二〇一四
子供が体感する時間の流れは、早く。
大人が体感する時間の流れは、遅い。
誰かが、そんなことを言っていた気がする。
僕は――どっちつかずだ。
◇ ◇ ◇
「新年のお慶びを、申し上げます」
「ありがとう。あなたの一年も良いものであるよう」
そんな言葉が、もう七回も繰り返された。
ケセド共通歴二〇一四年、一月。
僕は、数え年で十五歳になった。
円卓には代官ではなく、元老本人たちが七人揃っている。今日は朝議ではなく、昼食を兼ねた新年会で、みな服装もちょっとばかり違う。
二(に)之(の)旗(はた)本(もと)リョウ、弓手司(ゆんでつかさ)ブライト、馬(ま)鞍(くら)戸(ど)カナル――かつて正統派と呼ばれた三元老。
不(ふ)零(れい)剣(けん)フォトボル、燦(さ)々(さん)甲(こう)ゴノイ、鎧(がい)黄(おう)土(ど)ダカール、長単靴(ちようたんか)ヤハ。かつて逆臣派と呼ばれた元老、の後継者。ここにいるのは世代交代した若い人たちだ。
「一昨年から昨年にかけて、みなには苦労をかけた。新たに接合した旧アペプ領の地質改善や、地元民たちとの交渉など、今年度も課題は山積みだが、」
僕の威張り腐った口調も、板についてきただろうか。文語じみた王さま言葉には、まだ抵抗感はあるけど、公式の場ではちゃんと使いこなさないと。
「新年の祝いと、諸氏の団結を誓う意味もこめ、ささやかではあるが昼餉の用意をした」
合図を出すと、衛生や食料を管理する医官(やくしよく)の男女複数人、円卓の上に皿を並べ始める。
「酒もあるが、適量を、楽しんでいただきたい」
男性ばかりの、しかも酒の入った宴会に女性を出すことは最初、渋った。また変な目に遭わされでもしたら、と不安に思ったのだ。
しかし、宴会には女性給仕が必要だと周りから説得された上、ジゼルが、似せ酒という酒もどきの飲み物を作ってきたので、女性の給仕役を入れることを承知した。
風味や味を限りなく酒に似せた、成分的には普通の炭酸水。なんとなくお酒を飲んだ気になるけど、実際には酔っていない。どれだけ飲んでも、理性が吹っ飛ぶことはない。
……なんというか、ここまで考えてしまう僕って、実は他人をあんまり信用していないんだな。
ともあれ、ジゼルが作った似せ酒は、雰囲気酔いみたいなものをもたらし、元老たちの口を軽くした。
世代交代。内乱の原因を作った根業矢と、僕を一度殺した九靫のお家取り潰し。その二件のおかげで、元老たちの間にあったみぞも表面上、埋まってきた。会話の内容も政治の話から、だんだん下世話な話になってきている。
「そう言えば、陛下、」
ふと鎧黄土の元老である、ダカールの声が、僕に向けられた。
ダカールは、スヴェンと同い年ぐらいの青年だ。似せ酒のせいで、目つきがぼんやりしている。
「陛下は、二年前とお姿が、お変わりありませんね。牛乳を飲まないと、背が伸びませんよ」
その瞬間、玉座の間の空気が凍った。みんな、苦虫を噛みつぶしたような表情だ。
さらには殺気を感じて、気配をたどれば、僕のあにやが無表情の仮面の下に、憤怒を押し隠しているところ。
ダカール本人は似せ酒のせいか、今の空気が読めないまま、にこにこしている。
「――この姿は、この国を守るため、私が生き残り帰城するために必要だったちからの代償だ」
「ちからの代償、ですか?」
「私は、
まだ何か言おうとするダカールに、隣席の誰かが、足を踏むなりなんなりして、押し止めたようだ。一瞬、痛みで悲鳴をあげかけた彼は、次に自分の失言に気づき、椅子を蹴って、床に伏した。
「申し訳ございません! 酒が進んで、つい」
だから、そのお酒、似せ酒なんだけど。
「新年の宴席。一度は水に流そう。二度目は無いと理解してもらえれば、それで良い」
今の僕は、九靫、根業矢、アペプの旧領をどうにかすることで手一杯だ。宴席程度の失言で、元老家系をいちいち潰していたら、僕の荷物が増えるだけ。適度に釘を打って、あとは放置しよう。
「さあ、それなりの節度を以て、歓談を続けよう。私は、あなたがたが、よく話し合う姿が好きだ。親睦を深め、二度と内乱が起きないよう、相互理解に励もう」
ダカールだけは青い顔をしていたが、他の元老六人は場を取り繕うようにぽつぽつと会話を再開した。
なんとなくニ之旗本リョウ、弓手司ブライト、馬鞍戸カナルの物問いたげな視線を感じたけれど、気づかない振りをして、似せ酒を飲んだ。
……去年は、本当に、姫君たちのご機嫌取りをしている暇が無かったのだ。
一昨年の晩秋、アペプ王国との戦争で領土を増やし、新たな臣民を受け入れたけど、細かな調整はまだ続いている。
――アペプ王セベクは好かれもしなければ、嫌われることも無いという普通の王さま。
義兄にあたるラシャプ将軍いわく、彼は、自身ができる範囲での最善を尽くす人だったという。
僕らヨルムンガンドとの対戦を決めたのも、ただ水と木陰を臣民に贈りたかった一心での宣戦布告。たしかに旧アペプ人は、水と木陰に飢えていた。ヨルムンガンドと完全接合することで、水かさを増した井戸に大喜びで、これが彼らの誇りを半壊させた。
大規模な抵抗運動は無い。それでも細かな反乱の芽はある。起因は、敗戦と弟王の死を知った、セベク王の姉が娘と無理心中をはかり、彼女だけ亡くなってしまったこと。
幸いセベク王の姪、ラシャプ将軍の娘さんのみ一命を取り留め、現在も治療中なのだけど。それがどういうわけか、僕がセベク王の姉を乱暴した末に殺し、さらに姪を手元において監禁しているという噂が出てしまっている。
だから! 僕は、そういうこと絶対しないってば!
僕のご先祖様たちは、一体どうやって、対戦後の二之旗本や根業矢を臣民として迎え、従えさせたのだろう。コツがあるのなら、教えて欲し――あれ? そう言えば……。
「……二之旗本の旧国名、ですか?」
ぎくしゃくして終わった新年会の後、私室に戻る間、スヴェンに訊ねると、彼もまた不思議そうな顔をした。
「たしかに、まったく聞いたことがありませんね」
それぞれの島国には名前がある。
卵か先か、鶏が先かは知らない。だけど、国名は霊宮の名前と合致している――単純に神さまかご先祖さまが、名前をふたつ考えるのが面倒で、まとめて単一にしてしまっただけかも知れないが。
二之旗本が昔、ひとつの島国として独立していて、ヨルムンガンドと戦って負けたのなら、その霊宮と同じ名前がついていたはずだが、今は二之旗本なんて呼ばれている。
対照的に、かつてのアペプ王国では、これまでに完全接合した国の名前を地方名、都市名や旧跡地の通称として遺している。新しい地名より、これまでの地名を流用した方が面倒が無くて、いいように思うけど……。
そんな僕の疑問に余さず答えようと、スヴェンは思案顔で唸った。間もなく、これは憶測ですが、と前置きして、
「陛下が、かつて霊宝武具に憑いていた亡霊を祓ったこと。そして、その霊宝武具に新たな能力を付け加えたことを考えますと、皇帝家の方々には、名前に関する、なにか不思議な能力をお持ちなのではないかと」
名前に関する、不思議な能力……?
「名詮自性、名は体を表す。よくある昔話ですよ。妖術師などに名を奪われると、言うなりになってしまうとか」
「ということは、僕がアペプ人たちに違う名前をつけて呼べば、政治が楽になるのかな」
「私個人の憶測です。名を変えることで、拘束できるのなら、根業矢や九靫どもが、ああも不敬きわまりない反乱を起こさなかったのでは、とも思いますから」
もしかしたらニコルとうさまには、たまたまそういう能力がなくて、反乱を防げなかった、とか……さすがに考えすぎか。
「まだ一年しか経っていないから、アペプ領に抵抗運動があってもしかたないよね。そのあたりは根気よくやっていくしかないや」
「はい」
二人そろって、僕の私室に入る。
新年とあって、しばらく書類仕事のたぐいはお休みだ。仕事始めは一月の五日から。
来客用の服を脱ぎ、ふと鏡を見る。
多少、筋肉はついてきたけど、あいかわらず身長は全然伸びてくれない。
「ぼく、本当に、このままなのかな」
僕の独り言に、服をたたんでいたスヴェンは無言だった。
……まあ、スヴェンだって呪詛を受けている身だから、その点については慰めようが無いのだろう。
「お心が鬱ぐようでしたら、次の、姫君たちとの会食は中止になさいますか?」
「忙しくて一年ほど遠ざけてしまったから、みんなまとめてなら会うよ。三元老たちも、その辺りを気にしていたようだから」
「はい」
「とりあえず今日くらいは、たっぷり寝よう。スヴェンも去年一年間ありがとう。今年もよろしくお願いします」
「はい!」
『失血が……きみは、こんなところで死ぬような人間じゃ無かろう!? このまま国と赤子と番犬を遺して死ぬ気か!』
誰かが。死に逝く誰かに必死で呼びかけている。
『ハラル! ハラル、目を閉じるな! この赤子の名前だって、きみは、つけちゃあいないだろう?』
『おじさん、行ってしまうのか? 僕らを置いて、どこかへ行ってしまうのか?』
『きみには、もう、おじさんは必要ないだろう。必要な道具は与えた。霊宮ヨルムンガンドも、ネルも、クーもいる。……ハラル。きみの母親は聡明で、強いひとだった。その血と名前を受け継いだ息子が、そんな途方に暮れた顔をしないでくれ』
――その日、何かとても重要な夢を見た気がするけど、翌朝、起きて間もなく、するりと忘れてしまった。
いつものように、お粥の朝食をとって、スヴェンと剣の稽古。
蒸し風呂から上がった後、昼食まで、のんびり散歩していたら、旅装姿の先生と出くわした。
「お帰りなさい、ギルベルド先生」
「うん、ただいま」
埃と擦り切れの目立つ外套を着た彼に対し、僕の背後に控えていたスヴェンが、さりげなく横に移動してくる。
「外遊、偵察の成果は、ありましたか?」
「まあね」
「……軍師のほか、帝師(ていし)も兼ねるというのに年の半分、国外に出なさる。怠慢の自覚はあるのですか?」
「他でも言われた、肝心な時にはいるけど、それ以外は全然いないってね。俺の給与は現物支給だから、給料が半分浮いて、良かったじゃないか」
スヴェンの嫌みをあしらった先生が、それよりも、と話題を変えた。
廊下で話すようなことでは無いらしく、空き部屋のひとつを確保して、そこに移動する。
「――やはり各国とも、国政の傾向が軍備増強になっていた。ヨルムンガンド含め、残る島国は六カ国。ここまで数が減っていれば、全島国を統一して神になるという神話伝承を信じて、積極的に行動を起こす王将も出てくる」
先生が、手帳を取り出して、その文字を指先でなぞった。
「イルルンヤンカースは、昨年、潰れた。敵対島国の、五国中うち二国は、過去になんらかの因縁があったらしくて、そちらは勝手に対戦して自滅してくれるだろう。今後、ヨルムンガンドが対戦する可能性があるのは――ラドゥーン、タンサ、ニズヘッグあたり」
「……あの」
「逃げるという選択肢はないよ。ヨルムンガンドは巨体過ぎて、速度が足りない」
先生に、先回りして言われたので、僕はその言葉を飲み込んだ。
「きみの帰城から、二年か。完全とは言わないが、地質や水質は改善された。士官学校の一期生も出る。軍事や税制度を少し引き締めよう。それから、各元老に沿岸部の警戒防護を強くしてもらう」
「沿岸部ですか?」
「ラドゥーンの地形と、あそこで増産された武器が、かなり厄介だ。今のうちに備えるべきだね」
先生は、手帳の空いた頁を開いて、簡単な地図を描く。
「普通の島国は、可能な限り、円形に領土を広げていく。平時において首都、そこに居る王将を外敵から守るためにね。かつてのヨルムンガンドも大体そうだっただろう? 今はアペプ領の接合により、ひょうたん型になっているけど。だがラドゥーンは、三日月状に領土を広げてきた」
いびつなひょうたん――今のヨルムンガンドの地図に、もうひとつ何かを描き加える。
「……これは」
スヴェンが息を飲んだ。
僕だって、びっくりだ。もし、この地図の縮尺があっているとしたら――
「ヨルムンガンドの、ほぼ半分を包囲できる形をしているんだよ、ラドゥーンの地形は」
ああ、そうか。僕がラドゥーンの王将なら、ここでヨルムンガンドを潰す。
これ以上、ヨルムンガンドが肥大化すれば大人数の人力、人海戦術という意味で、手強くなるからだ。
白側、黒側の駒の数が同じ白黒将棋は、指し手の戦略眼、戦術眼、経験が純粋に反映される。しかし、最初から駒の数に三倍の差があるなら? 五倍なら? 十倍なら? 数の暴力だ。
先に宣戦布告して、まず有利な位置取りをする。土地の大半を囲いこんだ後は、国橋以外に架橋車や拒馬柵を準備して、巨大投石機で沿岸部を潰しながら、上陸する……かな?
ヨルムンガンド側が沿岸部を放棄して、戦力を国橋周辺に一点集中させるつもりなら、無意味な策だけど、現状、それはない。
内陸部の穀物や牧畜だけでは食糧確保が不十分だから、沿岸部の漁業や養殖も潰したくない。
何より、塩、だ。塩は現在、沿岸部でしか精製できない。
僕らが根業矢、九靫を潰したのは、逃げ出した農民をもとの土地に戻す意図もあったが、何より、塩の大量精製が可能な海岸部を、直轄地として確保したかったから。
慢性的な塩分不足により、あの十二年間、首都圏の民は体調不良、精神不安定に見舞われ、圧制者に刃向かえないでいた。塩の確保は、人体にとって、本当に重要なんだ。
戦争で、直轄地や元老領の沿岸部を破壊されたら、ヨルムンガンドは復興のための莫大な予算を割くことになる。
――だから沿岸部の防衛は、放棄できない。
「……先生、実際に、ラドゥーンの内政や軍備はどんなものでしたか?」
「内治、軍事ともに、国政のお手本みたいに平均的。練兵は、高性能な飛び道具のせいで、接近戦に弱くなってたな。暗君気味の先王を斃した経緯から、臣民との結束力は良い。すべては女王と、その姉の手腕だな」
「ああ、女のひとが王将なんですね……って、え?」
女のひとが王将?
それって、ますます戦いづらいじゃないか……!
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