僕らの箱庭

 就寝前、いつものように、ジゼルが問診にやって来た。触診の間、今すぐにでも寝そうになる。

 ジゼルは、横になった僕の手足を清拭して、そこに素敵な匂いのする油を塗りつけ、もみほぐしてくれた。今日は、土っぽい匂天竺葵の香りだ。机仕事の政務が多いと、こういう自然の匂いは恋しくなる。

「ジゼルって、なんだか魔女のおばあさんみたいだね」

「おばっ……いいか、マルセル。女を呼ぶのに、おばさんとおばあちゃんは禁句だ。いいか、絶対にダメだ!」

「あっ、ごめん。リンねえに昔、読んでもらった絵本の話を思い出したんだ。いろんな薬草を扱う魔女のお……ねえさん」

「魔女か。魔女なあ」

 仏頂面のジゼルが、僕に毛布をかけ直して、襟元をとんとんと叩く。

「明日の予定を確認するぞ。日の出に起床、武術の稽古一時間。風呂、朝議、書類の判子押しの続きだな。昼を取ってから、元老の小娘ども四人との会食か。どうせ、ご機嫌取りだから、邪魔なら私が追い払うぞ」

「会うよ。でも絶対、ふたりきりにするのは、やめてね。どう接していいか、わからないから」

 弓手司(ゆんでつかさ)の元老の孫娘の、ええと、姉と妹どっちだっけ? ドランとセルン……セルンのほうか。彼女、僕とふたりきりになると、子供が何人欲しいとか、持参金がどうとか言ってくるから、苦手だ。

 恋愛感情がないなら、全員きっぱりお断りするのが、男としては誠実なんだけど、王としては、そうもいかない。

 弓手司の元老の孫娘、年子姉妹のドランとセルン。

 二之旗本の元老の末娘、スズカ。

 馬鞍戸(まくらど)の元老の姪っこ、タラ。

 三元老の身内の姫のご機嫌取りは、重要な政務だ。なにせ今、彼らに見捨てられるわけにいかないから。

 ……国政のために、女の子を手玉に取るなんて、僕は、ろくな死に方をしないだろうな。一度目も、まともな死に方じゃないけど。

 考えるうち、意識が遠のいた。手足が溶けて、なくなるような感覚だ。そのまま、すとんと眠りに落ちた。



『気持ち悪いことを言わないでくれ』

 夢のなか、誰かが怒鳴っている。

『充分、彼女と国に尽くしてきただろう!? 暗殺に破壊工作、内乱扇動、時に国ひとつ陸沈させることさえした。絶対に逆らえないように、呪いの霊宝武具を押しつけられて! もう、いい加減、解放してくれ!』

 その人物や背後の光景には、はっきりとした輪郭がない。色彩は白、黒、灰色。粗末な絵本の挿絵みたいだ。

『男だ女だ、愛だ恋だのには、うんざりだ。もしも次があるのなら……いや、もう、次は確定だな。次は、そんな情動にたぶらかされない王将を選べ!』



 男の怒りが爆発した――と同時に、はっと目が覚めた。

 ……天蓋から下がる布の隙間、夜明けの光が見える。

「お目覚めでしたか?」

 洗顔だらいを持って来たスヴェンの声に、ようやく上半身を起こす。

「うん。変な夢で、起きちゃったみたいだ」

 溜息をついた。ただの夢とはいえ、そのまま今の僕を示唆しているかのようで。

 ……顔、洗って、さっぱりしよう。

 洗顔してから、私室の円卓に載ったお粥に向かって、いただきますと頭を下げる。

 匙を運びながら、スヴェンの給仕を受ける。

「お体を癒やす名医はいても、お心は、如何ともし難いものですね」

 スヴェンがぽつりと言う。

「ぼく、そんなにわかりやすい?」

「私には。他には、そうでもございません。陛下は、うまく隠していらっしゃいます」

「そっか。終の盾は、そういう敏感な人が多かったのかな?」

「私の大叔父も、先帝陛下とそのような主従関係を築いていたようです」

「スヴェンは、」

「はい?」

「スヴェンは好きなことや、やりたいことはなかったの? 僕の存在とは関係なしに」

 彼は、考える素振りを見せたが、

「陛下にお仕えする一生しか、考えられません。私には、他に何も無いのです」

 以前、先生が言った、スヴェンが僕に依存しているというのは、そういう意味か。

「どうして、皇帝家と終の盾に、そういう主従関係ができたんだろうね」

「私が知る限り、建国当初から我が祖先は、ハラル帝に付き従っていたそうです。旅の魔法使いのちからを借り、この地を荒らす怪物を封じて、国を建てた」

 ああ、うん。その辺は、うっすら、ばあやに聞いていたことだ。ただ、それだけで二千年も続く主従関係になるのかなと、ふと疑問に思っただけ。

 鶏肉と卵、葱の混ざったお粥を平らげて、ごちそうさまでしたと手を合わせ、歯磨き粉と水で口をすすいで、席を立つ。

 稽古用の服に着替えて、別室に移動した。簡単な柔軟体操をして、室内のふちをなぞるよう数周かるく走り、それから練習用の剣をとる。

「じゃあ、スヴェン先生、よろしくお願いします」

「はい!」

 今のところ、スヴェンとの剣術稽古が一番楽しい仕事だった。

 体を動かした後の蒸し風呂はさっぱりするし。

 稽古がすむと、今日はそこで、不承気味のスヴェンと別れる。

 今日の僕の護衛はオニグマなのだ。スヴェンは毎日、僕を気遣っていて、肉体的に休めていないし、こうして交代するのは、いいことだと思っている。……何かあれば、すぐにすっ飛んできて、いつの間にか隣にいるけどね。

 朝議のため、玉座の間に行くと、長方形の卓のそばに複数人の男性が立っていた。

 元老本人、あるいは代官と呼ばれる役職の人が七人。

 そして武官長、文官長、医官長、教官長、神官長の五人。

 あとは議事録のための書記が二人ついていて、文具を抱えている。

 僕が玉座に着いた後、彼らも着席した。

「では朝議を始める」

 彼らの報告を聞くのが、僕の朝の仕事だ。

「――次に、先月、直轄地となった旧・九靫領と根業矢領についてですが。各地の難民の送還が始まりました。陛下の庇護を直接得られると知って、自発的に帰還する者も」

「何か問題は?」

「やはり物資が少々心許なく。陛下が霊宮を祀ってくださったおかげで、本年、農作物は豊かに実っておりますが、十二年の空白は大きく」

 つくづく逆臣派は、よけいなことをしてくれたと、今や四人に減った逆臣派元老の代官を見る。もっとも彼らは代官であって、当時の本人じゃないから、悪態をついたりはしないけれど。

「最低限、飢えなければ今年度はよしとしよう。今冬は、もと元老の私邸や官庁の一部を開放し、そこで民に共同で生活をさせることで、燃料と食料の消費を抑える。同時に、臣民には簡単な読み書き計算と礼節の教導、終の盾の名誉回復も行わせよ。……他には?」

 ――半刻の朝議が終わる頃には、僕のおなかが空腹を訴え始めた。

「明日は休息日だが、本日中に重要な案件が出たならば、かならず報告するよう。書記は、議事録複製ができ次第、私と文官長に提出せよ。他にないか? ではケセド共通歴二〇一二年、十月二十五日、本日の朝議を終了する」

 終了を宣言して、さっさと玉座を立つ。

 玉座の間を出た直後、僕とオニグマのおなかが同時に鳴った。

「……おなか、空いたね」

「ん。まーるぅ、はやく」

 執務室に戻る前に、ジゼルの部屋に寄ると、彼女はオニグマをねめつけ、僕には笑顔で焼き菓子を差し出してきた。

「今日の粥は、どうだった?」

「おいしかったよ。二杯も食べちゃった。毎朝ありがとう」

「それは良かった。粥は消化吸収がいいからな。朝早くから動く人間にはいいものだ」

「ジゼル、菓子、もっと」

「……マルセルの分まで手を出すなよ」

 菓子と牛乳一杯を飲むと、空腹は解消された。かと言って、満腹というわけでもない。あと一刻半もしたら、昼食なのだから、これくらいの腹具合でちょうどいい。

「昼に、何か食べたいものはあるか?」

 衛生、医療、食事を司る医官でもあるジゼルが、退室しかけた僕らに声をかける。

「姫君たちとの会食だから、彼女たちが喜びそうなものにしてあげて」

「マルセル個人の希望を聞いているんだが」

「お粥とか、焼き芋とか、煎った豆とか、粗食になっちゃうからジゼルに全部まかせる」

「あいかわらず欲の無い」

「十二年、それで暮らしてきたんだもの。豪華な食事は、胃が受けつけないよ」

 ジゼルにお礼を言って、オニグマと一緒に執務室へ向かった。

 扉の前には、文官の女性が二人いて、書類を抱えたまま、僕を待っていた。

「おはよう」

「おはようございます、陛下!」

「本日もよろしくお願いしますね」

 声をかけた二人は、かつて玉座の間で九靫の元老に酷い目にあわされ、そして、彼を殺した女性たちだ。

 今、ここにいる女性文官の半分はそんな人たちばかり。僕に恩返しがしたいからと、薄給と食糧配給だけで勤めてくれている。ごめんね、貧乏な国で。

 僕が机につくと、オニグマは足下に丸まって、昼寝を始めた。

 文官の女性は、交互に書類の概要を読み上げ、僕の前にそれを置く。

 僕もざっと目を通し、確認してから、玉璽を捺す作業に入った。肩がぱんぱん、目がちかちかする頃には、お昼ご飯だ。

 呼びに来た文官についていく。当然、護衛のオニグマも、巨体を猫背に丸めて、ちょこちょことついてきた。

 今日は室内ではなく、中庭での昼食のようだ。

 すでに中庭には古い毛布が敷かれ、そこに小さな円卓――ちゃぶ台が置かれている。四人の姫が靴を脱いで、そこに座っていて、スヴェンとジゼルがせっせと食事を運んでいた。

「陛下、お招きありがとうございます」

「今日は、お外で遠足気分なのですね」

「おにーちゃん、はやく! タラ、おなかすいた」

「一ヶ月ぶりですわ。お元気そうで何より」

 僕の登場に、姫君たちがさっと立ち上がり、かるく一礼する。

 ……政略結婚云々は抜きにして、こうしてると、ねえやたちとの生活を思い出すな。

「たまの遠足もいいですね。姫君たちも気に入っていただけたなら、何より」

 ジゼルの気遣いに感謝しよう。

 この一ヶ月、書類仕事が山積みで、視察、慰問という名の遠出がろくにできなかったのだ。たとえ中庭でも、外の空気を吸えるのは嬉しい。

 ジゼルとスヴェンが、給仕を始めた。といっても、手づかみの料理がほとんどだけど。

「では、お先にいただきます」

 僕は、誰よりも先に、具材を挟んだ麺麭を食べ始めた。お客さんに、毒を盛っていませんよ、という意味を込めて。

「ご帰城なさってから半年前後ですが、何かお困りのことは?」

 弓手司のお姫さま、セルンが訊ねてくる。

 彼女らは、弓を得意とする一族で、羊や馬と一緒に生きているそうだ。

「この通り、食に困らなくなりました。ありがたいことです」

「それは何より」

 この双子、ではなく年子は、なんとなくタムねえ、マリねえを思い出させる。

「不足があれば、なんでもおっしゃって下さいまし。スズカは何があっても、マルセル様の味方ですわ」

 黒髪に、飾り紐と鈴をつけたスズカが、隣に座ったタラの面倒を見つつ、口を挟む。

 四人の姫のうち、一番幼いタラが、くしゅっとくしゃみをした。

「なんか、さむーい。おにいちゃん、だっこ!」

「え……? ああ、ごめん。馬鞍戸の姫に、首都の気候は寒いのかな」

 ねだられるまま、彼女を抱えようとすると、さっとスヴェンが割って入った。

「姫には、こちらを」

 彼は、膝掛けのようなものを、タラの肩にかけている。

「――陛下の膝に座るということは、玉座に座るということです。今は、まだ」

 耳打ちされて、納得した。

 危ない、危ない。もう少しで、この四人の姫の均衡を崩すところだった。

 ……姉三人もそうだったけど、女の子って本当によく喋る。

 皿や鍋皿の中身がなくなると同時に、やっと話題がなくなり、それぞれの護衛が自分の姫を迎えに来た。

「お忙しいなか、ありがとうございます」

「ごちそうさまでした、陛下」

「また、お招きくださいまし」

「おにいちゃん、ばいばーい」

 彼女らを見送り、その姿が消えてから、深く息を吐き出す。

 疲れ果て、ちゃぶ台に突っ伏すと、いたわるように背中を撫でられた。

「お疲れ様です、陛下」

「……スヴェン、なんで休んでないの?」

「午前いっぱい横になりました」

「僕が一番頼りにしてるのはスヴェンなんだから、休めるときに、ちゃんと休んでもらわないと困る。王命、寝て」

 強い口調で命じると、スヴェンは、まさに飼い主とはぐれた犬の顔をした。……お願いだから、その表情はやめて欲しい。罪悪感がひどい。

 どうしたものかと考えている間に、中庭の上空を大きな鳥の影がよぎった。けええん、と独特の鳴き声がする。

「コノリだ、何かあったのかな?」

「亢龍の庵に行くようですね。あれほど白宮殿上空では飛ぶなと命じたのに」

「ここは私が片付ける。ギルのところへ行ってこい。あいつは何をしでかすか、わからない男だぞ」

 ジゼルにそう言われたので、オニグマとスヴェンを連れて、白宮殿の敷地内にある古い小屋に向かった。

 先生の住処には、小さな井戸と田畑、そして大きな止まり木があった。常時、おおとり族の誰かが、そこに暇そうにしゃがみこんでいるのだが、今日は珍しく誰もいなかった。

 庵の扉は開け放たれ、コノリの灰褐色の翼が、そこに見えた。

「あっ。噂をすれば、幼帝さん!」

「ちょうど話にいくところだった。他国の船と、それに遅れて島国本土が接近しているそうだ。軍艦の旗は、アペプ王国」

 先生の言葉に、隣のスヴェンが血相を変えた。

「まだ早い! 戦争の回避を――」

「おおとり族が見て判る距離だから、もう逃げられないよ。そもそも、この半年、国土全体の水と、土の回復を務めていた霊宮に、長距離、高速移動の体力が残っていない」

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