白いイシ黒いイシ

 囲碁、という遊戯があるそうだ。

 それは、白と黒、ふたつの石を並べ合う陣取り合戦。

 ヨルムンガンド帝国では、これは二之旗本領から伝わった遊戯とされていて、これは戦術戦略論において、定石、布石、先手必勝とかの語源になったらしい。

 黒石を持つ者が先手とされることから、積極的あるいは攻勢という意味合いを持つようになった。

 だから、つまりは――


     ◇ ◇ ◇


 それが議題に上がったのは、二〇一四年一月五日、御用始の朝議でのこと。

 全員の手元にあるのは、これから一年あるいは複数年、各元老領ごとの年間計画、実行予算、収支目標をまとめた書類と碁石の入った袋だった。

 年始ということもあって、それらを片手に、国全体の路線を決めていく。

 内乱最初期に、中央の官吏官僚の大半は根業矢の私刑で処分されてしまったけど、生き残りは、二之旗本に逃げ込んでいて、僕の帰城を機に帰還している。

 先生は、二之旗本の影響力がー、などと言っていたが、僕はあまり気にしなかった。

 生き延びた人たちは、首都の民を見捨てたという良心の呵責から、薄給で粉骨砕身してくれているし、僕を上手く補佐してくれている。

 ――減税を理由に、この二年、元老たちを国政に直接関与させなかったけど、今回、元老院議会の投票権を復活させることにした。

 で、今は〈根回し済みの各官長たちはともかく〉元老らが目を剥き、朝議最後の案件に異を唱えている最中。

「前のアペプ対戦から一年、完全な掌握もままならないままに、次! しかも、こちらから戦を仕掛けるとおっしゃるか!? ラドゥーン相手に!」

 馬鞍戸の元老の一喝に、他の六人もほぼ同意見のようだった。

「……ずいぶん好戦的ですな」

「いまだ国力は完全ではありませんよ」

「理由はある。亢龍軍師、図説を」

「はい、陛下」

 僕の合図で、先生が卓上に地図を広げた。よそ行きの、しかし慇懃な表情だ。

「これは、ヨルムンガンド。そして、こちらがラドゥーン。ラドゥーンの地図は、現地国軍の地図事業による複製を、勝手に拝借してきました。二〇一二年作成ですが、ほぼ最新です。ヨルムンガンドの地図は、ラドゥーンのものと縮尺を合わせました」

 地図を見て、元老たちは意図を理解したようだった。

「亢龍軍師、これは左右からの挟撃、両翼包囲になると?」

「やり方次第で、全周包囲もできますよ」

「………………」

 先生が答えた。

 元老らがうなる。

「先の対アペプ戦と、その後の武装解除時、我が軍の損耗率、致死ならびに重篤傷病の兵は極小減でしたので、戦力、資源はともに問題ない」

「しかし、二年と経たず、新たに土地や民を得てもですねえ」

「領土欲に駆られているわけでは、ない。対ラドゥーンに限っては先手を打つことによる、自衛。そう考えて欲しい」

 僕が言うと、しかしですな、と元老たちは顔を見合わせる。

「陛下。陛下は、おいくつになられた?」

「……数えで、十五。実年齢は十四だけど」

 僕は、共通歴二〇〇〇年の生まれだ。

 しかし今、それになんの関係が。

「戦は危険です。ですから先に跡取りを考えてみては」

「跡取りの一人もいなくて、積極的攻勢など」

 いや、理屈はわかるし、世襲制なら子作りは当然の義務だろうけど。なぜ、この議題で、そこまで話が飛ぶんだ。

 ……困ったな。

 正直いうと、僕は結婚したくない。

 というか、結婚に付随するであろう『子供を作る行為』を完全に嫌悪してしまっている。

 いつだったか。スヴェンは、子作りや結婚がいやなら、上帝を目指すべきだと言ってくれたけど……。

 不意の横槍に、どうしたものかと返事に詰まっていると、

「この世に、残り数国という状況で、今から跡取りを作ったとしても、すべては無為に終わるでしょうね」

 先生が、横から口を挟む。

「亢龍どの、何を、」

「陛下が戦によってお隠れになる危険性を考えているのなら、それはヨルムンガンドの敗北、国としての消滅を意味する。世は、すでに最終局面。この数年内に間違いなく、島国すべては統一され、ケセド共通歴は終焉を迎えることでしょう」

 共通歴というのは、すべての島国に共通した暦のこと。

 かつてこの世界をひとつにした上帝テレシアスの妻、玄女ケセドの名前に由来している、それ。ケセド共通歴元年こそ、テレシアスがこの世界を統一したといわれている年だ。

 各島国で、独自の暦をもっていたりもするけど、全部バラバラでは、対戦日時の指定が混乱するからね。政府の公文書では、共通歴と独自歴の併記が推奨されている。

 で、だ。その共通歴が終わるということは、つまり――

「すでに玄女は現れ、この世で聖婚相手の王将を捜している最中ですよ」

 医官長の背後に控えていたジゼルが、びくっと震え、僕の横に立つ先生を見た。

「もう宣言してしまいましょう。俺の命をかけて、ヨルムンガンド帝国、第九十九代皇帝マルセルを、自然死を迎えることのない上帝にすると誓います」

「……は?」

「なんと……」

「そのようなこと、」

「長年、放浪してきました。本当に、長い間。その間に各国、各王将を見てきましたが、俺の理想を体現できそうな王将は、陛下だけです。自分の命に換えても、マルセル・ヨルムンガンドを上帝にする。その覚悟がある。そして、この俺がそう決めたからには、十中八九、現実のものとなる」

 断言した。断言された。その言葉は、揺るぎない。

 僕も元老たちも各官長を口を挟めそうにない、強い言葉だ。

「永遠に生き、老いて死ぬことが無いとなれば、跡取りの重要性は、もはや皆無。そして、その先に問題があるとすれば、」

「………………」

「陛下の気性を考えれば、娶る妻は唯一でしょう」

「おいっ、ギル!」

「その一人を出せれば、その家系は安泰、かも知れない。しかし、その他大勢は無下にされる、かも知れない。――万が一、皇后となった姫が陛下の機嫌を損ねたなら、その怒りが解けるまで何百年と冷遇される、かも知れない」

 かも知れない、の連続だった。その物言いこそ、不安を煽る。

 これまで正統派に遠慮していた逆臣派。そして今現在、率先して自分の家の姫を差し出そうとしている三人の動きが、凝り固まってしまった。

「不老不死など……。そんな伝説や神話が、本当に、有効だと?」

「なぜ島国は動く? なぜ国橋が架かる? なぜ生贄がいる? すべては創世神話由来、そう考えれば、説明はつく」

「……陛下は、」

 今まで黙っていたリョウ元老が口を開いた。

「天下統一を本当に目指しているのですか? そのために戦い、そして上帝になると?」

 今回は別に上帝になりたくて、対ラドゥーンへの宣戦布告を考えたわけじゃないけども。

「公人としての私は、帝国二千年の歴史の存続を望む。ヨルムンガンドには未来永劫、ヨルムンガンドであって欲しい。長い間、積み上げてきた歴史を、文化を、今ここで消し去りたくない」

 そして、と。咳払いする。

「個人としては……ただ、一方的に踏みにじられたくないだけだ。抵抗する武器や能力を持てずに、家族の死を見る、自分の死を待つ、それがどんなに恐ろしいことか。長らく内乱を体験した世代は理解できるはずでしょう?」

 僕が本当に強かったら、姉三人をあんな風に死なせずにすんだ。

 あんなことが起きなければ、僕はもう少しだけ、結婚や子作りというものに前向きになれただろう。

「僕は、眼前で家族や仲間を殺されてなお、無心でいられるほどの人間じゃあない。戦う時は、戦う。蹂躙には、全力で抵抗する」

 過去はやり直せない。この傷は癒えない、癒やせない、癒やしたくない。

 ならば、これ以上、傷つかないように最善を尽くすだけ。

「無理に、対ラドゥーンの宣戦布告に同意しろとは言わない。この案件に対して、元老には投票の権利と義務がある。元老それぞれは一票、僕のみ二票、総じて九票とする。

 資料とともに配った袋に、白黒の碁石を複数個入れた。黒は、先手を取って宣戦布告する。白は、こちらからの宣戦布告は見合わせる――」

 打ち合わせ通り、先生が投票用の革袋を持ち、ジゼルが残った石を回収する箱を持つ。

 会議の卓を右回りに、全員分の投票を終えて、すぐ開票をした。

「黒、四。白、五」

 こちらからの宣戦布告は見合わせる、という結果に終わった。

 どちらに投票したか悟らせないよう、みな一様に無表情を保っているあたりは流石だ。

「宣戦布告を見合わせる故、対応策をとって頂きたい。亢龍軍師!」

 僕は、次善策を先生に丸投げした。

 先生は、円卓に座る一人一人の顔を順繰りに見た後、もったいぶったように口を開く。

「海岸線にそって堡塁、防御壁を作ります。幸いにも、アペプ領には採取の簡易な土砂が腐るほどあり、正統派以外の元老領は、ベルゼルクルが数年、山林に立ち寄らなかったことで木材、間伐材が山ほどある。木材は船大工へ優先。作成した土嚢は、高さ三十米(メートル)、幅三米を最少の目安として積み上げる」

 先生が、足下に置いてあった武器を持ち上げ、卓上に置き直した。

「ラドゥーン側は、このような武器を生産していた。これは弩弓と呼ばれている。巻き上げ器を使って高めた張力、貫通力はなかなかで、素人の手でも命中率は高く、女、子供でも一兵士となり得るのが強み。――これに弱点があるとすれば、複雑なからくりのため、射撃までに時間がかかり、また壊れやすいこと。緊急時の増産が難しいこと。直射のため、射線の予測方向が絞られること」

「……なるほど、縦でなく、横に弦を張るか」

 無表情に徹していた元老たちの、顔つきが変わった。

特に弓手司は、実際に触ってみて、未知の弓矢に関心を持ったようだ。

「矢の形が。これは見たことがない」

「ラドゥーンの武器庫から、これの設計図と、実物を三張、拝借してきた。これを参考に弓手司と、旧根業矢の鍛冶、武具職人に研究開発をしていただき、可能ならば増産に備えて頂きたい。性能の向上をはかりたいが、矢は鹵(ろ)獲(かく)も考え、規格は同一が望ましい」

「……亢龍軍師は、有能ですな。各地に、密偵を放っておられですか?」

「すべて自力です。単独行動は得意なのですよ」

 先生は、皮肉げに答えた。

「実のところ、軍師として名を上げたのはつい最近。昔は、他人に言えないようなことばかりしていた、手癖の悪い悪童でしたから」

 その案件を最後に、今日の朝議は終わった。

 いつもの終了予定時間より一刻ばかり、長引いている。

 オニグマのおなかがぐーぐーと大きく鳴っていて、その音に、僕の腹の虫はかき消された。

「――マルセルくん」

 執務室に戻ろうとする僕とオニグマ〈と非番にもかかわらず当然のように合流してきたスヴェン〉を、先生が呼び止め、空き部屋に引っ張り込んだ。

 白宮殿のこのあたりは、応接室や貴賓室が複数あるので、ちょっとした話をするには困らない。

 廊下にスヴェンとオニグマを立たせて見張りにした先生が、そのまま背中で扉を蓋する。

「きみね。さっきの投票で、黒ふたつ、ではなく白黒ひとつずつにしただろう?」

 ……この人は、他人の顔色を読むから、すぐ判るとは思ったけれど。

「元老たちの意見も、尊重しようと思っただけです。戦争は、国全体を巻き込む。ならば、できる限り、他人の意見も聞きたい」

「両翼包囲から、全周包囲に展開するのは容易だよ。アペプ領に火種を投げ込めば、仕込みは終わり、長期消耗戦に突入する。よほどのことがない限り、被包囲戦は避けるべきだと、教えたはずだけどね」

「記憶しています、もちろん」

 でも、と。僕は、先生の顔を見返した。

 あいかわらず、眼鏡の奥の瞳は、よく見えない。

「初期に想定される包囲は、国土の半分から三分の二。そして、堡塁、土嚢、防御壁、大量の木材や間伐材について、先生が言及したとき、かなりの確率で勝てそうだなと思いました。僕が、先生の思考をきちんとなぞれているのなら、ですけど」

 先生は、ふーっと息を吐いた。

「それより。政略結婚のこと、横槍を折ってくれて、ありがとうございます」

 お礼を言うと、先生は酷薄の笑顔を浮かべた。

「傾国、絶世、長恨歌。女狂いの王は、国を滅ぼしかねない。だからさ」

「あの姫たちは、僕に嫁いでも、幸せにはなれないでしょう。いろんな意味で。それどころか親族から、一生責められ続けると思う。それくらいは、解るようになりました」

「ジゼルさんに頼んで、媚薬と精力剤でも作ってもらう?」

「好意のない行為こそ、この世で一番、唾棄すべきことです」

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