人心掌握講座



『そうだ、人間観察は大事だよ。きみはこれから、大人数を動かし、手足のように使わなくてはならないからね』

 先生は、そう言った。

 大人数を動かし、手足のように使うこと。

 僕に、そんなことができるだろうか。

 自分の手足すら、ままならないというのにね。



   ◇   ◇    ◇


 遺跡での戦いの、その翌々日。つまりジゼル、オニグマと別れて、五日。

 馬を失った僕らは徒歩で、南東の方角へ歩いていた。

 街道は使わない。野盗か街道警備の兵に見つかる確率が高いので、獣道を選んで歩く。

 もう春だというのに、肌寒い。風は冷たく、頬をなぶる。

 僕がへとへとになるたび、常緑樹の林などで休息をとる。

 四六時中、気を張っているスヴェンも、今は幹に背をあずけ、仮眠をとっている。……彼には、ずいぶん気を遣わせているなあ。

 ようやく呼吸がととのった僕は、小粒に砕いた飴をひとかけと、少しの水をもらって、ぼんやり空を見上げていた。

 あいかわらず、僕の国の空は、雲が厚くて、薄暗い気がする。

 不思議と疲れを見せない先生は、僕の隣で地図を広げた。

「地図の見方は、わかる?」

「はい。姉に教えてもらいました」

「そう。ちなみに、島国が海上を移動するといっても、この地図と現在のヨルムンガンド帝国は、方角も海岸線もおよそ合っているからね」

 東西南北を現地点に合わせつつ、先生がいう。

「牢屋敷は、この地図のどこにありましたか?」

 訊ねると、先生は手にした鉛筆の先で、指示した。

「根業矢の領土の南西、この半島だ」

 最初の摂政が、根業矢のヤンバンジだったから、彼の領土のどこかだろうと推測はしていたけれど、九靫にかなり近い出島みたいな地形だ。

「きみの生家は、ここだな。ヨルムンガンドの建国初期に完全接合された、ベルゼルクルその他の、もと領土を帝国直轄地、または首都圏という」

「ここに、白宮殿が……」

 ねえや、ばあやが帰りたがっていた場所は、ずいぶん遠い。

「二之旗本領は、ここですか?」

「うん。首都圏の真東だね。このすぐ上が、弓手司。弓手司は、根業矢、九靫、首都圏と領境を接している。つまり三方向から圧力をかけられていて、かなり疲弊している」

 なるほど。

 二之旗本は、首都圏とだけ。

 その下、南方の馬鞍戸は、不零剣の元老領としか接していない。

「二之旗本、馬鞍戸が正面を警戒しつつ、弓手司の支援にあたっている。十二年、もちこたえたが、飢餓輸出の兆候があらわれた」

「キガユシュツ?」

「厳密には、輸出ではないけど。三元老の一角が落とされるのは避けようと、物資食料の援助をしていたからね。瀕死の四歩くらい手前の状況」

 もし弓手司が、逆臣派に負けたら、味方の領土がひとつ減った上、敵領がひとつ増える。だから、みんな切り詰めて、援助していたということか。

「それから、もう一件、困ったことが起きた。ベルゼルクルだ」

「彼らは、味方でしょう?」

「だからだよ。ベルゼルクルは以前、ヨルムンガンド全域の山野を転々としていた。が、ここ十二年、彼らは、三元老の領土を出ていない」

「それが、何か?」

「一定間隔で、別の山野に移動していたから、適度に害獣や草木を間引きしていたのに、その均衡が崩れた。害獣を狩りすぎた、木々を荒らしすぎた。巡り巡って、山野は枯れつつある。領内の人間が飢える原因のひとつだ」

 つまり、味方同士で足の引っぱりあいか。

「きみ一人を助けて、問題すべてが解決するわけではない。が、それでも、きみは錦の御旗で、彼らの心の寄る辺だ。それを失えば、三元老とその領民は無気力になるだろうね。彼らの十二年が無駄に終わるわけだ」

 ……あの日。僕や、ねえやが殺されたのは、そういうことか。

「――先生、」

「うん?」

「現在の、僕の摂政は、九靫の元老のミョゴンですよね。ということは今、ミョゴンを斃せば、九靫領と首都圏にいる彼らの私兵軍隊を無力化して、首都を取り戻せますか?」

「指揮系統を混乱させるつもりなら、頭を叩くのは有効だ。ただし、軍隊が統率を失って、野盗山賊となる可能性も出てくる」

「ただ戦うより、面倒が増える?」

「野に散り、町に潜伏する兵士を索敵するのは難しいぞ。場合によっては、ひとかたまりの軍隊として叩くほうが楽な時もある」

 うーん。この地図を見て、単純に弓手司の負担を減らしたいと考えたけど、難しいなあ。

「地図を見て、思考することは、よいことだ。戦争でも国政でも、地質、地形、距離、高低、それから街道、川、水源の把握は重要になる」

「はい」

「まあ、そうだね。マルセル君の言うとおり、早々に首都圏を取り戻してしまう考えは、よいかもね」

「え?」

 否定されたかと思えば、次には肯定されるので、ちょっと混乱した。

「これまで正統派三元老は、逆臣派が幼帝を拉致監禁していると主張し、逆臣派は保護しているという題目を唱えていた。つまり、」

「僕が首都に戻れば、対立の原因そのものが消滅する」

「スヴェン個人は、ともかくね。三元老が、救出したきみを自分の手元に置こうとしているのは、忠誠心のみではないよ。余録として、今後の国政の影響も考えている」

 そういう下心は、理解できる。

 私財をなげうち、さらには自分の領民をもう十二年も戦わせているのだ。なんらかの報いがなければ、みんな疲れてしまうだろう。

「十分な報償はあたえるべきだ。が、今後を考えると、偏重しすぎるのも危険だということは記憶しておいて。それでまあ、現実問題として、首都に駐屯しているであろう、九靫の私兵軍隊のことだが、」

「あの。いくら貧乏大国でも、食料や物資は、あるところには、ありますよね?」

「なぜ、そう思ったのかな?」

「牢屋敷に放り込まれている僕らですら、去年、今年と、かつかつの生活でした。でも、監視兵たちは、ちゃんとご飯を食べていて、お酒も飲んで、みんな元気でした」

「うん」

 先生は、うなずいて、僕に先をうながす。

「皇帝がいるからという理由で、重要な場所とみなされての支給配給かも知れません。けれど、監視兵の態度と、襟章を見た、ばあやは言っていました。たかが一兵卒が、なんたる不遜と」

「それで?」

「農民が一揆を起こすような状況だと聞いていたのに、それでも軍部末端まで、きちんと受け取っていた。食べ物も、衣類も、薬も。だから、あるところには、あると考えました」

「やや苦しいが、そういう見方もあるね。それで、きみはどうしたい?」

「……どこに物資が集められているかを把握し、九靫領民にふれ回るのは、どうですか?」

「貧民を集めて、兵士を襲わせる?」

「一揆が頻発しているのに、事態があまり変わっていないということは、効率が悪かったのでは」

 僕が三元老と彼らをまとめる旗印だというのなら、逆臣派の農民たちにも旗印、というか、はっきりした標的が必要だと思う。

 あくまでも想像でしかないが、ご飯がたくさんある所なら、みんなそこに集中していくのではないか。

 先生は、じっと地図をみていたが、おもむろに懐中から巾着袋を取り出した。いつものように古銭を投げている。

「山沢損、六三か」

 やがて、ふーっと深く息を吐いた。

「よろしい、前向きに検討する。ただし、実行後、誰に訊かれても、この件は、俺からの進言だったということにして欲しい」

「え?」

「為政者は、ある程度、綺麗なほうがいい。根業矢たちが、悪い例。だから今後、きみの名を汚しかねないような話は全部、この俺が進言立案したものとする」

 ちんぷんかんぷんの僕を見て、先生が説明し直した。

「いいかい? 軍人と農民、普通は軍人のほうが強い。それでも、あえて農民をぶつけさせる――こんな話が明るみに出たら、きみの信用は、がた落ちだ。彼らは、納税や徴兵に応じなくなる。そうするだけの理由をあたえてしまう」

 短絡的に弓手司を救うことだけを考えると、長期的には、悪い目を見るということか。

「考え方自体は悪くなかった。数で負けるなら、指揮系統を混乱させた上で、兵站を断つのは、理にかなっている。ただし、人間は理だけでは動かない。感情もからめてくるから、面倒なんだ」

 先生は、そう吐き捨てた。

「機会を見て、ジゼルさんに連絡をとる。あっちに余裕があれば、一揆の扇動は、彼女らにまかせる。マルセル君はまだ、綺麗なままでいなさい」

 で、俺たちは――と、先生は、地図上の首都を示した。

「三元老には悪いが、まっすぐ首都圏内に入る」

 ――仮眠を終えたスヴェンに、これからの計画を話すと、彼は不審げな目で先生を見た。だが、僕が、先生の意見に賛同しているということで、結局は折れてしまった。

 肝心の先生とは、一度ここで別れることになった。単独で先行するそうだ。

「……私には、亢龍どのの策が信用できません」

 休憩を終え、ともに獣道を歩くスヴェンがぽつりと漏らした。

「そうなの?」

「私は武人ですから、彼の物言いが理解できません。それとは別に……その。最近は、違和感があるのです。なんというか、」

 間もなく彼は口ごもる。

「僕は今のスヴェンの話、先生に告げ口しないよ? それにね。弱みを見せてくれたのは、嬉しい」

「嬉しい、のですか? 頼りなく思われたのでは」

 だって、と。僕は言葉を継いだ。

「今まで、ねえやに言われるままだったから、気づかなかった。僕は全然だめだ。スヴェンも先生も、しっかりしているのに、僕は何もできない男だって……皇帝なんて、とても無理ではないかなって、」

「そんな! 陛下は、」

「だから! スヴェンが弱みを見せてくれて、ほっとした。誰も彼も、完璧な人間では、ないんだよね」

「……ええ、はい」



 スヴェンとふたりきりの旅は、そのまま数日続いた。

 一日の予定は、およそ、こう。

 まず朝日より早く起こされて、柔軟体操。両腕一刀の素振り三十回、片腕だけの素振りも左右それぞれ三十回。途中で休んでもいいから、とにかく武器から絶対に手を離すなとだけ、指導された。

「陛下の霊宝武具は、二刀です。が、二刀流は至難の剣術……もうしわけございません、私は太刀一刀と、棒手裏剣の投擲のみで、指導方法に自信がなく……」

 朝食前の鍛錬は、手探り状態だ。僕の素振り中、スヴェンが朝食の準備をする。

 食後休みは、先生お手製の教科書を読んだ。政治、経済、文化、歴史の概要書。

 朝の予定を終えたら、野営の痕跡をしっかり消して、首都にむかって、ひたすら歩く。

 昼食をとれそうな時はとるが、基本的に、水と飴で空腹をやり過ごした。とにかく距離を稼ぐことに全神経が費やされる。

 空が暗くなる前に、スヴェンが野営地を決め、その準備をする。

 スヴェンが、あれこれやっている間、僕はまた黙々と素振り。

 そして、スヴェン相手に対人稽古。

「対象から目は離さない、まばたきは極力こらえてください!」

「体幹はそのまま、重心を意識し、かつ無意識に移動する!」

「足下がお留守です! 転倒しても、最小限度の動作で、すぐに起きる!」

 いつもは優しい彼も、剣術については、そこそこ厳しい先生だった。

 ……必要に駆られてとはいえ、あの牢屋敷で鍬や鎌を握っていて、よかった。ぼく、握力と腕力は、それなりにあったらしい。手首も柔らかいと誉められた。

 鍛錬後に夕食をとって、たき火がある日は教科書を読む。水場が近ければ、体を洗い、暖をとる間に、スヴェンが仮眠する。月が昇るころ、僕はしっかり睡眠をとる。

 毎日の稽古と、徒歩の旅は、僕に自信と体力をくれた。

 先生の宿題、教科書を読破し、できるだけ暗記するという学習も、僕の語彙を確実に増やした。他人へ話しかける時の一人称も決めた。

 首都上京の旅は順調で、快適だった。とにかくスヴェンが優秀、有能なのだ。

「――お静かに!」

 二人旅も十日目の午前中。

 歩いていたら、突然スヴェンに頭を押さえつけられ、藪の陰にべたっと尻餅をつく羽目になった。

 藪のずっと向こう、荒れた街道に、何かの群れが見えた。間もなく太鼓やらっぱの音が、荒れ地に響き、それが音楽らしきものであることに気づく。

「矢筒が九、九靫の旗ですね。馬車に軍楽隊、演奏は強行行進曲。首都から下り、九靫の元老領……。亢龍どのの一揆の誘導が、うまくいったのでしょう」

「よく見えたね、スヴェン。僕には旗印すら見えなかったけれど」

「遠目がきく代わりに、読書が苦痛です。おかげで座学は、今も及第点しかとれません」

 こそこそ話してると、にゅっと先生が顔を出した。

「わあっ……んぐっ」

 大声を出しかけた僕の口を、スヴェンがふさぐ。

「あちらの斥候の耳が、どれほどかわかりませんので」

 彼は耳元でささやいて、ゆっくり手を外してくれた。

「――私兵隊の大半を、九靫に下がらせた。内通者も見つかったし、各方面への連絡はつけたよ。これで白宮殿への侵入も楽になる」

「どうするおつもりで?」

 スヴェンの冷ややかな声に、先生は肩をすくませた。

「マルセルくんを霊宮に引き合わせ、正式に頭光の冠をかぶせる。問答無用で皇帝の威信を示し、内戦終了を宣言させる」

「しかし、三元老は、」

「逆臣派も、なかなか頭が回る。いつまで待っても、皇帝一家の生首が送られてこないから、偽物を仕立てる算段をしていたそうだ。ジゼルさんから、連絡があった」

「陛下の、偽者だと!」

「偽の生首でも、出回れば面倒だよ。彼女たちに阻止させるよう、指示したが、こっちも明確確実な手を打たなくてはね」

 僕の偽者。つまり、僕と同い年くらいの子が殺されて、首を落とされるのか……。

 思わず自分の首を一周する、みみず腫れに触れ、その痕をなぞる。

「……スヴェン……僕は、」

「はい」

 スヴェンが、僕自身に対して、異を唱えることはなかった。

 あいかわらず、先生には一線を引いているようだけど。

 とにもかくにも、話はまとまり、三人そろって首都に入ることに決まった。

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