集 3

「…………はいいぃぃぃ?」


 幻聴か?


こう兄さんに死んでいてもらうのは、ある一定の期間だけ。僕が闇皇やみおうの地位を継いだら蘇生してあげるから。そうしたら、晴れて兄さんは闇皇直属の式神。僕と兄さんは、表裏一体のパートナーになれるし」

「……。オレに、ゾンビになれと?」

「平たく言えば」


 快答に、思わず后は魂が抜けそうな深い溜息をついてしまった。


「…………。ことい、落ち着け。その地位は代々、闇皇の正妃が受け継いできたんだろ? やっぱ将来出会うであろう可愛い女の子……嫁のために、取っておけ、な?」

「僕の妃問題はともかく、后兄さんがどこかの女に取られて結婚しちゃうのなんて、許せないよ」

「…………」


 ブラコン、ここに極まれり。


「……だ、だけどな。お前、ゾンビを表裏一体のパートナーにするのはどうかと……」

「やだなあ、僕は兄さんと永遠に幸せな生活をしたいだけだよ? だって、兄さんは僕を理解して無条件に愛してくれた唯一の存在だから」

「…………」


 言の発言は、杉の木と仲良くなっている后を見つめながらのものだ。

 后を凝視してうっとりと告げてくる──その様子には、一片のウソもない。

 まごうことなき、本音なのだろう。


(周囲の根が、うねってる……。つか、元々の形状も迫力なのに這い蹲って怖いんですけど……。これ、誰が動かしているんだ? 言か? 言なのか?)


 ゆっくりと言と后に巻きついている──二人が離れないように、そんな感じだ。


「僕は、兄さんの側にいるだけで温かくなる。──大切にされてるのも、すごくよくわかったし。……僕をいつも気遣ってくれていた。それには無償の厚意を感じた……すごく、すごく嬉しかったんだ」

「……言……」

「本当に──僕は、愛情をもって護ってもらったことなんて、兄さんが初めてだったから──兄さんといるだけで、心が癒されるのもわかったし」


 そんなふうに言われると、無下にできるわけもない。后はきゅ、と唇を噛んだ。


「約束もしてくれたしね、世界中のすべてが僕に敵対しても、兄さんだけは僕を信じてくれるって。ね?」

「そりゃ、その通りだけどさ……」

 呟けば、言が満足そうに笑う。

「じゃあ、何が問題なの?」

「いや……」


 問題だらけだと思うのだが──それとこれは違うし。


「あ、もしかして僕の跡継ぎのこと? 大丈夫、どうせいずれは政治的要因で娶らなきゃいけない家柄の女は、何人もいるし。仕事と割り切ってそっちに産ませるから、后兄さんは気にしなくていいよ」

「……中坊が、とんでもねーコトを口にすんじゃねーよ」

 ぐらり、とする。


 后は今時には珍しいほどの純情少年なのだ。

 空手ばかりやっていたせいもあるが。


(でも、つまり。言がオレに執着している理由……)

 それがわかった。


(……。無償の愛に、飢えているから)


 親の愛情を感じられない環境の上、周囲には、『皇子』としてしか扱われていなかった。

 孤独というにはあまりにも──冷たい、“闇”の環境だ。


(──で、あり得ないほどの能力を持っているから──周囲は腫れ物に触るように扱ってたんだろうなあ。言自身にも、エリート意識あったろうし)


 相手を見下す口調からして、明白だ。

 そんな態度を見せないのは、后に対してだけである。


(あ、ヤバい。オレ、ぜってー言を嫌いになれねー……)


 后は子供の頃から、自分を頼る者を決して裏切れない性格だった。

 さらに、言はある意味で〝弱者だ。


 ──誰も信用できない、すべてが敵と思っている──誰からも愛されずに育てば、こうなっても仕方ないかもしれない。


(まだ十五歳のガキなのに、不遇だよなあ……。ちょっと愛情くれそうな奴見たら、執着してもおかしくねーよ。……方向違う上に過激すぎるけど)


 頭を撫でてやりたくなるが──バリバリに命を狙ってくれてる“敵”でもある。


「──もう一つ、質問していいか?」

「いくつでもいいよ? あ、今から僕の部屋に戻る? 后兄さんだけ」

「許可できませんよ、主神しゅしん言。それはいくらなんでも」


(いたのか晴明せいめい

 そう驚くほど、今まで晴明の気配を感じなかった。


 しかし、言葉と同時に后を押さえていた木の根が消滅する──さすがの能力だ。

 言の表情が不愉快そうに曇っている。

 本当に、(后へ向ける感情だけは)素直だ。


「こんな大人数に注目されてるのに? 無粋だね、晴明。──ま、お前は后兄さんには必要な側近だ。一回くらいは言う通りにしてやるよ。……何? 后兄さん」

 最後の、后へ向けての言葉だけが柔らかい見事だ。


「オレが蘇生……っ、て言っていたけど、どうやって? ──あ、小野おののたかむら──閻魔えんま大王の部下──の墓がある六道珍皇寺ろくどうちんのうじに興味持ってたってことは、黄泉よみの国に言自身も行けるとか?」

「いえ、后様。小野篁は私の友人。閻魔庁の冥官をしている者です。主神言様との交流があったとは、聞いていません」


 疑問に答えたのは、言ではなく白虎・ほくとである。


「……へ、へえ……小野篁とオトモダチ……」

「そ。破は病や怪我、死を司っている式神なんだ。だから年中、六道珍皇寺の井戸を使って冥界へ行き来してるぜ」

「はははははははははははははーぁ」


 破や甘雨かんうの説明に、后は思わず口元を引きつらせてしまう。

 言が、眉を少し顰めて告げてきた。  


「不愉快だな、白虎破、青龍甘雨。いかに晴明の式神であれど、僕の后兄さんに馴れ馴れしくするな。──兄さん、蘇生の方法は僕が黄泉の国へ行くとかじゃないよ」

「こ、言……! 普通に話したくらいでそんな目くじらを…もともと敵同士だし……って、え? 違うのか?」

「うん。僕の側近の役小角えんのおづぬが、蘇生術も心得てるんだ」

「えん……え?」


 ──何か、また頭が痛くなるようなことを告げられた気がする。


「后兄さんも名前くらいは知ってるだろう? 修験道の開祖。で、ここにいる後鬼ごき瑞宮みずみや前鬼ぜんきくさびは、役小角に従う鬼なんだ」

「────タンマ」


 すっかりおなじみになっている、眉間を指で押さえた地べたへたり込みをまたもやしてしまった。


「あ、罰金さらにプラス百円」


(っ、空気読め! 晴明! てめー!)

 口を挟むタイミングが違いすぎるのだ──この男は。


「どっ、どどど……どこにいるんだ? 役小角さん……! つーか、なんで歴史好きでもねーオレが、一部マニア・垂涎の的たる安倍晴明軍団と役小角軍団に逢えるチャンス貰っちゃってるのかなーっ!? 望んでもいないのに!」

「軍団ってなんですか、皇子の守護団に向かって。しかも望んでないとか失礼ですねぇ、后様。そーいう反抗的な態度を取ると、反省を促すために手抜き極まりないボディガードをしますよ? たとえば、殺される寸前まで放置プレイとか」

「っ、もう何度もされたわーっ!」

 無駄にふざけるくせに、冗談は言わない晴明が憎い。


「落ち着いて、后兄さん」

 焦る后の手首を掴み、言は自分へ引き寄せつつ囁いた。

「へ? 言……?」

「口を挟むな晴明。──役小角はいないよ。あれは晴明同様に闇皇の側近でもあるからね。今はそちらの仕事をしている。──あ、なんなら呼ぶ? 紹介するけど」

「っ、言……! オレに対する口調と他に対するのがあまりに違う……じゃなくて! オレって、お前の側近連中に命狙われてるんだろ!? つーかお前もさっき“死んで”って気楽に言ってきたよな!? そんな状況で、『はい紹介してください』ってな返答できるハズねーだろ!」

「敬語は嫌だよ、余所余所よそよそしくて」

「っ、そこが問題じゃねーっ!」

「やだなぁ后、〝死んでって頼んだのは言様じゃない、僕だよ? 言様は、后が死んだ後の未来確定図を仰っただけさ」

「勝手に確定するな、瑞宮! 世にも恐ろしい空想夢想を!」


 どいつもこいつも、感覚が違いすぎる──后の主張は、虚しく山中に木霊するだけだ。


「隣県対決のような気が、してきた……」

「晴明様に関連するものは京都。役小角殿に関連する伝説は、奈良に多いからな」


 呟きに答えたのは、後鬼瑞宮たちの動きを鋭い視線で追っている甘雨だ。

 同じ幼なじみの瑞宮と甘雨だが、これからの人生での付き合い方は対極になるのだろう──まさか、今日がそんな分かれ目だったなんて。


(ああ……。昨日までの人生に、戻りたい)


 特撮のような状況やびっくり人間大集合にも慣れつつあるし。

 后はもう、溜息すら出ない。


安倍あべの晴明と役小角かよ……。笑えるくらい、メジャーなのが揃ったなあ……」

「ご不満でも? あ、無論、私同様に、闇世界の役小角殿もオモテの役小角の末裔で、闇種族きっての鬼使いです」


 役小角より地位が上の言を呼び捨てにするのに、役小角には敬称をつける晴明のポリシーがわからない。


「役小角って晴明と時代がだいぶ違うだろ? だから晴明と敵対する陰陽師、芦屋あしや道満どうまんかと思ったよ。言の護衛は」

「芦屋道満は、十二月将の七の式神ですよ? 霧砂きりすなという名です。今度紹介しますよ」

「……は?」


 有名タレントと同じ名だ。何気なく冗談で言ったのに──こんなコメントが、晴明から返ってくるとは思っていなかった。

 思わず、(言がヤキモチでじとっと見つめているのに気づかないフリをして)聞き返してしまう。

 晴明も、言の殺気をえげつないほど無視して笑顔だった。


「あ、ちなみに世間一般に流布してる、モサいおっさんじゃないです。インテリぶったイケメン眼鏡男子です。闇世界に住まず、オモテで高学歴を売り物にして鼻持ちならないおシャレな仕事などをしていますが」

「ウソー……」

 罰金の増加が嫌なので、へたり込めない。


(つか、なんで眼鏡男子とかいう萌え用語を知っているんだ……晴明……)


 芦屋道満の現状と、晴明の無駄なオモテ知識。どちらに驚いていいかわからない。

 どうすることもできず、ただ晴明を凝視していれば言が苛々して教えてくれた。


「役小角は、幼い頃からの僕の家庭教師兼側近兼守護だよ。父上を除いて闇世界最強の能力を誇っている。ちなみに、若い頃の晴明の師匠だ」

「……へえ」

 后へ向かい言が説明をしてくれる。


(あれ? 晴明は──闇世界で最強なのは、言だって断言してたよな? 闇皇を除いてってコトだろうけど)


 説明にズレがある。

 しかし。晴明は何を考えているのか、破特製らしいカフェオレ(いつの間にポットに入れて持ってきたんだ?)を飲みつつなんの訂正もしてこない。四天王もそうだ。


(……? じゃあ、晴明の間違い?)

 言い間違いをするとも思えないが──


「って、え? 晴明の師匠!?」


 危うくスルーしてしまうところだったのに気づく。本気でびっくりな内容だ。


「マジ!? 晴明って陰陽道だろ!? 役小角は修験道じゃん!?」

「元々のルーツは同じだよ、兄さん。晴明の式神使いは、役小角の鬼使いに通じているし」

「そ……そう、なの? ──っていうか! 鬼ってコトは、瑞宮って人間じゃなかったのか!? 最初から……!」

「うん、青龍甘雨とは違い、最初から後鬼の一族なんだ。闇世界で生まれ、后兄さんの監視を命じられた──ああ、今思えば、僕が自分でしたかったな」

「……じゃ、じゃあ……瑞宮の両親も……闇世界出身?」

「違うよ。記憶を弄っただけ。後鬼瑞宮を自分の子供だと思い込んでもらったんだ。后兄さんの近所で適した人間の夫婦を選んで」

「…………」


 ──では。今でもあの人の好いおじさんおばさんは、瑞宮を本当の息子と思っているのだ。


「おじさんおばさん。瑞宮のコトをすげー自慢の息子って、誇ってるんだけど」

「だろうね。僕の側近なんだから、有能に決まっているもの」

「……か……仮にさ。……言が」

 湧いた疑問は自分でも悪趣味だと思うが──尋ねる必要はあると思う。だから、ぐっと拳を握って口を開いた。


「言が──おじさんおばさんを“殺せ”って言ったら──瑞宮は、実行……できるのか?」

「……すごく、変なことを訊くね、后ったら」

 言が視線で促すのに頷いてから、瑞宮が口を開く。

 眼鏡のフレームを指で押し上げつつ、柔らかな口調で苦笑を漏らした。


「僕はこう見えて、愛情がかなり深いんだ。大切な存在を裏切るなんて、絶対にあり得ない」

「じゃ、じゃあ……できるわけ……っ」

 ねーよな? と続けようとした后の言葉尻に、瑞宮の断定が重なる。


「ためらいもなく殺せるよ? 僕の、言様への忠誠心を舐めてもらったら困るなぁ」

「────っ」

「よせ、后」


 ……思わず瑞宮を殴ってしまいそうになる。

 しかし、それを止めたのは甘雨だった。


 気づけば、両手首は甘雨ではなく木の根に掴まれていた──瑞宮が微笑んで眺めている。


(オレが怒るのわかってて、断言したのかよ……っ!?)


「部下なんだから当然なんだ。しかも、これから后まで殺す気なんだから──できて当たり前なんだよ」

「っ、なんだよそれ……! 自分を愛してくれた人たちへ、愛情を返すこともできねーのかよ!? オレには全然理解できねーよ!」

「人聞きの悪いことを言わないでくれよ、后。僕は父さんや母さんを心から愛しているよ。だからもちろん、殺す時は安楽死を選ぶつもりだし」

「おかしーぞ、瑞宮! お前……! いつもの瑞宮に戻れってば!」

「ごめんね、后。それはもう──無理。だって」

「うわ……っ!」


 地響きが起きる。


「“水・脈動覚醒”」


 瑞宮の声と同時に、周囲の地に張っていた木の根がまるで軟体動物の足のようにうねりだした。


「……これが、本来の僕の姿なんだから」

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