十五話 小さな成長

「それにしてもその商人風の男、気になりますね。城下で起きている争いと関係しているのでしょうが……」

「あれ、十兵衛はこっちの城下町のことも知っているの?」


 そういえば美濃の命で何かをしていた、と聞いていた。もしかしたら美濃から放たれた密偵の情報をまとめていたのかもしれない。


「ええ、話としては聞いています。どうも争いがかなり多いようで、信長殿の部下や彼に取り立てられたい若武者が騒ぎを起こしたり、信行派と信長派で喧嘩があったりしているようですね。おかげで不満に思う人も少なくないようです」


 関連した騒ぎならば濃もつい先ほど見てきた、というか勢いとはいえ多大に関わってきたところである。

 だが、濃がそれを口にする前に、怒り心頭といった様子の衛門が先に口を開いた。


「全く信長公がしっかりしてくださらないから、姫様を妻に迎え入れてもこの現状なんですよ! 嘆かわしいにもほどがあります」

「まあ、ある意味では信長公が姫様を娶られたからからこそ、この泥沼化をしたともいえるわけですし、美濃もそれを見越していたわけですから」


 嫡男と優秀な次男の対立、信長ほど奇怪な嫡男がいるという事実はおいておくとして、この生き馬の目を抜く乱世では珍しい話ではない。優秀な当主を選べなければ、即座に滅ぼされてしまうからだ。


 そう国は簡単に滅びるのだ。

 思わぬところから生じるほころびはいつの間にか大きくなり、小さな打ち損じが破滅をよびよせてしまう――濃の仕損じた一手が、何を起こすかなんて今は想像もつかないが、いくらでも悪路には転がり落ちてしまうのだ。


「それにしても、ここまで仲が悪いというのに、当主は何も介入していないのが不思議ですね」

「お義父様のこと?」


 織田家の現当主であり信長の父である織田信秀は、濃の嫁入りの日に顔を合わせたきりに会っていない。

 人がよさそうな印象はしていたが、その覇気は間違いなく戦国の世を生き抜いた当主だった。この状況が分かっていないとは思えない、確かに奇妙だった。


「……もしかしたら見極めているのかもしれない」

「姫様?」


 濃が記憶の中の顔を思い出しながらそういうと、二人の視線が彼女に集まった。


「嫁入りのとき、信秀様はいらっしゃることをお義母様たちにも伏せて見ていたはず。あれは私や美濃を試していたんだと思ったけど、そうじゃないのかもしれない。美濃は――あぶり出しのために使われた、とか」

「好んでマムシを身中に入れて別の毒を吐き出させようと」


 十兵衛の例えに、衛門が怪訝そうに眉をひそめた。


「いくらなんでも、それでは美濃が馬鹿にされすぎでは?」

「衛門、可能性の話だからね。まだまだ情報は足りていないから、可能性なんていくらでもある。何がおきたっておかしくない」


 濃はそういうと手元のお茶に口をつけた。話にずいぶん熱中してしまったからか、茶はずいぶんと冷めていて、器だけがほんのりと温かだった。


「姫様はずいぶんと成長されましたね」

「十兵衛?」


 十兵衛の感心したような笑顔が向けられ、元々の素行があまり褒められていなかったが故に、どうすればいいのか分からなくなった濃は顔を赤くしてうろたえた。

 それに対して意を得たりと胸を張ったのは、衛門のほうだった。


「そりゃあ、私たちの姫様ですからね。当たり前です! 何を隠そう美濃の姫君なのですから」

「衛門殿の方は相変わらずですね」


 くすっと笑いが漏れたのは十兵衛だけではない、濃も衛門までもその言葉にうれしそうに笑った。

 昔のような掛け合いに心がほぐれたような気がするのは多分濃だけではないだろう。

 変わるものがある、変えたものがある、それでも変わらなかったものだってある。その事実が嬉しかった。


 一通り話を終えると、十兵衛はさすがにここに泊まる訳にはいかないため席を立った。いつの間にか日はすっかり暮れていて、その景色を見て濃は長い一日だったな、と改めて感じた。


「名残惜しいですが、まだすべきことがありますので。私は美濃とこちらを定期的に往復する予定ですから、何かあれば忍びにお伝えくだされば即急にはせ参じます」

「ありがとう」

「それでは失礼いたします――ご武運を」


 最後に迷うように付け加えられた言葉に、濃はにやりと姫君らしくない笑みを浮かべた。


「大丈夫、私は美濃の姫だもの、やることは全てやってみせるから!」


 力強い濃の言葉に十兵衛は縁起のいい微笑をひとつ落とすと、そのままその場を後にした。

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