会 4

「──さよなら」


 決まりだ。絶対に関わってはいけない。


「失礼ですね、自分から訊いておいて信じないとは」

「……オレ、ハンドルネームとかペンネームとか、あんまし詳しくないもんで……」

「本名ですってば。やだなあ。──あ、こう様は気軽に『晴明せいめい』と呼び捨てにしてくれてもいいですよ、仕方なく特別に」


 あはは、と笑う自称・安倍あべの晴明という美形は一見爽やかだが──目が笑っていないことに、后は気づいた。


(怖い……! 本当に、怖い……!)


 さあどうやって逃げよう、と真剣に悩んでいた時、ふと遠くに動くものを見つける。


(? 何だ……? 木の陰でうごめいてる? 人……じゃねぇよな……?)

 鳥居の外──堀川通ほりかわどおりの向こう。川の周囲の木々に隠れて、いくつもの黒いもやのような──人の影のような何かが自分を見ているようなのだ。

 怪訝けげんに思い、さらに目をこらしていれば──。


「うわ……!」

 いきなり、それらが后へ突進してきた。

 心臓が飛び出るほど驚いた──なぜなら黒い靄は大きな目がぎらついていて、后を凝視していたのだ。

 それだけではない。車の往来が激しい大通りをシュン、と軽々越え、飛びかかってきたのである。


「ほぅ? 鳥居よりこちら──結界内にも入れるか……。能力を試してよかった」

(何の独り言だ……!)

 自称・安倍晴明が面白そうに呟くのが聞こえる──が、突っ込む余裕は后にない。


 慌てて避けようとするが、間に合わず黒い靄に襲われてしまう。

 靄のくせに体中に巻きつく感触は、まるで綿飴のようだ──しかし、確実に后を締めつけてくる。

「く……っ、くそ……っ!」

 苦しいのでなんとか外そうとするが──こんなにリアルなのに物質ではないから、どうしようもない。


 そんな危機感のまっただ中に、涼しげな顔が視界に飛び込んだ。

 自称・安倍晴明は見せ物を観るようにして、后とその黒い靄との格闘を眺めている──いつの間に用意したのか、缶の甘酒まで手にしているし。


「た……助けろよ……っ! 傍観してねーで!」

「そうですねえ……」

 ずず、と甘酒を飲んで、ゆったりと続けた。

「私が安倍晴明で陰陽道おんみょうどうのトップであることを、ちゃんと信じます?」

「……は?」

「『すべてを真実と認めます。生意気言ってごめんなさい』と、謝罪すればすぐにでも助けてあげますよ? 今回は、闇鬼あんきに襲われて余裕もないことですし。大サービスで頭は下げなくてもいいです」

「はああああ!?」

「私はこのまま見物を続行してもよろしいのですが、后様。さ、どうします?」


(こっこっこの……ドS!)


 なんという男だ──あり得ない。なんでそんなに暢気なのだ。

 しかし、背に腹はかえられない。

(はっ、もしかしたら言が気づいて助けてくれるかもしれねーな……。っ! いや、言まで危険にさらすことはできねーよ……!)

 言が気づく前に、なんとかしないといけない。后の決断は早かった。


「……そこの、甘酒缶の花模様がやたらと似合う、美形のお兄さん……」

「安倍晴明です」

「……晴明さん。『あなたが自称だけでも詐称でもなくホンモノの安倍晴明さんであることを信じてすべてを真実と認めます。生意気言ってごめんなさい』……」

「全然、感情が込もっていませんねぇ」


(込められるわけねーだろがあああ!)


 しかし、ますます締めつけてくる黒い靄──晴明が言うところの〝アンキ〟に、さらなる危機感を感じる。


「……っ、あーもう! ホントに信じるってば! 晴明! お願いだから助けてくれって! あんたがホンモノの陰陽師ならなんとかなるだろーっ!?」

「ええ、簡単ですよ?」

 言うやいなや、自称・安倍晴明……ではなく、ホンモノの安倍晴明は、五芒星ごぼうせいの書かれた札を取り出す。


めつ


 そして靄にそれを触れさせると、靄は低い唸り声のようなものを上げつつあっという間に消えていった。


「すげ……」

 后の溜息は、思わずのものだ。

「……謝罪の態度には若干の不満はありますが。──ま、及第点です」

(ほざくかあぁぁ……!!)

 ムカツク口調に、お礼を言う気も失せる。


 后は、話を変えるべく晴明へ尋ねた。


「──あれ、何だったんだ? ……まさか、お前が作った……」

「お前、じゃないです。安倍晴明だと何度言わせます?」


 声のトーンが落ちる。笑顔が怖い。


「あー。……晴明さんが、作った物? じゃねーよな? 何かのトリック?」

「トリックではありませんよ、闇鬼と言ったでしょう?」

 そのアンキがわからない──というか、脳内設定キャラではないのか?


(こいつは魔術師かなんかで──オレを驚かして遊んだ。だから、すぐに消すことができた……んじゃ、ないのか……?)

 そういう疑念を抱きつつ問えば、晴明が少しだけ后の双眸を眺めてきた。

「……さあ? 后様がそう思うなら、そうなのかもしれないですね」

 返答は、肩を竦めてのものだ。


(ム、ムカつく……! この野郎……!)


 こいつが犯人だ。どんなトリックを使ったイタズラかは知らないが(マジシャンとか、そういうたぐいの仕事をしているに違いない)、度を超している。

 晴明は土産物みやげもの屋へ視線を向ける。甘酒は飲みかけのまま、后へ渡した。


「そろそろ、彼の買い物も終わる頃です。私は退散しましょう」

「あ、ちょっと……! お前、一体何者なんだよ!?」

「安倍晴明、陰陽師と答えたハズですが?」

「じゃなくて! なんでオレに関わったんだ……! 住所と電話番号とか!」

「ナンパですか? 照れますねぇ。でも、呼んでいただければ不本意ですがすぐに会えますよ、后様」

「するかあ! つか、呼ばねーし! オレも不本意だ! 失礼な!」


 叫んだ時、ふと背後から肩を叩かれた気がする。

 無意識に振り返れば誰もいない──ただ、すぐ側にあった石像の鬼が動いたような気はしたが。


「何だ? ……って? え?」


 そしてもう一度、晴明を振り返れば──そこにはもう、誰もいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る