断章『この世を滅ぼす鳥』
おいらは人間の世界に興味津々だった。
だって人間は、きらきらぴかぴか作るのが、うまいんだもの。生まれて初めて、とんぼ玉を見た時、おいら、ほんっとーに感動したね。
あの怪物くそばばあ……じゃなくて、巫女ばば様から、人間との交流解禁が伝えられた時は本当に嬉しかった――んだけどねえ。
◇ ◇ ◇
地熱が空気を温めることにより、気流が生まれる。風になる。
その風をつかまえることで、おおとり族と呼ばれる獣人は滑空飛行をしていた。
「以前よりは、ましかねえ」
コノリは滑空しながら、つぶやいた。
ここ数年は散々だった。地熱が低いため、おおとり族は空をとべず、その不猟により、餓死と衰弱で、一族は激減した。
「さて。新しい幼(よう)帝(てい)さんてのは、どんな御仁だろ」
太陽を背に、地上を見下ろす。
住処のある二之旗本(にのはたもと)領の山中も荒れていたが、首都周辺は百倍ひどい。
「……ぺんぺん草も生えてねえや」
荒野の端々に、赤茶けたかけらが転がっている。あれは人骨だ。
獣の特徴を多く残す、おおとり族やよつあし族にも、同族殺しはあるが、人間――猿の子孫である、ましら族に比べれば微々たるものだ。
思いふける間に、高度が下がってきた。
背の翼を使って、着地の衝撃を緩和させ、コノリはまた大地を蹴った。垂直に、およそ二百米(メートル)の跳躍。これは走るための足ではなく、跳躍のための足だ。上空の風をとらえて、西へ滑空し続ける。
人骨の次に、生きている牛と馬と人間を発見した。
荒れた街道を行くのは、特徴からみて二之旗本の人間であった。牛のひく客車には、旗ふたつが交差した家紋が描かれている。
武者が七人、護衛についているのを見るに、元老の家人の誰かだろう。
「牛車。ちょうどいいや、乗せてもらおっと」
コノリは息を吸い、一声、けえええんと鳴いた。
すばやく二之旗本の武者が反応した。弓をかまえ、こちらに向けて、矢をはなとうとする。人間の目には、ただの鳥にしか見えなかったのかもしれない。
もう一度、けえんと鳴いて着地すると、次に人語で叫ぶ。
「こんちわー、おいら、コノリ! ほら、あんたんとこで、境鳥(さかいどり)だの、グリンカムイだの言われてるとこ! あそこ在住の、おおとり族ね。はい、ほら、弓は、しまってしまって!」
護衛の弓武者たちが、やっと弓を下ろした。が、刀や槍をかまえたものは、まだ、こちらをにらんでいる。
「おいら、巫女ばばぁにいわれて、首都へおつかいの途中なんすけど、お侍さんたちは? この街道なら、目的地は同じでしょう? おいら、空とぶの、疲れたんで、牛車の屋根にとまらせてくれませんかね?」
「境鳥の、おおとり族か。聞いたことはあるな」
「鵺(ぬえ)や山姥(やまんば)がいる山の? いいのか?」
「迷い込んで後日、人里に返されたおなごが、鳥の子を産んだ話が、」
「あっ、いや、ちゃんと合意の上っすよ。おんなじ一族内だけで契ると、怪物じみていくんで。異文化交流は大事ですねえ」
まくしたて、揉み手しつつ、頭を下げる。
「このたびは、うちの巫女ばば様のおつかいで、首都は白宮殿(はつきゆうでん)にあらせ…おわさ…おわさる? えい、めんどくさい。幼帝どのに葉書とどけにきたんすよ。我ら一族、国軍に加わる意志ありってね。その伝言です」
話しながら、牛車に近づくと、槍の穂先が眼前に突きだされた。
「こちら、リョウ元老の御血胤、五の姫様の牛車だ。近づくな。おまえたちは、その声で、女をたぶらかすそうだな」
「えーっ。あわれな小鳥ちゃんに、愛の止まり木を! 恵んでちょうだい!」
「その図体で、小鳥はなかろう!」
「ぼく、じゅっさい」
「嘘つけ!」
嘘ではない。コノリは生まれて十年だ。外見は羽毛と翼をはやした半裸の成人男性だが、一般的な獣人は、人間の二倍の速さで成長し、老化する特徴がある。
頑固な武士との押し問答中に、牛車の御簾から、ひょいと白い顔が覗いた。
「まあ、おもしろいこと」
甲高い、愛らしい声の女児だ。十歳くらいの少女が手招きしている。
彼女の命令で、女官が御簾を完全に上げた。
「わたくし、スズカと申します」
「やあ、かわいい声のお姫さん。おいら、じゃねえ、私はコノリです」
「止まり木が欲しいとか」
「そうです、そうです! この辺は寒いから、とびづらくってねえ」
「あなたの飛行は、気温と関係あるの?」
「風は、地熱で、できるもの。いくら高く跳んでも、長くは飛べません。ああ、跳ぶと、飛ぶの違いって、わかります? 足でぴょんとするのが跳ぶ、風で滑空するのが飛ぶ」
「鳥は、翼で羽ばたいて、飛びますけど」
「骨の強度と筋肉と、体重の関係でね。おいらの体格で羽ばたいたら、文字通り、骨が折れますよって」
「あら、難儀なこと。でしたら、マルセル様のお土産に、九官鳥をくわえましょうか」
「おいら、土産もんですかい。まあ、いいでしょう。よろしく」
「ところで、あなた、種族病は?」
「出発前に、巫女ばば様に、虫下しをつっこまれましたよ。まる一日、上から下から、にょろんにょろん……。死ぬかと思った、あの薬」
ならば結構と小さな姫は、牛車の上を指さした。
「でしたら、止まり木へどうぞ。代わりに、あなたの遠目で、見張り番でもしてちょうだい。落とし物は厳禁で」
「ふへっ、緊張しますね。女の子の頭の上にまたがるなん……って、うわ! 槍で突かないで! おいら、衆道(しゆうどう)は興味ないですぅ」
牛車という止まり木を得てからの旅程は、気楽だった。
コノリの軽口に最初は青すじ立てていた武士達も、三日目には話半分で聞き流している。
あいかわらず街道は殺風景で、話すこと、歌うこと以外の娯楽がない。
「――でね。ハンガクねえさま、トモエねえさまは婿をもらいましたの。シズカねえさまは嫁いで、ヤマブキねえさまは病持ちの尼僧。残る私に、白羽の矢がたちました」
「しかしね、お姫さん。親や周囲の期待で結婚なんて、めんどくさいですねえ。あんた、自分の考えってのは、いいんですかい」
「あら。獣人は、ちがうの?」
「すくなくとも、うちはね。声が綺麗、羽の色が美しい、誰より高く跳べる。雄は、この三点で雌の気をひくんです。まあ、おいら、声だけだから、こうして話しかけるしか、雌の気、ひけないんですけど」
「そうねえ、あなた、美声だわ」
「おや、逆(ぎやく)軟(なん)派(ぱ)ですかぁ。おいら、初めてです、女の子から口説かれたの」
いきなり右斜め下から武者の槍が突きだされたので、さっと横によける。
「姫を愚弄するなら、そのまま焼き鳥にしてやるぞ」
「だああ、もう! おいらの口から出るもんは半分が冗談ですから、聞き流してくださいよ。お姫さんだって、笑ってるじゃないですかあ」
「あなた、本当に声と話術だけですものねえ」
スズカが笑った。
「とにかく。マルセル様は、我が国の皇帝陛下。そして、わたくしは元老の末娘。政略結婚の相手としては、おたがい、これ以上にない優良物件でしてよ」
「……っへー」
「わたくしの義兄(あに)――じゃなかった。あの朴念仁の従兄が、わんわん鳴きながら、尽くしているほど誠実な殿方ですから、」
「猿なのに犬! お姫さんの従兄、あたま、だいじょうぶっすか?」
「だめかもしれませんわ」
人間たちの、婚姻のこだわりは理解しがたい。理解不能なことは、話をそらすに限る。
「ところで干し栗、食います?」
「ですから。その種類、人間は食べられませんの」
「うまいのに。ああ、こっちの干しみみずは?」
「食べないって言ってるでしょ!」
「蜂の子と、いなご食えて、みみず食えないって、おかしくないっすか?」
「……これだから、あなたがたの種族の病が怖いんですのよ」
スズカに怖いと言われ、コノリは寄り目を作った。
「そんなに、おいら怖いかなあ? んー、まあ、巫女ばばなら怖いかも?」
しわだらけの顔、はげた翼、下肢にはえた蛇の尾――巫女ばばと呼ばれる怪物じみた老獣人を思い出して、小さく息を吐く。
(『コノリや。間もなく、この世は滅ぶぞえ』なんて言うからさあ、幼帝てのは、どんな猿かと思えば……話に聞く限り、怖い御仁じゃなさそう。この姫さんが、こんなに好意的なんだもの)
――ようやく、間近で首都外壁を拝んだ。壁には、簡易関所が設置されており、その手続きは複雑怪奇である。
つくづく、人間一行についてきて良かったと、コノリは思った。
門から市街地に入ると、木を切る音、石を削る音が聞こえてくる。人間たちが、急ごしらえの小屋を建てているようだ。首都とは名ばかりで、どこもかしこも寒村じみている。
屋根の上、無言で揺られていると、痩せた子供たちがこちら目がけて、駆けてきた。
牛車のあるじが、女官や武士の手を通して、菓子類を配り、彼らの関心が、菓子にむいた隙に、牛車はまた動き出す。
「……いつも、ここで、マルセル様へのお土産は半減。でも、マルセル様にそのまま持って行っても、あの方、配って回るから。わたくし、一手間はぶいてさしあげるのよ」
「へえ」
「首都圏がしっかり再興できれば、きっと、こちらを向いて下さるわ。……あら」
見晴らしのよい通りの、ひとつむこうで、騎馬の行列が通り過ぎた。
「皇帝家の旗。慰問かしら」
「どうなさいますか?」
「ご公務の邪魔をしてはいけませんわね。かといって、ご挨拶しないのも――ウズメ、変装衣装をちょうだいな」
「は?」
「ハツセ、カサギ、ともを」
「姫、あのう、もしや、」
「お忍びですわ!」
牛車のなかで、ばさばさと賑やかな衣擦れの音がする。
指名された武士がため息をついて、馬を下りた。総髪、短髪をぐしゃぐしゃにかき乱し、襟元をくつろげている。
「ウズメ、そこの九官鳥にも、適当なものを」
「えっ、おいらも、おとも確定なの?」
武士に屋根から引きずり下ろされ、問答無用で、外套を着せかけられる。二重回しという外套だ。
スズカは着物に袴、長靴をはき、無造作に髪を結って、客車を飛び降りる。背に風呂敷、手に棒杖という、旅人の姿で。
「他は上屋敷に行っててちょうだい。さあ、遠目に拝顔ですわ、九官鳥さん」
スズカは男二人、九官鳥ことコノリを一羽つれ、元気に歩き出した。
「姫、道が不浄です。ハツセがお抱えいたしましょう」
短髪のほうが、スズカを腕にかかえ、地面から足を離させた。
「万が一。口と鼻を、てぬぐいで覆って下さい」
「ねえ、あの白い建物、なんすか?」
「感染病の隔離施設だな。殺菌剤が散布されているから、数日中に取り壊すのだろう」
コノリの質問は、もう一人の武士が歩きながら、答えた。
「――医聖の異名を持つ女医のおかげでな。十分な薬が、食料配給と同時に行われた。塩の調達もできたから、人々の気力体力も少しずつ回復している」
話す間に騎馬の一団に追いついてしまった。町中を常歩で進んでいるからだろう。
コノリは途中、キョウレンコウ、ガッコウという言葉を聞いた。
「幼帝さん、ガッコウに行くのだって」
隣を歩くカサギに話しかけると、彼はそうかとつぶやいた。
「では、慰問と視察だろう。帰城なさってすぐ、陛下は国軍を整えるための学校をふたつ建てた。ひとつは半年程度で卒業できる、軍事教練校。もうひとつは正規の武官、職業軍人を作る士官学校だ。――中央の武官は、この十数年でかなり失われた。国防、治安維持、徴税業務のため、はやく、優秀な武官を作る必要がある」
コノリは小首をかしげた。
「そういや、国軍と私兵は、なにがどう違うんで?」
「端的に言うと、給料の出所だな。国軍は中央の武官、私兵は地方武官の軍隊。私兵隊の人数は国軍の数を越えてはいけないと定義されている。……内乱時は無視されたがな」
カサギの声音が一段低くなる。
「ほうほう。それで武官ってのは、戦のない時は、何してるんですか? 昼寝?」
「昔から、兵の仕事は八割が穴掘りだ。平時は土木、開墾、街道整備に治安維持。測量や、地図製作もだな。大型船の造船、遠洋漁業も軍の仕事になる」
「魚取りは、漁師がやるもんだと思ってました」
「世界の仕組みを忘れたか? 国は海上を動き、領土は戦で拡大する。遠洋漁業は、他国沿岸の偵察、こちらへの侵犯者捕獲の任務も含んでいる」
その日暮らしが基本のおおとり族には、人間の考えることは複雑すぎて、ほうほうと、ふくろうのようにうなずくことしかできない。
間もなく、人だかりが見えた。ざっくりとした柵に囲まれた場所に、大きな建物が二棟、広い庭には大量の人間が詰まっている。
人々の中心に金色の光が輝いた。金髪の少年に向かって、周囲の大人たちは何度も頭を下げる。
庭の一角で、せいやあと木の棒を振る集団がいる。集団の大半が女子供だった。
「大人の男が少ないっすねえ」
「子供は孤児だ。女は、」
カサギは一瞬、口をつぐむ。
「……辱められていたところを、陛下が救出した。そのため、陛下になら、お仕えしたいという女や少年少女が多い。本来、軍事は男のものだが、陛下が一部、制限を撤廃した。女子供が護身術を学ぶ機会として最適だと。亢龍軍師は反対したそうだが、」
「幼帝どのだって、男じゃないすか。辱められたってことは、男が嫌いってことなんでしょう? なのに玉の輿狙いですかい?」
「陛下は、潔癖な方だ。むしろ、女であることを武器にすると、かえって敬遠される」
武士の言葉に、コノリはにやりとした。
「てことは、あれだ。お姫さんぐらいのおてんばが、ちょうどよいと」
「……姫は普通の女人より、少しばかり活発なだけであって」
前を見れば、くだんの姫は、彼女を抱えるハツセの前髪をかきむしっている。
「わたくしだって、あんなふうに頭を撫でられたことありませんのに! ずるい、ずるっこですわ!」
訓練校の生徒が、幼帝と楽しげに談笑しているのが、気に障ったらしい。
スズカの手で、月代にされそうな従者の頭髪が哀れだ。
それらを遠目に見物していると、今度は、視界の端に銀色の光がちらつく。
「おやあ」
コノリは光源を探ろうと、首都を囲む外壁のほうを見る。
「なんか、ぴかぴかの気配が……って、あーっ!」
「なんだ!?」
「矢です、矢ぁ!」
コノリの指さす方角を見て、カサギは同僚に叫んだ。
「ハツセ、上空右手、注視!」
禿げを気にしていた青年が、はっと背筋を伸ばし、抱えていたスズカを背後に隠す。
「コノリ、捕まえられるか!? 俺は、陛下のほうへ、」
「え? ……ええ? ちょっ、冗談! 鳥に弓矢って、天敵なんすけどぉ!?」
反論は無視された。カサギはすでに幼帝らに向かって、駆けている。
「あーっ! おいらが死んだら、どおすんだよぉ!」
蹴爪のついた両足で、ばたばたと不器用に走り、走りながら外套の紐をほどく。
「なんだっけ、これ? なんだっけ、これ? ああ、南(な)無(む)三(さん)ってんだ!」
射手の死角に入った辺りで、石畳を蹴り、垂直方向に跳躍する。
壁の頂上に届いた瞬間、間近で射手のひげづらを拝んでしまった。
「んなっ?」
「げえっ!」
凶悪な顔を見て、反射的に外套を、ひっかぶせる。そのまま、勢い余って、射手を押し倒した。
射手も、鳥の獣人が真下から顔を突き出してくるとは思わなかったのだろう。外套の網のなかで、ばたばた暴れている。
「矢をっ、振り回すなっ、てば!」
馬乗り状態で、射手を封じる間に、兵士数人が右方向から駆けてきた。カサギもいる。
射手は捕縛され、猿ぐつわをかまされた。
「コノリ、手柄だ! 喜べ!」
「嬉しくないっ、男を押し倒すなんて、おいら全然嬉しくなーいっ!」
「――これを見ろ、九靫(くゆぎ)の紋が刻まれてる」
「まだ残党が残っていやがった」
射手の身元確認をしていた衛兵が、コノリに目をやる。
「貴殿が、くだんのおおとり族か? 二之旗本に聞いた」
「あー。はい、そです。おいら、幼帝陛下におめどーり、したくって」
「落ち着き次第、白宮殿にお越し下さい。陛下が、あなたをねぎらいたいと」
「は……はあ。ども……」
「どうした、コノリ? おまえの目的は、謁見だっただろう」
「お姫さんが八つ当たりで、おいらの羽毛むしってきたら、どうしようかと思って」
――結局コノリの心配は杞憂に終わった。
合流し、子細を報告すると、スズカは手を叩いて喜ぶ。
「大した拾いものですわ! これからは九官鳥でなく、コノリと呼びましょう」
そのまま白宮殿近くの、二之旗本の上屋敷に移動すると、スズカはコノリに身なりを整えるよう命じた。
玉砂利の中庭で、ぬるま湯をひっかけられ、手ぬぐいや櫛であちこち撫でつけられ、最後に香水をかけられて、くしゃみをする。女官の手で、刺繍された腰巻きを巻かれると、石や硝子で出来た飾り物をどっさり載せられた。
「……ぴかぴかは、好きですけど。これ、ちょっと重いすよお」
「九官鳥が青鸞(せいらん)に化けましたわね!」
「セイラン? あんな鳥と一緒にすんの、やめてください」
「ふふっ。さて、晩餐会ですわ。マルセル様は寛容な方ですけど、だからってぺらぺら話しかけてはいけませんよ。まず聞かれたことに、きちんと答える。これが基本ですわ」
着飾った者同士、夕方の首都を歩くと、犬の遠吠えが輪唱のように響いている。
「野良犬、多いっすねえ。誰が餌やってんだろ」
「首都圏に一千万(いつせんまん)いた民も、処刑、疫病、飢饉、自殺などで三百万なくなったそうですわ。十二年分の遺体すべてを回収するのは、無理なこと。……正解がわかっても、口は閉じておいてくださいまし」
武士に囲まれて歩くスズカが、コノリの独り言にわざわざ答える。
「他国との戦争ならともかく、自国内で百万単位の死者。逆臣派は狂ってます」
「反乱の原因って、結局なんなんですか?」
「すべては藪の中。なにせ肝心の本人が九年前に死んでますもの」
少女は、ふっと笑った。
「今日で、内乱の最初と最後の元老家系は断絶でしょうね。それだけの理由をマルセル様に与えた」
「……今日、九靫が暗殺に失敗しただけで?」
「根業矢(ねごうや)、九靫の元老は、ぼんくら続き。その領民は、首都圏や弓手司に逃げ込み、難民化している。ここで北方の二元老を廃し、皇帝直轄地、つまり首都圏に組み込んでしまったほうが良策ですわ。田畑を捨てて、逃げる農民はいなくなる。難民たちも喜んで、地元に戻ることでしょう。皇帝直轄地になってしまえば、マルセル様の慈悲を直接、受け取れるのだから」
「根業矢と九靫の元老一族は、どうなるんです? 一族郎党、召しませ腹をってやつですか?」
まさか、とスズカが手を振った。
「マルセル様は、お優しいから。死刑の下、漂流刑あたりでしょうね」
「ヒョウリュウケイ?」
「船に食料と水を積んで、生きたまま、海に、ぽいっ、ですわ」
「……海上で餓死確定じゃないっすか。遠回りな死刑ですねえ」
「運が良ければ、他の島国に漂着するでしょう。運が良ければ、ね」
「ある意味、死刑より残酷だなあ。死ぬ前に、気ぃ狂っちまう」
「マルセル様は、お優しいから……。優しさが時に残酷であることを、まだおわかりでないのよ」
スズカと話している間に、武士らが手続きをすませてくれたので、そのまま白宮殿の門扉を抜ける。
宮殿内は、想像よりも粗末なものだった。なかを進むごとに護衛の数を減らされ、晩餐会の場のまえで、とうとうスズカ、コノリ、その二人分の護衛であるハツセとカサギだけになる。
急ごしらえのような木戸を開けて、やっと晩餐会とやらの場に入った。
玉座というには小さい椅子から、幼帝が立ち上がり、歓迎の意を示すように、こちらに歩いてくる。
「こちらへ。どうぞ」
少年がスズカの手を引き、円卓のそばまで連れて行く。
コノリは、彼らの後をひょこひょことついていった。
「遠方から、わざわさ来てもらったのに、厄介ごとに巻き込まれたね。あなたに怪我がなくて、よかった」
「陛下をお守りできて、わたくしも侍衛どもも嬉しく思いますわ」
スズカが一段と高い声で答え、マルセルの誘いで椅子に座った。
「おおとり族のコノリだね。おかげで命拾いしました。ありがとう」
「いやあ、あんときはね、おいらも死ぬかと思いましたよう」
居合わせた全員が、コノリの言葉づかいに目をむいた。
幼帝の背後に控えていた男は無表情のまま、刀の柄頭に指をかけている。
「だってさ。鳥にさ、射手に突撃しろって言うしさ」
「たしかに天敵だね。勇気あるひとだ、コノリは」
幼帝は相好を崩して、話し続ける。
「ぼく、獣人は熊の、ベルゼルクルのよつあし族しか見たことがないんだ。よかったら、おおとり族についても、教えてもらえるかな」
「はいはい! 喋るのは得意なんで、なんでも答えますよ」
皿の上の食べ物を手づかみしながら、コノリは幼帝の質問に答え始めた。
聞き上手の幼帝がおもしろがるほどに、隣のスズカの顔が曇り、ふて腐れている。
「そうか。コノリの住む山にも〝発火鼠〟の木があるんだね」
「はいです。まあ、味はそこそこ」
「僕も食べたことあるよ。次も食べたいという味では、なかったけどね」
芋と玉葱の焼き物を口にしながら、幼帝は微苦笑した。
そして憮然とするスズカに顔を向ける。
「二之旗本では、花火の原料のひとつになっているんだっけ」
「……え? ああ、はい、ですわ! ちょっと加熱しただけで、爆発しますから」
「うん。僕も昔、焼き栗を作ろうとして、暖炉に放りこんでしまってね。あれには驚いたなあ。下処理してからでないと、危ないんだよね」
流石に、スズカも、国の最高権力者に対し、あれは人間の食べる物ではない、とは言わなかった。
ところで、と幼帝が話題を変える。
「二之旗本の奥深くで隠棲していた、あなたの一族が今になって、国軍に参加すると表明したのは?」
「巫女ばば様の気まぐれで。鶴ならぬ鵺の一声? 怪物じみた、めんどりなんですよ。顔は人間のしわくちゃばーさん、翼はこうもりみたいにつるつる、蛇の尾が生えてて、しかもそいつにも頭がついてんの。歳は……たぶん何百歳」
「みこ、ばば?」
「人間のいう元老みたいなもんですかね。廃都からヨルムンガンドに、龍がやって来る。それだけの傑物がいるなら、わしらも参戦せねばなるまい、うんぬんかんぬん」
「龍……。この前の黄龍のことかな」
「コウリュウ? さああ、おいらにゃあ、わかんないけど。思い当たるものがあるなら、それじゃないっすかね」
「――そっか。ああ、スズカ姫、お代わりは?」
「充分ですわ、お気遣い、ありがとうございます」
スズカはほほえみ、幼帝の背後を一瞥した。
「わたくしの義兄は、しっかりやっておりますか?」
「もちろん」
スズカの言動で、あの護衛が、彼女の従兄と知れた。たしかに犬のような雰囲気の男だ。
(お姫さんの従兄。これ、絶対、よつあし混ざってんなあ)
人外特有の気配が感じられるのは、幼帝からもだ。
ヨルムンガンド皇帝家は建国以来二千年前後、続いてきた家系。どこかで、獣人の血が混ざっている可能性は、あるだろう。人間という種族自体、猿の獣人、ましら族から進化したのだから、そちらの獣の因子かもしれないが。
「……では。ごちそうさまでした」
幼帝が会食の終了を告げた。
スズカ、コノリも同じく手を合わせ、唱和した。
「コノリ、あのね。先生が――ギルベルドというひとが、きみと直接会って、話をしたいのだって。この後、時間をもらいたい」
スズカがまた、歯ぎしりをし始める。
――周りが彼女をなだめ、退出したあとで、コノリは幼帝と護衛、二人のあとをついていった。
案内された先は、ひなびた小屋だ。室内各所に、書物と書類が乱雑に積まれている。蝋燭の光が、硝子ごしに揺らめき、時々陰に濃淡をつけた。
「先生、お連れしました」
「ありがとう。じゃあ、そこに置いてってくれ。お客人、適当に座って」
書物の山の向こうから、声をかけられた。おそらく、この小屋の主人だろう。
「同席しても?」
「いや、あとで報告するよ」
「わかりました」
護衛が怒気を発しかけたが、幼帝に手を引かれ、おとなしく退室した。
コノリは、椅子がわりの箱に腰を下ろし、その後ろ姿を見送る。
「……忠犬だよなあ、お姫さんの従兄」
「なかなか鋭い」
やっと男が顔を出した。
二之旗本の書生のような服を着、眼鏡をかけ、長細い手足を動かして、近づいてくる。
一目見て、コノリは身震いした。なんだこれは、と目を見張り、硬直する。
見た目は人間だ、まちがいなく人間だ。が、この男は何かおかしい。
「ああ、怖がらなくていい。俺は、ビゾブニルの――きみたちが言う巫女ばばだっけ? それの縁者だよ。彼女と一時期、師弟関係にあった」
「してい……。弟子と、先生ってことですか?」
男は、懐中から古銭を取り出し、宙に投げ、受け止めた後で、すぐそばの書類の山頂に並べた。
「火(か)山(ざん)旅(りよ)、上爻。鳥、その巣を焼く。旅人、先に笑い、後に泣く。牛、たやすく喪(うしな)う。――こういう占術に見覚えは?」
それは巫女ばばがよくやる占いのわざに似ている。
「きみ、まだ十歳程度だろう。俺と彼女が師弟関係にあったのは、きみが生まれる以前のことだ」
男の見た目は人間換算で、三十から四十というところだろうか。
彼の異様な雰囲気や威圧感が、あの怪物めんどり由来だというなら納得できた。
「じゃあ、あんたは――えっと、なんてんだっけ?」
「亢龍軍師、ギルベルド。それが今の呼び名」
「じゃあ、ギル軍師さんのこと知ってて、巫女ばば様が、国軍にって言ったのか」
「さて。それより、」
彼は、ほいと手を差し出した。
「葉書を預かってないか。軍師参謀あての」
「ああ! そういや、ありましたね、葉書」
腰巻きのなかに突っ込んでおいた木の葉を数枚、取り出して、軍師に手渡す。
眼鏡の奥の目が、葉脈に隠れた文字を眺める。
「……これまで温存して、参戦可能な若鳥およそ六百か。ものになるのが半分と見積もって、独立大隊ひとつ程度だな」
「はい?」
並べられたままの古銭に手を伸ばしていたコノリは、その動きを止めた。
「おめでとう、コノリ。きみはヨルムンガンド史上初、空軍歩兵隊、最初の一兵。偵察、監視、通信その他を実行する、独立大隊に配属決定だ」
彼に笑いかけられ、身震いする。
「……何を、言って、るんすか……」
「俺の直属の配下になるんだよ、きみ。とても名誉なことにね」
軍師の声音はおどけていたが、眼鏡の奥の目は、まったく笑っていなかった。
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