三話 城下町
城下町は大した賑わいであった。
稲葉山城の麓も賑わっていたとはいえ、ここまでではなく濃は純粋に驚いた。だが、それ以上に驚いたのは――後ろの男の態度だった。
「もち、食うか?」
「いえ、結構です」
やんわりと濃が断るが、信長は全く気にすることなく美味そうにもちをほおばる。
つい先ほど、行商人から買い求めたものだった。正直おいしそうであったし、腹も減っていたが流石に馬上で食する気は起きなかった。
濃たちの姿は異様であるといえた。
信長の格好はまだ身分を置いておけば歌舞伎者ですむかもしれないが、馬に同乗しているのは白無垢を着て化粧を施された一目で高貴と分かる濃であり、明らかにおかしい。
だが異様な割には注目をそこまで集めなかったのは、やはりこの織田信長という男の人柄のせいなのだろう。
「若様ぁ! どっかの花嫁でも攫ってきたんですか? えらい別嬪さんじゃないですか!」
どこからか元気な少年の声がした。見れば利発そうな目のくりくりした子供が馬の傍に駆け寄ってきている。
「ああ、犬千代」
「お知り合いですか」
「前田家の何番目かの小僧だ。犬千代、こっちはマムシの娘の濃、俺の妻になるやつだ」
「……マムシ?」
犬千代と呼ばれた子供が不思議そうに首を傾げる。
が、合点がいったのか、すぐにハッとしたように目を見開く。
「こ、こちらの方は蛇の娘なのですか!?」
とんだ誤解である。
が、犬千代の方は真剣にそう思っているのか、ひどく慌てた口調で信長へ続けた。
「若様、たしかにこちらのお方は別嬪様ですが、蛇の蛇殿の御娘など」
目をくるくる回す犬千代が可愛らしくて、濃は思わずくすっと笑ってしまった。
「違いますよ、私は人間です。父上が斎藤道三という美濃の領主で、マムシというあだ名を持っているだけですよ」
「さ、斎藤道三殿の娘御!?」
更に犬千代は目をくるくると回した。表情がコロコロと変わるところは、子犬そのものであり、微笑ましかった。
「平手の爺さんがマムシを上手く丸め込んだからな――まあ、転がされているだけかもしれないが」
そう言って、信長は濃をひょいと見やる。
その眼に敵意や猜疑は見られなかったものの、濃は少し心臓が高鳴るのを感じた。
「父は策略家でございますからね。ですが、尾張と良い関係を築きたいのは事実ですよ。現に一人娘の私を嫁がせておりますし」
まあ、一般的な良い関係を築きたいという訳ではないだろうが、濃がその点を語る必要はない。
濃が穏やかな仮面でやり過ごしていると、犬千代の方は状況にいろいろと合点がいったらしく濃をみて頭をさげた。
「さ、先ほどは、無礼な物言い、蛇の娘御とか言ってしまって、失礼しました」
ガバッと勢いよく頭を下げるさまは、怖い近所のおじさんの所に勇気を出して謝りに行く子供のようであった。
「いえ、大丈夫ですよ。マムシというのは一種の褒め言葉だと思っていますし」
「お、俺は前田利昌の息子の犬千代です。若様にはよく町で遊んでもらったりして目をかけてもらっています。奥方様、これからお世話になります!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
元気な子供であるが、濃を前に物おじしないなど、なかなか見所のある子供だと濃は思った。そんな濃の気持ちを見透かしたように信長が言った。
「元気が良いだけじゃなくて、度胸もあるし、頭もそれなりに回る。そのうち、俺の元で働いてもらうつもりだ」
「も、勿体ないお言葉です」
嬉しそうに犬千代が右の耳をかく。照れくさいのか、やや赤みのさした顔で犬千代は話題を変えた。
「そ、それにしても、斎藤道三の娘御を嫁に迎え入れられたことは大きいですね。美濃と同盟を結めば今川などの他大名を抑えることが出来ますし、何より信行さまへのけん制になります! これで、若様の織田家当主の座を固めることができますね!」
「信行さま、ですか? それは信長公の親戚の方ですか?」
不思議そうに問い返してみたものの、実は濃は信行という男の事をよく知っていた。無論、情報としてだが。
織田勘十郎信行、織田信長の実の弟であり、別名信勝ともいう。織田家の家中割れの原因である男だ。
信長と同じ土田御前の息子で、信長とは真っ向逆な性格で素行品格共に申し分なく、彼を当主にすべきだという家臣も多い。
今は当主である信秀の力もあり、表立って争いは起きてはいないが、水面下ではかなり進行していると濃は耳にしている。
「若様の弟君です。かなり真面目な方だと聞きます、俺は会ったことないんですけど」
「ご兄弟なのに争っているんですか?」
濃は目をまるくして犬千代を見る。勿論、演技であるが、はっきりした反応に犬千代は気をよくしたらしい。
「若様は天才で、行動も突飛なものが多くて、ただ人にはなかなか理解できないものです。俺はそんな若様を尊敬しているし、絶対大きなことをやり遂げる人だと思っています。ただ、織田家臣にはその、若様の行動を、その、うつ……悪く言う者もいて」
流石にうつけとは言えないらしい。
これ以上聞くのも悪いような気がしたので、濃は柔らかく微笑んで犬千代の頭を撫でた。
「分かりました、それ以上はもう大丈夫ですよ。教えてくれてありがとうね」
犬千代の頭は少しごわごわしたが、さわり心地は悪くはなかった。馬の尾の毛みたいだと濃は思った。
犬千代の方は予想外だったのか、目を丸くして濃を見ていた。
「え……と」
「どうかしましたか?」
撫でられるのは苦手だったのだろうか、そう思って手を離すと、犬千代は困ったように目線を彷徨わせる。かける言葉に困っていると、信長がつぶやいた。
「犬千代」
「は、はい」
「――柿、食うか」
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