疑 3
「──さっさと、対策を考えないといけないよな……」
呟いた時、目的地に着いたようだ。
「さ、
「…………」
お金を払おうとしたのだが──手が止まってしまう。
「はい、ありがとうございました。──あ、おつりは要りませんので」
后のかわりに言が、さも〝当然〟のようにお金を出した──ああ、不愉快だ。
「あとで精算しような。オレが出すから」
「え? なんで? 后さんは僕に付き合ってくれてるんだから、僕が全額出すのが筋でしょ」
「いや、あんまり役立ってねーし。第一、
「そんなことないよ。それに、僕がお金を出した方が周りから見たら自然でしょ? 僕は后さんとカップルって思われるのが嬉しいな」
「────」
ぶん殴ってやろうか、このガキは。
「……。お前、オレを兄のように慕ってるんだよな?」
「うん、本当の兄さんになってほしいくらい」
「だったら……なんで、カップルに思われて嬉しいんだ?」
「ブラコンだから」
爽やかな笑顔で答えられても、頭が痛いだけだ。
「……いい。お前は大人しく本堂でお参りしてこい。オレはここで待ってるから」
后は額に手を当てつつ、言の背を肘で押す。
そうしてから、
「……ったく、いろいろ疲れた……」
ここはまだ、伏見稲荷の結界入り口付近だ。なので、狙われないためにも、もっと奥まで行こうと思っている。だが、何千もある朱色の鳥居は幻想的で美しいことこの上ないが、石段も多いのでなかなかの運動だった。
(体力的には、オレは空手やってるから問題ねーけど、視覚にクルんだよな……ここは)
うなだれたままいろいろ考えていれば、同じベンチに誰かが座った。
「お疲れのご様子ですが糖分は取っていますか?」
「いや、オレ甘いものあんまり──って、え……?」
顔を上げて──ギョッとする。
「駄目ですって。迂闊に主神言を信用しては。今はまだ昼過ぎですが、数時間もすれば日が暮れる──襲われますよ?」
「せ……っ、
はい、と甘酒缶を渡されてしまうが、それに突っ込む余裕はない。
「何を言っていやがんだ! さっきもまた闇鬼をオレにぶつけてきたろ!? ホンットにお前、嫌がらせをして楽しんでるんだな!?」
「──まあ、ところどころの嫌がらせはご愛敬ですね。后様の反応が面白くて。つい」
自分が手にしていた甘酒(本日、何本目だ)をズズ、と飲みつつ晴明が告げる。
「つい、じゃねーっ!」
「そんなお茶目な話より。間違っても今日はもう、千本鳥居をくぐって稲荷山へ登ってはいけませんよ? 危ないです」
「はぁ?」
胸中を読まれたのかと思い、ドキリ、とする。
「……何言ってんだ? ここは神域。危険なんてねーだろ、フツー」
「ええ、神域に危険はありませんよ? ただ、主神言と一緒だから危険なんです」
「……。……襲われるから? 押し倒される……とか?」
「間違いなく」
「アホか」
バカらしくてベンチから立ち上がる──が、内心ではもちろん、動揺していた。
「──まあ、どうしても行きたいのならこれ以上は止めませんけど。一応、私も立場上忠告はしましたし。後悔しても泣きついてきても、土下座しないと助けませんから」
「オレは晴明を信用してねーし、敵の可能性が高いと思ってる。……って、え? お前の立場?」
「あ、私を信用しなくていいです、家系は確かに敵ですから。しかしまぁ、今はいろいろ仕事の関係がありまして」
(家系?)
「
にっこり笑んだ晴明は、首を傾げた后へ顔と同じ大きさをした狐面型の
「じゃ、これ。おやつ。ドリンクはもう一本、甘酒を追加で」
「……。……この狐面煎餅。そこの、観光物産店で買ったのか?」
「いえ、踏切前の土産物屋です」
どっちでもいい。
神様のお使いであるお狐様をモデルにしたありがたい煎餅だが、知らない人に差し入れすると狐の面にしか見えないので、大概ビビられる代物だ。
少なくとも、毒は盛られていないようだが──食べる気がするわけがない。いや、造形ではなく、送り主の問題で。
(こ、これから闇鬼が発生する可能性も……あるよな……。晴明がくれたってことは。すげーホラーなプレゼントだ……)
謹んでお返ししたい。どうやって断ろうか──そう悩んでいた時。
「──では、主神言にヨロシクお伝えを」
「あ」
ヒラヒラと再び手を振り、あっさりと晴明は立ち去ってしまった。
優雅な所作に、通り過ぎるほとんどの人が振り返って眺めている──さもあらん、あれだけの美形は滅多にいない──いや、后に観光案内させている中坊だけがいい勝負だが。
(──駅に向かっているじゃん!?)
ということは、電車で来たのだろうか。近所の大学生でぎゅうぎゅうに混雑しているあの駅を利用して、ここまで。
(うわ、言がじっとこっち見てるし)
気づけば言はお参りを終了したようだ。かなり怪訝そうな表情で、立ち去る晴明の背中を睨んでいた。
「后さん、さっきの人……まさか」
「まあまあ。あ、これ伏見稲荷の名物煎餅。ほら、これ食って機嫌直せ」
「──え? 煎餅? これ」
晴明から貰ったお狐様を、ぐい、と言に握らせる。
さすがのインパクトだ。ありがたいことに、言の意識は狐の顔に逸れた。
「──ねぇ后さん、これ、食べるの躊躇しない?」
「裏から一気に。鯛焼きや鳩まんじゅう、ヒヨコサブレと同じ気持ちで」
「あれは可愛いじゃないか。このお狐さんみたいにリアルじゃないし……」
しばらく狐の顔を眺めていると、言は持てあましたように左手へ持ち替えた。
「──それよりさ。后さん」
「ん?」
「后さん、次は千本鳥居をくぐるの? 伏見稲荷は参拝だけ?」
「いや、ある程度奥まで行こうと思ってる──安全を求めて」
晴明はあんなことを言っていたが──ここは昔から、聖域とされていた山にある神社なのだ。
闇鬼などの不浄系のヤバい存在に狙われているのだから、より一層行くべきであろう。
──そして、出会った宮司や行者に助けを求めよう。
「とりあえず、一番手近な宮まで行くか」
「え? 山頂まで行かないの?」
「……。……慣れた足でもきついぞ、一周するのは」
伏見稲荷大社があるこの山は、修験行者が修行している場所である。観光客ならばある程度の覚悟が必要なコースだと思う。
(それに今、もう三時に近いじゃん……。五時過ぎるぜ?)
真夏ではないので薄暗くなるし、言と二人きりで人気のないところにいる勇気はない。
(い、いや……っ、晴明の忠告があったからじゃねーけどさ……! 断じて!)
自分に言い聞かせ、后はブンブンと首を横に振る。
「……ま、とりあえず行ってみて、それで考えようぜ!」
后は、言を引っ張りつつ朱鳥居に向かった。
「すごい……。これだけ無数の鳥居が並ぶと、理屈抜きで神秘的に感じる」
「小さいものも含めると、正確な数を数えるのは不可能らしいぜ。道にある分だけでも、間違いなく千本以上はあるだろうし」
「何かで六千本って読んだ気がするよ」
「そーなの? ──あ、振り返ってみろよ、言」
「え? ──うわ、すごい。奉納した人や会社の名前は、裏に書いてあるんだ」
「そ、すげーよな。個人で奉納って。この大鳥居、どんな値段するんだろーなー。お、テレビ局みっけ。こっちは有名企業じゃん」
談笑しながら歩く。ところどころで職人さんが、朱鳥居を塗り直したり修正している。観光客も多いし、笑い合う余裕は(まだ)ある。
「あ、二股に別れてる……」
「そう、だけど普通は……」
「右に行こう、ね? 后さん」
「え」
后の言葉を遮り、あっさりと言は決めてしまう。そしてそちらに向かってまっすぐに歩きだした。
(……ま、いいか……。気にするほどのことでもねーし)
時計回りの反対。お世辞にも、縁起がいいとは言えない方向だ。
しかも、いきなり人が減った気がする。戻ってくる人が増えてもいいのに──それもいない。
(……なんか、鳥居の外側から、無数の目に凝視されてる感じ……)
今まで伏見稲荷で、そんな経験はしたことがないのに。
(って、あれ……?)
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