それは呪詛か祝福か
ばあやが死んだとき、初めて『人間の死』を知った。
ねえやたちが殺されたとき、『強姦』と『殺人』を知った。
僕自身が死んだとき、『屈辱』と『死ぬほどの苦痛』を知った。
無力は、そのまま死につながる。
――あんな思いは、もう二度と、ごめんだ。
◇ ◇ ◇
「陛下、奥へ! さあ、はやく」
スヴェンの声と手が、僕を暗く、せまい通路のなかへ押しやろうとする。
「私は、ここで待ち伏せ、追っ手を斬り捨てます。陛下は、もう少し奥へお隠れに。ああ、ですが、あまり行き過ぎないでください。この遺跡、別の入口があるとも限りません」
結果から言えば、雨天の渡河は失敗した。
逆臣派(スヴェンは、かつて僕の摂政だった元老たちの派閥をそう呼ぶ)の私兵軍隊に発見されたので、僕らは半々に分かれて、三元老の領地で落ち合うことになった。
ジゼルたちは、オニグマの持っていた熊の毛皮を僕に見せかけ、それをかついで、逆方向に逃げている。
僕とスヴェンは、道中にあった遺跡に逃げ込んでいた。
先生は、外で追っ手を攪乱。スヴェンは遺跡に入ってすぐの、この広場で待ち伏せ。
ここで一気に、追っ手を殲滅させようというわけ。
無謀な殲滅作戦。しかし、やむを得なかった。
やせっぽちで、喘息もちの僕は、長時間の逃避行に向いていないのだ。
通路に一歩、足を踏みだし、ふと振り返る。
暗がりだが、そこにスヴェンの背中が見えたような気がした。
「……亢龍どのも、霊宝武具を持っていたようですし、ある程度、敵兵を減らしてくれることでしょう。このスヴェンも、陛下を背にとなれば、全員、斬り伏せてご覧に入れます」
僕の視線を感じたのか。スヴェンが見得を切る。
「ありがとう……気をつけてね」
僕は足手まといだ。ここで、ぐすぐずしていたら、迷惑をかける。
いくらスヴェンが強くたって、僕をかばいながらでは、戦いづらいだろう。
お荷物は奥に引っこんでいるべきだ。
この先、なにも出ませんようにと、念じながら歩き始めた。
……もう、どれくらい歩いたのかな。
手探りの闇は、距離も時間もあやふやだ。おまけに頭上からの圧迫感。だいぶ天井が低くなってきているようだった。
進む先、うっすらと青白い光が見えた。たいまつや、ろうそくのような、人工的な光ではないことに安心して、僕は光の方角に、そのまま進んだ。
光は、朽ちかけの扉から、もれ出したものらしい。人間の気配や息づかいは感じられなかったので、思いきって、扉を開けてみる。
一瞬、鉄格子のようなものが見えた気がしたけど、つっかえずに入れたから、幻覚だろう。
石室のなかの空気は清浄で、青い光が満ちている。三方の壁から、ところどころ草木が生えていた。
すぐそこに井戸らしきものがあったが、鉄板と鋲で補強された、厚い木の板で封じられている。武骨な鎖で、封じられていて、水を汲むことはできそうにない。
「……はあ」
壁に背をあずけて、息を吐く。
行き止まりだから、かえって安心だ。これで、スヴェンたちも、僕の守りを気にせず戦えることだろう。
……男なのに、守ってもらってばかりだな、ぼく。
膝に顔を伏せ、祈るように、スヴェンからもらった短剣を握る。
「僕にも戦うちからが、あればよかったのに」
つぶやいた瞬間、ぞわっと背中に悪寒がはしった。
思わず顔をあげると、壁に並ぶ壁(へき)龕(がん)の、うちひとつが光っていた。
『おまえは戦いたいのか? ちからが欲しいのか?』
いつの間にか、そこに青年が一人、あぐらをかいて座っていた。顔の前に半透明の布をたらし、見たことのない服を着ている。
体を透かしてた向こう、二振りの剣があった。
「……どなた、ですか?」
『トバルカイン。刀匠だ』
「トバルカイン、さん?」
半透明の彼は、うなずいた。
ひょっとして、幽霊というものだろうか。幽霊は半透明だと、双子に聞かされたことがある。
『おまえは、なぜ戦いを、ちからを求めている?』
「……無力だから、です。自分の危機を、自分で解決できない。守りたいと思った家族すら守れなかった。そういう無力な子供だから」
『なるほど。俺とは正反対のようだ』
トバルカインは、ぱちぱちとまばたきした。
「トバルカインさんは、なぜ、ここに?」
『俺の魂が、この二本の刀にとらわれているからだ』
「刀に? なぜ?」
訊けば、半透明の顔が苦笑する。
『おそらく、おまえが生まれる何百年、あるいは何千年も前の話だ。俺は、とある魔女に育てられていた。実の親は知らぬ。魔女を養母として、勉学や剣術にいそしみ、そのかたわら鍛冶屋を営んだ』
「……はい」
『やがて各国の王侯貴族が、こぞって俺の武器を買い求め、それらを手にしたものの大半が英雄となった』
正直、彼の話より、スヴェンたちが気になっていたけれど、適度に相づちを打った。この部屋の先住民だ、仲良くしたほうがよいだろう。
『魔女は、刀匠として、英雄たちをささえる俺を誉め讃えたが、俺自身は不満だった。ありていに言えば、自分の作った武具が、ただ他人の名声の足しになっていることが気にくわなかったのだ』
「……そうなんだ」
『自分の感情に気づいたときには、多くの悪党やけだものたちは、英雄の餌食になっていて、俺の獲物なぞ、残っちゃいなかった。だから、』
「だから?」
『この武器で、育て親の魔女を殺した』
一瞬、彼の言葉に、ほうけた。
僕だって、実の母親のことは知らない。育て親はベラだ。けれど、ベラを殺そうと思ったことは一度だってなかった。
どこをどうしたら、親を殺すという話になるのか。
『不老不死と噂されていた魔女を殺すことで、俺は英雄になるつもりだった。子は、親を越えていくものだからな』
だめだ、もう相づちなんて打てやしない。
『魔女は、俺を憎み、この刀剣に呪詛と祝福をあたえた。――愛し子よ、その手にある武器に呪われよと』
「………………」
『ひとつは、遠春(とおはる)。死に到るまで、姿形変えることなく凍りつけ。ひとつは、加陰(かいん)。姿形は変わらねど、早々に燃え尽き、はらわた老いさらばえて死ねと』
「外見は歳をとらないけれど、内臓は弱っていくということ?」
『そのように俺は死んだ。おまけに、真名(なまえ)で呪われたせいで、死後も彼岸に渡れず、この刀剣に憑依する羽目になった。なあ、ろくでもない呪詛だろう』
さすがに自業自得だ。
黙って、石床を見つめていると、閑話休題と彼は言った。
『長い前置きだった。ところで、戦うちからが欲しいと言ったな』
「……うん」
『遠春、加陰。この一組の霊宝武具には、さらなる祝福と呪詛が、こめられている。遠春は、敵対者の身をわずかにすくませる。加陰は、持ち主の身のこなしをすばやくする。この効果によって、だれでも手軽に、二刀流の剣士になれる』
「……僕に、その刀を薦めることで、あなたは、なんの益を得るの?」
『若いくせ、ずいぶん慎重だな』
僕の質問に、トバルカインは肩をすくめた。
『この刀を、遠春加陰でなく、たとえば二(に)本(ほん)刀(とう)とでも呼んで、使ってやってくれ。別の名で呼び続ければ、いずれ呪詛は消え、俺の魂も解放されるはず。俺の利益は、それだけだ。……俺が生きた国も、時代も、とうの昔に滅び去った。いい加減、彼岸に渡りたい』
彼は、この境遇に心底うんざりしているようだった。
そして、僕は、彼の言葉にとりつかれていた。
僕は、スヴェンみたいに戦えない。剣術も、乗馬も、さっぱりだ。
この霊宝武具を受け取れば、気持ちが楽になれるだろう。
自分の身を守れる。みなに負い目を持たず、胸を張れる。
「………………」
考える。考える、考える。
そして、答は不意におとずれた。
「――おい、こっちだ!」
行き止まりと思っていた、石室の壁。その向こうから、声が聞こえた。
ああ、植物の根が、石壁を弱らせていたのだろう。
「せえ、のっ」
「続けろ!」
足音は複数で、そこに続けて、重い槌音が壁を叩く。
轟音のたび、ぱらぱらと砂利がこぼれ、壁に亀裂が入った。
右を見る。左を見る。天井を仰ぎ、床を覗きこむ。
スヴェンからもらった短剣を握り直して、すぐに頭を振った。……僕には、これを扱う技術が、ない。
「トバルカイン!」
『霊宝武具の主人、霊宝憑きになる覚悟は?』
「ある!」
反射的に叫んだ。
反射……いや、これは僕の決断、意思だ。
人間には、戦わなくてはならないときが、たしかにある。
だから今、僕は霊宝武具・二本刀を手にしよう。
他人を殺したくないなどという優しい感情は、現実の危機には無意味だ。
『――きみ、名は?』
「マルセル・ヨルムンガンド! この国の皇帝だ!」
『なんだ! やはり俺は、貴人に武器を献上するだけの男かよ!』
トバルカインは我が身を笑い飛ばし、壁龕から飛び降りた。実体のない彼の手は、それでも武器を捧げ持ち、僕にむかって膝を折る。
『どうぞ、皇帝陛下。霊剣刀匠トバルカインが、丹精込めて打ちました、霊宝武具・二本刀にございます』
自虐的な口上を聞き流しながら、武器を受け取り、鞘についていた器具で帯に固定する。
見た目より、かるかったので、よろけることはなかった。
「これを、二本刀、と呼んで、使い続ければ、いいんだね」
『そうだ。それで俺は……ううん? なんだ、思ったより、だいぶ早いな』
彼は小首をかしけたが、すぐに僕にむかって忠告した。
『マルセル、気をつけろ。その霊宝武具は、しつこいぞ。重石をつけて、湖底に沈めても、翌朝には自分の布団にもぐりこんでいるからな』
そして彼は、さよならもなく、かき消えてしまった。
トバルカインの消失と同時、壁は破壊された。
そろいの腕章と鎧をつけた兵士が三人、あらわれる。
「おう、大当たりだ!」
「金髪碧眼。間違いない、こいつが姫皇子って奴だろ」
彼らの視線を受け止めつつ、半歩、後ろに身を退く。
指先に柄が触れると、何かがびりりと僕の全身を駆け抜けた。無意識に、刀を鞘から引き抜いていた。自然に、よどみなく。
「おとなしくしてくれや。面倒は嫌いなんでな」
「は! 見た目に反したもん握って、まあ」
彼らは、どっと嗤った。
その笑い声、話し声が、少しだけ間延びして聞こえる。
彼らの一挙手一投足が、いやにはっきりと見える。
ああ、これが霊宝武具から授かった能力か。
――戦えるのだ、こんな僕でも。
「………………ひゅっ」
生まれて初めて、武者震いというものを経験した。
男としての矜持。強い武器を持つ優越感。
だけど、冷静でいなきゃ。絶対に、うぬぼれてはいけない。
これは自分の能力や努力の結晶ではなく、借り物だ。
「……戦うまえに訊くけど。撤退する気は?」
「あるわきゃねえだろ、こんな楽勝任務」
破壊槌を肩にかついだ大男が、ふんと鼻を鳴らした。
「警告は、したから。あなたもまた僕の臣民であるけれど、敵対するなら、斬り捨てる」
「お子ちゃまが、かっこつけて、」
豪快に嗤い、震えた腹部に――ただ一突き。
「がっ、げ、」
……それは、ばあや特製の豆腐を切るより、簡単な作業だった。
彼が身につけていた鎖帷子、革製の腹巻きを突き破り、手首を使って、刃をねじる。
絶叫が、わあんと耳に響いた。
一番の巨漢が血泡を噴いて、斃れるのを見、残る二人はその場に凍りついた。
内臓まで深々刺さっていた刀は、仰向けに倒れた男の自重で、簡単に引き抜けた。
「は、あ」
人間一人の死を見届けた直後、ひどい疲労感に襲われた。ぜいぜいと息を吐く。
これが……呪詛、霊宝武具を使うための代償か。
それでも僕は、足裏にちからをこめ、残る二人を見た。
「退く気は?」
もう一度、警告。
できたら二人には、逃げて欲しかった。いや、逃げてもらわないと困る。
「皇帝にとって、民は平時の宝である」
刃を突きつけ、一歩、二歩と踏み出す。
「……戦時の有用な、貴重な駒でも、ある」
兵士二人組は、二歩、三歩と後ずさる。
「ここで殺したくは、ない。退(ひ)きなさい。退け! マルセル・ヨルムンガンドが命じる、ここで退け!」
大喝すると、彼らは武器をほうり、瓦礫を乗り越え、我先にと逃げ出していった。
逃げる背中を最後まで見送り、そうして膝をつき、床に手をついて、咳き込んだ。
手から離れた二振りの刀が、がらりと転がる。
ああ……助かったのは、僕のほう。彼らじゃない。
床に寝転がって、咳き込む。
……疲れた……ひたすら疲れる。
この霊宝武具で、連続して戦うのは無理か。
そのまま、石の床にぐったり手足を投げ出していると、今度は一人分の足音が聞こえた。
まさか引き返してきたのか? でも、おそらく足音は一人分。
息は整わないが、それでも立ちあがった。
二本の刀を杖がわりに、体をささえる。疲労にかすむ目で、壁の大穴をにらむ。
「マルセルくん!」
「……せ、んせ……?」
足音の主を確認すると、そのまま気が抜けた。ふたたび膝をつく。
先生は巨漢の死体を一瞥したあとで、僕のそばにかがみ、顔を覗いてくる。
「霊宝武具に、吸われたな。もともと体力ないからね、きみは」
彼は、僕の上半身を片腕でかるがる抱き起こした。空いた手で、自分自身の懐中を探っている。
「――飲んで。薬だよ」
口唇で紐を噛み、巾着袋のくちを開けて、丸いものをつまみ出している。
「くすり?」
「黒蛇の血を、菖蒲の葉の煮汁で薄めて、砂糖と小麦粉で固めたものだ」
うながされるまま口を開け、赤黒いそれを放り込まれる。
一回だけ噛んで、嚥下した。
ただ、それだけで、手足と体内が温かく……いや、熱くなった。
呼吸はまだ浅いが、苦しいという感じはしない。血の巡りがよくなったのか顔も火照ってくる。
思わず、すごい、とつぶやきたくなるほどの妙薬だ。
「苦しいとか、痛いとか。違和感は?」
「ありません。手足が、かるいです」
「……そう。まあ、神話級の黒蛇の血を使った丸薬だからね。効いてくれないと、困る」
先生は巾着袋のくちを閉じると、自分のではなく、僕の服のかくしに、それを押し込む。
「先生……あの、ぼく、」
きちんと霊宝武具を得たことを告げると、先生は笑った。
「卦に出ていた。水天需、六四、血にまつ、穴より出ず」
血みどろの場所に追いやられても、なんらかの助けがあるから、おとなしく待っていれば良い。と、占いの結果が出ていたらしい。
血みどろの場所は、遺跡。助けは、トバルカインと霊宝武具のことらしい。
「だが、その霊宝武具に頼りすぎるな。鍛錬にも励んだほうがいい。それから、今、きみに渡した丸薬は劇薬だ。きみ以外の人間にとっては猛毒。絶対に、他人に飲ませてはいけない。わかった?」
「はい」
呼吸は完全にととのった。もう先生の手を借りなくても、半身を起こしていられる。
通路のほうから、みこー、へいかー、まるせるさまー、とスヴェンの声が響く。
「呼んでる。あちらも片付いたようだな。きみは、もと来た道を戻れ。俺は、しばらく、ここで見張って、異常がなかったら、入口に回って合流する。そう、つたえて」
「はい。……あの、ありがとうございます」
「こちらこそ。はやくに、きみの判断力、決断力を確認できてよかったと思っている。ぐだぐだ女々しいかと思えば。俺は心底ほっとした」
ぐだぐだ……。ほめられたのか、けなされたのか。判断つかない。
「さあ、行って。スヴェンが発狂寸前だよ」
うながされ、僕は通路を引き返した。
――さっきまで気にならなかった血のにおいが、だんだん鼻についてきた。
スヴェンが掲げた光を頼りに、遺跡の入口の広間に戻ると、そこには二十に近い死体が積まれていた。
僕だって、さっき、人間ひとりを殺したけれど、それでも唖然とした。
スヴェンは無傷でそこに立っていて、僕の顔を確認すると、しずかに微笑んだ。
「陛下を呼びつけるなど、無礼をいたしました。どうにも、その通路、私の体格では無理でしたので」
「……これ、スヴェンが全部?」
「はい。牢屋敷の雑兵に比べれば、数と練度は上でしたが、所詮は雑兵です」
スヴェンの言葉と、山と積まれた死体は、やはり強烈だ。
この人たちにも、父親がいて、母親がいて、こうして大きくなるまで一緒に暮らしたのだろうと思うと……。
「――陛下? どこか、お怪我を?」
否。スヴェンや先生がいなかったら、僕は、この場で殺されていただろう。
僕にも、ニコルとうさま、マデリンかあさまがいて、リンねえ、タムねえ、マリねえがいた。僕の家族は全員、他人の手で殺されている。
今はまだ安直な感傷にひたるのは、やめよう。彼らの死と引きかえに、僕は生き延びた。
「……スヴェンが強くて、とても、びっくりしたんだよ。僕のために戦ってくれて、ありがとう」
「そんな! ああ、恐悦至極に存じます!」
心底、嬉しそうな返礼。
――そうだ。今の僕らは、これでいい。これで、いいのだ。
「やあ。裏手は、あらかた片づけたよ」
先生が、その場にひょいと顔を覗かせた。
「あ。せんせ、」
「亢龍どの! 渡河すれば、よいことがあると、おっしゃったでしょう!」
すかさずスヴェンが、僕を背に隠すようにして、先生に恨み言をいう。
「収穫は、あったよ。遺跡に逃げ込んだおかげで、霊宝武具を見つけ、無事マルセルくんのものとなった。これで彼の悩みが、ひとつ減ったわけだ」
「霊宝武具?」
スヴェンは、いぶかしげに顔をゆがめ、僕を見下ろした。視線が、僕の腰あたりで、釘づけになる。
「陛下、もしや、その刀が?」
うなずくと、スヴェンは顔色を悪くした。
「代償! 代償は、どうなさったのですか!? 呪詛は、スヴェンの命でまかなえるのですか? 霊宝武具は、人ならざる武力を得る代わり、呪詛を受けるのですよ!?」
「トバルカイン……これに憑いていた幽霊のひとがいうには、外見が変化しなくなって、だけど、内臓に負担があるって」
「内臓の……あああ、なんということだ……」
「でも、すごく疲れるという感じだけだよ。代わりに、僕でも戦うちからを得た」
「本人の体力を増強して、かつ剣術を学んでいけば早々、呪詛に食われることもないだろう」
先生が、間にはいって、取りなしてくれる。
「それに、霊宝武具を持っているからといって、かならず使用しなくてはならないということは、ない。医術的な面については、ジゼルさんが詳しいから、合流後に、霊宝武具の悪影響について調べてもらおう」
しかし、先生や僕が言っても、スヴェンは落ち込んだままだった。
「私のちからが足りぬばかりに、陛下が霊宝武具に憑かれるなど、」
「僕が決めたことだよ、スヴェン。僕が、戦うちからを欲しかっただけだ」
「しかし、」
「皇帝とか、王将とかいわれているのに、逃げてばかり、守ってもらうばかりで、自分が情けなかったから。だから、スヴェンのせいではない。これは僕の決断だ」
やれやれ、と。先生が肩をすくめた。
「今日の反省会は、もう終わりにしよう。次の追っ手につかまる前に、距離を稼ぐ」
そして、彼はこちらに背を向け、すたすた行ってしまった。
僕らは顔を見合わせ、あわてて背中を追う。
――ここに逃げ込んだときは、昼過ぎぐらいだったのだが、今はもう日が落ちていた。
橙色と紫色が混ざったような視界のあちこちに、転がった死体を見る。
なかば飛び出した眼球の白に、思わずスヴェンの手を握りしめてしまった。
スヴェンは、僕の嫌悪や恐怖に気づき、力強く握り返してくれる。
「あの。外のは全部、先生が?」
「ああ。この霊宝武具で、斃した」
前を行く先生は、振り返りもせず、ただ着物のそでに隠れていた腕を露出させた。
左右の前腕に、それぞれ赤い紐が巻かれていて、その先端には飾り玉がついている。
「種類でいったら、これは流星錘。紐を振り回して、遠心力のついたおもりで打撃昏倒させる。霊宝武具・双頭蛇」
「先生の代償……呪詛は、なんですか?」
「ないよ」
あっさり答えられて、僕らは面食らった。
「霊宝武具は、もれなく呪詛がついているのでは、」
「呪詛なし、代償なしの霊宝武具も、まれにあるよ。極まれに」
「でしたら! それをマルセル様に譲渡してくだされば、」
「これの譲渡は、無理だ。霊宝武具は基本的に、死ぬまで身近にある。マルセルくんの二本刀もね。だからこそ、霊宝武具の使い手は、霊宝憑きとも呼ばれる。こいつは、俺が死ぬまで、俺に憑いたままだろうね」
……あれ? ちょっと待って。
「じゃあ、二生の盾は? スヴェンが、先生に譲渡することは、できない」
「そこは武具と道具の違い、かな? 他人を傷つけ、殺す能力に特化したものは霊宝武具と呼ぶ。霊宝武具を手にすれば基本的に、殺人の断罪(のろい)を負う。まれに、霊宝さまの情状酌量の余地が、ある」
先生は前を向いたまま、こちらを振り返らない。立ち止まることもしない。
「二生の盾は、霊宝道具に分類される。人を殺す武器ではない、生かす道具。しかし、死者(こうてい)を呼び戻すという特例のために、生者(ついのたて)が代償(のろい)を引き受けることになる。そして、終の盾はスヴェンの代で終わりだから、今の彼が持っていても意味が、まったくない」
「………………」
「どういうこと? 彼が終の盾の生き残りで、最後のひとりだから?」
「スヴェン、説明したら?」
「……陛下。終の盾は言葉通り、私で最後です」
まだ握られた手が、そのちからが、わずかにゆるむ。
「陛下の蘇生の代償に何を支払うかと訊かれ、私は妻子を持たないと答えました。つまり、私は女性に対し欲情することが、ない。つまり、そういう肉体の機能を失いました」
スヴェンは隣で、小さく息を吐いた。
「当時は兄が、おりましたので、一族の存続は兄にまかせ、私は陛下だけに心を砕けばよいと思っていたのです。しかし、裏目に出ました。この先、陛下が御子をもうけなさっても、盾がおりません。……浅慮を、お赦しください」
「つまり、僕の命を助けるために、スヴェンは何もかも犠牲にしたってこと?」
「いいえ! いいえ、陛下、私は犠牲などとは、」
「でも、だって、そうでしょ? 僕のせいで、」
「ちがいます! 陛下のお言葉をお借りするなら、私自身が決断したのです。他人に強いられたわけではない。これは私が選択した、自ら背負った呪詛と祝福です」
一瞬、息が詰まる。
「ですから、陛下。陛下が、過去のスヴェンの浅慮をお叱りになられても、ご自分を責めては、なりません」
「まあ、悪いことばかりでも、ないよね。スヴェンは、女の色香に惑わされたり、家族を人質にとられることも、ない。この先、マルセルくんが、他人を信じられなくなるようなことが起きても、彼だけは信じていいということだ。そうだろう?」
「はい。何があろうと、私は陛下を裏切ることは、しません。絶対に」
スヴェンが、こっくりとうなずいた。
「私は、陛下の一番の臣であり――あにやですから」
僕の身近なひとは、みな立派なひとだった。
……周りが立派であればあるほど、僕は、自分の気が鬱ぐような気もしていた。
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