疑 2

 あり得ない。時間的にも──だって、さっきはホテルのエントランスにいたのだから。


(っ、しかもなんだあいつ! 観光ガイドマップ持ってるじゃねーか! 八ツ橋を立ち食いしてんじゃねーよ! つかまた甘酒飲んでる!?)

 まるでただの観光客だ。ただ、──ホテルの時と同様に、こうに向かってヒラヒラと手を振っているが。


「どうしたんです? 何か見えました? 后さん」

「あ、いや……」

 こといに聞かれて、はっと我に返る。そしてフルフルと首を横に振り、強制的に晴明せいめいのことは忘れることにした。


「──で、この賑やかな辺りは四条しじょう。まっすぐ行けば八坂やさか神社──あ、おっちゃん、ちょっと遠回りになるけど、八坂さんの前通ってくれはります?」

 言に告げてから運転手にも指示をする。


「あんた、地元の人やろ? さっきから、なんで東京弁つこうてるんや?」

「東京人の前では、そないしよ決めてるんや」

 相手が地元の運転手なので、言葉も日常のものに戻す。

「うち、ばーちゃんが東京人なんや」

「感心せぇへんなぁ、日本の中心はこの古都ですやん。地方に合わせるのはようあらへんなぁ」

「……地方?」

 運転手の、冗談とも本気とも取れるような言葉に言が驚いたように后を見る。

 后は思わず苦笑を漏らした。

「ここは平安時代から続く古都だからな。江戸幕府からの歴史しかない東京を首都と認めてない風潮は、ちょっとあるかも。〝今は首都を東京に貸してるだけって」

「あそこは所詮、仮首都な。帝はんは、東京に奪われたん」

「奪われた……ですか?」

「そうや、色男の兄ちゃん。千年以上もこの都市にはみかどはんがおってまつりごとの中心やったんですわ。それを、東京が無理やりに変更して帝さんをさらっていきよったんですわ。そーやろ? ボーイッシュな姉ちゃん」


 姉ちゃんとはどういうことか。考えたくもないが、女に間違われたのか──不愉快だ。


 運転手に合わせる気も失せ、后は東京弁なるものに戻ることにした。

「まー……。ガキん頃から、近所のじーちゃんやばーちゃんから、聞いていたけどな」

「けどまあ、実は御所の最奥に、帝はんはまだいらはる、という話や知らんか?」

「へ?」

「帝はんの御影みかげ。──密かに、『影皇かげおう』と呼ばれておって、重大事項の政には常に意見を申されとるって話や」

「──はあ」


 なんだ、その話は。

 后が東京弁に戻ったのも気にしない運転手の話に、ついつい耳を傾けてしまう。


(さっき言が仮定していた『影=闇世界』の話に通じてるみてー……)


「その『影皇』には、誰かが会ったことあるんですか?」

「さあ? そこまでは知らんなぁ。一介のタクシー運転手、庶民やさかいな。──ただ、毎年一月の吉日に日本全国の由緒ある仏閣の高僧さんたちが十数名集まって、十三日に及ぶ大祈祷だいきとうを御所の最奥でやっとるという話は、近所の坊主から聞いたことおますなぁ」

「最奥で、大祈祷……」

「ま、その坊主も、噂だけで姿を見せへんゆう話やったなぁ。紫の衣に緋色の袈裟けさを掛けた大阿闍梨だいあじゃりちゅう最高僧のみの集団ちゅう話やったし」

「へえ……」


 言は興味を持ったようだ。后の横で、らしくもない表情のまま薄く笑う。


「……『影皇』、いや『闇皇』。人間界でも、知ってる者がいるとは……」


(人間界? やみおう……え? やっぱ、さっきの仮定話の延長?)

 呟く言に、思わず眉間を寄せる──車の騒音ゆえの、聞き間違いだろうか。というか、そう思いたい怪しい呟きだ。

(つか、マジに言は、オレが思うより数万倍はミステリー好きだぞ? 下手すりゃ、UFOに乗ったことがある、とか宇宙から来たとか言いだしかねない……)

 晴明とは違った意味で、怖い。


「──あ、ほら、この細い道の先にあるのが、六道珍皇寺ろくどうちんのうじ。その先には西福寺さいふくじがある」

 指を差して告げつつ、ふと后は思う。

 ──この道おそらく元・髑髏町どくろちょう──は、一方通行ではなかっただろうか。


「……このタクシー、逆走しとりませんか?」

「へえ? そないどしたっけ? ま、しても対向車が来よったら、避ければええんやろ? それだけの話や」

 しれ、とした運転手の言葉に、クラリ、とする后だ。

(日本で一番、運転が荒いとささやかれる都市だけある……)


「……あ、后さん……あそこ。西福寺の門前…」

「え? ──っ!?」

 堂々と居直る運転手はさておき、言が指差す方向を見て息を呑む。

 運転手に聞かれるのは恥ずかしいので、后は耳打ちをした。


「……っ、闇鬼あんき……!?」

「──六道のつじ界隈は江戸時代まで、人骨が棄てられていた場所だったから。……そういう場所は、ああいう連中には居心地がいいのかも……」

 言いながら浮かべる薄い笑みが、印象深い。

「──でも、成仏してんだろ!? その江戸時代までの人生の先輩方は。つか現代の住民の平穏な暮らしに影を落とすようなことを言うな! ──うわ、闇鬼が増殖してる……っ!」


 タクシーが低速で走る間に、道のそこかしこに闇鬼がうごめいている。

「と……飛びかかってきたらどうする……? ──え?」

 不安で言を見てしまえば、言は指先で闇鬼たちをすっ、すっと差している。

(……消えて、いってる……?)

 差された闇鬼が次々と、ジュワ、と消えている。そのたびに、言はまるでゲームに勝った子供のような満足そうな表情をしていた。


(──今、気づいたけど……)

 后は、そんな言の横顔を窺いつつ、重大な事実に思い当たった。

(……闇鬼が、見えて──当たり前のように接している……)


 ──なぜ?


 そんな后が悩む間に轆轤町ろくろちょうを抜け、車は伏見稲荷ふしみいなりへ向かっていた。


「ゆっくりとした参拝は、日のいい時にしようね、后さん」

「って、え? 言? お前……明日早朝には東京に帰るんだよな?」

「うん。でもまたすぐに来るよ。后さんと逢うためだけに。目標は毎週なんだ」

「へ、へぇ……」

 無駄に金持ちのお坊ちゃんは底知れない──后はこの時ほど、痛感したことはない。


(……できたてのバカップルですらそうそうできねーぞ、そんな頻繁な遠距離デート)

 とは、怖くて口にできない──。

 疑似兄弟を楽しんでいるだけなのだ、とわかっていても。


「……さっきの闇鬼さ、どうして消えていったんだろうな」

 反応を眺めつつの質問だったが、言はあっさり答えてきた。

「さあ? 后兄さんが持っている人形が原因じゃないの?」

「──そっか?」

 違う、だって熱くならなかったし。第一。


(……言が、指先で奴らを消滅させていた……?)


 晴明神社でのことといい、独り言といい──わけありの少年だと思う。


(そういえば晴明も、言のことをいろいろ言ってたしなー……)

 だからといって、后は晴明を信用しているわけではない。


(言が、わけありなのはすげーよくわかるけど……何を考えてるんだ?)

 純粋に懐いているだけでもなさそうなのが、一番気になるところだ。

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