第13話 違い
あの後。
莉子さんの悲鳴にもかかわらず人が集まらなかったのは、眞琴さんの防音魔術のお陰だったらしい。冷静な眞琴さんの指示に機械的に従って救急車を呼び、莉子さんを病院に運んだ。
「意識が戻るかは、微妙ですね」
白衣を纏った医者の冷静な言葉に、思わず詰め寄りそうになるのをぐっと堪える。
「……どこか、体に支障が?」
「いえ。迅速な対応があったようですし、身体への影響は殆ど出ていません。もっとも、視力に関しては、はっきりと評価出来る状態にありませんから、何とも」
そう言って、医者は僕の傍らにいる眞琴さんに一礼した。眞琴さんは何も言わずに、黙って頷くだけ。
「ですが……、魔術書に一般人が触れたわけですから。精神には少なからず影響が出ている可能性が高い。意識状態が回復しても、元通りの生活が送れるようになるのかは、分かりません」
「……っ。そう、ですか」
ぐっと言葉を呑み込んで、相槌を打つ。医者は頷き返して、話を締めくくった。
「何にせよ、療養には時間がかかります。ご家族への連絡などは我々が行います、本日はありがとうございました」
「分かりました。よろしくお願いします」
暗に、今日は帰れと告げてくる医者に、僕より先に眞琴さんが答える。そして、僕の腕を引っ張るようにして、病院をあとにした。
***
知識屋に連れて行かれるのに、抵抗する気は起きなかった。何かを言う気力も出ず、黙って紅茶を淹れる。
「涼平も座りな」
「……うん」
眞琴さんに促されるまま、ソファに腰掛けた。紅茶の渋さに、今の今まで何も考えられなかった頭が少しだけ冷静さを取り戻す。
「……眞琴さんは……どうしてあそこにいたの?」
「うん? ……涼平、私も一応、一学生なんだけど」
顔を上げると、呆れたような笑みを滲ませる眞琴さん。そう言われて、僕はようやく、自分がどうしてあの場にいたのかを思い出した。……福茂達と雑談を交わしながら教科書を買っていたのが、随分昔に思えた。
「……いつから、見てたの?」
「最後の最後だよ。私だって、学内で涼平を見かけたからって追いかけるほど暇じゃないし」
「……? じゃあ、なんで?」
だったらあんな奥に僕がいるだなんて分かるわけ無いじゃないか。……いや、魔女様ならその程度簡単に分かるね。
「うーん、君の想像してることは大体分かるけどね。あんな人前で魔術おっぱじめるほど、私の情報管理能力が低いと思われているとは心外だな」
「おっと失敬」
笑みに不穏さが漂ったのに気付いて咄嗟にホールドアップ。条件反射で出た反応に少しだけくすりと笑い、眞琴さんが答えてくれる。
「雑鬼がね。君が剣呑な雰囲気と魔力を漂わせた人に連れて行かれたって言いに来たんだよ」
「チビ達が?」
どうやら心配かけてしまった模様。それにしても彼らがおっかないと評する魔女様にヘルプを求めるとはこれ如何に、と思ったら、眞琴さんが続けてこんな事を宣った。
「駆けっこに夢中で、何で呼びに来たのか危うく忘れかけてたけどね」
「あー……うん」
お菓子のご褒美は程々にしておこう。遊びに僕の安全が負けるとはね……。
「それで? 訊きたい事はそれだけかな」
ふ、と『魔女』が口を持ち上げる。目を細めて僕を眺める彼女に、僕は一度ぐっと奥歯を噛み締めてから、訊いた。
「……何で」
「うん」
「なんで、栞が外れたの?」
莉子さんには絶対に外せない筈だった、梗平君が挟んだ栞。それがあっさりと外れてしまわなければ、この悲劇は避けられたはずなのに。
「君だよ、涼平」
『魔女』は、事も無げに答えた。
「あの栞は、あの子が外せないという制約は負っていたけれど、涼平が外せないという制約はなかったからね。揉み合った拍子に触れちゃったんだろ」
「……そんな、簡単に」
そんな簡単に、こんな事が起こって良いのか。そんな疑問は、『魔女』が突き出してきた魔術書に遮られた。
「読んでみな」
「……」
「早く」
渋々視線を落として、書を開く。ぱらぱらとページをめくっていくも、僕にとっては暗号もない、良心的な魔術書でしかない。内容も魔術がどういうプロセスで発動するかっていう、基礎の基礎だけ。
……僕なんて読むどころか、眞琴さんに秒で叩き込まれたレベルだ。
「一般人には、精神を汚染されるほどの書なんだよ、それ」
「……」
無言で顔を上げると、『魔女』はうっすらと笑みを浮かべたまま。
「君にとってはどうと言うことのない『知識』は、普通であれば触れることすら許されないものだ。君が思うよりもずっと——原書というのは、恐ろしいものなんだ」
「……じゃあ、なんで」
なんで、梗平君は莉子さんに売ったんだ。
「梗の字はね、「求めたからには相応のリスクを請け負い、結果も自分が受け止めるべき」という考え方だから。資格不足で心が壊れようが、暴走しようが、本人の責任。……特に彼女は1度、売り手である私と涼平に断られている。その時点でリスクがある事くらい分かっていたはず」
すい、とカップを口元に運び。紅茶で唇を湿らせて、『魔女』は締めくくった。
「それでも、求めるのなら。因果をねじ曲げて神秘に手を伸ばすのなら。——あとは、手を伸ばした人の自己責任。梗の字自身、そういう生き方をしているだろ?」
「…………」
思い出すのは、むらさきのせかい。
梗平君は、あの世界から知識を求める対価について、全く迷いを見せていなかった。
……それは、自己責任だから、か。
「でも」
口を突いて出る、言葉。
「人は、間違えるじゃないか」
「そうだね」
「知らないからには、危険性を見誤ってしまうことなんて、いくらでもある」
「その通り」
「だから……だから、専門家がいるんだろ」
「そうだよ」
「じゃあ!」
思わず、立ち上がりかける、けれど。
「じゃあ」
『魔女』の一言に、無意識にからだが強張る。
「じゃあ、君はどうするのかな? 涼平」
「眞琴、さん」
「君は、魔術師見習いにして、『知識屋』の店員である、涼平は。どうする?」
「っ……」
「先に言っておこうか。梗の字の考え方も間違いではないんだよ。私の方針は、挑戦者から挑戦権を奪うものでもある。「資格」が、「才能」がない人に、一切の機会を与えないの。安全と対価に可能性を潰している、とも考えられるんだ」
「そんな——」
「分かりやすい例で言えば、登山かな? 危険性を考えれば、禁じるべき挑戦だっていくつも転がってる。それを禁じて、納得出来る人はどれくらいいるかな」
「……」
言葉を失った僕に、「そういうこと」と言って。眞琴さんは、軽く首を傾げた。さらりと、短い髪が揺れる。
「私と梗の字は、ある意味両極に位置するかもね。さて、涼平。君は、どういう方針を選ぶのかな?」
シニカルな笑みを浮かべて、『魔女』は問う。
「今回で分かったろ。君ももう、「普通」からは逸脱している。魔術の世界はね、自分の考え1つしっかり持たずに、過ごしていられる世界じゃないんだよ。ふらふらと私達に流されるままいるのは、もうお終い」
勢いを付けて、眞琴さんはソファから立ち上がった。
「どうするのか、明日までに決めて。私はどんな選択肢でも、力を貸すよ。今回は特別だ」
「……なんで?」
眞琴さんらしからぬ大盤振る舞いに、素朴に落ちた疑問。眞琴さんはそれを聞いて、笑みを深めた。……あ、ヤバイ。
「私が力を貸すのがそんなに変かな?」
「スミマセンゴメンナサイ」
咄嗟に頭を下げた僕に、くすりと柔らかい笑い声。
「冗談だよ。今回は、ね」
そう言って踵を返した眞琴さんの、最後に落とした呟きは、僕に届かなかった。
「——このまま歯車が壊れてしまうのを傍観するなんて、きっとあの人は許してくれないから、……なんてさ」
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