十一話 お小言

「あ、あの!」


 黙々と男たちの関節を外していた帰蝶は、そこで改めて犬千代の存在に気が付いた。振り返れば半泣きの困ったような顔で犬千代が立ち尽くしている。

 帰蝶は男たちが不意を突いての攻撃が難しいだろうことを確認すると、犬千代の方へと向き直った。


「あの、その貴女はいったい」


 帰蝶は沈黙した。そうせざるを得なかった。

 勢いで犬千代を助けてしまったものの、彼は濃と会ったことが有るため顔を見られたら正体が分かってしまうだけでなく、それなりに喋ればそれだけでばれてしまう恐れもある。

 かといって通りすがりのやんごとなき姫君を演じて、速やかに逃げ去るには今までの帰蝶の行動はあまりにもえげつない。

 今の帰蝶ははっきり言って全てが全て不審人物であった。


「……どこぞの方の忍び、ですか?」


 沈黙したままの帰蝶を不思議そうに、というか警戒したように犬千代が見つめてくる。

 ここで不審がられてほかの野次馬を呼び集められて注目されてしまっても厄介なので、何とか犬千代を安心させて誤魔化そうと帰蝶は笑いかけた。


「いいえ、私は単なる通りすがりで、とある御方にお仕えしているただの侍女ですよ。ただ、その御方がちょっとヤンチャで、必要に応じて腕っぷしには自信がつくようになっていたから、思わず助けちゃった、迷惑だった?」


 薄布越しで表情がよく分からないとはいえ、柔らかな声や敵意の無い雰囲気は十分に伝わったらしい。

 犬千代の顔が目に見えて良いものへと変わっていき、帰蝶はひとまずは胸をなでおろした。


「なるほど、それは失礼しました。助けていただいてありがとうございます」

「まあ、若いうちは勢いで突っ走っていくことはよくあることだしね、ほらもういいから頭を上げて」


 帰蝶は頭をがばっと下げたままの犬千代の頭を上げさせると、その頭に手を置きながら子供に言い聞かせるように言った。


「ただ、さすがに今回はたまたま私がいたからよかっただけで、本当なら殺されてもおかしくなかったってことは忘れちゃだめ。もっと、やるときには慎重に考えないと」


 帰蝶は末っ子で弟なんていたことはなかったのだが、しゅんとして帰蝶の話を聞く犬千代を見ていると次から次へとお小言が勝手に口から出てきてしまう。

 それはもちろん相手を心配してのことなのだが、新鮮な体験だった。美濃の兄たちもこんな気持ちだったのだろうか。


「……はい、でも俺、本当に許せなくて。皆、若様のことをちゃんと見ていないから悪く言うんです。たしかに若様は変わったことはなさいますし、普通の武士ではないです。でも、見ているものが俺たちには見えないもののだけで、才も地位も若様にふさわしくて、どこまでもこの尾張のことを考えてくださる、そんなお方なんです」


 悔しそうに声をふりしぼる犬千代は今にも泣きそうで、彼が信長をどれだけ慕い、それ故に傷ついているのかがよく分かった。

 その姿はひどくまぶしくて、同時に帰蝶の心に何とも言えない重さを落としていった。


「信長公が大好きなんだね」

「……はい」

「だからカッとなってつい問い詰めちゃったんだね」


 帰蝶は朝見たばかりの信長の姿を思い出した。

 理解不能、型破りどころか型の原型すら残っていないような男である――けれどつい追いかけてしまいたくないような、魔性の魅力があの男には備わっている。

 きっとそれが大器なのだろう。この利発な少年がここまで入れ込む何か、そして自分が暗殺には踏み切れない理由の何か。


「あのね、君が今回したことは悪いことではないよ。その気持ちももちろん、行動力も褒めるべきことだと思う。まあ、穴が多いのはまずかったけど」


 悔しそうで、辛そうな犬千代の頭を帰蝶はいたわるようにそっと撫でた。


「でもね犬千代君、一つだけこれだけは忘れないで。正義感が強いのはいいことだし、不義を非難し糾弾するのも悪いことではない。けれども、正攻法がいつも勝つとは限らないから」

 帰蝶の言葉に何か思うことが有ったのかハッとした犬千代の目と、優しく諭す帰蝶の目が薄布越しに確かにまじりあった。


「だから、考えて行動してね。本当に最善の道がこれなのかどうか、冷静になってから行動して――その上で自分が思う道を全力でやり遂げればいい」


 しばらくの間犬千代は帰蝶からもらった言葉を咀嚼するかのように、じっと彼女を見ていた。

 やがて、投げられた言葉は彼なりに納得する解釈へと姿を変えたのか、彼は静かにうなずく。


「さっ、お小言はこれぐらいにしておきましょう。何をしていたのかはよくは聞きませんが、彼らに非があるのは明白でしたからね」


 おおよその経緯を犬千代に尋ねてもよかったが、下手につっこんで素性をばらしたくなかった帰蝶は曖昧にごまかした。


「さて」


 帰蝶はかがめていた腰を上げると、後方をみやった。

 帰蝶の見立て通り、三人の男たちはこちらに反撃する余裕がないどころか、うめく元気すらなく死んだように転がっていた。少しやりすぎたかもしれないと一瞬帰蝶は思ったが、道三のありがたい言葉を思い出し反省はやめておいた。


「問題は彼らですよね、このままにしておくわけにもいかないし」


 どうしたものか、と帰蝶が考え込んでいると、路地の先からひょっこりと少年の顔がのぞきこんだ。


「おい、犬千代! こんなところでなにやってんだって」


 年のころは犬千代と同じくらいだろうか、幼いながらもどことなく頑固そうな顔つきの少年だ。

 少年は犬千代を見て、帰蝶を見て、周りのその他諸々を見て一瞬で顔色を変えた。


「お前、こいつらは――」

「成政! ちょうどいいところだ!」


 頼もしい味方を見つけたとでもいわんばかりに、顔を輝かせて犬千代が少年、成政を手招きした。

 その無邪気なしぐさで警戒心を解いたのか、成政は帰蝶を不思議そうに見ながらも二人の元へとやってきた。

「これはいったい」


「若様にお使えしながら、信行様と内通していた裏切り者を成敗したところだ」


 そういうと犬千代は自慢げに成政を見やった。

 実際成敗したのは成り行き上とはいえ帰蝶なのだが、内通者だったことを今知った帰蝶が訂正を求めるわけがなかった。


「こいつらは……何かしかねないとは思っていたが」

「成政、人を呼んできてくれないか? こいつらを縛って若様のところへつれていかないと」

「ああ、それはいいのだが」


 成政が言葉を濁しながら見たのは、もちろん帰蝶だ。明らかにこの場に不釣合いな姿に尋ねたいことがあるのだろう。

 当然の反応ではあるが、決してよいとはいえない状況に帰蝶の背に冷や汗が流れる。何とか立場をごまかしたいものであるが、この少年からは一筋縄ではいかない予感がした。

 互いに探り合うような視線の重なり合いの上で、帰蝶が選んだ手段は単純明快だった。


「犬千代君、お友達がきたならもう大丈夫ですね! では、私は予定があるので失礼させてもらいますね!」


 勝機がなくば、潔く逃げて体制を立て直すべし、これもまた父斉藤道三のありがたい教えである。

 言うだけ言ってうやむやに逃げてしまおうとする帰蝶に当然成政はますます不信感をあらわにするが、なぜか犬千代はあっさりと頷いた。


「ああ、そういえばそうですね。わ――じゃなくて、主殿に心より感謝しているとお伝えください!」

「犬千代この人は」

「単なる通りすがりのとあるお方にお仕えしている侍女、ですよね!」


 なぜか帰蝶ではなくやたらと元気いっぱいの犬千代が答えた、もっともその発言は答えにはほとんどなっていないといえるが。


 帰蝶も成政も心境は違えど、筆舌しがたい思いで犬千代を見た。

 成政としては何故この怪しいを庇うのか理解できないのだろうし、帰蝶は帰蝶で何故こんなに怪しい自分が彼に全力で肯定されているのか分からない。

 なんだか壮大な誤解をされている片鱗を帰蝶は感じ取ったが、いい誤解ならば解かないでおきたいに限る。それに犬千代が誤魔化す気満々で帰蝶を見送ろうとしたことで、成政も問い詰めないほうがよい存在だと考えたらしい。


「……そうですね、私はただの通りすがりの侍女ですので。どうぞ、お気になさらず」


 どうにも納得がいかないことであったが、この機会を逃す理由もなく、帰蝶は迷うまもなく一礼すると、そのままその場を逃げ去った。


「はい、この者たちはしっかり若様に引き渡します! お任せください!」


 合点のいかない帰蝶の背に、自信たっぷりの子犬の声がかぶさってきた。

 この少年、利発そうではあるが、案外思い込みや感情の暴走が激しいのかもしれない、帰蝶はそう悟った。

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