五話 姫土岐丸

「お前は織田家の内部抗争を加速させるために尾張に嫁ぐのだろう、と言ったな」


 全てを見透かしたような道三の目に、帰蝶は少し口ごもる。


「……自信はないですが」

「お前の推測通り、ただの同盟の為に尾張に嫁がせるわけではないというのは正しい」


 あっさりという道三に、やはりそうだったかと安堵感が帰蝶の中に沸き上がった。

 いつの間にか汗ばんでいた体が、少し冷えるのを感じた。


「だが、帰蝶よ、もし仮にわしがお前の言うように傾国の女となれといって――お前にそれができるのか?」 


 一瞬、帰蝶は応えることが出来なかった。


 自分は美濃の山で駆け巡っただけの世間知らずだ、いくら美濃の姫の肩書があるとはいえ仮にも一国を滅ぼすほつれを作ることが出来るのか。


 未知の世界で、未知の試みをする。その事実に帰蝶は若干躊躇をし、だが覚悟を決め毅然とした目で告げる。


「やります」


 はっきりと、堂々と言い切る。

 結果を確約できるほど自分に自信はない、だが道三が自分にできると思って任せるというならば、答えは決まっていた。


「私の父は斎藤道三、人の技量も見定めずに仕事を任せるわけがありません。父上が私にやれると思うならば、必ずやり遂げられましょう。それに――」


 帰蝶はそこで一息、間を置いた。


「私は斎藤家の娘です。斎藤道三の娘で、名将義龍、知将孫四朗、猛将喜平次の妹で、美濃の姫です。美濃の為に、家族の為になるならば、どんなことだってやって見せます」

「……それが、例え卑怯と言われることであってもか」


 道三の言葉には苦々しいものが有った。

 だが、帰蝶は真っ直ぐ道三を見返した。


「それが美濃の国の為になるのならば、喜んで」


 また、沈黙が起きた。

 だが、それは決して帰蝶にとっては心地が悪い物ではなかった。

 やり切ったかのような達成感が、彼女の中を渦巻いていた。


「……帰蝶、これを見よ」


 道三は唐突に自身の胸元から一本の短刀を取り出した。鞘が紅色で装飾され、目にも鮮やかな一品であった。


「これは姫土岐丸、守り刀だ。わしはこれをお前に託そうと思っている」


 ゾクっと、氷のような予感が帰蝶の背に走った。一見ただの装飾品に見える短刀、だがその切れ味は手に取るように想像できた。


「わしがお前に託すものは、お前が思っている以上にたちが悪い。だが、お前にしか出来ぬ」

「……暗殺、ですか」


 合点の言った帰蝶が、やっとのことで絞り出した声は震えていた。

 ――人を殺す、この乱世では必要悪だとは帰蝶だとて知っている。だが、それが自身の手で行われると思うと、また別の生々しさが生じた。


「端的に言えばそうなる」

「織田信長を暗殺するんですね」


 帰蝶は自身でも己の身体能力が並の姫君どころか、並の武者でも肩に並べぬものであることを良く知っていた。

 幼いころから森をかけていた足はいまや兄たちの誰にも劣らぬほどで、射撃も帰蝶の右に出るものを見たことが無い。

 単純な力比べならば兄たちに劣るだろうが、彼女は体が柔軟でそれこそ忍びのような動きをすることも得意であった。


 暗殺、という観点では斎藤家の誰よりも向いているだろう。


「私なら深窓の令嬢を装って、隙を見て信長を暗殺することは可能です。向こうも私がこんな姫君だとは思っていないでしょうから、暗殺後に逃げ出したり誤魔化すことも上手くやれば可能でしょう。仮に死ぬようなことになっても、美濃の為ならば悔いはありません」


 不思議なことに帰蝶は暗殺へのためらいや恐怖は感じてはいなかった。

 命を理不尽に奪うことには抵抗がないわけではないが、自分が暗殺することで美濃の家族や領民の命を守れるのならば構わない。


「なるほど、大した心意気だ」


 感心したような道三に帰蝶は深く頭を下げた。


「はい。喜んで拝命し」


「だが、その考えを先走るところはまだまだか」

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