くたびれ挽歌

 以前は、根業矢の元老が住んでいたという公邸地下にも、離宮(霊宮という名称は、王将の住居の地下唯一を指し、それ以外の霊宮は離宮と呼ぶようだ)の残骸があった。

 生贄を納めないと、アペプ王国の土地が海に沈むというので、オニグマと二人、いそいで、戦場近くの離宮に詣でる。……根業矢の家なんて今生、絶対に近づきたくない場所だったが、我慢するしかない。

 霊宮ヨルムンガンドは、いつもより浮ついた様子で、僕を出迎え、アペプ王の首が入った袋を受け取ると、それはもう飢えた野犬のような表情をしていた。ちょっと怖かった。

「――オニグマ、おなか、平気? 痛くない?」

 霊宮の離宮を出た後。巨躯を猫背に丸め、ともに階段を上る彼女に訊いてみる。

 セベク王の一撃をくらった彼女は、海から引き上げられた後、ジゼルに治療されていた。胸から腹部にかけて、包帯でがっちり固め、ひびの入った肋骨を固定させている状態。

 ジゼル曰く、ベルゼルクル特有の筋肉のおかげで軽傷扱いだけど、普通の人間なら、死んでもおかしくないらしい。

「へーき、ジゼル、治した。オニグマ、治った」

 僕の問いに、オニグマは真顔でうなずく。

「まーるぅ、は? へーき?」

「うん。僕も、へーき」

 実は、セベク王につかまれたとき、あばら骨がいやな音を立てていたんだけど、ジゼルの診察によれば、骨に異常はなかったそうだ。……あの丸薬の効果で、治っちゃったんだろうか?

 だとしたら一度、ジゼルに、あの丸薬を見せたほうがいいような気もする。

 先生は、これは劇薬だから、他人にあげてはいけないと言っていたけど、どんな怪我も一瞬で治せるのなら、広く流通したほうがいいんじゃないかな?

「僕もだけど、オニグマもしっかり戦闘訓練したほうがいいかも知れないね」

「次も駄目なら、たいか、使う。まーるぅ、心配、しない」

「タイカ……退化変身?」

「ん。それ」

「だめだよ、そんなこと、簡単に言っちゃあ」

 思わず、オニグマの言動をたしなめてしまった。

 退化変身というのは、よつあし族やおおとり族などの獣人が一生に一度行える奇跡。というか蛮勇。言葉を失い、複雑な思考を失い、ただ大型の獣に変身する能力。怪力になったり、俊敏になったり。

 ベルゼルクル――熊のよつあし族は、痛みにひるむことなく、心臓が停止するその瞬間まで戦闘を止めなくなるという。

 今、オニグマが身につけている毛皮は今年、弓手司攻防戦で退化変身して亡くなった、実父の遺体から剥いで作ったものなのだそう。……オニグマが死んで、熊の毛皮になったところなんか、想像したくないな。

「オニグマ、たいか、戦う。まーるぅ、嬉しくない? なんで?」

「なんでって。それは、」

 彼女の質問には時々驚かされる。面倒な建前はいいから、本音を言えと急かされているみたいだ。

「――オニグマと話せなくなるのは、寂しいから? 僕はオニグマを、友達だと思っているからね」

 答えたら、オニグマが急に僕を抱き上げた。というか、お姫様抱っこだ、これ。

「危ないよ、こんな狭くて急なとこでっ」

 しかし、オニグマは僕を大事そうに抱えて、結局階段室を出るまで離してくれなかった。

「オニグマ、まーるぅ、好き。ベルゼルクル、ハラル、好き。おんなじ」

「え? ああ……うん」

 僕のご先祖様は、大した人物だったんだな。

 ベルゼルクルも、終の盾も、ハラルに心酔し、惚れ込んでいたからこそ、二千年近く皇帝家に仕えてくれる。ありがたい、ご先祖様だ、始祖帝ハラルというひとは。



 ――数日後。戦後処理の合間を縫って、僕は、ラシャプ将軍に会いに行くため収容所を訪れていた。

 かつて国橋がかかっていた付近に作った収容所。丸太の柵のなか、アペプ人は暗い顔で、うなだれていた。

 収容所の門番に挨拶をして、なかに入れてもらう。

 捕虜の治療のため、衛生兵と護衛の三人組が、何班か巡回している。

 アペプの土地の大半は乾燥しているから、雑菌が繁殖しにくいらしいけど、火傷の人に、砂漠の灼熱はつらいだろう。

「マルセル。何をしている?」

 たらいを持ったジゼルが、ちょうど通りかかった。

「収容所で、護衛一人とは不用心だぞ。うっかり殺されたら、どうする気だ」

 僕の背後のオニグマを一瞥し、ふんと鼻を慣らしている。

「ああ、ジゼル。ジゼルがいるなら、だいじょうぶかな」

「何がだ?」

「衛生兵、ええと医官が、足りないんじゃないかと思ったから。ここの捕虜、何千人もいるでしょう?」

「私一人いれば、衛生兵千人分だがな! ……まあ、ちょっと輜重兵を都合してくれると助かる」

「輜重兵って、何か運びたいものでも、あるの?」

「まるで水が足りない。はやく霊宮ヨルムンガンドが、アペプと完全に接合して、地脈、水脈を把握してくれれば、その辺の涸れ井戸からでも、水が出てくるだろうが」

 ……あー。あの時、ヨルムンガンド、かなり浮かれていたから。落ち着くまで、数日かかりそう。

「わかった。すぐに氷雪の輸送を手配するよ。水の状態よりも、凍っているほうが運搬しやすそうだ。濾過装置はある?」

「衛生面は問題ない。私は、水の濾過は得意だぞ」

「水の濾過に、得意も下手もあるの?」

 何それ。濾過装置の砂利づめが得意ってことだろうか?

「えっ!? それは……雨乞いより、水の濾過の術が手っ取り早いというか……だな」

 さっきまで自信満々だったジゼルが、何故か、おろおろしている。

「返答に困るなら、今は訊かないよ。僕は医術面で、きみを信用してるから」

 そう言葉をかけると、ジセルは真っ白の顔を真っ赤にした。

「う……うん! おまえが望むなら、私は、なんだってするからな!」

「ありがとう。でね。ぼく、ラシャプ将軍に会いたいんだけど、彼の調子はどうだろう」

「御仁なら火傷を少々だ。深刻ではないが、体力よりも気力の消耗が、な。話は、短めに頼む。せっかく治療しても、舌を噛まれてはたまらん」

 わかったと返事をして、ラシャプ将軍の独房――という名の、橋頭堡へ向かった。

 橋頭堡付近には彼の配下らしき人々が、ぐったりと座り込んでいる。

 そして、僕を見て、全員ぎょっとした。

「マルセル・ヨルムンガンド……なぜ……」

「ラシャプ将軍と話がしたいんだ。道、あけてもらえる?」

 しまった。つい、いつもの口調で話しかけちゃった。王さま口調は、難しい。

 しかし、普通に話しかけたおかげか、彼らは一瞬漏らした殺気を、どこかへ逃がしてしまったようだった。すんなり通してくれる。

「ちなみに、僕の護衛、すごく強いから。変なことしないでね?」

 用心のため、念押ししておこう。

「マルセル・ヨルムンガンドです。ラシャプ将軍、入っていいですか?」

 一室しかない部屋の扉を叩く。と、どうやら、ラシャプ将軍も度肝を抜かれたようだ。

 言葉を失っているので、勝手に入らせてもらう。

「火傷の具合はどうですか?」

「……重大な支障は無く」

「それは、よかった。今、あなたの奥さんとお子さんを、こちらに召喚しています。今でもアペプ領内に強い影響力を持つ方で、セベク王のご親族でもありますから、無下にはしません」

「そう、ですか。お気遣い、痛み入る」

「軍規で、女子供に乱暴を働くなと命じています。彼女らの召喚には、僕が一番信用している人間に任せました。僕の目が届く範囲、手の届く距離での、暴行や私刑は抑えますので」

 言い添えたものの、ラシャプ将軍はあまり信じていないようだった。

「皇帝どの。あなた自身は戦場で無体をせず、我が王を辱めることはしなかった。しかし、他の全員が信用に足るかは別問題だ」

 ……そうだよね。

 僕自身が一番信用していないから、昔からあった軍規に、三親等までの罰則事項を書き加えたんだもの。変な話、集団になった男の怖さを知っているのも、この僕だ。

「身内の恥ですから、子細は省力しますが、弱者の無念は理解しています。数年は不自由でしょうが、いずれヨルムンガンド人としての自覚を持たれた日には、他の臣民と平等に扱いますので」

 元老家系、元老領という形態が示すとおり、これまでだってヨルムンガンドは、敗戦国に対して、無茶な同化政策はしていない。

 できる限り、地元の文化は大事にしてきたし、これまでの為政者の遺族子孫――つまりり元老の一族を、滅多なことでは排除していなかった。

 これが、ヨルムンガンドのやり方だ。長所は踏襲するまで。

 ――収容所での面会を終えてから、自分の天幕に戻り、あれやこれやの報告を聞いていると、派手な見た目のおおとり族がやって来た。

「ごきげんよう、陛下」

「ええと。たしかセイランでしたね。名前」

「お覚え頂き、恐悦至極」

「族長代理だから、記憶しているよ。どうしたの?」

「亢龍どのより伝令。まず人払いを」

 声を潜めて言われたので、女官の人たち全員を隣の天幕に移動させた。

 今、簡易執務室として機能している天幕には、僕とオニグマ、セイランの三人だ。

 セイランは、オニグマを一瞥したが、僕は彼女まで外に追い払う気はない。

「王族召喚に向かったスヴェン殿より先に、先行させた、おおとり族ワタリからの伝令です。ラシャプ将軍の妻で、王姉のネクベトが自害しました」

 耳元で囁かれた言葉に、ぞうっと背筋が凍った。

「ヨルムンガンド人は、女子供を犯して、殺すとの噂が流れており、多くの女たちが髪を切って、男児に化け。あるいは、」

「……自害か」

 ひどい流言飛語が出てきたものだ。僕の知らないところで、何か起きているのかな。

「ネクベトの遺体は、死してなお辱められぬようにと、侍従らの手で処理されました。御子ヘカは、母親の巻き添えになったものの、生きています。が、かなりの重傷」

「スヴェンは西回りの船上だよね。まだ現地に入るなと伝えて」

 僕の頼みとはいえ、スヴェン自身が渋っていた、お使い。それは今なお影響力の大きい王族、セベク王の姉と姪を連れてくることだった。

 スヴェンは性格的にも体質的にも、女性に乱暴できないんだから、迎えに行かせるのに適任だと思ったんだ。

「すぐジゼルを派遣しよう。合流してから上陸。威圧感を与えないように注意しながら、御子ヘカの治療にあたる。長距離移動が可能な状態まで回復したら、次の指示を出す。ワタリだっけ、先行偵察したのは。彼は、現地人に姿は見られていないよね?」

霊宝道具捨(す)て石(いし)幻(げん)灯(とう)器(き)を貸与しました。積極的な行動を起こさない限り、姿を見られることはありません。なんらかの自然物と錯覚するはずです」

 霊宝武具は、いわゆる魔法の武具をいい、霊宝道具は、それ以外の便利な道具のことをいう。

 根業矢一族は、呪詛つきの危険な霊宝武具は海外に放出したが、呪詛のないものは、密かに手元に置いていたんだ。おかげで、便利な道具だけは今、白宮殿に複数ある。

「実際、王姉ネクベトは誤謬により自害、御子ヘカはその巻き添えだ。とにかくヨルムンガンド人が直接、手出ししたと誤解されないよう、細心の注意を」

 噂というのは厄介なものだ。それは終の盾の汚名の件でいやというほどわかっている。

 ともかく今後の政策に支障を出さないようにしないと。

「ああ、ここにいた。もう話は聞いた?」

 おおとり族に伝言をまかせたはずの本人が、ひょっこり顔を出した。

「いい知らせでは無かったですね。王姉の自決だなんて」

「戦後処理とは大抵、悩ましいものだよ。それで、まあ、ざっと調べて、予想たてて、今、ラシャプ将軍本人に確認してきた。船に乗せた九靫の一族、彼らはアペプに漂着していたそうだ」

 そして、肩をすくめる。

「戦前、アペプ側の開戦の意を煽るような情報を漏らし、戦中戦後のどさくさ紛れに、根も葉もない悪評をばら撒いていたらしい。なので、」

 先生は、手に持っていた書類を僕に手渡した。

「皇帝陛下には、もと九靫の元老一族に対する追捕、処罰を認可してもらいたい」

 書類に目を走らせ、一瞬だけ、息が止まる。

「……公開処刑……」

「きみが、彼らに穏和に接した結果だよ。最後まで、彼らの性根は腐ったまま、逆恨みしたままだ。放置できない」

「僕より、幼い子がいました。少なくとも、あの子に罪は、ありません」

 ただ、その家に生まれたからって、小さな子まで巻き添えなのは、あんまりだ。

 九靫は憎いけれど、幼児にまで、自分の恨みをぶつけるような真似は……。

「漂流刑は、母国の土を生きて二度と踏まないという前提の、刑罰だ。帰還すれば死刑。しかし、彼らは結局、母国に帰還した」

「帰還……?」

「アペプは、今やヨルムンガンドの領土だ。俺の言っている意味、わかる? この段階で、彼らの死刑は確定しているんだよ」

 先生は、眼鏡を鼻の上に押し上げた。彼の眼が、どういう感情を持っているのか、硝子板越しでは、わからない。

「きみは監禁されていた十二年、野良仕事をしていた。畑の雑草抜きもしただろう?」

「ええ。まあ」

「邪魔だと思って引き抜いた雑草は、他の場所に捨てれば、そこで根を生やす。雑草抜きを完璧に終わらせたいのなら、二度と根付かないよう、まとめて焼き尽くし、灰にするしかない」

「………………」

「一度、九靫に温情をかけた。帰城後に本領安堵を約束して。その次も温情をかけた。きみの暗殺未遂の件、死刑ではなく漂流刑という形で」

 これ以上、九靫を許してはいけない、と彼は断言した。

「きみが首都へ戻り、親の仇を討ったように。怨恨を持つ者の放置は、危険だ。話せば和解できる、というのは夢想に過ぎない。おなじ相手に二度も譲歩したのなら、慈悲は十二分に示した。あとは全力で叩き潰せ」

「………………」

「今回の処分については、きみの名で行え。マルセル・ヨルムンガンドは平時、穏和温厚な性格だが、国を害する者に、容赦はしない。その事実をアペプ人、ヨルムンガンド人に今、ここで知らしめろ」

 ……ただの一少年なら、心優しいだけでもいいだろう。

 だが、一国を背負う皇帝なら……。

「きみは、閉鎖環境にいたせいか、近視眼的だよ。未来や遠方に対する想像力が欠けている。想像力は過ぎれば疑心暗鬼だが、大局を見るには必要不可欠だぞ」

 かつての僕にあったのは今日の食事の心配と、それから諦念だった。

「………………」

 頭が痛い。胃がむかむかする。おなかまで痛くなってきた。

 乾いた喉に唾を飲み込み、円卓に載っていた朱肉を手にとる。

「――マルセル・ヨルムンガンドの名において、この内容を一部認可する。アペプ領にある、もと九靫の元老一族、三親等内の者すべてを捕縛し、私の前に引きずり出すように。ただし、だ。処刑の実行、方法、公開非公開については日を改め、決めることにする」

 修正文の走り書きをして、書類に捺印した。

 その時になって、それが二枚重ねてあったことに気づく。

 ……まさか、また誰かの死刑宣告じゃないよね……。

 めくって、文章を斜め読みする。

「なんですか? この、怪文書の散布って?」

 文章の内容は夜間、アペプ人に姿を見られないようにしつつ、おおとり族に紙を撒かせるというものだった。

 しかも、その紙の文言は、

「『三日後、アペプ全土の井戸に清水が湧く。噴井は、マルセル・ヨルムンガンドの聖徳威光なり。讃えよ、その御名を』?」

「占領政策のひとつだ。実際に水を湧かせるのは霊宮だが、大抵の国は、霊宮の存在を一般に漏らしていないからね。この文章通りに、涸れ井戸から水がわき出れば、水に飢えたアペプ人は王将がなす〝奇蹟〟と誤認する」

「今から三日後って。霊宮ヨルムンガンドの様子からして、本当に三日後に、井戸から水が出るかどうか、怪しいですよ」

「だから、三日後。何月何日と、日時は断定しない。占術師や詐欺師がよくやる手口だ。数日内にそれっぽいことが起きれば、多少の日時のズレは問題ない。つまり『あの紙の通り、井戸水が出た』程度の合致でいい」

 そういうものかな。

 字が読めない人が怪文書を拾っても、意味ないと思うんだけど。

「各市町村の長や役人。それら二、三人が読めれば充分だ。そして、夜間、天から朗々と『予言の歌』でも聞こえてきたら? 水風井(すいふうせい)、上爻。井(せい)收(く)みて、幕(おお)うなかれ。だよ」

 また先生独自の占いか。当たるといえば当たるんだけど。

「なるほど。それで夜間に、おおとり族を飛ばすんですね」

 僕は、まだ、この人を敵に回すような真似をしてはいけないな、と思った。

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