六話 義弟と義母



 濃の変わり果てた姿に、城の警備の兵は一瞬驚き、即座に納得したような顔を浮かべて、城へ迎え入れた。

 同情しているような視線が向けられるが、濃は構うことなくにこやかに歩みを進めた。


 門の先には、濃を待っていたかのようにすでに多くの人間がいた。

 左手前には濃と共に来た花嫁行列の兵が見える。右奥には織田家の家臣らしい人物たちが控え、本来信長がいるべきであろう中央には従者を従えながら二人の人物が立っていた。

 目元が狐に似ている鮮やかな着物で身を飾る女と、きっちりとした礼服に身を包み、淡々とした目でこちらを見てくる少年――濃は直感的にこの二人が信長の生母と弟の土田御前と信行であろうと感じた。


「遠路はるばる有り難く存じます――義姉上」


 声変わりをしたばかりの少年の声だった。信行は笑顔で濃を見やるが、まだまだ年季が浅いからか嘘くささがぬぐえない笑顔だった。


「はじめまして、美濃から参りました、斎藤道三が娘、濃でございます。そちらは織田信行殿でございますね」

「さようで」


 信行は笑顔のまま、隣の女性を見やった。


「こちらは私と兄の母です。城の者からは土田御前と呼ばれております」

「遠路はるばる大変でしたね。私は土田家の娘で織田信秀の妻でございます。これからはまことの母と思って接してくださいね」


 こちらの女性も満面の笑みで濃を見てくる。だが、その笑顔の嘘くささは信行と同じくらいに分かりやすかった。目があからさまといってもよいほどに笑っていない。


 だが、濃とてそんなことを気にするような娘ではない。


「義母様、自らお出迎え下さるなど光栄です」

「仕方ありませんもの、吉法師の方は他にやりたいことがあるようですから」


 吉法師とは信長の幼名である。


「ところで、貴女だけ到着が遅れたのはどうしてかしら? 折角のお着物もそんなに汚れてしまって――何か道中に不備でもあったのかしら?」


 これほど分かりやすい皮肉もそうないだろう。

 いくら信長が自由奔放とはいえ、濃に降りかかった顛末は織田家の者であれば知っていてもいい。濃は穏やかな笑みを崩さないまま、切り返した。


「いえ、不備などめっそうもございません。信長公自らご厚意で町を案内していただいただけのこと」

「あら……下々の者の界隈に連れ出されてしまったのですね、おかわいそうに。吉法師は少しそういう所がございますの。不肖の息子に代わってお詫び申し上げますわ」


 お詫びと言いながらも、土田御前は何故か濃を小馬鹿にしたような微笑を浮かべている。我慢がならないのか、濃の視界の端で衛門がキッと目を吊り上げたが分かった。


 流石に土田御前の言葉は過ぎたものだと思ったのだろう、政秀が困ったようにいさめた。


「御前様、今は濃姫様が織田家に来られためでたい時なのでございますから、ご子息に思う事があるかもしれますまいがここは押さえて――」

「あら、私が何か言いまして?」


 土田御前の声音は冷え冷えとしていた。あからさまな仕草だったが、政秀はひるまなかった。


「信長様は織田家のご嫡男でございます、いかにもご生母であっても限度がございましょう!」

「政秀、口が過ぎるぞ――義姉上も困っておいでだ」


 信行が淡々とした目で政秀を見ていた。

 濃は誰か他の家臣が止めに入るかと思い、周りを観察したが、誰もかれもが触らぬが吉と言わんばかりに、視えていないようなふりをしている。


 周囲の様子に機嫌が治ったのか、土田御前は嫣然と微笑むと、濃を見やる。

 本人は隠しているつもりなのかもしれないが、濃にはよく分かった――あからさまな敵意がそこにある。


「お見苦しいところを見せてごめんなさいね。お詫びではないけれど、私からこの婚姻を祝って、あなたに贈り物があるのです」


 嫌な予感しかしなかった。だが、断るわけにもいかないので、濃は先を促す。


「義母上、自らそのようなお気遣い嬉しく思いますわ」

「そのようにかしこまる必要はなくてよ――夕霧、例の物を」

「はい」


 土田御前の侍女なのだろう、土田御前と同じくらいの年齢の女が着物を持ってやってくる。

 人目で見事と分かる黄色の着物で、豪奢に刺繍されているのは――おそらくは蝶だ。

 それに気が付いて、濃は土田御前の真意を悟った。


「貴女の為に仕立てたものです。よく似合うと思いますよ、キチョウの姫君?」


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