万死呼ぶ曳光の手
ねえやと、ばあやは、もちろん戦場で戦う人じゃなかった。
だから、女性というのはすべからく保護すべき弱者と思っていたんだ。
――よもや女性が、あんなに腹が立つ相手になろうとは、思いもしなかった。
◇ ◇ ◇
暦は二月、季節は冬。なのだが、ヨルムンガンド南方の気候は首都圏で言う、秋程度の気温だった。
生活圏が、牢屋敷と首都だけだったから、国全体が冷帯気候なのだと長らく勘違いしていたが、同じ国のなかでも、ヨルムンガンドくらい広くなると、気候は平均化していないようだ。
おかげで二月でも、防寒具なしで野営できるのは、ありがたい。
この季節、旧根業矢領あたりで野営していたら、朝にはみんな霜だらけだ。
軍隊の防寒具や暖房器具は、国庫に対してかなり負担をかけるから、対ラドゥーン戦がこの季節、南方で行われたのは不幸中の幸いだった。
――開戦七日日、僕は陸上の南方前線にいた。
中央、地方あわせて二万人強という、僕にとっては途方もない人数の、けれど国土面積に対して、あまりに貧弱な兵力は現在、七等分されている。
僕がいる正面前線、そして東西の海上、それぞれに二千人弱を配置。そして国軍の半分、一万もの兵がラドゥーンを挟んで向こう側にいる。
要するに、ラドゥーンに両翼包囲されていると見せかけて、実はこっちが全周包囲しているという形に持って行く作戦だ。……王将である僕の正面前線部隊すら、実は囮という先生の作戦に、スヴェンが渋ったのは言うまでもない。
ただ囮は、囮であることを知られてはいけないから、前線から少し離れた場所にある野営地には、人数の三倍の天幕あるいは陣幕を設置。なかは当然からっぽ。
さらにラドゥーン側から見たとき、視覚効果により、倍に見えるような配置をしているので、実際は、奥にいけばいくほど、天幕同士の距離は離れている。
もっとも、ラドゥーンの軍は堡塁、簡易防御壁に阻まれて細分化し、壁周りをうろつくベルゼルクルたちに見つけられては、その怪力で殴打撲殺という末路をたどっていて、僕のいる最深部に到達したのは七日間のうち、ほんの一回。
……その一回が、僕にとってものすごい痛手だったのだけど。
「陛下、夜分に申し訳ございません。ご報告が」
「……スヴェン?」
七日目の夜、僕の陣に、リョウ元老と一人の若武者がやって来た。
焚き火の前、座ったまま仮眠を取っていた僕は、目をこすって目蓋を開けた。
親戚だけあって、スヴェンの声とよく似ているけど、当のスヴェンは、流れ矢から僕をかばって野戦病院に移送されている。
足下のオニグマが、くあ、とあくびをし、かなり眠そうにしていたが、リョウ元老の手土産に跳ね起きた。
「匂い、する。死んだのと、生きてるの、匂い」
リョウ元老には、東海岸から武士を送り出しての指揮を任せていた。おおとり族の伝令を介さず、南方正面側に来るなんて、なにか緊急事態だろうか? 彼は朱色に塗られた木製の手桶を手にしていた。
彼の隣の若武者は能面をかぶっていたが、そのお面の下でオニグマを一瞥している。
「これが……ああ、顔は火傷がひどく、少々見苦しいので。面をかぶせたのですが。これが、」
リョウ元老は、彼の肩を押し、少し前に出す。
「大将首をとったと報告して参りました」
「え、大将首?」
「女首ですが、ラドゥーン兵に、ヘスペラ様と呼ばれてました。いい着物を、着ておりました」
若武者が、顔を上げ、僕の疑問に答える。
火傷が痛むのか、もごもごと訛ったような口調だ。
「……きみ、もしかして釣り野伏せの一陣目?」
「はい。恥ずかしながら、帰って参りました」
たしか釣り野伏せの一陣目は、決死隊だったはずだ。
ラドゥーンの奥深くに突撃を敢行して、そのまま全滅したと聞いていたのに……。
「よく生きていてくれたね、お疲れ様、ありがとう」
僕は完全に覚醒して、立ち上がると、彼の手を握った。
びく、と彼は震える。
「その……もったいのう、ございます」
「名前は?」
「アオバ、と申します」
「アオバ。うん、憶えておく」
言葉をかけ、リョウ元老を見上げる。
「おそらく王姉にして軍師のヘスペラだろうね。ラドゥーンのヘスペラは、先生の弟子だったという話は聞いている」
「はい」
「道理で一昨日あたりから、正面の動きが静かになったと思ったんだ」
火牛の計のときは、ベルゼルクルのみんな、牛肉を食べにいっちゃって、その隙を突かれたせいで、スヴェンは怪我するし……。
軍師一人いなくなるだけで、ここまで戦闘が楽になるとは思わなかった。
「まあ、油断なさいますな。死せる軍師、生ける王将を走らす、と申しますよ」
「そうだね。リョウ元老、首は検めた?」
「報告時に、すぐ。たしかに女首。死人ということを差し引いても、顔半分がただれた醜女。髪と首の手入れをしていなければ、はした女と間違えても仕方ないでしょう」
僕はふうっと息を吐いた。
「……夜に、女の人の首を見るの、好きじゃない。ヘスペラ軍師の、顔見知りだった先生に首の確認をして欲しいけど、それも、ある意味、残酷だよね」
「亢龍軍師が、そのように繊細な男とは思えませぬ」
ともかく夜に見る生首ほど、いやなものはないから、首実検は明日にしようとすると、僕の手を握り返したままだった若武者が声をあげた。
「ご確認いただけないのですか?」
「え?」
「すでに鮮度が保てないのです、お早く、お確かめ下さい」
「アオバ……?」
「おい! 貴様、陛下に何を、」
「さあ、お早く、お確かめを! さあ!」
それまで畏まっていた仮面の男が、僕の手をつかみ直したと思うと、手桶の蓋を無理矢理取らせた。
首手桶の蓋が開くと同時、ぎゃああん、という女性の泣き声が飛び散った。
思わず目を閉じる。耳奥、三半規管を直接揺さぶられたような衝撃に膝をついた。
がつっ、と何かに肩を噛まれて、うめく。
おそるおそる目を開くと、自分の左肩に、何かが乗っていた。視界のはし、風になびく栗毛の髪が見え、間近で腐敗臭を嗅ぐ。
これ……もしかして……。
「く……あはっ、ははっ、あははは!」
その場に尻餅をついていた若武者が笑い始めた。
仮面が落ち、その赤く爛れた痕が目立つ。大きく口を開いて笑うあたり、彼は怪我人の振りをしていただけらしい。
「どうだ? どうだあ!? これで逃げられんぞ、マルセル・ヨルムンガンド! どこに逃げようが、貴様は追尾される! ヘスペラ様が、アレズサ様に教えてくれるんだ! 貴様の居場所をなあ!」
けたけたと狂ったように笑う若武者を、リョウ元老が、後ろ手にねじあげ、その口腔に手ぬぐいを押し込み、さらには目隠しまでした。
「申し訳ございません! 私の不備、お裁きは、のちに! これの身辺、すぐに洗い出させますゆえ、」
「あ……うん……」
脂汗を垂らしながら、頷き、彼の退去を許すのが精一杯だった。
「オニグマ……僕の肩……」
「雌の、生首。がっちり、肩、食いついている」
臭いし、気持ち悪いし、服越しとはいえ左肩が痛いし重いしで、リョウ元老の失態を責めるどころじゃなかった。
「とれそう?」
「やってみる」
オニグマが容赦なく、大きな手で、がっと生首をつかんだ。
きっと、つかむところがまずかったのだろう。ぐちゃりと音がして、眼球のようなものが、左斜め下に落ちるのが見えた。
「うわあああ!」
「あうっ!?」
僕の悲鳴にびっくりして、オニグマが手を止める。
「……まーるぅ?」
「無理、怖いっていうか、いや、ちょっと無理。しかも痛い!」
ねえやたちの死に様を見たし、僕自身、他人を殺したことがあるし、アペプ兵が焼け死ぬのも見たっていうのに、それとはまた不気味さの方向性が違う。
なんというか……そう、あれだ。タムねえ、マリねえがいやがる僕に無理矢理聞かせた怪談話。あれの恐怖に近い。
「ねえ、どうしよう?」
僕に訊かれても、オニグマだって困っただろう。くりくりとした黒目を動かし、小首をかしげている。
「腐って、落ちるの、待つ?」
「……いつまで待つの?」
「わかんない」
頭を抱えたかったが、うっかり肩に食いついた生首と目が合って、ふたたび立ち上がる。
戦場にあって、動揺しちゃいけないんだった。落ち着かなきゃ……なるだけ、左方向を見ないようにしないと。
「もお、なんなんすか、さっきから。夜に大声だしちゃって」
僕の天幕の近く、樹上で寝ていたコノリが顔を出した。
「……おいら、きっと夢見てんだ、そうだ、そうに違いない」
僕の肩を見るなり、コノリが回れ右をしたので、オニグマに捕まえてもらった。
「なんで、こんなことになってんすか。どこの怪談話ですか」
コノリが僕から、目をそらしながら訊ねてきたので、ことの顛末を話すと、渋い顔になった。
「そりゃあ、まずいっすねえ」
「服越しだから、強力な洗濯ばさみ十四個分くらいの痛さなんだけど、どういうわけか歯がはずれないし、これだとうまく二本刀が、」
いや、そうじゃなくって、とコノリは手を振った。
「多分、そういう霊宝なんだと思いますよ。その生首を通じて、あんたの居場所が、ラドゥーン側にばれるってことは、視覚効果だの戦術だの関係なく、まっすぐ、こっちに向かってくるってことで、」
ぐわあ、と鳴きながら、僕の陣に直接降りてくる翼があった。
「伝令、でんれ――うわあああああ!?」
「ちょ、ワタリ! 声でかい、夜中に近所迷惑」
「近所って、他の陣から何十米も離れて……いや、陛下、なんですか、それ?」
「見ての通りの、厄介な生首」
「心臓に悪いですよ。布袋を持ってますから、これ、かぶせましょう」
ワタリが、腰につけていた袋の中身(爆発する栗〝発火鼠(はつかねずみ)〟と火口箱(ほくちばこ)。霊宝道具の、捨て石(いし)幻(げん)灯(とう)器(き)が入っていた)を空け、生首にすっぽりかぶせた。うまく袋の口を縛って、誰からも見えないように隠してくれる。
「これでよし! じゃあなかった、夜闇にまぎれて強襲隊が来てるんです! 複数、天幕を点在させておいたのに、こっちにまっすぐ! 陣払いは他にまかせて一度、逃げて下さい。他から兵隊つれてきて、殲滅させます」
「来る!」
オニグマが歯をむき出して、唸った。目が、南の方角に釘付けになっている。
間もなく刃を打ち合う音、悲鳴、ベルゼルクルの雄叫びが、陣の外から聞こえてきた。割と近い。
まいったな……。
この少し先の川を渡ったら市街地。臨時設営した野戦病院もそこにある。
この地域に住んでいた非戦闘民は、首都圏に逃がしているけど、できれば、家屋を壊してしまうような局面に持って行きたくない。
「あんたの首をとられたら、終わりだ。おいら、結構、あんたもこの国も好きなんで、負けたくないです! 一度、逃げましょう! おいらが、」
コノリが手を引く。
と、反対側の手を、オニグマがつかんだ。
「まーるぅ」
「なに?」
「ベルゼルクル、たいか死んだら、毛皮を残す。毛皮、まーるぅに、あげる」
「? 何を、」
「奇遇だね、熊ちゃん。奥の手ってのは、使いどころを間違えてはいけない。……コノリ、点在してる兵士を集めてきなよ。強襲隊を殲滅するまで、陛下は僕が守るから」
「ワタリ、」
「いいか、きみは退化するなよ、絶対に。お姫さん、泣かしちゃ駄目だぞ」
「……なに言ってんの、ワタリ……あんた、去年、雛(こども)が生まれたばかりだろうが」
「だからだ。きみ、自分の雛が一羽もいないじゃないか」
「おいら、独り身だよ? なら、おいらが、」
突然、オニグマが獣めいて唸り、ワタリが甲高く鳴いた。
ふたりとも、めきめき、ぼきぼきと筋肉や骨を鳴らして……違う生き物に変形していく。
オニグマは、身の丈三米をゆうに超える熊に。
ワタリは、翼開長が五米を超える鴉に。
黒々とした目は、オニグマのままだ。でも、僕に答える声はない。言葉がない。
「……退化、しちゃ、駄目って。言ったのに」
一度、退化変身したら、もう二度と戻れない。
彼ら獣人は言葉を失い、人間並の知性を失い、巨獣として死んでいく。
「っ……さあ、ワタリの背に乗って! こうなれば、自力で何時間でも飛行できる。そのまま、しばらく空に逃げちゃってください! ベルゼルクルがいる乱戦地帯は、危ないですから!」
コノリに背を押され、勢い、鴉の黒い背にまたがってしまった。
「ワタリ、頼んだ!」
「っ……コノリ!?」
カアア、と鳴いて、ワタリは数回羽ばたくと、地面を蹴った。
同時に、陣幕を架けるための柱が倒れて、数十人の黒ずくめ集団と、それを阻もうとするベルゼルクルたちがなだれ込んできた。
かつてオニグマだった熊が咆哮し、むちゃくちゃに暴れまくる。
オニグマに呼応して、他のベルゼルクルたちまで退化し始めた。
……ひどい乱闘で、松明がいくつか倒れて、陣幕、天幕を燃やし、その場を明るくした。
眼下で、オニグマと他のベルゼルクルが、ラドゥーンの兵士と戦っている。
驚いたことに、ラドゥーンの兵士は、あの弩弓を近距離で使っていた。しかも使い捨てで、矢を射っては、別の装填したものをかまえる。
もちろん、ベルゼルクルと近距離で戦って、五体無事なわけがないけど、ベルゼルクルの分厚い筋肉を太い矢が貫通していた。……あんな近距離で使っているから、剣よりも致傷力が上がっているんだ。
退化変身したとはいえ、ワタリも近距離での、弩弓の恐怖がわかるのだろう。
旋回滞空をやめて、北方にくちばしを向ける。
その時、眼下で、炎とは別の光が見えた。
ベルゼルクルと戦うラドゥーン兵の後ろ、輜(し)重(ちよう)兵(へい)らしき軽装の兵士が、光り輝く棒を持っている。
目を凝らす。
――それは紐で吊った、人間の腕のように見えた。
時折くるくると、方位磁石のように回転していたが、やがて振り子のように、おのれを激しく揺らし始めた。
一本だけ立った人差し指が、間違いなく、上空の僕とワタリのほうを指さしている。
輜重兵が、上を見た。彼が何かを叫び、まだ余力を残していた兵士たちも、こちらを見上げる。
まずいと思ったとき、僕の左肩、袋の中から、ぎゃあああんという鳴き声がした。
――いや、もう、なんで肩に噛みついているのに、この生首は声が出せるんだ!?
僕は、肌身離さず身につけていた薬袋を開けて、丸薬を飲み込んだ。
両脚で、ワタリの背をはさんで、両手を離す。
「来い!」
叫べば、眼下に燃える陣幕のなかから、鞘をまとった刀が二本、手のなかに飛んでくる。
「ワタリ! 僕の言ってること、わかるね? 一度でいい、旋回して、」
僕の体、僕の脳は、僕の心と違って、ひどく冷静だった。
ワタリに指示を出しながら、腰帯に鞘を吊るし、ふたつのうちひとつを引き抜く。
「輜重兵めがけて急降下、浮上!」
グワア、とワタリが鳴いた。鴉は頭がいいと言うから、わかってくれたんだと思う。
弩弓の狙いをはずすよう、旋回すると、そのまま光の腕目がけ、急降下した。
降下までの時間が、僕にはゆっくり感じられた。
ラドゥーンの輜重兵が、空から落ちてきた巨大な鴉に、顔を引きつらせているのも、はっきり見えた。
――いやだな、二本刀の、この能力だけは。恐怖に歪んだ敵の顔を、哀れなそれを間近で、じっくり見る羽目になるんだから。
次の瞬間、ワタリの脚が輜重兵を踏みつぶし、勢い宙に舞った光る腕を、二本刀で真っ二つにする。
「ワタリ、浮上! いそげ!」
弩弓の存在を思い出して、ワタリの脇腹をかるく蹴る。
グワア、とワタリが鳴いて、羽ばたく。
前線野営地より北、もう少し先の野戦病院。
そこにスヴェンやジゼルがいる。みんなが足止めしてくれてる間に、この生首をはずして、すぐに戻ろう。
ワタリの、少しふかふかした首の羽毛をつかみ、振り返る。
さっきまで僕がいた陣幕は、炎の色をしていた。
まだ誰かが立っていて、戦っている。炎に、影が躍る。
……オニグマは、僕が牢屋敷から出て、四番目に知り合ったひとだった。
僕は、彼女を友達だと言った。
彼女は、僕を大好きだと言った。
……ごめん。
友達なのに。友達だと言ったのに、僕は……きみを見捨てている。
――ワタリは、やはり退化変身しても頭が良くて、僕が黙って頭を伏せていても、野戦病院へ着陸してくれた。
見張りに立っていたのが、おおとり族のひとで、慌てて近寄ってくる。
「ワタリ!? ――あ、陛下、」
「ごめん、すぐジゼルを呼んで来て! 敵の霊宝に憑かれた」
ただの勘だけど、ジゼルに診てもらえば、どうにかなりそうな気がしたのだ。
呼ばれてすぐに、すっ飛んできたジゼルが、僕の肩にかけられた袋の中身を見て、唸る。
「これ……この首、ラドゥーンのヘスペラ王女じゃないか」
「知り合い?」
「十年くらい前だったか。ここの戦争準備で、軍医として招聘された。あそこの王将は横暴だし、ギルには袖にされるしで、私は、すぐ離脱したんだが、」
過去の何かを嘆きつつも、ジゼルは首を検分している。
「これは、万死の首桶、だな。霊宝のなかでも、一段とたちの悪い。媒介になる緋色の首桶と、怨念だらけの女の生首と、その腕でひとそろいの道具だな。これがある限り、向こうから居場所を特定されて――ん、待て。これ、半壊しているな。ということは腕の一本は壊してきたのか」
「ラドゥーン兵が、光る腕を持っていた。あの腕、上空にいる僕を指さしたから、目標を探知する能力じゃないかと思ったけど、」
……ん? 一本?
「え? 腕? 二本目?」
「頭部が半壊してるってことは、残った腕が指南車の如く、マルセルの位置を捕捉しているはずだ。今もな」
ということは、僕が、ここで愚図愚図していたら、ラドゥーン兵が、こっちに向かってくる……。
「ごめん! 僕がいたら、こっちに敵が集まってくるね。はずす方法がないなら、すぐ前線に戻る!」
「ああ、待て、落ち着け! 除去方法は、ふたつだ。ひとつは、さっき言ったように、この女の両腕を破壊してしまうこと。もうひとつは、彼女が持っている未練や執念を晴らしてやることだ。これで噛みしめた歯がはずれるから、海中にでも投げ捨ててしまえばいい。……しかし今は、これの位置発信の能力を利用したほうがよくないか?」
「逆に利用?」
「これがある限り、マルセル、おまえの位置は特定され、襲撃される。ならば、それを使って、罠を仕掛けて、ラドゥーン軍を追い詰め、殲滅させてしまえばいい」
「あ……そうか……。それで、そのうちラドゥーンの王将が僕のところへやって来るはずだよね。セベク王のときと同じ、女王を斃してしまえば、終わりだ」
「王将にこだわらなくとも、向こうの兵を全滅にもっていって、降伏勧告すれば、終戦に持ち込めるけどな。むこうの臣民を、霊宮に放り込めば、完全接合はできるぞ」
「……変な言い方だけど。王将一人生き残らせて、他を霊宮の生贄にするほうが手間だよ。
どちらかを選べって言われても、大抵は、王将一人討ち取って、生贄に出すんじゃないかな。生贄の選択って、あまり意味がないよ」
「いや、意味はあるぞ。人口過多の貧国同士なら、王将より、臣民全員を生贄に選択できる。臣民がぼんくらばかりの国は大抵、王将の能力が突出しているから、かなり優秀な人材になる可能性が、」
セベク王の首を生贄に出したときの、ヨルムンガンドの笑顔を思い出して、少しばかり、いやな気分になった。
「……霊宮は、本当に、生贄全員を食べるの?」
「彼女らは、ひとまず満腹になればいいんだ。それで目こぼしされて、逃げ出せる人間もいれば――ああ、まあ、保存食にされたり、食いだめされることもある。
ただ、王将が持っている絲は、一般人よりも多いらしいな。王将一人を見逃す気なら、数万、数十万、数百万相当の生贄が必要になる。だから比喩表現として、臣民全員の命、と言われているんだ」
「イト?」
「ああ、絲(いと)だ。神の糸、神の意図。絲は、この世すべての生物、無生物の最小単位でな。
私たちはその絲で作った、いわば編みぐるみ。霊宮は生贄を食らうことで、その絲をかき集め……ている、らしいぞ」
立て板に水状態のジゼルがふと真顔になり、あ、と口を開けた。
「いやいやいや! これは与太話、今は気にすることじゃないな! ともかく! その生首を利用して、ラドゥーンに勝ってしまえ。亢龍軍師に師事しているなら、それくらいの戦術は朝飯前だろう」
「いっ、たあ!」
コウリュウ、とジゼルが言った瞬間、ぎちと僕の左肩の肉が音をたてた。あの生首が、歯を食いしばったらしい。
痛みに身をすくませた拍子、懐中に入れていた薬の袋が落ちた。袋の口がゆるんでいたみたいで、丸薬の一粒がこぼれる。
「ん? 駄目だぞ。拾い食いは不衛生だ。これは捨てておこう」
ジゼルが袋を拾って、手渡してくれた。
もう一度、かがんで、丸薬を拾う。それをしげしげ見て、む、と眉根を寄せた。
「マルセル! これは、どこで手に入れた!?」
「え?」
「ギルベルドからか!? おまえ、これ飲んで、なんとも無かったのか!?」
「って、痛い痛い! 肩揺らすと、首っ」
「ああ、すまん! いや、でも!?」
ジゼルがあわあわしてる。
顔色を青くしたり、赤くしたりと忙しそうだ。
「先生から、だけど。もしかして、ジゼルが作ったの?」
「製薬調剤の方法自体は、ギルが持っていた古文書に載っていたんだ。特殊な材料が必要だから、私は十錠も作っていないが」
「あ。伝説級の蛇の、なんとか?」
「……っ。うん、そう、なんだ……知ってたのか」
「先生が言った。劇薬だから、僕以外のひとに飲ませたら駄目だって、」
背後で、おとなしくしていたワタリが翼の先で、ばふと僕の頭を叩いた。
「っあ、そうだね!」
話し込んでる場合じゃない。
オニグマが退化変身して、あそこで夜襲を食い止めている。
ベルゼルクルがいる乱戦は危険だからと、退却してしまったけど。もう、ここにいる意味はない。前線に戻ろう。
ワタリと飛んでいるうちに、何か妙案が浮かぶかも知れないし。
「行ってくる、スヴェンをお願い」
「あ……と、うん……。おまえこそ気をつけてな、絶対に怪我するんじゃない。私にだって上手に治せない怪我は、あるんだからなっ」
「はーい。ワタリ、行ける?」
グワア、と返事をされたので、またがり、飛ぶ。
鞍がなくても、ワタリの羽毛が柔らかいので、股間は痛くない。
横から、朝日が昇ろうとしていた。
紫と橙色の混色の雲。
……綺麗だなあ。
空は、こんなに広い。
四角の空しか知らなかった僕が、空を飛んでいるのが不思議な感じだ。
間もなく、幾筋か立ち上る煙が見えた。
僕らが夜までいた野営地だ。眼下で、人間が何十人か動いている。目を凝らせば、武装はヨルムンガンドのもの。
「だいじょうぶ。終わったみたいだから、着陸して」
ワタリに声をかけると、彼はくるりと旋回して、ゆっくりそこに着陸した。
「……陛下?」
「陛下だ! ご無事のようで」
「よかった、よかった!」
何人かの武士が、目を赤くして、僕に駆け寄ってくる。
「それは、境鳥の?」
「うん、ワタリだ。……僕の一時退避のため、犠牲にしてしまった」
「いえ、ご無事でよかった。我らは、まだ負けていない」
そうは言うけど、周囲一帯は死体だらけで、めちゃくちゃだった。
焼けたもの、四肢の一部を欠損したもの、針山になったもの。死に様は、様々だ。
「……オニグマは?」
訊ねると、武士は無言で首を振った。そして指さす。
棒立ちになったままの、大きな針鼠がいた。
針鼠、じゃない……全身に矢を受けた熊。
駆け寄って、もう一度確かめる。
……何度見たって、同じだった。彼女に間違いなかった。
左足で、ラドゥーン兵の上半身を踏みつぶし、右手に、引きちぎった脚を持っている。
口を大きく開いた威嚇の形相で。
「……ありがとう。もう、いい。もう、いいから」
彼女の左手を、そっと撫でると同時に、巨体がかしいで仰向けに倒れた。地響きが、僕の全身を揺さぶる。
……遺言……彼女の遺言。
毛皮、剥いで。僕に、くれると。
そうだ、これ、腐って、痛んでしまう前に……やらないと……。
「陛下。報告が、ひとつ」
「……うん。なに?」
冷静に、ならなきゃ。僕が動揺しちゃ、いけない。冷静に。
「二之旗本の元老が、ハンガク姫の婿、ヨシトさまに替わります」
「え? なんで急に……リョウ元老は?」
「先刻、切腹いたしました」
は?
「切腹って、え? 割腹自殺?」
「アオバを偽った者が、ラドゥーン兵のなりすましと判明しました。陛下を危険にさらし、この局面を招いた責をとって、先刻、」
「待って! 僕は死ねと命令してない!」
「陛下は、中央の方ですから、お解りにならないかも知れませんが、おのれに非ありと認めれば、他人から裁かれるまでもございません。自ら罰します。ご理解下さい」
二之旗本の武士が飛び抜けて、まじめで勇敢なのは、スヴェンの育ちからしても明らかで。
それにしたって真面目すぎる、この程度のことで……と、言いかけて、頭を振った。握りこぶしを作る。
この程度、では無かった。僕は、万死の首桶に憑かれたし、オニグマを失った。
リョウ元老は、その責任を取ったのだ。なら、僕は応えなくてはいけない。
「リョウ元老は、今?」
「こちらに」
武士の一人について行けば、そこに筵が敷かれていた。
前線だというのに、わざわざ白い着物に着替えた……首のない死体が崩折れ、倒れている。
遺体のそばに三十前後の男性がいて、その人が僕に向かって、膝を折った。
「恐れ多くも陛下の大叔母、ウルリカの外孫。一の姫ハンガクの婿、終の盾スヴェンの義兄弟、ヨシトと申します。先代から指名されましたが、是非に陛下のご裁定を、」
「――私は、リョウ元老を信頼していた。血筋にかかわらず、彼の指名ならば、文句はない。先代の自裁に免じて、今回の不手際は不問とし、二之旗本の本領安堵は約束しよう。これからもヨルムンガンドと私に、しっかり仕えて欲しい」
「は!」
スズカ姫のおねえさんのお婿さんは、やはり毅然とした態度の、立派な武士だった。
うん……。スヴェンを保護し、育ててくれた人たちだ。信じる。
その彼に、先代の首桶の確認をなさいますかと訊かれて、僕は遠慮した。
……まったく。なんでこう、よくよく生首に縁があるのだろうか。
ねえやもそうだし、僕自身の一度目の死もそうだ。今、左肩に乗ってるやつとか、霊宮の生贄とか。
「ごめん。首実検なら終戦後にするから、不調法だとしても今日は、これで勘弁して欲しい。これ以上、想定外のことが起きると、脳が煮えちゃいそうだから」
正直な気持ちを打ち明けると、ヨシトは少し面食らったような顔をした。それから小声で、陛下はよくやっておられます、と慰めを口にする。
「だといいね。ヨシト元老、軍権の把握は?」
「この五年、先代について私兵軍隊の代将をしておりました」
「東方をまかせて、いいんだよね?」
「はい」
「ありがとう。よろしく」
ところで、と僕は話を変えた。
「僕の肩に乗ってるほうの首、どうすればいいと思う?」
「拷問するまでもなく、間者が喋りました。首のある場所を、対の腕が指し示すのだとか」
「腕を破壊するか、怨念を晴らさない限り、この首、取れないらしいよ」
「除去方法は、あちらも知らなかったのか、単純に話さなかっただけか……」
二之旗本の新元老が眉根を寄せて、考え始めた。
その所作、雰囲気はスヴェンそっくりだ。スヴェンは、ヨシトさんと仲が良かったのかも知れない。
彼は、腰に新造の弩弓をぶら下げ、背には弓と矢筒を背負っている。
「ひょっとして、剣よりも弓のほうが得意?」
「はい。旗本一弓取りの号をいただいております」
「ハタモトイチユミトリ?」
「弓射の腕比べで、三年ほど、一番をいただきました」
弓……弓か……。
そして閃いた考えに、げんなりした。
公平で、強くて、優しい皇帝になれというのが、リンねえの遺言なのに。オニグマが亡くなった直後だからか、とうとう理性の箍(たが)が外れたようだ。
「……陛下?」
「うん。いや。ちょっと待って」
僕は、袋をかぶせられた左肩の首に呼びかけた。
「コウリュウ」
途端に、がぶーっと噛みつかれる。ってか、
「いたたたっ」
「陛下!?」
「っあ。だいじょうぶ……洗濯ばさみ、十四個分だから」
「なんです、その具体例は」
「昔、タムねえとマリねえにやられたんだよ、洗濯ばさみで挟まれるの」
思った通り、この生首は亢龍――先生のことで反応している。ということは、怨念を解けるのは、先生だけ。
そして、ここに弓上手だという武士が一人。
さらに手元には、ワタリから回収した捨て石幻灯器という、身を隠す霊宝道具があることを思い出した。
ちょいちょいと手招きして、彼の腰を屈めさせると、思いついた考えを耳打ちした。
「……どうだろう? あなたが断るなら、代わりに弓手司の弓兵に頼んでくる」
いえ、と。彼は言った。お任せ下さいと答える。
「先にリョウ元老を陥れたのは、あちらです。意趣返しが叶うならば、願っても無い。生かさず殺さず、私が射ます」
「単純に考えると、確率は、来るか来ないかの二分の一になるけどね。だけども僕は、悪運というのが強いみたいだから、絶対あたり引くと思う」
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