心を殺した肉を殺した姉妹

 世に、親殺しは大罪だという。

 では子殺しは?

 ……このズタズタに切り裂かれた心は、何処へ持って行けばいいのだ?


     ◇ ◇ ◇


「んで?」

 ラドゥーンの王将、女王アレズサ・ラドゥーンは、屋外謁見場にて、彼らを睥睨した。

 屋外用の玉座にて脚を組み替え、肘掛けに頬杖をつくその表情は冷めきって、白けている。

 陳情する老若男女の数は、およそ二十人。ラドゥーンの東端に漂着した、監獄めいた船に乗っていた者たちだ。

 ヨルムンガンド帝国の十大元老、根(ね)業(ごう)矢(や)の一族を自称しての謁見。

 もともと肥え太った者が多かったのか、漂流生活の二十数日を経ても、まるで衰弱していない。噂の幼帝は、この豚どもを哀れんで、食糧を多めに積んでやったのだろうか。

「我が父祖、根業矢ヤンバンジが、十二年ほど前に不戦条約を交わしたのは、」

「――姉貴」

 女王は、左手側の肘掛けに横座りした姉に声をかけた。

「十年以上前の外交関係なんざ、記憶にないんだが。そんなこと、あったかね?」

「たしかに、あったわ、アレズサ」

 弱視の姉が、声のほうへ顔を向けた。

 顔の左半分をおおう醜い爛れを見た集団はひっと息を飲み、声を失う。

 隠しもしない嫌悪の態度に、アレズサ・ラドゥーンは舌打ちした。肥え太った豚の分際で、と。

 彼らの態度が見えなかったのか、あるいは気にしなかったのか。姉ヘスペラは平静なまま、口を開いた。

「王将……ヨルムンガンドじゃ、皇帝、だったかしら? 皇帝ニコルを殺し、その罪を、終の盾とかいう元老になすりつけつつ、次に起った幼帝の摂政を自称したのが、そこの根業矢一族よ」

「……っ、先帝は、悪逆非道の王将だった! 生きているだけで害なす虫けらでした! あのようなボンクラは国のためにならぬと、我が父は決起したのです!」

「それで。わざわざ、なんのために首都まできて、陳情を?」

「もちろん、女王陛下には、暗君マルセル・ヨルムンガンドを討っていただきたいと」

「大国相手に戦争しろ、と? 簡単に言うものね」

 ヘスペラが嘆息した。

「ったくさあ。自分を棚にあげて、ぎゃーぎゃーわめく男、あたしゃ大っ嫌いだよ」

 アレズサは勢いよく、片手をあげた。印章つきの指輪が、陽光にちかりと輝く。

「――射て」

 屋外の謁見場、その片側側面に控えていた弩兵が矢を放ち、そこに太った針鼠が十数匹、できあがる。

 運良く致死傷を避けた少女が、慈悲を乞おうと女王の玉座のもとへ身を投げ出した。

 女王は立ち上がると、姉が抱えていた剣を受け取り、鞘からそれを引き抜く。

「うちの姉貴には、亢(こう)龍(りゆう)軍(ぐん)師(し)直伝の知識やら、情報収集力やらがあってね。……その程度の虚言で、国ひとつ動かそうなんざ百年早い。小娘、あんたも同罪だよ。馬鹿な同族にのこのこついてきて、なんの考えもなく謁見場に入ったおまえが悪い――」

 本日最後の政務は、血まみれで終了した。

 兵に死体の片付けをまかせ、女王は、姉の手を引き、私室に戻る。

「……やれやれ、やーなこと思い出しちまった」

 うげー、と。うめきながら、女王は葡萄酒樽の柄杓を取り、二杯分の葡萄酒を杯に注いだ。

 うち一杯は、姉に手渡す。

「あいつら、うちの親父そっくりじゃないか、ええ? 性格悪いったら、ありゃしないねえ」

 一息に飲み干し、女王は、床に直接あぐらをかいた。

 そんな妹王を、弱視の目で姉が見つめた。

「ギルベルド先生――亢龍軍師が、幼帝についているというなら、間違いなく品行方正な子だと思うわ。偽悪ぶっているけど、基本的に善人を好む」

「ねーちゃん、あいかわらず亢龍びいきだねえ」

「彼から授かった知識で、国を守れているんだもの。それは感謝してる」

「最後には、病床の姉貴を振って、うちから出て行ったじゃないか。泣いてすがる姉貴にさ、まったく薄情な男だよ」

「女を武器にする人間が嫌いだったのよ」

 アレズサは、ふたたび葡萄酒の樽の前に行き、二杯めを注ぐ。

「……そう。もう十年は、経ってるのね」

「親父が、まだ五体無事に生きてたころだっけ?」

「女だからと侮られるのもいやだったし、口先だけの、無能な王にはなりたくなかったから、外国(そと)から高名な軍師や医聖を呼んだのよ、わたし」

 杯を満たすのは、血色の液体。――ふと、血色の記憶を思い出した。

「……楽しかったわねー、亢龍軍師さまや医聖さまがいる時、先代(ちち)は大きな顔ができない。あれでも自分の無能さ加減を知っていたのでしょうね。だから、私やアレズサ、母につらくあたった。――先代にとって、私たちを唯一けなせる欠点が、女って性別だけ。笑えるわ、性別でしか優位に立てない男だったのよ、あいつは」

「ほんっと、むかつく親父だよ」

 アレズサが、右の握りこぶしを、左の手のひらに打ちつける。

「ねーちゃんが、病気になった瞬間さあ、」

 原因不明の病で視力が低下し、さらには顔の半分が爛れ、醜い女となってしまったとき、父王が言い放った言葉が決定打だった。

『王としても、女としても、だめだなこりゃ。おまえは本当に役立たずの娘だ。壊れ女だ。

おまえなんか生まれてこなきゃ良かったのに』

 いまだに、姉妹のこころに深い傷を残している、呪いの言葉。

「……アレズサ、あなたがいてくれて、よかったわ。あの日、あなたが、先代を殺す決意をしなかったら、私はずっと、うじうじ、めそめそしていた」

「ははっ。いやー、あれは傑作だったよ。今までの人生のなかで、一番笑った日だな」

 妹王は、人差し指と中指を立てて、はさみのように動かした。

「一番外側の関節から、ばちん、ばきんってね。親父の骨、一関節毎に、枝ばさみで、丁寧に切り落としてやった。あたしだけじゃない。あいつに煮え湯を飲まされてきた官吏どもも、手に手に枝ばさみもってさあ。泣こうが、わめこうが、おかまいなしさ――ばちん、ばきん。あいつ、何時間後に死んだっけ?」

「さあ。もう記憶にないわね。

 ともかく、ヨルムンガンドは様子を見ましょう。たしかに大国だけど、貧国でもあるのよ。当面の敵は、イルルヤンカースだと思うわ。ヨルムンガンドと対戦する気なら、もう少し情報を集めてから。いいわね?」

 アレズサは、うん、と子供のようにうなずいた。

「姉貴……ねーちゃん」

「なあに?」

 醜い顔、光のない瞳、政務で少し増えた顔の皺。もう男など信用しないと着込んだ、地味な尼僧服。

 みな彼女を醜いというが、しかし、妹にとって、この世で一番大切で、大好きな家族。

 二人の他に家族は無い。父も母も、ただ血のつながっただけの、他人。

「あたしは脳足りんだけど、ねーちゃんは頭がいい。ねーちゃんは目が見えないけど、あたしは見えるし、戦える。二人一緒に……一緒にさ、くそ親父、超えてやろう。あいつと同列の王じゃない、ずっと偉い、上帝(おうさま)……神様になってやろうよ。いいね?」

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