断章『はずれた箍』

 今も昔も、思い詰めた子供(ガキ)てのは、時に大人顔負けのちからを発する。

 かつてのあたしがそうだった。

 そして、今の幼帝が、そうだ。

 ……いやだな。走馬燈か。情けないったら、ありゃしない。


     ◇ ◇ ◇


「……ねーちゃん!」

 悪夢の終わり、最愛の肉親に呼びかけて、目が覚めた。

 アレズサは、簡易寝台から身を起こし、毛布を蹴飛ばした。まっさきに顔を洗い、口をすすぐ。

 就寝時と同じ全裸のまま、かるく屈伸運動をし、肩を回す。どこもかしこも筋肉が張っていて、女らしい脂肪は申し訳程度。

 しかし、鎧下に袖を通そうとした矢先、大腿を伝う血に気づいて、舌打ちした。

「んだよ……こんな時に。面倒くさい」

 滅多に履かない下着と、綿の入った袋を身につけると、違和感が酷かった。

 今日は金属鎧でなく、革鎧を着込み、月経の痛みを押さえ込む薬を懐中に押し込む。

 天幕の外へ出ると、姉の子飼いの直臣が、火を炊き、乾燥肉と野菜を鍋で煮込んでいる最中だった。

「おはよう」

「あっ、おはようございます」

 まだ十歳と幼い少年は、火箸を片手にさっと立ち上がった。

「ちょうど、いい具合に出汁が出ました。どうぞ!」

「おう、あんがとな」

 少年は、会釈したのち、椀に汁物を注いで、アレズサに差し出した。

 受け取って、アレズサは立ったまま、汁を飲み干し、野菜と肉を咀嚼した。

「アレズサ様!」

 女王の天幕を囲む陣幕内に、これまた年若いのが駆け込んでくる。

 賢しげに眼鏡をかけ、帽子をかぶった少年もまた、姉ヘスペラの子飼いで、幼児期から軍事戦略をたたき込まれた戦技官見習いである。

「お食事がすみましたら、参謀本部陣幕へお越し下さい。お話が、」

「ああ、今行く。……うまかった。ごっそーさん」

 生前、姉がやっていたように、食事番の少年の頭を撫でると、彼は顔を赤くした。

「行ってらっしゃい、おかーさん」

 アレズサはぷっと吹き出し、豪快に笑った。

「あたしは、あんたのかーさんじゃねえよ」

「あっ、すみません。間違えました」

「まあ、いいよ。姉貴の養子なら、あたしにとっても息子同然だ」

 まだ狭い額に弾指して、布外套を肩にかけながら、陣幕を出る。

 十歩足らずで、参謀本部と名付けられた陣幕に入る。

「おう、みんな。おはようさん」

「おはようございます、陛下」

「おはよーございます」

 ここにいる戦技官見習い五人は、みな十歳前後の少年少女だ。姉が集め、育てた孤児たち。姉の教育の結果、戦場の頭脳である戦技官が、子供だらけになってしまった。

 これが熟成するのはもっと先だろう。今はまだ、全員ふやふやと頼りない。

「――話ってのは?」

 一番の年長者である、眼鏡の少年に声をかけ、アレズサは椅子に腰掛けた。

 すぐ前には、大型の方形卓。そこには地図と水を張った盥、定規、鉛筆が置かれている。

「一昨日から、曳光の手"が指し示す方角が急変化しています」

 地図上に遊戯の駒が置かれ、王冠を模った駒の下には、時刻の走り書きの紙が挟まれている。

 少年は、盥の他に小皿を地図上に載せた。

 皿の中身は少量の水と、小指の一本。大盥には、腕が丸ごと入っている。

どちらも蝋でしっかり固めていて、腐敗防止の細工がなされていた。

「腕は実際の方角を指し示しますが、指だけですと、地図に反応する特性があります」

「なので図上で三角測量を行って、目標の場所を特定するための線引きをしたんです」

「一定時間ごとに、指し示す方角が違っているので、一日かけて計算を繰り返しました。その結果、」

「ヘスペラ様の頭がふたつに割られたのでは無いかと、推測します。この駒はほとんど動きません。ですが、こちらの駒が常に動き、場所を変えている。攪乱のつもりかと」

「うん。で?」

「今や、こちらが全周包囲網されているため、ここはやはりマルセルの首を直接、獲る方法を考えなきゃいけないんですが、曳光の手の反応がふたつに割れているので、全方位の防衛線を保ちつつ、国外と国内、どちらに強襲隊を向かわせるかと――」

「はああ? おまえら、そんなことでぐだついていたのか!?」

 思わず、大声を出すと、見習いの少女がびくりと震えた。

「あー、いや。怒ってるわけじゃ……いや、怒ってんのか、実際。おまえら、考えすぎ。とりあえず、固まって動かないほうを見にいきゃいいんだって。選択肢が多いなら、ひとつずつ消してけ」

「ですけど! 国内の、こんな近くにある反応なんて……どんな罠があるかわかりません。そんなとこに貴重な兵力をやっていいものかと」

「戦争始まって、何日目だよ。このまま膠着状態なら、こっちが疲弊するだけだ。おまえら、まだ子供なんだから、まず素直にやっとけ。最初から、姉貴を見習えなんて言ってないさ」

 そして、一人一人の頭をぐしゃぐしゃと掻き乱す。

「悪かったな。おまえらを実戦に出しちまって。あっちのマルセルも、初陣は十三、十四らしいけど。……姉貴の子飼いで、軍師の勉強してたのは、おまえらだけだ。今は頼るぞ」

「アレズサ様……はいっ!」

「あたしが、もう少し勉強好きだったら、良かったんだがな……。罠なら、罠ごと踏み潰すだけさ。手空きがないってなら、あたしが、ちっと行って、見てくる。馬を引いてくるから、その間に詳しい地図を頼む。脳足りんのあたしでも、ちゃんと目的地につける精度のな」

 励ますつもりで高笑いをして、参謀本部を出る。

 背後では、子供たちが、よーしがんばるぞー、と気合いの声を響かせていた。

〈罠か。まあ、罠だろうな。多分、動いてるほうがマルセルに憑いてるやつだろ。しかし、かち割った頭のほうは回収する。……ねーちゃんだって、葬式に頭が無きゃ座り悪いだろうさ〉

 自分の陣幕に戻り、馬に鞍を載せる。

 愛馬が、いたわるように、アレズサに鼻先を近づけた。

「……しっかりしろ。他の奴らも家族を失ってる。いつまでもぺそぺそ、めそめそした女王なんざ、誰もついてこない」

 自身に活をいれ、地図を受け取ると、旗手を一人連れて、目的地へ馬を走らせた。

 激励巡察と勘違いした各地各所の兵には手をあげ、叱咤し、高々笑いながら去る。

『いい、アレズサ? 自信のない王には、誰もついてこないわ。……もし、先代に見習うべき点があるとすれば、ひとつ。自分は絶対に間違っていない、常に正しいのだと胸をはっていた点よ。あんなクソ親父にすら、一部の人間はついてきた。その理由は、絶対の自信なのよ』

「あたし、うまくやれてっかな。なあ、ねーちゃん……あたし、うまくやれてっかなあ」

 風のなか、口腔内で独(ひと)り言散(ごち)る。

 かつて国政や細かな軍事は姉がすべて担当していたので、アレズサ自身は何も考えず、ただ堂々と王者として振る舞えていたというのに。

「……女は。王将に向いてないのかも知んねえな」

 実父への憎悪で、ここまで来た。実姉の献身で、ここまでやって来た。大勢を巻き込んだ以上、今さら全部を投げ捨てられない。

 地図に従い、二刻ばかり駆けた馬は、人里離れた山中に入る。

 太陽は中天に近い。

 山中の木々が邪魔で旗手とはぐれ易くなったため、彼には麓へ戻るよう命じた。

 間もなく、馬を降り、徒歩で地図上の赤丸を目指す。

 木々のなか、唐突に場が開けた。

 密集し過ぎたため、この辺りはかえって、木々は育たなくなってしまったらしい。

 戦場から切り離された場所。鳥の声が響く辺り、長閑なものだ。

 足下の土に、掘削の痕跡がある。

「ここか? こんなところに、なんで、」

 剣を抜き、土を掘る。

 柔らかな土を掘り続け、間もなく、砂利の層にぶつかった。

 自分が想像していた、姉の首の残骸は、ない。

「……ここじゃ、ない?」

 ぞっと背筋に寒気が走った。

 地面に、巨大な影が落ちる。すぐに顔を上げたが、そこはおそろしく巨大な黒雲が広がっているだけだ。

 雲。

 くも……?

「――なんだァ!?」

 雲の近さ。違和感に叫んだ瞬間、雲は巨大な鳥の姿に変わった。

 あり得ない光景に、目を大きく見開く。あれは確かに、先まで雲だったはずなのに。

 大鴉の背には、金髪の少年と、弓をかまえた男が一人乗っている。

 射手が素早く、矢尻に何かをくくりつけるのを認知した。

「アレズサ女王か?」

「マルセル皇帝か!」

 たがいに確認した。

 武者が矢を放ち、アレズサは、それを回避できなかった。

 肩口に矢が突き刺さる。傷の奥深く、矢尻以外の違和感が広がる。

「っ……降りてこい、マルセル! 降りて、きやがれっ」

 アレズサは矢を半ばで折り、まだ動く片手で剣をかまえ、鴉の乗り手たちに叫んだ。

 大鴉の手綱を握った少年は、寒々しい青い瞳で、こちらではない遠くを見ている。

「……私は今、大変に腹を立てている。怒りの代償は御身で払ってもらおう、女王陛下」

 そして、こちらを一瞥することもなく、凍えた青い瞳の少年は、武者を連れて飛び去った。

 馬も人も、空を飛ぶ鳥を追うことは出来ない。

「……くそっ、こっちが罠かよ……」

 矢が骨近くまで貫通している。腕の腱も切れたようだ。

 苦痛に息が荒く、ひたすら脂汗が吹き出る。

「あのまま射殺さない、なんて……なに、考えて、んだか……」

 憎まれ口を叩き、馬のある場所へ戻る。

 いつもは鼻をすり寄せてくる愛馬が、無反応だった。しかし、その違和感に気づけない。

 鐙に足をかけ、どうにか騎乗すると、馬は情けない悲鳴をあげて突如、駆けだした。

「おいっ、どうした!? っく」

 愛馬の暴走は傷に響く。

 声もなく傷を押さえて、うめいていると、麓に待たせていた旗手が、馬を寄せてきた。

「どうどうどう! 落ち着け、何が!」

「くっ、ハノイ! 馬が、」

「っ……!?」

 旗手が驚愕に眼を見開き、馬を停めた。

 背後の山を振り返る。


「……陛下? 陛下ーっ」

 どういうわけか旗手は、山のほうへ戻っていく。

「陛下、どこに! 陛下ぁっ」

「何をし……っ」

 愛馬は駆ける。

 恐怖による帰巣本能なのか、本陣めがけて、まっすぐに――

「おい、陛下が戻ってこないらしいぞ」

「参謀本部からの伝達だ、こっちへ」

「暴れ馬かよ、こんなときに」

 すれ違う兵士らは、アレズサを無視し、あちらこちらへとせわしなく動いている。

 馬上のアレズサを、誰も見ない。

 誰も、彼女を見ない。

 ――誰も、アレズサ(あたし)を見ない。

 ぐらり、と。かるい目眩が起きる。

 無性に喉が乾いた。

 血が足りない。

 視界が暗くなる。

『……次は男かと思えば、また女だしなあ! ああもう、さっさと死なねえかなあ! おまえが生きてると、次の嫁さんがもらえねーんだよ』

 泥酔した父が、母をけなし、頬を叩く。

 ――あたしが女だったから。

 だから、女の自分を捨てようと思った。

『王位は、ヘスペラに継がせる。二番目は用なしだ』

 泥酔した父は、アレズサに期待しない。

 ――あたしが二番目だから。

 ならば好き勝手に生きさせてもらう、王様家業なんざ知ったことか。

『はー、不細工な顔しやがって。俺の視界に入ってくんな!』

 泥酔した父は、アレズサを見ない。

 ――あたしが醜い女だから。

 もう、いい。顔は直しようがないが、鍛えた肉体は賛美される、もうそれでいい。

 ……血が足りない。

 視界が暗くなる……。

『アレズサがいて、良かった……私一人だったら、とうさまの言葉に耐えきれず、潰れていたわ。ありがとう、アレズサ。そこにいてくれて』

「……ねーちゃん」

 胸が妙にざわざわとした。

 大好きな姉は、もう死んだ。この手で首を落として、あの霊宝道具の首桶に詰めた。

「ねーちゃん……あたし、もう、いやだ。あたしには、王様なんて向いてない……!」

『だいじょうぶ、だいじょうぶよ、アレズサ。自信を持って! 私は……こんな目だから戦えないけど、あなたは立派に戦える。この国に、これ以上の女王はいないのよ? 足りない部分は、私が補う。私の子供たちが支える。だから、ね?』

 ああ、そうだった、と。アレズサは目を見開いた。手綱をしっかり握る。

 姉が育てた養子たちがまだ遺されている。自身の家庭環境を反面教師にして、しっかり育てた子供たちが。

 射られた肩は痛むが、月経痛を緩和する薬を飲んで、痛覚を麻痺させる。

 まず本陣へたどり着いて、傷の手当てをして。今後の対策を……。

 痛み止めの薬が、体感時間を跳躍させたらしい。

 わずかに目を閉じ、見開くと、かなり時間が経過していた。

 日は傾き、茜色に染まる本陣は間近だ。

 子供たちが青ざめた顔で、弓兵、弩弓兵に指示を出しているのが見える。

「マルセルの場所は特定した、この方角に間違いない」

「え? どっちだよ、坊主ども」

「こっちだ、引きつけろ。まだだ!」

「見えねえって……どこだ? あの暴れ馬か? 本当に?」

「ヨルムンガンドには、隠れ身の霊宝道具があるんだってば! 間者の報告が来てるんだ」

 ああ、だいじょうぶだ、しっかりした子たちだと。

 姉の子供たちが、なんとかしてくれる。この、わけのわからない状況を説明してくれる。

 なにせ、あの偉大な、敬愛する姉の養子で――

「かまえ、よーい! うっ…射てえーっ」



 ――ちゃぷり、と。水の跳ねる音に、アレズサは目を開いた。

 視界に金の砂が舞っている。見上げる先、消失点のあたりで、ゆらゆらと水が揺らめいていた。

 どうやら水の中に沈んでいくようだ。しかし、呼吸は苦しくない。

 ははは、と。アレズサは嗤った。

 自分は、あのまま弓兵や弩弓兵に射られて、おそらく、そのまま死んだのだ。

 最期の瞬間、戦技官見習いたちがこちらを見て、驚愕に目を見開いたのを思い出す。

 自らが射貫いたものを知って、弓兵たちは動揺し、混乱していた。

 こぼん、ごぽっと背後で音がした。自分の横を大きな気泡が通り過ぎていく。

 戯れに、それに手を伸ばすと、儚く弾けた。

 気泡が弾けて、金の砂が自身にまとわりついてくる。

 声が、聞こえた――

『……しました。だから先生なら、怨念を晴らせるかと』

『なるほどね。まあ、彼女のことだ。俺が頭でも撫でてやれば、気が済むだろう』

『う、わっ』

『本当に、陛下のおっしゃった通り、はずれましたね』

『それで。これから、どうする?』

『この頭、一部割ります』

『うん。で?』

『ひとつは、おおとり族のひとに持たせて、不規則に飛び回ってもらいます。もうひとつは、僕とワタリと、ヨシト元老が持って、ラドゥーン国内に潜伏します』

『捨て石幻灯器を使うのかな?』

『はい。あれは積極的行為を行わない限り、姿を隠せますから。その能力を使って、僕らで女王を待ち伏せます。ひとつしかないものがふたつになれば、彼らは調査するしかない。絶えず動いているものより、まず不動のものを優先に』

『女王が直接、調査にくるとは限らないがね』

『そこに僕自身がいる可能性を否定できないでしょう? なら、先生がいう、脳みそまで筋肉だった妹が出てくる可能性は半々です。この数日間の戦闘でわかったことは、一般兵は接近戦の練度が低く、近接武器を使うのが苦手みたい』

『なるほど。きみは、きみとの直接対決があり得るなら、近接戦闘に強い女王が出てくると踏んだわけか』

『女王のお出ましについては、運次第ですが、』

『不幸中の幸いを拾ってくるマルセルくんなら、実際の確率は半々どころじゃないかもね』

『女王と遭遇したら、この頭を使って作った矢尻に、捨て石幻灯器をくくりつけて、彼女を射ます。死なない程度、急所はわざとはずし、逃がすつもりです。それさえすめば、僕らは離脱します。あとは自動的に決着がつくかと』

『……ああ! それはまた、ずいぶんと残酷なことを考えたね。人間、変われば変わるものだ』

『偽善者と罵ってくださってかまいませんよ。セベク王の時とは、違う……ぼく、かなり腹が立っているみたいです、自分自身と、ラドゥーンに対して』

『わかった。とりあえず、その作戦の汚名は俺が被るから、きみは気にせず、実行しなさい』

『……すみません』

『ちょうど、そこにラドゥーンの間者を捕まえておいたから、彼の通信暗号を吐かせて、誘導用の情報をいくつか流しておこう。向こうの兵が、女王を手ずから殺せるようにね』

 死なない程度の自白剤で吐いてくれるといいけど、と。軍師は言った。

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