二章 嫁入り

一話 花嫁行列

 天文1〇年 二月十四日。帰蝶の方、濃と改名され、尾張の織田信長公のもとに嫁がれたり。

 そのお姿は美しく、才も豊かで覇気を有し、並の姫君ではないと領民皆が噂した。

 信長公、お濃の方を正妻として迎え入れたり。


                           裏・信長公記より抜粋




 身分と乗り物は直結する。

 例えば身分の高い武士なら馬に乗るし、低いものは馬の後を歩いてついて行き、公家なら牛車だ。

 そして姫君は――籠に乗せられて移動する。


 稲葉山城を出て以来、濃は籠に乗せられていた。

 美濃の姫という身分だから仕方がないとはいえ、元来こういう乗り物を好まない濃は辟易としていた。


 人に担がれるというのはいつ落とされるのか不安になるし、何よりも自分で馬に乗ったほうが速く移動できるため少し納得がいかない気持ちになる。


「……まあ、私は濃だから仕方がない、か」


 濃はそう言って小さくため息をついた。

 稲葉山城を出て一時以上、濃となった彼女は静かに籠の中にいた――嵐の前の静けさを思わせる不吉な静寂と共に。


 白い花嫁装束や化粧は衛門が選び施してくれたものだった。

 そのおかげが帰蝶は本来の年よりも5つほど上の大人びた女に見えた。


 と、濃を乗せた籠がゆっくりと止まった。休憩の時間が来たのだろう、やっと窮屈な時間が終わると思い、少し濃はほっとした。


「姫様」


 間もなく、衛門がかかっていた御簾を上げた。

 手には水の入った竹筒を持っている――丁度、濃の喉が乾いていたころだった。


 相変わらずの衛門の準備の良さに感心し、礼を言って水を受け取る。水はとても甘く感じられた。


「もうすぐ尾張の国に入ります。那古屋城まではあと少しです」

「そう」

「城下町の前で織田家の家老の平手政秀殿が迎えに来られるそうです。案内と姫様の警護の両方を務めるそうです」


 平手政秀は織田信長の守役を務めていた男であり、今回の美濃との縁談を進めた張本人である。


 濃は直接会ったことはないが、あの父を相手に自分の縁談を成立させたのだからやり手の男であるのだろう。まあ、最終的には父の策に利用されてしまっているのだが。


「私の警護、ね」


 警護というより実際は監視に近いものなのかもしれない。

 今回の嫁入りに美濃が素直に応じない可能性は流石に織田家でも分かっているだろう。


 濃の腕の見せ所はそこからだと言える。

 聡明であるがいたって普通の姫君を演じ周りを欺き、織田信長の器を測る。彼の暗殺の仕方は信長という男の器を見極めた後に、じっくりと考えればいい。



 と、暗殺の事を考えている濃の目の前で、衛門がぱんっと手をたたいた。


「へ!?」


 とっさの事だったからか、濃の仮面が取れ、帰蝶のような声が出る。


「あんまり怖いことばっかり考えないでください。姫様は思っている以上に顔に出ているんですよ」

「……そうなの?」

「そうです」


 衛門に断言されれば、濃に反論する術はない。


「暗殺の事はまた後で考えればいいんですよ、その時になったら私も協力します。気長に気楽には姫様の十八番でしょ?」


 衛門に笑顔を向けられ、濃も自然と笑顔になった。


「そうだね、今は気楽に行くことにする」

「はい、そうしてください。私が姫様のお側に控えている時は、大体上手くやって見せますから」


 濃は衛門とクスクスと笑いあうと、改めて周りの木々や小道を見やった。

 豊かな美濃の大地、木々、自然――次自分がこの景色を見るのはいつのことになるだろう、そんな惜しむような気持ちを覚えながら濃は尾張へとまた一歩歩みを進めた。






 更に籠にゆられること約一時、濃一行はのどかな田園風景の中を進んでいた。


 濃は御簾の隙間から尾張の国土を眺めていた。

 初めて見る他国の姿は新鮮でどれだけ見ていても飽きず、特に濃尾平野の延々と続く田園風景は尾張の豊かさを象徴しているようでとりわけ目を引いた。


 と、進行する一同の中で衛門がそっと濃の御簾の傍に近づいてきた。


「那古屋城の城下町が視えてまいりましたよ」

「……そう」


 ならばいよいよなのだ、そう思うと濃は心臓が高鳴るのを感じた。

 暴れる心臓の音を落ちつけようと大きく息を吸い込み、濃は御簾の外を軽く見――


「は?」


 とても間の抜けた声を上げてしまった。


 幸いにも小さい声だったからか彼女の声は外に漏れることなく、というか外の喧騒に紛れて消えてしまった。


 そう喧噪、一瞬で辺りは騒がしくなっていた。

 穏やかな田園風景には似合わない奇妙な男が、一行を足止めするかのように立っていたからである。

 仮にも斎藤家の娘にして織田家嫡男の花嫁の一行を相手に無礼であり、命知らずの行動だ。


 しかもその男は、御簾のせいで濃からはよく確認できないが、湯帷子を袖脱ぎした茶筅頭の奇抜な男だった。


 男が進路を塞ぐため、自然と濃一行の歩みも止まった。

 先頭の兵士が槍を片手に男に近づいていくのが見える。

 斬り捨てると言わんばかりの気迫だったが、男は何食わぬ顔で近づく兵士を見ると――急に馬の腹を蹴り、行列に突っ込んできた。


「お、おいお前!」

「誰か姫様をお守りしろ!」


 怒号と喧騒がのどかな田んぼに吸い込まれていく。

 家臣たちからすれば、この行為は濃を、しいては美濃を侮辱したに等しく、許しがたい行為である。


 だが、馬の主はよほど戦の心得があるのか、次から次へと出される槍やら刀を太刀で軽くいなしながら一直線にこちらに向かってくる。


 濃はとっさに懐の姫土岐丸を握りしめた。

 この嫁入り、やはり一筋縄にはいかないものであるらしい。

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