外伝『刀と少年』
かなかなかな、と。ひぐらしが鳴いている。
極東の夏の午後。水遊び後のような、気怠い空気がただよう。
涼を取ろうと、屋敷裏の井戸へ向かったヨシトは、同じく居候の身の少年と遭遇した。
少年は、木刀を抱え、それを支えに背を丸めている。
「…こんにちは」
椿の木の根元に座り込んでいた彼は、こちらの近づく気配に、顔をあげ、のそりと言った。青い目は、死んだ魚の目に似ている。
「それは観賞用の木だ。根が傷む。日陰で涼むつもりなら、そこになさい」
生垣付近の縁台を指さした後、ヨシトは井戸水を汲み、頭からそれをかぶった。
井戸水は冷たい。熱を持った肉にひやりと浸みる。
もう一杯汲むと、少年めがけて、容赦なく水をひっかけてやった。
「二之旗本の暑さを舐めてはいけない。涼むなら、適切にな」
水をひっかけられた少年は、ようやく立ち上がった。
首都風の衣服は目立つからと、着せられた二之旗本の着物は、まだ彼になじんでおらず、どこか不釣り合いだ。
水をしたたらせ、少年が縁台に座った。木刀はそこに立てかけている。
「頭は冷えた?」
「お手数、おかけしました」
「言いたいことがあるのなら、言いなさい。俺は今、きみと同じ客分でもあるから、他には言いづらいことも、言えるだろう」
物干竿にかかっている手ぬぐいを二本取り、それぞれ分け合って、頭や顔を拭く。
「――師範が。終の盾の剣は弱いというので、つい、かっとなって口答えを。そのまま、二、三日、道場に来るなと放り出されました」
老人の声が、そのまま耳に蘇ってくるようで、ヨシトは苦笑した。
「あそこの? あれは、道じゃなくて術だからなあ。じいさん本人は剣士としては強いが、指導者向きではない」
「ドウ、ジュツ?」
「礼儀作法や精神修練よりも、実際の強さをとるということだ」
そうですか、と。少年は、ぼんやり前を見た。
生垣と屋敷の間、中庭には観賞用の樹木が様々植えてある。百日紅の白い花が、重たげな熱風に揺れていた。
「……俺も、あのじいさんのところへ稽古に行っていたが、性格が合わなくて。弓術に勤しんで、剣をさぼっていたら、破門にされた」
「はあ、」
「なるようにしか、ならんものだよ。二、三日来るなと言うならどうだろう。これから、俺と、外歩きに出かけようか」
「ヨシト殿と、ですか。しかし、祝言前の婿殿と遊びに行っては、御前さまに叱られます」
「今はまだ客分だ、筆頭家老ダメ次男。先代の喪が明けても、祝言は遅れそうだ」
ヨシトは膝を叩いて、立ち上がる。
「必要な荷を取っておいで。元老と御前には、俺からお話しておくから何も心配しなくていい。では半刻後に、門前でな」
そら行け、と背を叩いてせかすと、少し明るくなった様子で、少年は、はいとうなずき、駆け去った。
それを見送ると、ヨシトもまた立ち上がる。着物の裾を絞って、水気を落とし、そのままゆっくり歩き出した。
直接の主君と、いずれ妻になるはずの姫から暇をもぎ取り、門前へ向かうと、スヴェンは木刀の先に風呂敷包みを下げ、旅支度で待っていた。腕には霊宝の盾をくくりつけている。
本人は喜び半分、不安半分の顔で珍しく、そわそわと落ち着きがない。元々、こちらが彼の素なのだろう。
「じゃあ行こうか」
門番に声をかけ、二人そろって屋敷の外へ出る。
「ところで、行く先を聞いておりません」
「今日は、町を通り抜けるだけで終わってしまうな。明日、刀工の所へ行って、見学」
「はあ」
「俺が提灯を持つから、ついといで。道なりには行くけど、背後の用心は、まかせた」
「…はい!」
実際、そのまま町中を歩くうちに、日が傾いてしまった。
陣屋、武家屋敷を過ぎて、商店や民家の多い通りを行く。水路で、げーこげーこと蛙が鳴いた。暗くなるにつれ、提灯の光や、民家の障子越しの光が鮮やかに映える。
「ほっとしますね」
町の様子を見て、少年が感想をもらす。
「人が、たくさんいる、という感じが」
「そう?」
特に耳をすまさなくとも、板塀の向こうから、笑い声や子供の歓声が聞こえてくる。
「生者の数が多いというのは、素晴らしいことです」
声が急に沈んだ。廃都と化した首都の惨状を思い返しているようだ。
「ああ……あれは……酷かったなあ……」
ヨシトもまた、思い出す。
先代元老の最期に何かがプツリと切れ、根業矢の旗を射落としたのは他の誰でもない、自分だ。
――沈思無言のまま、町境の木戸番小屋までやって来た。
番小屋の近くには朝を待つ人の為の宿が幾つかあり、そこで一部屋とる。
ぐうぐうと腹の虫が鳴る頃に、夕飯が運ばれた。遅い夕飯には、かさ増しの大根が入っている。
味気ないなと、ヨシトが秘蔵の鰹節と削り箱を取り出すと、スヴェンが首をかしげた。
「それは、なんですか?」
「鰹節。知らない?」
「カツオブシ……ああ。母が、時々懐かしんでいました。伯父上のお屋敷でも、出ましたが、そうやって作るのですね」
「やってみる?」
「はい」
指ごと擦らないように注意して、鰹節削りをやらせてみれば、少年は、その硬さに驚いている。
「堅いですね。かちこちです」
「長持ちするよ。便利だから、きみも持っておくといい」
「べんり……たしかに急所を狙えば人間一人くらい、撲殺できそうです」
「そういう発想はやめなさい」
「暗殺用の武器になるかも知れない」
「どうして殺人前提の思考なの。飯が不味くなる」
なんだかんだで、スヴェンは、あの老人に毒されているようだった。
翌朝一番に木戸を通り抜け、さらにもうひとつ町と木戸を抜け、川を越えると平地が広がっている。
田畑を通り過ぎ、昼は粗末な茶屋で簡単にすませ、ひたすら歩く。
「この辺りは、山野に緑が少ないですね。夏だというのに」
目を細め、遠くを見るスヴェンが、呟く。
「そうだね。――そら、あそこ。武器を作る職人が固まって暮らしている。御鍛冶町というんだ」
「オカジマチ、ですか」
「偏屈なのもいるから、余計な口は挟まないようにな」
目的の場所は、夏の暑さとは違う熱気に包まれていた。
むわりとする炎、白い煙、かちかちという音。
作業のための小屋は無数にあった。刀以外に、槍の穂先や矢尻を作っている職人もいる。
みな、神官のような衣服を汗水で湿らせ、忙しく立ち働いている。
気を抜き、ふらふら見学していると、不意打ちで、真横から噴き出した火の粉に驚かされることもあった。
しばらく、二人は無言で作業場を見て回り、休憩所でもある小汚い座敷に勝手に上がり込む。
「おや、次男坊」
焦げ茶の肌をした初老の男が、目を細めて、こちらに声をかけてきた。
「ご無沙汰です、村下(むらげ)どの。勝手にお邪魔していますよ」
「この子は、どちらの坊ちゃんで?」
「元老の遠縁の子だ。秘蔵っ子なんだよ」
「ああ! フエ様のお小さい時に似ておられる」
〝皇帝殺し〟終の盾については、まだ誤解も多いので、スヴェンについては、曖昧に説明したのだが、古くからの職人は知っているようだ。
「いつ来ても、ここは暑いねえ。夏はなおさらだ」
「開戦しましたからね。この分では、秋も冬も暑いでしょうよ」
「……鉄は?」
「リョウ元老がお触れを出した頃でしたか。新しい鉱脈一本、山砂鉄の巨岩がふたつ、ごろりと見つかりまして」
「それは、こちらに天意があるということだな」
「ただ木がねえ。日頃、炭用の山野に植樹は、しているのですか。まあ禿げますな、この頭とおなじくね」
はっはっはと笑い合っていると、連れの少年が、あのう、と割り込んできた。
「刀の……真剣というのは、如何ほどの重さなのでしょう。私でも、扱えますか?」
静かで丁寧な声だが、内心、興奮しているようだった。
責任者である村下職の男は、スヴェンを上から下まで見、首を振った。
「坊ちゃん、あんた、これから先、もうちょっと背が伸びるよ。もし自分の刀が欲しいというなら、あと五、六年待ちなさい。その時の背に合わせた最高のものを打ってやろう」
「……そうですか」
「がっかりしなさんな。手寂しいなら、お守りに、くれてやるよ。気休めにはなるか」
村下の男は、むしろから立ち上がり、奥から、抜き身の刀を持ってきた。
「若い連中総出で作らせたんだが、これがまた寸足らずのなまくらで。融かすしかないと思ったが坊ちゃんの背を見るに、丁度良い」
「いただいて、よろしいのですか?」
「不要になったら、ここに持っておいで。刀は、絶対そこらに捨てたりしちゃいかんよ」
――村下から、なまくら刀を受け取ると、スヴェンは専用の布と風呂敷で何重にもくるみ、それを大事に抱えた。
そのまま、夕食に招かれ、夜には休憩所で雑魚寝する。
職人の半分は自宅に戻ったようだが、半分は早朝からの作業のため、居残りだ。どこもかしこも男臭く、いびきがうるさい。
「……ヨシト殿、起きていらっしゃいますか」
隣に横たわる少年が、こちらを呼んだ。
「うん」
「あの……ありがとうございます」
「うん?」
「色々と、考えます。こちらの製鉄、刀鍛冶の技術は、すごいですね。どうして、この技術は、国内に広まらなかったのでしょう。そのほうがきっと国全体が強くなれるのに」
「鋳造よりも手間暇かかって、一振り作るのも大変だからね」
ヨシトは、闇の中、神棚がある方角を指さした。
「歴史ある技術だからこそ、安易な技術流失で粗製濫造され、価値や歴史が損なわれては、たまらない。二之旗本の人間は、変なところで責任感が強いから……。いや、剣術修行を途中で止めてしまった男が、何を言うかという話だが」
「ヨシト殿の弓の腕前は、見知っておりますから」
人間には向き不向きがあるのでしょうと、少年は付け加えた。
「スヴェン。あの道場がいやなら、二之旗本の剣は諦めるか? 俺で良ければ、弓の手ほどきをしよう。他の飛び道具も得意だよ。棒手裏剣とか」
「いえ。私は、まず剣を修めます。そう決めました」
彼は、ここから見える夜空を見上げて、言った。
「私の半分が、二之旗本の血でできていること、天の采配と感じます。そして、こちらの剣術と刀を我が物にすべきだと思うのです」
「師範の理屈に耐えられるか? 終の盾の生き様や剣術を罵倒されても、」
「終の盾は、私の生家ですから、また口答えをして、追い出されるやも知れません。それでも、私は戻ります。何度追い出されても、完全に修得するまで、何回でも。私には救うべき方と、殺すべき輩が、おりますので」
そうか、とヨシトはうなずいてみせた。
「目的ではなく、手段だというなら、逆に、あのじいさんの指導は向いているよ。あの人の剣は自分を律する道じゃない、ただ他人を殺すために特化した術だから」
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