断章『花の悩み』

 生まれた時から、人生は決まっているのだと、そう思っていた。

 親の言うとおりに育ち、親の言うとおりに嫁ぎ、親の言うとおりに男児を産めば良いのだと。

 ――自分の意思なんて、きっと必要ない。

 お姫さまは、みな、お人形さん。


     ◇ ◇ ◇


「兄上!」

 年始正月、父親について上京していたスズカは登城するなり、従兄の私室を強襲した。

 今日は、非番だと知ってはいるが、従兄は隙あらば飼い主のところへすっ飛んでいく番犬だ。

 案の定、スヴェンは寝床におらず、着替えている最中だった。

「……スズカ姫。男の寝所に入るなど、はしたのうござますよ」

「その他人行儀、なんとかなりませんこと」

「私はもう二之旗本ではなく、あなたの義兄でも、ございません。終の盾に復帰しました。ですから、」

 従妹の強襲に溜息をつきながらも、手は休めず、しっかり帯をしめている。今日もまた着物に陣羽織と、二之旗本の青年武士の装いだ。

 口でとやかく言いながら、妙なところで養い親に義理立てする。

「腹を割って話したいことがありますのよ。従兄どの?」

 肩をすくめた従兄が、スズカに丸椅子を勧めてきた。

 護衛武官という立場上、皇帝一族の私室に近く、その部屋は広いのだが、内装は簡素で椅子が一脚しかない。

 年上の従兄は、寝台に腰掛けて、正面のスズカを見る。

「朝も早くから、よう参られた」

「門番に、お中元とお歳暮の贈呈品を怠らなかった結果ですわ」

「賄賂ですか。では調査後、彼奴らをくびにしなければ」

「円滑な人づきあいと言って下さいまし」

「今後は、お控え下さい」

 スズカは、帯に差していた扇を取り出し、ぱしりと自身の手のひらを打つ。

「じゃれ合いは、ここまで。本題ですわ。予想はついておりましょう」

「マルセル様には一度、申し上げました。輿入れを勧める由」

「一度ですか。二度、三度、五度、十度でなく、ただの一度?」

「日々の政務以外で、お気を煩わせたくはない」

 従兄と従妹、しばし無言のにらみ合いが続く。

「兄上。わたくし、はずれ者でしたのよ?」

「はずれ?」

「直系男児をと望まれて、五人目も女。父上が、母上が、家中の臣が内心、どんなに落胆したことか」

「そのようなことは、」

「であればと、目をかけていた実直な甥が、二之旗本を辞してしまった。幸いにも、陛下一番の寵臣となりましたから、父上の溜飲は下がりましたけれどね。でも、わたくし、察してますのよ」

「………………」

「二之旗本、中央へのつなぎ。ひとつ目は、兄上。もうひとつは、わたくし。女の身であれば、やることなんて限られていますわ」

「一族隆盛の道具になるのが一番の目的ならば、尚更やめたほうが良い。陛下は、そのような女子は望まぬし、あなたにとっても不幸なこと」

「これは権力に付随した義務ですわ! 婚姻に、恋情を望めるのは、せいぜい庶民だけですのよ!?」

「わかっている。が、無理強いはならん。今、間違えれば、あの方は壊れてしまう」

「意固地ですのね。従兄どの、まさか、あなた、衆道にでも落ちなさったか?」

 その瞬間、だった。

 スズカの目の前に青白い火花が散った。間もなく、頬を打たれたのだと、理解した。

 従兄は打った平手を握りしめ、般若の顔をしている。

 この表情を、スズカは知っていた。

 その昔、かの霊宝武具の内部に花の種をぎゅうぎゅうに詰め、それがスズカの仕業と知られたときのこと。スヴェンが心底、怒り狂ったときの表情。

「スズカ……貴様、脳に、蛆でも、湧いたか……?」

「っく、」

「私は、まだ、許す……しかし、陛下に、むかって、それを、言うならば、」

 立ち上がった従兄は背が高い。それが、スズカを見下ろしている。

「侮辱するならば……昔の妹だろうと、斬り刻むぞ」

 重ねた着物の内側、スズカの背筋にぞうっと悪寒が走った。

 絞り出すよう言葉を紡ぐ、スヴェンの口唇に、鋭い犬歯が見え隠れする。なぜか、従兄に噛み殺されると直感した。

「過ぎたことを、申しました! お許し下さい!」

 椅子から飛び降り、着物の裾を蹴る勢いで、彼の私室を退去する。

 怖かった、と。駆けながらスズカは、胸のうちで呟いた。

〈……怖かった……怖かった、怖かった……〉

〈兄上、本気で怒っていた!〉

〈だけども、そういう噂も、たしかにありましたのよ?〉

〈だって、いっつも二人一緒なんですもの! ずるい、ずるいわ!〉

 別室に、武士を待たせていたことも忘れ、スズカは駆けた。

 扉を開け、寂れた庭に飛び出す。

「……あんな、怒らなくとも、よいじゃあ、ありませんの」

 速度を落とし、ふらふらと小さな四阿へたどり着いて、ようやく人心地がつく。

「あれ、お姫さん?」

 四阿の長椅子に伏せていた人物が、スズカを見て、声をかける。

「って、どうしたんですか? あんた、顔に、」

「コノリ……」

 文字通り、羽を伸ばしていた間抜け顔の鳥人間を見て、スズカはなぜか安堵した。安堵のついで、ぽろりと涙を落とす。

「わーっ、ちょちょちょちょ! なんで泣いて、」

「……怖かった……」

「はい?」

「……怖かった、よう……」

 スズカは、ようやく年相応に泣いて、コノリの腹に抱きついた。

 突然の抱擁に、コノリはあわあわと動揺していたが、間もなく、スズカの背や頭を撫で始めた。

「………………」

「……ひっっ、うう……」

「お姫さん、鼻水」

「……やかましい」

 怒鳴りつけると、はい、とコノリは従順になった。しかし、いたわるように頭を撫でてくれる。

「どうしたんすか、顔に紅葉つくっちゃて」

「兄上に久々、叱られましたの」

「兄上? ああ、わんこな従兄の、あれですか」

「だって、女官たちが言ってましたのよ。もしかしたら陛下と兄上は、思い差しの仲じゃないのかって。それで訊ねてみたら、」

「それは無い」

 コノリの断言に、スズカは、洟をすすりながら、彼を見上げた。

「あの二人、まんま飼い主と番犬、もしく仲の良いきょうだい、ですよ」

「どうして、わかるんですの?」

「つがいの匂いが全然しません。あと、おいらの勘」

「じゃあ、どうして!? どうして、マルセル様は、わたくしをきちんと見て下さらないの?」

 スズカは、コノリの胸を叩き、わめいた。

「マルセル様は、お優しい方ですわ。みんな、平等に、お優しい! でも、それだけなんですの。お土産を持って行っても、着飾っても、紅を差しても、そこから先は、なんにもない!」

「人間は、面倒ですねえ。あんた自身が惚れてないのに、どうしてそんな必死なんですか?」

「だって、これは名家、権力者のすべきことですわ。友人止まりじゃだめ……わたくし、マルセル様に嫁がないと……男子を産まないと……そうしないと……」

「内心、そんなに追い詰められているんですね。かわいそうに」

 コノリは、くしゃくしゃとスズカの頭を撫でた。

「殿様やお侍さんたちが怖いなら、いっそ全部捨てちゃったら?」

「何を、」

「お姫さんには、他に姉妹がいて、そっちは婿取りしてるんでしょう。じゃ、それでいいじゃないっすか、二之旗本。そんで、おいらのとこに逃げてくればいい。あんた、もともと、それくらい元気でしょ」

「逃げる……? コノリのところに……?」

「おいら、こう見えても高給鳥ですから」

 コノリは、身につけた腹掛けと腰布を示してみせた。

 獣人に服を着る習慣はないのだが、軍属は、軍服代わりに腹掛けや腰布を身につけるよう、国から指示されている。

「およそ軍師さんの使いっ走りですけど。おかげで毎日の食べ物と寝床あります。避難所くらいには、なれますよって」

「コノリは親切ですのね。どうして?」

「最初に会ったとき、親切にしてくれたのは、そっちでしょ。おいら、好きですよ、お姫さんのこと。あんたは頭がいい、声がいい、元気がいい、全部いい。全部いいのに、それでも袖にされるって。人間は残酷だ」

 スズカは驚愕に眼を見開いて、コノリを見上げた。

 鳥人間は、珍しく真顔を作って、こちらを見下ろしている。

「あのさ。おいら、あと二十年くらいしか生きられません」

「……ああ、おおとり族ですものね」

「でも、その分、おおとりの子は成長早いです」

「ですってね、人間の半分くらいだとか」

「お姫さんが生きているうち、玄孫の顔まで見られるかも知れません」

「は?」

 コノリが、両手をつかんで、スズカの顔を覗き込んできた。

「お姫さん――いや、スズカ! おいら、」

 突然、羽音とともに、全身黒ずくめの鳥人間が降り立った。

「なに季節外れの発情なんかしているの? 朝議が終わったよ。白だ。軍師さんが、音声通信しろって。今ここにいるので一番声でかいの、きみなんだから、さっさとしろよ」

「ワタリぃ、空気読もうよ」

「馬鹿言え。滑空だけなら僕が一番だ」

「その空気読みじゃなくってね。もういいや」

 お姫さんはそこにいてね、と言われて、スズカはぼんやりとその背を見送った。

 ワタリと呼ばれた黒い鳥人間と、多羅葉の葉を何枚かやりとりし、コノリがうなずいた。

 そのまま垂直方向に跳んで、白宮殿の見張り塔の先端に着地する。

何度か翼をはためかせた後、けええん、と鳴いた。

 音程を変えつつ、四方向に向かって、繰り返し鳴いている。

 コノリの鳴き声に刺激されたのか、どこぞで鶏も鳴き始めた。

「あの声で、国土全体に散らばった、おおとり族全員に聞こえるんですの?」

 正気を取り戻したスズカは、ワタリのそばに寄って、訊ねた。

 黒い鳥人間が、こちらを一瞥して、首を振る。

「さすがに、そこまで範囲は広くない。ただ中継地点に待機してる奴が、声を聞き取って、他に回すんだよ。あいつは特に、音の高低をつけるのがうまいから、遠くに響くし、人間の耳には聞こえない声も出せる。その点を軍師さんに買われてる。戦場での通信網は、一番大事なんだって」

 だからコノリは仕事のできる雄なんだよ、とワタリが、にやりと笑いかけてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る