疑 1

「そういえば。僕がお土産物屋さんにいた時、こうさんが一緒にいた男って誰?」

「────」


 こといの何気ない質問は、二人がエントランスを横切って玄関を出てすぐのものだった(ちなみに、ここはドアマンとドアレディもとても親切だ)。

「……。さあ」

 まさしく、今最もオレが気持ち悪いと思ってる奴だよ、とは観光を目的に来た東京人に答えてはいけないだろう──この街の人間として。

「さあって……。七~八歳年上に見えたよ? ──バイト先の先輩? それとも近所のお兄さんとか?」

「…………初対面」

 あんな怪しい知人なんて、ごめん被る。


 タクシーが待つ横をずかずか歩き、あっという間にチャペルを背にして通りに出た。


「え? だって、あんなに親しそうにしてたのに?」

「そんなことねーよ、変な宗教活動してくれてただけ。向こうが一方的に」

「宗教活動?」

「オレは逃げただけだよ。気持ち悪いし……あいつ」


「……面白い……」


(? まただ……)

 エレベーターホールで聞いた声音である。

(ということは、言か……? でも、まるきり口調も声音も違うじゃねーか)


 横を歩く言の表情を見ようとしたが、半歩下がっていたのでよく見えなかった。

「……言?」

「じゃあ、后さんは、あの男が嫌いなんだ?」

「ん? ああ……。あったり前だろー? 絡まれてる最中、言がやってきてお前まで嫌な思いしたらどうしよーって、それだけを心配してたんだぞ」

「……そうなの?」

(ああ、これは言のいつもの口調だ──)

 なんとなく安堵して、無意識に言を振り返ってしまった──后だが。


(うわ! あれは……っ!?)


 目の端に飛び込んだのは、風情のある京町屋だ。

 しかし、馬の手綱をくくり止めていたのが発端と言われる駒寄せや、屋根瓦の上にある魔よけの神様・鍾馗しょうきさん像の横で黒いもやがウゾウゾしている。

 間違いない、先ほど晴明神社で后に飛びかかってきたものと同種だ。


(ホテルで見た男は間違いなく晴明せいめいで……! あいつが、差し向けたのか!?)

 ウゾウゾとうごめく姿は決して生理的に好きにはなれない。というか、目を背けたいのだが、そうする勇気もないのだ──得体の知れない恐怖で。


(──確か、アンキとか言ってたよな? 暗記? 闇の一部がどうとか言ってたけど……、あ! もしや闇の鬼って書いて……闇鬼あんき!?)


《ウオオオオ……!》


 はた、と気づいた途端、再び襲われそうになる。

「この黒靄野郎! 今度は勝つ!」

 いきなり飛びかかってきた。后は言の背を押して自分から離すと、自身は気合いで真っ向から受け止めようとした。──が。


「──っ!」


 バシ! という大きな音がたったと思えば、低い唸り声のような悲鳴が聞こえる。

 ジュウジュウ、と煙のように消えていく姿を、后は呆然と眺めた。


「な……んで?」

「后さん……っ、大丈夫!?」


 言が驚いて寄ってくるが、何が起きたのかわからない。しかし、胸ポケットの中が熱くなっているのに気づいた。それを取り出して──思考が止まる。


「……? 人形? ……后さん、これ?」

「──あ、いや……」

 はっとして、再びポケットにしまう。


安倍あべの晴明から貰った人形……! 闇鬼はコレに突っ込んできたように思えた! つまり、間違いなく晴明が関わってる!? ちくしょー! ゲーム感覚でオレをからかってるのか!?)


 お守りと称した『闇鬼を引き寄せる人形』を渡して、闇鬼に襲わせる──悪趣味すぎるが、あの晴明ならやりかねない。


(──とりあえず! 安全な場所行くぞ! って、それどこだ!?)

 必死に思考を巡らせていれば、再び闇鬼がウゾウゾと発生しつつあるのに気づいた。


「……! タクシー乗って、とりあえず!」

「え? 后さん……っ!?」

 考えるより先に、言の手を掴んでタクシーを止める。

六道珍皇寺ろくどうちんのうじの門前を通って、その後、伏見稲荷ふしみいなりへ行ってください……!」


 こんな場合にも、きっちりと言のリクエストに応えた観光をする気か。

 自分が何を言ってるのか、はた、と気づいたのは、タクシーが動きだしてからだった。


「あ。えーと……寺の中見る? 見るなら──」

「ううん。髑髏町どくろちょう……轆轤町ろくろちょうを通るだけで十分だよ」

 言の返答は笑顔だ。納得してもらえてよかった、と思う。


「──なんで、伏見稲荷なの?」

「お稲荷様の総本山だから。欲と聖がバランスよくあるところだからさ、現世でのご利益ありそうな気がして……変なものとかから護ってくれる、とか」

 ──と、クラスの女子から訊いた。

 訊かれても、后にだってわからない。だが、闇鬼の持つ気配には人の欲が渦巻いているように感じたのだ──ならば、それらの浄化に最も適しているのは伏見稲荷かもと考えたのである。


(……あれ?)


 京都御所の前を通った時、瑞宮みずみやの姿を見た気がした。

 長い金髪をふわふわとなびかせたフランス人形のような、俗に言うゴスロリ系の服を着た十歳くらいの美少女と一緒に歩いていた──?

 思わず窓にへばりついてしまうが──一瞬のことなので、よくわからない。


「どうしたの? 后さん」

「いや……瑞宮が……」

「え? でも、妹と会えたら連絡くるはずだし」

「そう……だよな」

 では──見間違いか。


(幼なじみを間違えるわけがないと思うけど……。でも、妹って言ってたもんな? あれ、どう見ても欧米人だろ? ……はっ! もしかして言のような複雑な家庭環境が……っ!?)

 ──ここまで推測して、溜息をつく。


 もう、考えるのはやめだ。

 座席の背もたれに体重をあずけ、運転手と世間話をしつつ外を眺めていた。

 しかし、観光案内も忘れない。下御霊しもごりょう神社を過ぎ法雲寺ほううんじの横を通る時、寺を指差した。


「ここ、法雲寺は縁切り寺だぜ。もし切りたい縁があれば参ったほうがいいかもよ」

「僕は、后さんと絶対に縁は切りたくないし。遠慮しておくよ。どうせなら、縁結びのさい神社に行きたい。悪霊を追い払ってくれるというし」

「────」


 どこまでが本気だ──家庭愛に飢えた複雑な環境に育った中坊の心理はわからない。

(それに悪霊って……。マジに理解しているんだか)

 この手の話が好きなのは、確実だが。


(というか──闇鬼見えてないようだな、よかった)

 ほっと安堵する。


「あー……。そーいう系なら、通り過ぎたけど下御霊神社も怨みとか……え?」

 ドキン、と心臓が、本当に飛び上がるほど驚いた。


(せ、晴明……!?)

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