持ちになった。
この男と血はつながってはいないはずなのだが、斉藤家の一員なのだなぁと妙な納得をしてしまう。
久々の再会をしている間に衛門が手早くお茶を三人分用意してくれたので、三人は茶を飲みながら輪になって話を続けた。
「えっと、美濃からの使いはすんだの?」
「はい。ですが、先に確認することがあるのではありませんか?」
十兵衛に言われて濃は、土田御前の件が宙ぶらりんになっていたことに気が付いた。どうも次から次へと気になることができるとそちらに目移りしてしまう癖がある、濃は帰蝶の癖を自戒すると衛門を見やった。
「そうだね、状況が悪く転がっていないことは分かったから、まずは義母様の訪問の件について教えてくれる?」
「そうですね、実は何故来たかと言われると私もよくわからないというか」
珍しく歯切れの悪い衛門は眉をひそめながら、史上最大の難題に行き当たったかのように重々しく言った。
「双六をしませんかとおっしゃいまして」
「……は?」
まったくもって理解のできなかった展開に、思わず間抜けた声が出た。
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