灼熱のアペプ

 謁見の間、高座の一段下の左右には、それぞれスヴェンとオニグマが立っている。

 玉座に座った僕は、褐色の肌に、くすんだ金髪をした使者を見下ろしていた。

「……我がアペプ王国の王将、白砂王セベクの血印にございます」

 書状を読み上げた彼は、小さな硝子瓶に入った赤い液体を差し出した。

 スヴェンが、前に進み出て、それを受け取る。

 すっと息を吸い、吐く。怖じ気づいていることを悟られないよう、声を張り上げる。

「先の上帝テレシアスと玄女ケセドよ、聞き届け給え。セベク・アペプとその霊宮アペプに対して戦端切ること、 天に申し上げる。我に善勝あれ」

 ジゼルが失礼します、と声をかけてから、僕に向かって、硝子瓶を差し出した。

 小指に、短刀の刃をあてて、軽く引く。唇を噛んで、悲鳴をこらえながら、瓶のなかに僕の血を垂らした。――この行為に、どんな意味があるのか知らないけれど。ともかく、これが正式な宣戦布告の儀式らしい。

「では、たしかに」

 アペプ王国からの使者は、ジゼルから硝子瓶を受け取って、そのまま三歩、後退した。

 文官と武官それぞれが、彼に付き添い、玉座の間から出て行く。

「――まいったなあ」

 他に人がいないことを確認して、玉座の肘掛けに頬杖をついた。

「率直に言うが。この国の現状を知っていれば、今この時期こそ、ヨルムンガンドを叩き潰す好機だぞ」

 ジゼルが、僕の左手に綿布を巻きながら、そう言った。

「先生の忠告で、準備はしていたけど、頭が痛いよ」

 帰城して半年ちょっと、まだまだ国内は荒れている。

「元老の私兵軍隊を召喚するのは当然として。正規の国軍のほう、練度が足りてない」

 国内の建て直しと併行して、進めたのは国軍を構成する兵士の育成。

 兵士や武官を育成する学校は作ったけど、時間が全然たりていない。

「こうなっては、アペプが対戦相手であったことを、天に感謝すべきかも知れません。あちらは、霊宮の性格に恵まれていないようで、」

「人口が百万人くらいの国だっけ。現存する九つの島国のなかで、二番目に小さいって、先生が」

「百万ならば、あちらの武官の人数は一万弱かと」

「武官の人数の見積もりなんて、できるものなの?」

「生産層、生産力との割合です。百人に一人、武官がいれば、まともなほうです」

「治療、終わったぞ。霊宮へ宣戦布告の報告に行って来い」

「ありがとう、ジゼル」

「早めに戦場を決めてくれ。私は野戦病院と物資について、医官長に相談してくる」

 彼女は立ち去り、僕はスヴェンを連れて、玉座の間を出た。そのまま霊宮へ通じる階段を降りる。

 オニグマは寒いところが苦手なのか、階段のすぐそばで丸くなってしまう。

「――元老たちの私兵軍隊、実際には何人くらい?」

「二之旗本でも、三千でしょうか。他は、もっと少ないかと」

 熊のよつあし族ベルゼルクルは、今年初冬の弓手司防衛戦で半減して現在、戦闘可能な個体数は三百程度。

 新参の、おおとり族。彼らも三年続いた飢饉で、参戦可能な数が六百。

 僕個人の視点で見れば相当な人数なのだが、国政的な視点では人手不足だ。土木や治安維持、開拓や漁業まで武官にまかせているので、全員を戦場に行かせるわけにもいかない。

 頭を悩ませながら階段を一段、降りるごとに、冷気が増すのを感じる。

 用意のよいスヴェンが、僕に外套を一枚、羽織らせた。

「スヴェンも霊宮に会う?」

「恐れ多いことです。ここで哨戒いたします」

 鉄格子を抜け、扉を開けて、霊宮に入る。

 いつものように青白い光は、地下の石室に満ちていた。

「――こんにちは、マルセル」

 霊宮ヨルムンガンドが、にこにこしながら、井戸から這い出してくる。

「こんにちは、ヨルムンガンド。調子はどう?」

「快適よ。脈も滞りなく」

 霊宮の心身は地表に影響するから、僕にとって、彼女の健康状態は気がかりのひとつだ。

「水質も地質も、本当によくなった。地温も上がったから、豊作になるだろうと、屯田兵から報告された」

「全部マルセルのおかげだわ。私にとって、誰かに顧みられないことほど、悲しいことはないもの」

「ヨルムンガンドも、さびしがりだね」

「そうね。わたし、ひとりぼっちで生きられるほど、強い存在じゃないわ」

 静かに笑って、ヨルムンガンドは、僕を手招きした。

 そのまま僕を抱きしめ、頭を撫でてくる。

「……疲れた顔。どうしたの?」

「アペプ王国から、宣戦布告された。戦わなくちゃいけないんだ、ヨルムンガンドを守るために」

 まあ、と霊宮が頬を染めた。

 意味がわからなくて、首をかしげていると、

「男に『きみを守る』と言われて、嬉しくならない女なんていないわ」

 なるほど。いや、そういう意味ではなかったんだけど、女の人が喜んでいるのに、水をさすのはためらわれ、曖昧に笑ってみせた。

 霊宮が気づいて、苦笑した。

「マルセルの長所で、欠点ね。変な気遣いで、女に期待を持たせてしまう」

「女性に、傷ついて欲しくないだけなんだ。気に障ったのなら、ごめんね」

「ねえ、マルセル。自分を殺し過ぎても、よくないわ。他人のために、がんばったことが報われなかったとき、心は死ぬ。自分のための目標も、用意したほうがいいと思うの」

「今は全然、そんな余裕がないよ。今度、考えてみるから」

 霊宮の手に、アペプ王セベクの血が入った瓶を押しつけ、彼女に背を向ける。

「……あの! マルセル!」

「なあに?」

「戦勝後の生贄は、戦場に一番近い場所で受け取るから」

「――ああ、うん、わかったよ」

「消化吸収するまでの数日は絶対に、霊宮に来ないでね。……お願いだから……」

 今度こそ霊宮を出る。

 ……彼女のそれを気持ち悪いなんて、思っては駄目なんだ、きっと。

 僕は、牢屋敷に閉じ込められている間、どこからか紛れ込んだ蛇を殺して、食べたことがある。

 首都へ上る間、スヴェンが干し肉を差し出してくれたことがある。

 野犬が人骨を咥えて、走って行くのを見たことがある。

 彼女のそれは、そういうことだ。せめて、自国民の戦死者を最小限にする。それが今やるべきことだろう。

「陛下? お顔の色が、」

 霊宮の格子の外で待っていたスヴェンが、僕の顔を覗き込んだ。

「なんでもない。初めての対戦(せんそう)だから、緊張してるだけだよ」



 ――そして、開戦の日はきた。

 ケセド共通歴二○一二年、十一月。

 ヨルムンガンド帝国と、アペプ王国の対戦。

 ヨルムンガンド北方、もと根業矢領――今はもう、九靫と並んで皇帝直轄地。

 この辺りは冬が早く、十一月初旬に一度雪が降り、そこかしこに除雪したものが積み上げられている。

 北辺の地に、アペプの南岸が接岸して、国橋が架かる。国橋は、霊宮のしっぽそのものだ。二体の霊宮のしっぽが並んで橋となり、ここが最初の戦線となる。

 日の出の一刻前、陣を整え終えると、軍楽隊が勇壮な軍楽を鳴らし始めた。恐怖を和らげ、興奮状態をもたらす音。

「いよいよですね」

 スヴェンが、僕の軍服の留め具に、胸鎧をはめ込みながら囁く。

 けええん、けええんと鳴きながら、上空を、おおとり族が飛び交っている。

 開戦間近の気配に、熊のよつあし族が低く唸った。

 陣のなかで、最終点呼が行われている。

 僕の陣のなかに、コノリが羽音を立てて、着地した。

「空から見る限り、あちらも寡兵っす。藤甲にちょこちょこ鉄鱗はっつけたのが、ざっと七、八千。あとは民兵ぽいっすねえ」

「トウコウ?」

「特殊な蔦と油で作った、籠みたいな鎧っす。あっちは見るからに暑くて、乾燥した土地ぽいから、通気性重視とかなんとか」

「じゃあ、僕らと似たようなものか」

 ヨルムンガンドは、土地の大半が寒冷だから、凍死を助長するような全身金属鎧は発達しなかった。

 僕が胸につけている鎧も、油や蝋で堅くした革鎧だ。

「たがいに軽装ですから、武器の質と速度が物を言うでしょう」

「そうだね。コノリ、セベク王の位置は?」

 訊ねると、いつも飄々とした獣人が困ったように頭を掻く。

「そのぉ……すんません」

「ん。そうかわかった、ありがとう。上空に戻っていいよ。弓矢に気をつけてね」

「はいはい」

「……まったく。物見の偵察というわりには、鳥頭で」

 飛び立つコノリを見上げて、スヴェンがぼそりと呟く。

「彼らも初陣だもの。しかたないよ。とりあえず先生の策とやらに期待しよう」

 対戦が決まってから、先生は、コノリたちに、上空から投石をさせる特訓をさせているそうだ。

 滑空飛行しながらの投石は難しいらしく、先生の眼鏡にかなったのは、二百人ちょっと。投石訓練の脱落者は、代わりに、偵察や通信の任務を負っている。

「ともかく、僕らは先生の合図があるまで、動かない」

「はい」

「……う? まーるぅ?」

「ああ、起こしちゃった? まだ少し時間あるから、寝てていいよ、オニグマ」

 薄紫の空、そこに飛び交う鳥人を見上げながら、僕は足下で丸くなっていたオニグマの頭を撫で回した。

 スヴェンとオニグマは、僕の近衛。

 ジゼルは軍医として野戦病院に詰めている。

 先生は、ここから少し離れた陣に、参謀本部を置いて、おおとり族たちの伝令を受け取っている。

 ヨルムンガンド軍は結局、元老たちから召し上げた私兵軍隊が主体となった。

 弓手司の戦士は、その名の通り弓の扱いがうまいため、弓兵隊主力に。

 馬の名産地で、馬上戦闘が得意な馬鞍戸は、騎兵隊主力。

 接近戦はおろか弓術、馬術にも心得がある二之旗本の武士は、歩兵隊の主力でありながら、各兵科にも柔軟な対応をみせている。

 他の元老からも私兵軍隊を借りたけど、彼らの大半は捕虜の武装解除や、輸送を行う輜重兵として運用した。武装は護身用のみ、余計なものは一切与えない。――僕の信用を勝ち得ていない以上、武力を持たせるべきじゃない。

 残りは、ベルゼルクルと組ませての遊撃部隊。敵に回したときのベルゼルクルの恐ろしさを知っているはずだから、彼らも妙な真似はしないだろう。

 ……勝つ。

 勝てる。

 問題ない、僕たちは勝つ。必ず。

 何度も、そう自分に言い聞かせる。

 間もなく、朝日が海の向こうから顔を出した。同時に、双方、打ち合わせ通りに銅鑼を連打。その轟音の最後、鬨の声があがる。

 ――戦端を、切る。

 浅黒い肌と金髪の人々が、槍ぶすまを作って、進軍を開始した。

 アペプ側につられて動きそうになるところを、各隊の部隊長が押し止める。

 新たに〝空軍歩兵〟と名付けられた彼らは、アペプの陣に、投石を開始したようだ。

 銅鑼に似た爆音が、敵陣のほうで発生した。

 おおとり族が投下したのは、実は石ではない。火種つきの栗。〝発火鼠〟と呼ばれるそれは少し加熱しただけで、爆発するという厄介な栗だった。

 人間には食べられない種類の栗と言われているが、その実、僕は何十個か食べたことがある。牢屋敷に閉じ込められていたとき、どこの元老の、どのような意図だったか。当時の摂政が、僕たちに、食料として、送ってきたのだ。

 乳母やのベラが、人間でも食べられる方法で調理してくれたけど、何も知らなかった僕は、うっかり火に投げ入れて爆発させてしまい、リンねえに叱られ、双子に徹底的にからかわれた。そんな思い出のある栗。

 発火鼠は見かけ倒しというか、音が大きいわりに、殺傷力はそれほどでもない。どちらかというと爆音と火花で、あちらの出足をくじくもの――そう思っていたのだけど。

 発火鼠の投下着地点から、火柱が突き立った。前線から離れた僕の陣からでも見える。

 アペプ側もびっくりだろうが、僕だって驚いた。あれは、ただ爆音で脅かすだけの投下作戦だったんじゃないのか?

「マルセルくん。驚いただろうけど、平静にね」

 参謀本部に詰めていた先生が、ひょっこり現れた。

「こっちの進軍は、まだずっと先。アペプ兵が炙られて、飛び出したところを叩く。それまでは我慢だ」

「あれは、なんですか!? 僕は聞いていない!」

「言ってなかったからね。先に種明かししたら、困るかと思って」

「どのような妖術を使われた?」

 返答次第で、スヴェンは、先生に斬りかかりそうな勢いだった。

 さすがに飛び起きたオニグマがふんふんと鼻を鳴らし、火の匂いとつぶやく。

「先に言っておく。ヨルムンガンドは国土面積こそ世界第一位だが、国力は最底辺。今はまだ無駄な消耗を避けなくてはならない状況だ。それは理解しているな?」

「それは。はい」

 だからこそ、と先生は言った。

「アペプ王国の、地表の大半は石灰質の砂だ。もう長い間、雨が降らず、干ばつが続いて、乾燥しきった生石灰になってしまっているから、燃え易い。――発火鼠による、粉じん爆発を狙った。着火の確率は、十中八九というところか。ついでに言っておくけど、水をかければ、さらに発熱発火し続けるから、通常の消火活動は不可能だ」

 先生の言葉をなぞるように、おおとり族たちが、上空から竹筒に入れた水を垂れ流している。

 遠眼鏡を覗けば、あたり一面火の海だった。黒々とした何かが、そこにもう無数に横たわっている。生きながら燃えて、こちらの陣に逃げ込もうとするアペプ兵すらいた。

「………………っ」

 僕の――、ヨルムンガンドの弓兵は、そこに矢を射る。

 おそらく先生が、おおとり族の伝令を命じて、前線にそう指示したのだ。

「こんな……焼き殺すなんて……人間の、することじゃ、」

「焼死が悲惨なのは、認める。他に良策があれば、そっちを使った。戦に人道非人道の議論を持ち込まれると、軍師としては、じゃあどうすればいいって話だけどね。しかし、忘れないで欲しい。俺は今、ヨルムンガンドを勝たせるため、ここにいる」

 そして、と先生は続ける。

「これは、かつて、人間がしたことの再現だよ。世界の始まり、原始の玄女と上帝が作った神の国。その大地を、人間は鉄と炎とで爆砕して、滅ぼした。さすがに以降の歴史では、大型爆弾の製造は禁忌となったが、知識と材料が揃えば、あの程度のしかけは誰でも作れる。だから、人間のすることじゃないは、間違いだ」

「そんなことを言いたいんじゃない!」

「では、何をおっしゃりたいのでしょう、皇帝陛下?」

「………………」

 深呼吸をくり返す。

 戦場で、動揺してはいけない。少なくとも見た目は冷静でなくては。

 僕は、王にして、将軍。僕の動揺は、士気に関わる。

 心は納得していない。でも頭は、理解している。ヨルムンガンドは今、彼の策に従って動かなければ、勝てないだろう。

 それに……この人を今、敵に回したら、ヨルムンガンドは滅ぼされる。この国の歴史が、この国を作ってきた人々の人生が、すべて無に終わる。そんな予感がある。

「まーるぅ、何が、駄目?」

 オニグマが口を挟み、小首をかしげた。

「戦う、殺す、決まってた。火と剣、何が、違う? 何が、駄目?」

 オニグマに訊かれて、僕は絶句してしまった。

 違い……? 火で焼き殺すことと、刃で突き殺すことの違い?

 手段は違っても、結果は同じだ。

 殺す。死ぬ。

 あえて言うなら生理的嫌悪とか、不愉快だからとしか……うまく言えないな。直感的に、あれはいやだとしか表現できなくて。

「……衛生兵、輜重兵に伝令! 焼痍敵兵には速やかに降伏勧告を行い、降った者には識別救急を実行。非戦闘区域に移送せよ。あとは軍医ジゼル嬢に一任する。これは王命である!」

 僕の陣のなかに控えていた、おおとり族の青年に呼びかける。

 まだ人間に不慣れな様子の彼――ワタリという名の獣人は緊張した表情で、小さくうなずき、立ち上がる。

「馬鹿なことを、」

「馬鹿ですよ、僕は大馬鹿だ! 自国の損耗を最低限にする良策なのに、心が納得していない。まだ、そこまで冷酷になれなかった! ――スヴェン! オニグマ!」

「は!」

「う?」

「アペプのセベク王が、僕と同じ気性ならば、前線に飛び出してくる。王将なら、霊宝武具のひとつやふたつ、持っているはずだ。――霊宝武具の脅威から前線を守り、兵を鼓舞するため、前進する!」

 オニグマが、皇帝家の紋章を刺繍した旗をつかんで、陣を先に飛び出した。

 スヴェンは、軍馬二頭を引いて、鞍の上に僕を押し上げる。

「先生」

 馬上から、彼の顔を見下ろす。

 光の加減で、眼鏡の奥の表情は見えない。

「優等生でなくて、ごめんなさい。それでも、どうか、これで見限らず、今後も座学や軍事の指導をお願いしたい。今はまだ、ヨルムンガンドも僕も、あなたを手放すわけにはいかないから」

 先生が、くっと唇の端をあげた。

「まだ開戦日。有利不利が見定まらないうちから、敵兵を哀れんで、決着を急ぐ。それが、きみの正義か?」

「いずれ、みんな、ヨルムンガンドの民になるのなら、少しくらい優しくしてあげたいだけです。正義なんて知らない」

「今から怨嗟の軽減を考えるわけか。まあ、いい。行っておいで。俺はもう少し、この国にとどまるよ」

 ともかく僕の望む答はもらえたので、そのまま馬を走らせる。

 先を行くオニグマが、旗を手に、道を開いていたので、騎馬は滞りなく、前線へ駆ける。

 僕が、流れ矢に当たらないよう、スヴェンが少し先にいる。

 除雪し、積み上げた雪の白さが視界の端にまぶしい。

 この光景を見て、改めて思い知る。今回の策は、合理的だったと。

 ヨルムンガンドの被害を最小限に抑えるのなら、アペプ兵が焼け死ぬのを待っていればいい。こちらの土地は水と雪が豊富で、寒冷だから飛び火、延焼を防ぐ手立てはある。

 こちらを減らさず、あちらだけを減らす。局地戦での勝率を上げる。各所の勝率が上がるとは、すなわち、僕自身に及ぶ危険を減らすこと。

 亢龍軍師の異名は、伊達じゃなかった。

 今回のおおとり族の参戦で、戦争の盤面が大きく変わった。今の今まで、戦場は陸上、海上だったのに、ついに天空まで戦場になった。

 未知の空戦技術を、僕のヨルムンガンドが独占していたことに寒気を覚えた。これまで、おおとり族が、国軍への参加を回避していたのは、今日この日のためでは、と疑いたくもなる。

 ――武装軍馬で数粁の距離を駆け、前線のひとつ手前の陣で、停止する。

 炎と煙……肉の焼ける匂いが、鼻についた。

 火や熱に炙られ、炭化し始めた人間の死体が国橋の向こうに見える。

 生き残っているアペプ兵は、国橋周辺に築かれた爆炎の壁を迂回し、こちらに上陸するため、架橋車――ではなく、架橋橇を牛に曳かせていた。

「車輪、歯車では砂を噛んで、進軍できませんから。牛と橇を使ったんでしょう」

 判断に迷った。

 アペプ兵の焼死を哀れみ、あの架橋橇をこちらに架けさせてしまったら、いよいよ対人戦闘開始だ。

 偵察報告では、アペプの正規軍人は八千くらい、その他が民兵だろうと予測されていた。こっちの戦闘可能な兵士と、数が拮抗してしまっている。

 ……せめて、アペプの王将セベクが突出してくれれば……!

 間もなくアペプ側で、鬨の声が上がる。

 なんだ、と身構える僕のそばにコノリが着地した。

「あっああああ! ああああ!」

 コノリがあわてふためき、身振り手振りを交えて、何か言っているけど、まったく意味がわからない。

「落ち着け!」

 馬上から、スヴェンがつま先で、コノリの肩をかるく蹴った。

 ぶんぶんと頭を振り、我に返った鳥人間が叫ぶ。

「赤くて、でっかいの! アペプの王旗もった赤くて、でっかいの! 来ます!」

 同時に、どすんと地揺れがした。国橋の下の海面も揺れて、波が立つ。

 コノリの指さす方に、赤い鎧人形が見えた。

 人の形をしているが、あれ、スヴェンやオニグマよりも背が高い。見積もって、三米前後の鎧武者だ。

 二之旗本の、なんとかの節句に使う鎧人形に似ているが、かなり異様だった。面頬の眼窩には捻子や釘が突き立っている。頭の周辺には、拷問用の絞具が取りつけられ、口腔には口枷が填められていた。赤い表面は、塗装ではない新鮮な緋色が伝い落ちていて――

 大きな人型の異物に、こちらの陣に動揺が走る。

「霊宝武具だ! 手を出すな!」

 あんな不気味な存在、霊宝武具以外の何物でも無いだろうと判断し、言葉をかける。

「十二年前にヨルムンガンドから流出した霊宝武具の目録、記述が間違っていなければ、陛下、あれは霊宝武具紅鋳(こうい)の覆(おう)です。火炎と金属による傷を完全に防ぐ代わりに、霊宝憑きの精神を蝕み、殺してしまう鎧で、」

 僕のあにやは抜かりなかった。座学が苦手なんて、二之旗本流の謙遜じゃないか。

 火と鉄を防ぐ霊宝武具か。どう対処すべきか。

 頼りの先生は、はるか後方。周囲の兵たちは、ここで唯一、霊宝武具を持つ僕を、救世主を見るような目で見ている。

 ……霊宝武具に対抗できるのは、同じ霊宝武具か、圧倒的な膂力を持つ武人だけだ。

 懐中の袋をあさり、丸薬を飲み込んで、こちらも二本刀を引き抜く。

 鎧人形は、易々と炎の壁を通過し、国橋を渡ってくる。

 すぐ背後にいた何人かも、炎を突破している。うち一人は火傷を負いながらも、アペプの王旗を必死に掲げていた。

 あちらの前進を見て、オニグマが近くの兵に王旗を押しつけ、ぐるるとうなり始めた。

 スヴェンも、太刀を抜き、かまえる。

「弓兵! 架橋橇は牛を狙って、足止め! 絶対こちらに上陸させるな! ――放て!」

 指示を出して、僕は前を見据えた。

 王旗の存在を見るに、あの鎧人形の中身が、おそらく王将セベク。

 彼さえ斃してしまえば、この一日で戦争は終わる。あっちもきっと同じ考えだ。

 短期決戦。両国ともに寡兵、最底辺の貧乏国家。いたずらに民を死なせ、物資を無駄にする余裕は無い。

 他に敵と見なすべき島国が、あと七つも残っている。ここで消耗して、たまるか!

「ぐ……があああああっ」

 オニグマが、戦場の気にあてられて、突撃していった。いつもの猫背、二足歩行でなく、獣じみた四つ足で駆け始める。

「待て、オニグマ!」

 スヴェンが制止の声をかける間もなく、オニグマが勢いのまま体当たりを敢行する。

 鎧人形の中身が、やはり獣じみたうなり声をあげ、オニグマの巨体を片腕で払った。

 人間よりも巨大で、重いはずの彼女の体が宙に浮くのが見えた。オニグマは、くの字になったまま、横に吹っ飛んで、国橋から転がり落ちる。落下地点から水しぶきが立った。

 ベルゼルクルの巨体を吹き飛ばすなんて……どれだけ怪力なんだ、セベク王は……。

 娘同然のオニグマが吹き飛ばされ、びくっとスヴェンの足が動いた。が、彼は飽くまでも、僕の近衛であることを忘れず、セベク王の動きを見ている。

 しかし、スヴェンがどんなに強くても、その武器は金属でできている。セベク王の霊宝武具の効果が本物ならば、彼が奮戦しても無駄だろう。

「コノリ、先生に現状報告! 打開策が出ても出なくても、一度は必ず戻ってこい!」

「っわ、わかりましたぁ!」

 僕の、いささか乱暴な指示に、コノリがすぐに飛び立った。

 赤い鎧人形は、少し重たげな足取りで、国橋を歩き続ける。

「スヴェンは、王の周りの兵を頼む」

「陛下!?」

「わかってるよね? その太刀、金属製だよ」

 ……炎と金属が駄目なら、もう一か八かだ。

 重箱の隅をつつくような言葉遊びが通用するかは、わからないけど……。

 二本刀を握る手に、ちからをこめる。

「遠春……とおはる、トオハル……凍春」

 最初に、この刀に取り憑いていたトバルカインをあの世に送った。

 次に、白宮殿の門扉とミョゴン元老の両腕を氷結して、粉々に砕いた。

 銘(なまえ)を変え、その効果を変えること。かつて二度できたことだ、三度目がないなんて言わせない。お願いだから、言うこと聞いてくれ!

 ――ひゅうと風が、僕の周囲に湧き出た。

 丸薬の効果が無ければ、凍死しそうな寒さ。見れば、僕の手にある二本刀の刃は、凍りつき、さらに霜の粉をまとい、白い冷気を吹き出している。

「そこな鎧人形、アペプ王国の王将セベクとお見受けする! 私は、ヨルムンガンド帝国皇帝、王将マルセル・ヨルムンガンド!」

 スヴェンが息を飲み、青い顔をして、僕を見るのがわかったが、今は無視した。

「寡兵にして、国力脆弱とあらば、呪詛を負ってでも、霊宝憑きとなるは王の道理。覇道王道、存ぜぬが、進む覚悟あらば、一騎打ちの申し出も断るまいな!?」

 もうコノリの伝令は間に合わないのは、わかっている。

 そもそも霊宝武具相手だ。今、戦えるのは、同じ霊宝憑きの僕しかない。

 ……だいじょうぶ、だいじょうぶだ。

 勝つ、勝てる、絶対に勝つ。

 ねえやも言ったじゃないか。僕はこの国で一番強い男にならなくてはいけないと。

 ぎ、ぎ、ぎ、ときしんだ金属音をたてて、鎧人形は首を曲げ、こちらを見下ろした。

 ひどい体格差だ。僕の身長の二倍はあるじゃないか。

「あうえう(マルセル)ぅぅ!」

 セベク王は、人語を話さなかった。薄気味悪い面頬の下で、うなり声をあげている。

「おうお、ああ、あいお、あいおおいああぁぁ!」

 こちらの火計について、糾弾しているように聞こえた。

「おおいえあう、おおいえあうぅぅ!」

 ふと、霊宝憑きになる前の彼は、どんな人だったのだろうと考え――思考を中断した。以前の彼が、どんなに立派な王であっても、聖人であっても、戦場で出会えば敵だ。

 そもそも、あちらが最初にしかけてきた戦じゃないか。焼死した人はともかく、王将にかける情けなんて、僕を逆さにひっくり返したって、落ちてこない。

「ぐ、る、る、る、る、る」

 セベクがうなり声をあげて、駆けてきた。さっきまでの重い動きが嘘みたいだ。さらに、ひゅっと音をたてて、腕を横に振ってくる。

 よける……躱(かわ)す!

 セベク王の右腕は空振りに終わったが、彼は全身を半回転して、左腕を振るってくる。

 ああ、もう! 思ったより、連続して攻撃してくる。見た目通りの、のろまだったら良かったのに!

 間合いを計りながら、セベク王を観察する。

 攻撃範囲はざっと二米弱か。

 全身が赤い金属鎧で覆われて見えるけれど、首、肩、肘、手首、腰、膝、足首などの可動域は鎖帷子らしい。動くたび、そこから少量の血を吹きこぼしている。

 全身を埋め尽くす人間の目のような模様は実際、人間の目のように、ぎょろ、ぎょろとあちこちに視線を動かしている。

「わっ!?」

 あっちの踏み込みで、地面がかるく揺れ、よろけた僕の鼻先すれすれを握り拳がかすめた。

 ……あぶなかった。手刀だったら今頃、頭と胴が泣き別れだ。人生二度目の首ちょんぱは御免こうむる。

 動きの少ない下肢のどちらかを削って、この場に縫い止めるべきかな。本当は、攻撃手段である腕を落としたいけど。セベク王が徒手空拳の達人なら、腕を狙っているうちに、蹴りが飛んでくるとも限らない。

 右から、巨大な拳骨が飛んでくる。

 よけようとした拍子、足がすべって、転倒した。いやな予感がして、そのまま横に二回半、転がる。

 ――さっきまで僕がいた場所に拳骨が落とされ、地面に亀裂が入った。

 危なかった。でも体勢が崩れている、好機かも知れない。

 体を跳ね起こしながら、鎧人形の背後に回り、まずは一撃目。左膝の裏に二本刀のうちひとつを突き立てる。

 轟音のような悲鳴をあげて、かくんと左膝を折り、セベク王はそこに右膝を立てた体勢で動きを止めた。

 よし。金属と火は駄目でも、氷の刃なら、ちゃんと効く!

 ほっと息を吐いて、そして、気づいた。――刀の一本を失ったことに。

 セベク王の膝裏に突き立てたまま、それを引き抜いてくるのを完全に失念していた。片割れを手放したせいか。残る一本が、急に重量を増して重くなり、おまけに寒々しい冷気を放っていた刃が、氷解しかけている。

 刀ひとつを両手に持ち替え、眼前の巨体を見上げる。

 片膝をついた鎧人形は、それでも、僕より大きい。けれど、これなら上半身に刃は届くし、腕を落とすことも可能だろう。

 セベク王は、かくっかくっと上半身を揺らしながら、懸命に立ち上がろうとしていた。

 僕は、ふーっと息を吐き、吸う。そして、突進した。

 セベク王の兜の後部にある単眼が、ぎょろと動き、僕を見た。

 だいじょうぶ、落ち着け。

 腕の長さは脅威だが、攻撃自体は雑。だから、落ち着いて、腕を落とすんだ。

 ……なんて、思っていたら、がきょんがきょんと音を立て、鎧人形の胸部が、腰を軸に半回転した。

 おかげで、今まで背後をとっていたはずなのに結局、正面突撃になってしまった。こんな変形は想定外で、たたらを踏んだ僕の胴を、セベク王が片手でつかんだ。

「陛下!」

 一騎打ちだと言っておいたのに、スヴェンが太刀をかまえて、駆けてくる。

 脇腹が、みしっ、ごきといやな感じの音をたてる。ついに巨大な両手で胴を引き絞られ、息苦しさに残る刀を手放してしまった。視界が暗くなる。

 ……しまったな……どんな時も、武器は手放すなと……あれほど……

『マルセル、気をつけるがいい。その霊宝武具、かなりしつこいぞ。海底に重石をつけて沈めても、翌日には、自分の布団に潜り込んでいるからな』

 死の直前の走馬燈か。ふと、あの遺跡での、トバルカインの言葉を思い出す。

 そうだ。この霊宝武具は執拗に、つきまとってくるって、トバルカインが。

「――こ、い」

 血反吐を吐きながら呼びつけた瞬間、その二本は僕の手の中に戻ってきた。

 二本がそろったところで、双刀は、ふたたび冷気を吹いた。

 まだ息がつけるうちに、セベク王の手首ひとつに刀一本を突き立てる。

 セベク王が悲鳴をあげ、拘束がゆるんだ。

 まだだ、もう一本!

 両手首に、二本の刀を突き立てると、つかまれていた僕の胴が解放された。

 もう一度、来いと命じれば、二本刀は僕の手元に戻ってくる。

 鎧の手首の痛みが伝わったのか。セベク王も、霊宝武具の制御がうまく行かないようで、腕が下がってくる。

 腕という名の斜面に這って、その肘関節部分に氷の刃を突き立てる。

 セベク王が、ぐああんと鳴き、むちゃくちゃに腕を振り始めたが、僕はその前に地面に飛び降りた。今度は、無防備な腰部分に、右の刃を突き立て、すかさず退避。

 セベク王の長い腕が、自分自身の腰に向かって、拳骨をめり込ませたが、その時には、もうそこに僕はいない。

 彼はただ自分で、自分の腰に釘を打ち付けたようなもの。

「凍れ!」

 命令一下。僕の刀は、鎧人形もろとも凍りつき、さらに楔の役目を果たして、鎧人形の上半身と下半身を二つに割って、砕けた。折れて千切れた上半身が、轟音を立てて、地面に叩きつけられる。

 それで――終わり。

 あっけない、終わり。

 ぐあぐあとうめきながら、鎧人形は面頬にある口から、大量の血液と人間一人を吐き出す。

 左手首、右肘、左膝、胴が切断され、上から下から内臓を吐き出した、見るに堪えない死体。

「セベク! セベク王!」

 長身痩躯のアペプ兵のおじさんが、鎧人形から吐き出されたものを見て、そこに駆けつける。

「あぁあ……セベク……俺の……せいで……!」

 セベク……セベク王。

 ……僕が、殺した……そうか。

 ……殺したんだ……勝ったんだ。

 急にちからが抜けて、みっともなく、そこにへたりこみ、咳き込む。

 スヴェンが駆けつけ、背をさすってくれた。

「……肝が。冷えました」

「うん」

「無闇に、武士の真似をなさらないで下さい」

「……うん」

「陛下っ!?」

「わかってるよ……。今回は、運が良かった。セベク王が、歴戦の戦士だったなら、死んでいたのは、僕だ」

 僕など、二本刀の補助がなければ、見習い兵士程度の実力しかない。

 単純に、セベク王の実力が、僕を遙かに下回ったというだけ。霊宝武具は強力な武器だが、最後は、使い手の実力に左右されるのだろう。

 スヴェンにささえられ、立ち上がる。

 勝ち鬨の声をあげ、万歳三唱するヨルムンガンド人と。

 絶望しきった表情で、膝をつくアペプ人。……これが、戦勝国と敗戦国の違いか。

 最後の一仕事。セベク王の首を落とそうと、スヴェンとともに、彼の死体に近づくと、王の死を嘆いていた男性が、居住まいを正した。

「敗者とはいえ、ご厚情を。王の遺体を辱めることだけは、」

 なんの話かと思ったけれど、後で、敗戦国の王の遺体は、新たな臣民の反抗心を削ぐため、利用されると聞かされた。その時の僕は、まるで思いつかなかったけど。

「僕はただ、セベク王の首をとって、霊宮に捧げるだけです。そうしないと、アペプの土地が、海中に沈んでしまうのでしょう?」

 彼をなだめつつ、ふと、

「セベク王に、ご家族は?」

 訊ねると、彼は小さくうなずいた。

「年の離れた姉君一人と、その娘一人。そして……私です」

「そうですか。では、」

 僕は、セベク王のそばにかかんで、血と体液で汚れた髪の一房を切り取り、家族だという彼に手渡す。

「ご遺髪と、首から下はお返しします。今、僕が欲しいのは、セベク王の頭ひとつ、そして勝利だけですから。――スヴェン」

 スヴェンに合図して、セベク王の首を刎ねさせた。

「セベク王のご家族ならば、国軍でも位が高いと思われる。うちの輜重兵、衛生兵とともに、アペプ軍の武装解除の呼びかけをお願いしたい」

 用意していた袋に、セベク王の頭ひとつを納め、それを手にする。

「これより戦後処理に入る。先に通達したように、まず武装解除を徹底して行い、これに抗する者は一度捕縛し、のち裁判を待て」

 ずっしりと重い、その袋を持ち、先から周囲を囲んでいたヨルムンガンド兵に向かって、掲げてみせる。

「そして何度でも、厳命しよう。何人たりとも女子供を犯すこと、殺すことを禁じる! それらの必要がある場合は、必ず私への報告を義務とし、結論を待て。先走った者、これを隠匿した者、あらゆる共犯者は軍法会議にかけ、罪状、真であれば以降、三親等、三代先まで、あらゆる官職に就くことを禁ずる。またそれらの伴侶縁戚となることも同じく禁じる」

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