おにぐまきろく

 オニグマは言葉を話すのも、字を書くのも、読むのも、あまり得意じゃない。

 育て親のスヴェンいわく、ベルゼルクルのなかでも平均以下の頭、だとか。だから、オニグマが二之旗本領にいたころは読み書きの練習を毎日させていたそうだ。

 興味がわいて、どんなことを書くの?と聞くと、彼女は最近の書きつけを持ってきた。


     ◇ ◇ ◇


「まーるぅ、これ」

 今日の業務が終わって、机に突っ伏したところで、オニグマがばさっとそれ置いたものだから、僕は一瞬、顔をしかめてしまった。

 執務室の机に紙束が置かれると、条件反射で玉璽に目が行ってしまう。

「……こないだの。字の、練習の」

「ああ!」

 やっと頭が回って、顔をあげ、姿勢を正す。

 オニグマが、そこに猫背で立っていた。人間よりも腕が長く、拳が重いものだから、自然と猫背になってしまうようだ。

「じゃあ、読ませてもらうね」

 字の練習をする際、スヴェンが月に一度、お題を出して、それについて書くんだって。今月のお題は『みぢかなひと』。

 オニグマは表情が乏しくて、何を考えているのか、わからない時がある。彼女が、何をどんな風に感じるのか知りたくて、読ませてって頼んだんだよね。

「声、出して。字、あってるかどうか、わからない、から」

 自分の字に自信が無いらしい。あいかわらずの無表情だけど。

 書き損じの公文書の下書きや、わら半紙に書いた文字は二種類あって、綺麗な書き文字は、スヴェンのものだ。

 下の、ぐねぐねが、オニグマの字か。

「『マルセル・ヨルムンガンド皇帝陛下について、讃えよ』」

 讃えよ!?

 スヴェン……勉強の仮題に、私情が入り過ぎてるよ。

「ええと。『昔は、ちょっと嫌い。スヴェン、マルセルの話ばかり、するから。いい匂い。今は好き。頭を撫でてくれるのが、好き。お菓子、分けてくれるのが、好き。喋り方が下手でも、笑わないのが好き。』」

 その後も、好きとその理由が列挙されている。

 背中がむず痒くなったけど、もちろん嫌われるより、好かれるほうが嬉しい。オニグマの好きは、友達の好き、だから安心だ。

「字、合ってた?」

 いつの間にか、僕の椅子の足下にかがみ込んで、太ももに頭を載せている。

「合ってたよ。ちょっと、読みにくいけど。前後の単語で意味は拾えている」

「いみ、ひろう?」

「わからなくても、予想できるってこと。これからも友達でいてね、オニグマ」

 オニグマが、僕の腕に頭をすりつけてきたので、ちょっと撫でてみた。オニグマの頭髪や体毛は硬めだけど、手触りは嫌いじゃない。

「次は、スヴェンか。『大好き。ジャンババットと同じで、違う。おとさん。昔は、高い高い、してくれた。今は全然してくれない。つまらない。強い、けど、もろい。大事なもの、あるから』」

 小さい頃に懐いて、そのままスヴェンのいる二之旗本領に住んでいたから、オニグマにとって父親そのものなんだろう。

 ジャンババットというのは、オニグマの実父。ベルゼルクルの前の族長だったと聞いている。彼女の親兄弟は内戦時、弓手司領で亡くなったそうだ。

「オニグマは、スヴェンが大好きなんだね」

「ん」

「そうか。僕もだよ。生き返って、最初に見た人間だったから、その刷り込みかも知れないけど。とても頼りにしてる」

 戦闘だとか野営野宿、ちょっとした日常生活のことでも、本当に頼りにしてる。

「ジゼルは『薬とか草、くさい。注射、痛い。消毒液、しみる。ごはんとお菓子は好きだけど、薬まずい。お菓子の時以外、ジゼルの部屋に行きたくない。たまに舌が長い。』」

 たまに、舌が長い……? 舌が長いって『おしゃべりな人』の隠語だっけ?

 次の紙は、コノリについてだ。

「『いっつも、へらへら。ぺらぺら。でも声は好き。歌う声も好き。空、飛べる。いいな。

でも変な虫の料理作るの、やめて欲しい。こないだ、おなか壊した。』」

 コノリたち、おおとり族の自炊は現在、全面的に禁じてある。

 寄生虫とか、種族病の関係だ。彼らは何処へでも飛んでいけるから、場合によっては、病を運ぶ。そのため、ジゼルが定期的に、虫下しの薬を配っているそうだ。

「コノリとは、仲良くしてるの?」

「んー。わかんない。でも、コノリ、スズカと仲良し。ちょっと、むぅ」

「スズカ姫と幼なじみなんだっけ、オニグマは」

「昔、相撲とった、仲」

 あのスズカ姫と相撲?

 体格差があるから、オニグマに投げ飛ばされる彼女の姿しか思い浮かばな――

「組もうとしたら、あっというまに投げ飛ばされた」

「……オニグマが? スズカ姫に?」

「オニグマが。スズカに」

 信じられない話だ。オニグマは、スヴェンよりもさらに背が高いのに。

「次、ギルベルド……? これ、先生の名前か。えっと。『こわい。きらい』」

 スヴェンもだけど、オニグマも先生が苦手なのか。コノリたちも時々困った顔しているよね。先生を苦手に思う人は結構いて、文官たちの事務室の前を通りかかると、彼の陰口を聞くことがある。

 たしかに先生は、反感や恨みを買いやすい人間だと思う。とにかく他人に優しくない。笑っていても、目が笑っていない。言動も行動も極端で、果断に過ぎる。

 性格はともかく、およそ正しく物事を運ぶ人だから、そこは評価したい。って、僕もだいぶ毒されてるなあ、先生に。

「終わった? じゃあ遊ぼ」

 僕が、最後の紙を机に置くと、オニグマがぐいぐいと袖を引いた。

「軽くね。ぼく、ちょっと疲れてるから」

「軽く……じゃあ、手鞠の当て投げ」

「いいよ。稽古場に移動しようか。ここで遊ぶと女官さんたちに怒られちゃうからね」

 手鞠の当て投げとは、自分めがけて投げつけられた鞠を避け、床に落ちた鞠を投げ返すというもの。体のどこか一部に手鞠が当たったら、その人は負け。

 二本刀を起動させている状態なら、攻撃に対する回避運動は簡単なんだけど、僕単独だと、三回に一回くらいしか避けられない。

 オニグマも巨体なだけあって、回避運動は苦手だ。

 この遊びの考案者は、スヴェンで、実は戦闘訓練の一環でもあった。

 ――事務仕事で凝り固まった筋肉が、程良く、ほどけていく。

 自分で軽くと言っていたのに、気づけば、汗をかくほど熱中していた。

「降参……こうさーん! ぼく、もう、駄目だあ」

 くたくたになって、大の字で寝転んでいると、オニグマがどすどす歩いてきた。

 僕の真似をして、こうさんこうさん言いながら、並んで横たわる。

「……まーるぅ」

 オニグマが、横に向き直る気配がしたので、僕もまた彼女のほうを見た。

 縦横ともに、スヴェンよりも一回り大きいオニグマが、どこか不安げに身を縮めている。

「どうしたの?」

「まーるぅ、王様、だけど。友達、それでいい?」

「……誰かに、何か、言われたの?」

「礼儀、なってない、言われた。ギルに」

 先生は、また礼儀作法のことで、オニグマを注意したのか。

 いや、先生の言うことは、確かに道理だ。当然の注意だろう。けど。

「礼儀作法はね、大事なことだと思うよ。親しき仲にも礼儀ありって言うよね」

「うん」

「オニグマ、人目のあるところでは、僕に話しかけないようにしているでしょ?」

「うん」

「礼儀作法が大事なのは知っている。でも、自分がうまくやれないって自覚してる。それで僕らが困らないよう、人前では黙っている」

「……ん」

「きみの礼儀作法は、それでいいんだよ。周りを見て、ちゃんと気遣ってくれた。それでいい。先生に叱られても、僕やスヴェンの前では、無理しなくていいからね」

 そう言うと、オニグマは体を一層丸めて、僕に頭を差し出してきた。

 撫でてあげると、嬉しそうに喉を鳴らしている。

「みんな、僕に望むのは皇帝としてのマルセルだ。元老の姫たちも、僕が皇帝じゃなかったら、あんなに気遣ってくれないと思う。でも、オニグマといると、ほっとするよ。きみは、僕が皇帝じゃなくても、友達になってくれるでしょう?」

「じゃ、ほんとに友達、いい?」

「もちろん」

 うなずいてみせると、いつも無表情のオニグマが手足をばたばたさせて、言った。

「まーるぅ、大好き!」



 ――あとになって、考える。

 この時、友達ではなく、臣下として扱っていたら……彼女はもう少し、長生きできたのではないかと。

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