帰城するは汝の王

 僕の行く道は、生まれた時から決まっていた。

 右に左にうろうろしても、結局は一本道で、両脇は高く重い壁をそなえて、逃げ場はなかった。

 いつからだろう、その道を歩くのが息苦しく感じられたのは。


   ◇ ◇ ◇


 そこは荒れ果て、ねえやたちが語った首都とはまるで別物に思えた。

 首都をぐるりと囲む壁はあちこち崩れ、白骨化した死体が穴をふさぐように積まれている。

「こちらへ」

 スヴェンが周辺を確認してから、僕らを手招きした。

 ぐにゃりとした何か臭い物を踏んだが、足下を確認する気になれない。

 焼失、風化した建物の横を通るとき、僕の手をひくスヴェンの指にちからがこもる。

 見上げた残骸の一部に、盾を抱える犬の紋章が見られた。

 町中は空虚で、物がろくにない。

 風雨にさらされた人骨。片づけられない糞尿。それらにたかる蛆、蠅、野犬。

 どうにか形が残っている建物から、どっと笑い声がもれ、次に窓の外へ、ぽーんと何かが投げ捨てられた。

 粗末な草花がいけられた頭蓋骨がひとつ、そこに落ちる。

「………………」

 粗末な外套の下、二本刀の柄に指をかける。

「大事のまえの小事だ、落ち着きなさい」

「これを小事と言うんですか!?」

「あれは、とっくの昔に死んだ人間、それも一人だ。これから先、きみは生きた人間一億人を背負う。いちいち突っかかっている時間が惜しまれる」

 ……小事なのか? 人間ひとりの死は。

「許せないのなら、はやく霊宮から頭光を賜れ。そのあとでなら王将の名において、八つ裂きでも、なんにでもするといい」

 せかされ、前へ歩を進めたけれど、しこりは残る。

 ……先生は、大局ばかり見て、時々大事なことを見落としているような気がするのだ。

 重い曇天。冷たい風。

 いやな意味で見通しがよくなった目抜き通りの一番奥に、巨大な建物が見えた。

 何もかも、もうめちゃくちゃなのに、白宮殿は偉容を保っているかに思われた。が、近づけば近づくほど、それははりぼてみたいな威圧感だ。

 覗いた堀に水はなく、かわりに汚泥と白骨と腐った肉が敷き詰められている。

 見上げた石壁には呪われた血文字と、千切れた縄のきれっぱし。

 呑気な門衛は詰め所にひっこんでいて、酒をあおっている。

「今のここは、」

「――陛下?」

「ねえやたちが帰りたかった場所じゃあ、ない」

 溜め込んでいたものが、ふつふつと煮立ってきた。

 怒りと嫌悪感で、胃がどんどん重くなってくる。

「スヴェン、援護を」

 懐中の袋から丸薬をひとつつまみだし、口に放り込む。

「マルセルくん、」

「だめだなんて言うな! もう誰にも、僕を否定させない!」

「御意。――亢龍どの、内通者の避難誘導でも、されていろ。陛下は、お怒りである」

 スヴェンが、先生の言動と行動をさえぎった。

 正体を隠すための外套を脱ぎ捨て、白宮殿の門前に立つ。

 さすがに詰め所から三人ばかり、兵士が飛び出してきた。

「貴様ら、なに、」

 誰何むなしく、スヴェンが三条、刀を振るっている間に、僕は霊宝武具の二本刀を抜いた。

 ――この扉は〝敵〟だ。

 僕のまえに立ちふさがる敵、僕の行く手をはばむ敵。

「敵ならば、ぜんぶ切り捨ててみろ! 二本刀!」

 ぐおーんと耳鳴りがした。周囲の音が、時間がわずかに遅くなる。

 左の刀が、僕の手を引いた――前へ一歩踏み出して、突き。

 トバル、トオハル……凍る、遠い春。

 目の奥、頭のなかで何か力強いものがぐるぐると渦巻いた。

 次に、刀は冷気を発した。切っ先から細氷が吹きだし、突きつけた先の扉が、ぱきぱきと音をたてて白く凍っていく。

「りゃあああっ」

 怒号とともに、今度は右の刀を扉に突き立てる。

 薄氷を踏む時のような、ぴしぴし、ぱきりという音が鳴る。

 小さな火花が一瞬ともった後で、扉は粉々に砕け散った。

「……霊宝武具の銘を、打ち替えたのか」

 ふうっ、ふーっと息を吐き出す。

 周囲の気温は低下していたけれど、僕自身は非常に熱かった。頭に血が上り、心音が耳元で聞こえる。

「うあ! うああっ」

 泥と血痕で汚れた緋毛氈の廊下を駆ける。

 僕の怒号を聞きつけ、簒奪者どもが群れて、前から、左から、右から次々に飛び出してくる。

 ――目の前に、いち、に、さん、よん。四人。

 屋内にて、武器は剣。長柄の得物はなし。

 間合い確認。群れているから、攻撃型は、縦の斬撃もしく正面突きが主流になるはず。

 持ち手確認。両手持ち、鞘の位置から鑑みて全員、右利き。

「ら、あっ!」

 気勢とともに振るわれた上段からの斬撃は、かわす。

 次にきた、中段正面突き、この程度、ならば左で受け流す。

「ちょこまかとぉっ」

 そのまま横に逃れた目標を見失って、たたらを踏んだ兵士は、後ろから追いついてきたスヴェンに譲り渡す。

 裂帛の声とともに、スヴェンが体重を載せた一撃を放つ。

「雑兵が、陛下に盾突くな!」

 人間一人をたたき割ったスヴェンが吠えた。

 強引に切り開いた道を駆ける。

 左から、三人。さっきと同じ要領で、さばく。

「うあぁっ、うあっ、あーっ」

 僕は、言葉のないけだものみたいに怒り狂っていた――はっきり言って、そのときの僕は狂っていた。

 頭がおかしくなっていた。

 ねえやとばあやを、とうさまとかあさまを、国を、城を返せと泣き叫んでいた。

 ……わめいたって、何も戻ってはこないのに……。

 扉を開ける。廊下を駆ける。階段をのぼる。

 そこにあっただろう絵画や調度品、家具は全部失われ、ただ台座には埃が積もっている。

『皇子。大広間には、ご家族全員そろって描かれた絵がございましてね。それをご覧になられたなら、きっとお父上のこと、お母上のこと、思い出せましょう』

「――う……あっ、ああああああああっ」

「陛下っ、お待ちを! ちっ……この、邪魔をするな雑兵が!」

 九靫の私兵を打ち倒していたスヴェンの声が、だんだん遠ざかっていく。

 先生の声は、とっくの昔に聞こえない。

『マルセル、そこの階段をのぼって』

『マルセル、こっちを右に曲がるの』

『そのまま、まっすぐ行けば、玉座の間』

 我に返ったら目の前に大きな扉があった。

 左右を九靫の私兵が固めていたが、彼らごと凍てつかせ、粉みじんに粉砕する。

 広間には、鎖と首輪でつながれた裸の女子供がたくさんいた。

 ぶくぶく太った体に、醜悪な顔を載せた老人が、玉座に座っている。泣き叫ぶ人々を、手にした長棒で叩いては、げらげらと笑う老人は、禿げた頭部に白銀の簡素な冠を載せていた。

『マルセル。あれは、私がきみにあげるはずだった冠だ』

『あの玉座は、おとうさまの次に、あなたが座るものですよ』

 ……知ってる。僕は、知っている。

 あれは代々の皇帝の頭に載せられる略式冠で。

 意外と小さな椅子は、とうさまや、おじいさまがたが座ってきた玉座で。

 いや、もう九靫とか兵だとか、そんなもの……どうでもいい!

「なんだあ?」

 広い、広い、玉座の間。

 その上座と下座。

 飛び込んできた僕を、老人は高見から見下ろし、誰何する。

「九靫の元老、ミョゴンであるか」

 腹の底から声を出しながら、高座へと歩き出した。

 虫の息の子供や、泣きじゃくって脅える女の人が転がっている。

 一歩ごと、霊宝武具で彼女らの鎖を砕いて、解き放つ。刀の威力はすさまじく、かるく一振りするだけの作業だ。

「元老あって、あの監視兵というわけか。主従ともども、くず揃いだな。反吐が出る」

「……マルセルか。こんなところまで、」

「よくも、その玉座、冠を穢してくれたな!」

 罵詈雑言の言葉が、口からぽんぽん出てきた。

 ねえやもばあやも、僕が口汚い言葉を使うことを禁止していたが、今回ばかりは許してくれるはず。

「皇帝家より盗み取った、すべての財を返還してもらう。国土も国民も……、すべて僕のものだ! これ以上の無駄遣いは、やめていただこうか」

 目につく全員の鎖を解いて、高座の手前で立ち止まる。

 ミョゴンは玉座から立ったが、冠をはずすことはしなかった。高座に立ったまま、長棒を両手に持ち、かまえている。

 ――僕の最後通牒は、無視されたようだ。

『きみは、この国の頂点に立つ男だ。臣下に、へこへこすれば、あなどられる。根業矢のような者に、また隙をあたえる。礼節忠信を軽視する国はね、マルセルくん、あっという間に滅ぶものだよ』

 ……そうか、こういうことだ。

 スヴェンが礼節忠信わきまえていたからこそ、僕もまた彼に礼儀正しくありたいと思った。

 けれども、こいつは。この老人は違う。

「その、醜悪な姿も不作法も、万死に値する。今さら言い訳はするなよ!?」

「鶏小屋のひよこがっ、俺に食いつくか!」

 老人が長棒をかまえた。

 棒や槍の間合いは大きく、それだけで剣は不利らしいと聞いている。

 しかし、霊宝武具の入手以前ならともかく、いまはそれほど脅威に思えない。

 踏み込んで、長棒の突き。

 それを避ける。

 階段ひとつ降りて、突き。

 それを避ける。

 床に降り立ってから突き。

 それを避ける。

 なぜ当たらない、とミョゴンが吠えた。

「おまえがっ、僕を! 無力な子供と見下しっ、慢心するからだ!」

 ミョゴンが繰り出す突きのすべてを見切って、二本刀をかまえる。

 いまの僕の背後には、女の人や子供たちがいた。みんな恐怖と空腹で動けない。

 あの夜の、僕のねえやたちと同じだ。

 僕はもう無力を嘆いて、ただ死ぬだけの男になりたくない!

「くそ餓鬼!」

 ミョゴンが長棒を大上段に振り上げた。

 一気に間合いをつめ、刀背で、ミョゴンの両腕それぞれに小手を打つ。

 ぴし、ぴし、ぴきと老人の両腕が凍りつき、驚いた彼は長棒を手放した。

 二本の腕の重さに耐えられず、肩関節が引き抜けたらしい。

 床を叩く重い音と同時に、その事実に気づいたミョゴンが悲鳴をあげた。

「うっでっ、がああっ」

 落ちた長棒が、鋭角になるよう、ふたつに切り分けた。

 比較的、元気そうに見えた女性二人にそれを手渡す。

「あなたが受けた屈辱は、そのまま私の――マルセル・ヨルムンガンドへの最大の侮辱である。あなたは、あなたの思うまま、この老人を打ち据えるがよい」

「………………あ、」

「しばし留守にする。私の目がないうちに、すべてすませよ。しかし、私がこの場に戻ったのちは、一切の復讐と報復を禁ずる。いかなる私刑も、法の上では、罪であるから」

 言葉をかけると、彼女らは顔を見合わせ、それでも槍めいた棒を手に立ちあがる。

 ――行き場のなかった怒りを手に、彼女らは棒槍を振りかぶった。

 僕は、それに背を向け、見なかった振りをした。

 私刑は罪だ。だから僕は何も見なかったし、何も聞かなかった。

「……おーじさま、なの?」

 痩せこけて、小さい女の子が、僕によろよろ近づいてきた。

「……ちがうよ。皇子じゃなくて、皇帝」

「こーてー?」

「皇帝マルセル・ヨルムンガンド。きみの、本当の王様だよ」

 垢と鬱血で変色した女の子の頬を撫で、問いかけに応じる。

 彼女はひどい異臭を放っていたが、そんなこと、おくびにも出さない。

「まるせる、こーてい」

「そうだよ」

 枯れ枝みたいな手足に、青黒い痣と斑点が浮いている。ここで鎖につながれたときから、ずっと泣いていたんだろう、目の縁が赤くなって切れている。

 ふけだらけの頭を撫でたら、彼女はにゃあと鳴いた。

「きみ、ここで待っていてくれるかな。僕一人で行かなくてはならない場所があるんだ。そのうちスヴェンという名前のおにいさんがくるから、彼にも、ここで待つように言っておいてね」

 玉座の間から、控えの間に移動して、そこをくまなく探索すると、地下への階段を発見した。

 そのときには、僕の頭はだいぶ冷静になっていて、それまでの行いを少し恥じた。

 変に格好つけてしまった。思い返すと、顔から火が出そうな立ち回りだ。

 ――先に、先生から聞かされていた階段を、降りて行く。

 ふと、追っ手を殲滅させた遺跡を思い出した。雰囲気が似ている気がする。

 ……長いなあ。

 暗いから、よけいに長く感じるのかな。どこが底なんだろう?



 長い、長い階段の終わり。頑丈そうな格子と、その向こうに古い扉がある。

 扉には、ヨルムンガンドの紋章――盾をかかえた犬と、冠をくわえた蛇と、女性の顔が彫り刻まれている。

 ここが霊宮と呼ばれる場所だ。白宮殿の一番地下。

 けれど眼前の格子戸は目が細かくて、手足のない蛇ならともかく、四肢のある人間が通り抜けるのは難しい。

 背伸びしてみたり、かがんだりしたが、完全なはめ殺しに見えた。

「霊宮……? ねえ、霊宮! ここにいるんでしょ? 開けてくれ!」

 呼びかけても、僕一人の声が反響するばかり。

 途方に暮れ、格子を見つめる。

 ……二本刀で切れるだろうか?

 初めて手を伸ばし、材質を確認しようとすると、指どころか腕まですり抜けた。

 感触が、まるで水か空気だ。格子は目に映るのに、実体が、ない。

 首をひねりつつ、ためしに一歩前進したら、すでに格子の内側にいた。

 なんだろう、これ……このまま進んでも平気かな。

 物の道理はよくわからないが、もう前へ進むと決めた。

 僕に、そう決断させたのは、街角で見た光景だ。

 ……げらげら笑いながら、人間の死体を放り投げる者たち……。

 僕が迷うだけ、生きてる人間は死に、死んだ人間は辱められる。

 扉に手をあて、押し開いた。

 ――そこは青白い光に満ちた、石造りの部屋だった。やはり、いつかの遺跡に似ている。

 向かいの壁に、色あせた壁画があり、何かの絵物語が描かれていた。

 やはり井戸があって、鉄で補強された木の板と鎖で封じられている。

 湿った泥の匂い。近く、遠く、ざーんざーんと耳を打つ水の音。

 封じられた井戸を迂回して、最初に壁画を見上げた。

 僕たちが日常的に使う口語文語ではなく、先生の教科書に載っていた古典文語に近い。

 刻まれた文字を指でなぞって、歯抜けの文章を読んでみる。

「『上帝テレシアスは、アクセル太子を打ち殺そうとした。

 母の愛から、玄女ケセドが息子を身を挺してかばい、そのまま息絶えた。

 天の国をささえた蛇囓る世界樹は、そのまま朽ち縄と化した。

 ただの縄では天の国をささえられず、大地は無数のかけらとなって海に墜ちた。

 こうして、神代は終末を迎え、世界は崩壊した。

 いま、世界にある島国は、かつて天の国を構成した大陸のかけらである。

 天の国の首都は直下して、そのまま死者の国となり、死の女神は孤独にひとり、そこにしずかに暮らしている』」

 ――創世神話の一部みたいだ、この壁画。

 でも昔、ばあやから聞いた話と、天の国をささえたのは、蛇囓る世界樹ではなく、千の頭を持つ蛇の松だった。ばあやは首都出身じゃなくて、馬鞍戸から、終の盾にお嫁に来た人だから、伝説が食い違っているのだろうか。

「あれ? アクセル太子?」

 アクセル……アクセル……アクセル……。

『アクセル。また、あなたのしわざですか?』

 誰かの言葉が頭をかすめた。

「――いや、こんなこと考えてる場合じゃない!」

 ばちんと自分の頬をたたき、気合いを入れる。

 霊宮と関係のないことなら、いまは、こんな壁画を気にしちゃいけない。

 はやく霊宮という場所に棲んでる、霊宮という名前の神様に会わなきゃいけないんだってば!

「霊宮! れーいーみーやー! どこにいるの、はやく出てきてよ!」

 とにかく叫ぶ。

 霊宮という場所は、横にうんと広かった。左右に延びる通路は、ここからではもう先が見えないくらいに長大だ。どこか別の場所にも、出入口があるのかなと思えるくらい。

「霊宮! れーいーみーやー!」

 叫んでいたら、間近の井戸の、そこを封じる板ががたんと揺れた。

 がんがんと下から、誰かが板を叩く音がする。

「……もしかして、井戸のなかにいるの?」

 僕の呼びかけに、またもがたんと揺れて、叩く音。

 迷わず、霊宝武具を抜いた。

 僕の体温は、まだ少しだけ、熱い。いまなら、霊宝武具を使える時間が残ってる。

「霊宮、ちょっと離れて、この板どかすから」

 井戸はしずかになった。

 鎖を断って、鉄鋲やかすがいの周縁に刃を突き立てる。

 本当にちょっとずつ、板を切り裂いて、取り除く。

 その作業が終わるころ、丸薬の効き目も切れてしまった。

 地下の冷気が身にしみるようになり、ぶるりと身を震わす。

 封を解いた井戸は、綺麗な青い光を放った。

 水音をたて、井戸のなかから白い手がにゅっと伸びたかと思うと、ずるずると裸の女の人が這い出てくる。

 井戸の女性は、濡れた前髪の隙間から、じっと僕の顔を見つめた。

 青い肌。

 縦長の瞳孔が浮かぶ、青い目。

 白すぎて、青にも見える肌。

 それから、

「蛇……?」

 腰から下が蛇。長く、太い蛇の胴。

 霊宮ヨルムンガンド。

 僕の国の神様。

 ……どんなに願ったって、何ひとつ叶えてくれなかった神様。

「マルセル、なのね」

 蛇の女のひとは、僕の名を呼んだ。

 青い目がじわじわっと潤んで、たしかに涙をこぼした。

「待っていた。わたし、ずっと待っていたのよ。ニコルが首を落とされた日から、ずうっと」

「……あなたが、霊宮? ヨルムンガンド?」

「ええ」

「今まで、ここに閉じ込められていたの?」

 そうよと霊宮は、うなずいた。

「ニコルの首を辱めるという脅迫に、井守たち――私の世話をしてくれる神官が屈して、この井戸を封じたの。それ以降、十二年間、誰も来なかった。各地の、かつての霊宮の井戸は、遠い昔に封じられていたから、わたし、何処にも行けなかった……ずっと、ひとりぼっちで……」

「………………」

「大きくなったのね、マルセル。いまも思い出せる。ニコルは生まれたばかりのあなたを抱いて、一度、ここに来たのよ」

 白くて柔らかい腕が、僕に巻き付き、かき抱いた。

「ごめんなさい。あなたが帰ってくるまで、ひとりで国を背負うつもりだったのに、私だけじゃあ、だめだったの」

「……そうか」

「腹を立てて、火山を噴火させた。泣きじゃくって、嵐を巻き起こした。だだをこねて、地震を発生させた。寂しくて、こころ細くて、長い冬を呼んでしまった」

「あなたは寂しいと、災害を起こしてしまうの……?」

「霊宮のこころと体は、大地と一体化しているから」

「あなたの心身が満たされているなら、天災は起こらない?」

「そうよ。だって、この国にいる民は全員、私の子供だもの。我が子を傷つけるような真似、私にはできないわ」

「――霊宮、あなたとは、いろんな話をしてみたい、でも、ごめん。そのまえに、やらなくてはならないことが、ある。頭光の冠というのは、どこにあるの? 本当の王将のしるし。それさえあれば国民全員が、僕を真の皇帝だって認めてくれる。その冠が欲しい」

 霊宮の腕をふりほどいて、彼女に訊ねると、彼女はもう一度、僕に腕を差し伸べた。

「いま、ここに」

「どこ?」

「ほら、あなたの頭のうしろ」

 白くて細い指が、僕の頭を撫でた。

「その顔に光背光輪あれ。聖者は知らず、知るは民草のみ。これは十日夜の光なれど、そののち、おのが聖徳で栄光、世に知らしめよ」

 古い言葉とともに、霊宮の手が何度か僕を撫でた。そして、彼女は目を細める。

「マルセルは、白い光なのね。でも、白は無垢と限らない。すべての色と光が混ざった、究極の混沌。どの色とも似つかないのに、あらゆる光を重ね持つ」

「……ええっと。だから頭光の冠っていうのは?」

「あなたの頭の後ろに、光の輪があるの。それよ。あなた自身は見えない光。ヨルムンガンドの人間には、十日間くらい見えてるわ。その間なら、誰だろうと、あなたが王将なんだって、見て、わかる」

 昔、ねえやが読んでくれた、裸の王様って絵本を思い出した。

 自分だけ見えない、わからないって、ちょっと不安なのだけど、

「えっと……ありがとう。じゃあ、僕は行くね。待っている人が、たくさんいるから」

「頭光が消える前には、また来てちょうだい。ひとりぼっちは、寂しいわ」

 名残惜しそうな霊宮をおいて、霊宮を出て行く。

 格子の不思議なんか、頭から完全に吹き飛んでいて、僕は一段ぬかしで階段を駆けた。

 ――玉座に戻ると、スヴェン他、見知らぬ人間が、たくさんいた。

 女子供に身を包む布を配り、飴玉や少量の水をあたえている。

 声もかけてないのに、全員がいっせいに僕を見た。

 スヴェンはすごい勢いで、僕に駆け寄る。

「頭光の冠を戴いたのですね」

「僕には、見えないんだ。きみには見える?」

「はい。白く、まぶしい光です。新雪のような、桜のような。……お慶び申し上げます」

 スヴェンが、僕のまえに膝を折って、頭を下げた。

「へーかぁ」

 僕らのそばに、ぺたぺた裸足で、さっきの女の子が歩いてきた。

 ……ああ、よかった。

 靴はないけど、もう裸んぼうじゃないや。女の子が、男のまえで全裸なんて、かわいそうだもの。

「陛下。この娘が、どうしてもと聞かず」

「ありがとっていうの、わすれた」

「え?」

「たすけてくれて、ありがとう」

 たどたどしい、棒読みの口調だった。目には、なんの光もないように見えた。ひょっとしたら、他人に強制されて、言わされてるんじゃないかとすら思った。

 けれど、

「ありがとね、へーか」

「……うん、こちらこそ……」

 ありがとうと言われた瞬間、僕は泣きたくなってしまった。

「へーか?」

「……陛下、どこかお加減が、」

「ううん、ちがうよ、ちがうんだ、そうじゃない、ただ」

 僕は先帝ニコルの息子だ、皇子だ、皇帝だ。王将だ。

 だから善いことや、正しいことをした見返りを、相手に求めてはいけないって、ねえやにずっと言われていた。

 なぜなら善政は当然の義務であり、責務なのだから。

 それで一喜一憂しては、ならないと。

 感情の起伏だけで行う統治は、たぶん、おそらく国民を不幸にするだろうと。

 でも……こうして、実際に、ありがとうって言葉をもらったら、とっても嬉しくて、とても誇らしくて、自分の存在価値を、存在意義を認めてもらえたような気がした。

「――ありがとう」

「へーか?」

「僕に、ありがとうって言ってくれて、ありがとう」

 血統や、それに伴う義務感ではなく。

 僕はただ、ありがとうという言葉だけで、戦えるのではないかという錯覚を――

「陛下、失礼いたします」

 立派な身なりの男性が三人、玉座の間に入ってきた。

 そのうちの一人を見て、スヴェンがさっと背筋を正した。

 とらわれの女性や子供たちは誘導され、壁際に下がっている。

「お慶び申し上げます」

 三人の男は、ただ僕の顔を見て、そして頭を下げた。

「二之旗本の元老、リョウにございます」

「馬鞍戸の元老、カナルにございます」

「弓手司の元老、ブライトにございます」

 彼らは臣下の礼をして、目を伏せる。

「……顔をあげて」

 玉座に座ってから、声をかけた。

 僕のそばにいた女の子は、スヴェンが抱えて、少し遠くに控えている。

 この場所で、玉座の高みにいるのは、僕だけだった。

「私の帰城にともない、あなたがたが一番に駆けつけてくれたこと、嬉しく思う。十二年、よく戦ってくれた。礼を言う」

 本音を言うと、はやく首都の見回りをしたい。けれど、彼らを無視することはできない。

 まずは彼らの労をねぎらうべきだ。十二年間の内戦を戦い抜き、スヴェンや先生を僕のもとへ送り込んできた人たちなのだから。

 三人の元老のあとで、今度は六人の男性があらわれた。身なりは立派だが、あちこち服が破れたり汚れたりしている。うち一人が、さっきの老人と同じ顔をしていたので、思わず奥歯を噛んだ。

「――不零剣(ふれいけん)の元老、サカー」

「燦々甲(ささんこう)の元老、ドドイ、です」

「鎧黄土(がいおうど)の元老、ジゴールだ」

「長単靴(ちようたんか)の元老、ダハでございます」

「……根業矢の元老、キョウシン、火急とのことで」

「……このたび、新たに九靫の元老となった、チャゴンである」

 僕は音を立てないよう、深呼吸をした。

 六元老の背後から、無言の先生があらわれ、彼らの頭ごしに、僕を値踏みしている。

「――六元老。この十二年、私を牢屋敷に押し込め、我が姉を殺害したこと。さらには、私の偽者の生首を使って、我が臣民をまどわせようとしたこと。弁解は、あるか? あるならば、今ここで」

 事の始まりである根業矢と、終わりである九靫の元老のはげ頭をにらみ、目を細める。

 しかし、彼らは無言だった。

「広大な版図を治めるには、この手はいささか小さい。ゆえに、元老という役職の重要性、有用性は、わかっているつもりだ」

 少し間をおき、彼らを右に左にねめつけた。

 そうして時間を稼ぎながら、言葉を探し、口を開く。

「とはいえ、逆臣を無罪放免とするつもりは、ない。

 まずは、いまある、あなたがたの私財すべてを没収し、国庫に納める。

 次に、しばし六人仲良く牢暮らしをしていただく。なに、私が十二年耐えたのだ、あなたがたもその程度、耐えられるであろう。あらゆる調査尋問に積極的に答え、さらに素行に問題がなければ、早期解放も考える」

 また言葉を切って、彼らの顔をじっくり見る。

「くわえて、元老の位称号をとりあげ、あなたがたの一族のうち、最年少の男子にこれを継承させる。安心めされよ、新たな元老には、二之旗本、馬鞍戸、弓手司のそれぞれから指南役や護衛をつかせる。いずれ私も直々に、護衛をつかせてやりたいと思っているよ」

 間をおいて、思考。

 そうだ、罰則だけでなく、税金や国政の話もしないと。

「さて、諸侯。この空白の十二年以前、皇帝家と元老は協力してきたことを記憶しているだろうか」

 税金や国政のおおまかな話なのだけど。

 元老は自分の領土から徴収した税収の一割を、さらに皇帝家へ国税として納めることで、元老院という組織に属し、投票権一票をあたえられる。

 終の盾だけは、この投票権を皇帝家に移譲していて――つまり皇帝だけ、二票分の投票権を持っていて、あらゆる議決に有利に臨めるのだけど……。

「情況を鑑みて、これより一年度分、地方に対する一割国税を軽減し、三元老は税収の二分、六元老は税収四分とする。浮いた国税分で、自身の領内を速やかに立て直すように。軽減税率と引き換えに、その間の元老院会議の投票権を私がすべてあずかる。軽減の期間は最短一年とし、その期間中、通常の元老院会議は行わない」

 王様口調のため、わかりにくい話に見えるけど、要点はよっつ。

 まず、六元老を交代し、目に見える懲罰で、国民の悪感情すべてを彼らに負わせる。

 彼らが溜め込んだ私財を没収して、不足分の国政予算に回す。

 短期間、地方の負担をかるくして、国力回復につとめる。これはもう一年か、二年くらいは必要かも知れないな。

 その代わり、国政の全権を皇帝(ぼく)に集中。完全に把握して、二度と内乱を起こさせないようにする。

「……最後になるが。皇帝殺しの罪をなすりつけられ、潰えた終の盾。彼らの名誉回復を全力で行うように。この命令は、我が民一人一人が、事実を正しく知り、周知されるまで継続していただく。

 ――聞け! 我が父、先帝ニコルを弑逆したのは、根業矢である! 忘れるなよ、六元老……。私の在位中、おのが罪科を忘れること、真実をゆがめて伝えること、決して許さん!」

 ごん、と床を叩く音がした。

 顔は正面に向けたまま、横目で音源を見れば、スヴェンが床に手をつき、背を丸め、低く嗚咽していた。

 そばにいた女の子が、びっくり顔のまま、それでもよしよしと彼の頭を撫でている。

「六元老。この沙汰に不満があるならば、おのが不徳を恨め。代々の宰相は、私を閉じ込めるばかりで、教官の一人もよこさなかった。その愚行のつけを払う時がきたのだ。

 二之旗本、馬鞍戸、弓手司。元老と、その領民の、これまでの忠信と厚意に感謝する。

 本当に、ありがとう。そして、これからも、私をささえてもらえるだろうか?」

 御意、恐悦至極と三元老が唱和した。

 六元老は、ひたいを床にすりつけ、僕と目を合わせようとはしなかった。

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