第9話 黒い人と、魔女と、僕と

 無意識に深々と息を吐きだしたと同時、眞琴さんがノワールに話しかけた。


「久しぶりだね。最近来ないから、どうしているのかと思っていたよ」

「立て込んでいた上、売るものも無かったからな。こんな形で来るとは思わなかったが」


 平然と話しかける眞琴さんに肝を冷やしたけど、ノワールが普通に答えたのでほっとした。どうやら、眞琴さんはああいう物言いでも許されるらしい。


「……ああ、となると。もしかして涼平とは初対面かな?」

 そう言って眞琴さんが目で僕を示す。一瞬こっちを見たノワールは、直ぐに眞琴さんに視線を戻した。

「それで思い出した。こいつ、契約を結んでから2ヶ月だと?」

「そうだよ。何か粗相したかな」

(粗相した前提かい!)


 心の中でつっこむも、さっきの魔力の影響で未だ心臓がばくばく言ってる身、声には出せなかった。


「見習いの分際で俺の問いかけを無視するから、どこの身の程知らずかと思ったが。2ヶ月ならその辺りの常識には疎いのは納得出来るが、ならあれは何だ?」

 何故かあれ扱いされている僕に呆れたような一瞥を向け、眞琴さんが肩をすくめる。

「私にとっても特殊例だから安心して良いよ。変わってて面白いだろ?」


 今度は特殊例かつ面白いもの扱い。盛大に抗議したいのに、またノワールと目が合うから喉が凍り付く。


 そのまま僕を上から下までじっくりと眺めると、ノワールは口を開いた。


「これ程の特殊例なら、いの一番にその手の常識を身に付けさせろ。魔術など二の次だ。気の短い連中に目を付けられたら一発で消されるぞ」

「店番としての職務を全うしたんだと思うけどね。涼平の眼を過信しすぎたかな」


 物騒な言葉にあっさりとした返答。そんなさらっとした理由で殺されかけたのは物凄く納得がいかないんだけど、いかんせん彼我の差がありすぎる。こうなると、しがない見習いの身としては黙っている事しか出来ない。



『あ、いたー! おぉい、りょーへー!』



 黙って……いるしか……



『りょーへー、無視するなよう! 聞こえてるんだろー!』

『そーだそーだ、わざわざ来てやったんだぞー』


 その場に漂う微妙な空気もなんのその、世の中常に太平楽と言わんばかりの呑気な声が鼓膜を叩く。うん、やっぱり幻聴ではないみたいだ。ひく、と喉が引き攣る。


 息を吸い込んだ。せえの。



「……っ、店に来るなって言ったよねというか場を読めない上に昼間っから出てくる妖って何なのさー!?」



 今まで言いたい事を言えなかった反動か、僕はぐりんと入口を振り返り、全身全霊を込めて叫んだ。


「……あれか」

「そう、あれ。珍しいだろ」


 僕の魂の叫びも黒い人と魔女の会話もガン無視で、堂々と店に入ってきたチビ達は僕によじ登る。


『りょーへー、何か今すっごいおっかない気配感じたけど、だいじょーぶかー?』

『りょーへーはおっかないのに目を付けられやすいからきぃつけろって言ったろー。何で逃げないんだよー』

『あの面白いねーちゃんがいるから安心してるみたいだけど、世の中にはねーちゃんでもりょーへーを庇えないよーなおっかない奴がいっぱいいるんだぞー』


(本当に全くその通りだね、今の君達が言っても説得力皆無だけども)


 口々に好きな事を言いながら背中や肩や頭の上というそれぞれのお気に入りの場所を競うように陣取るチビ達は、どうやら僕の心配をして来たようだ。にしても、こいつらには生存本能というものが欠落しているんじゃなかろうか。


 つっこむ事は眞琴さんの部屋の書類の如く山積みだけど、ひとまず深呼吸。そして、あえて冷静にチビ共に告げた。


「取り敢えず、君達は周りを見回して状況を把握してみようか」

『何だよー、俺達が心配してきてやっ——』


 僕の反応に不満げな口調で異議申し立てをしようとしたチビ達が、けれど素直に周りを見渡したらしく、途中で固まった。予想通り、ノワールを見つけて凝固している。


『っ、りょーへー! 何ぼーっとしてんだよ、早く逃げろよ俺達連れて!』

「やっぱり連れて行く事前提かい! てゆーか、妖の癖して人間の僕を盾にするよーに隠れるんじゃない!」


 いつの間にか僕の背中に大集合してぐいぐい押して急かすチビ達は、妖としての矜恃をどこへやったのだろうか。


『ばっかだなー、りょーへー! 命あっての物種って人間もよく言ってるじゃないか! 俺達はあんな化け物の半径5メートル以内に近付いたら死んじゃうんだぞ!』

「さっきフツーに側を通り過ぎてた上に今現在5メートル以内だから!」


 背中の後ろでギャーギャーと騒ぐチビ共と中途半端に振り返ったままで追いつかないツッコミを入れ続ける僕に、とうとうノワールが深々と嘆息した。びくっとしてその場に直立不動になった僕と雑鬼達——背中にひっついたまま気を付けした奴がぼたぼたっと落ちた——を見て、ノワールは冷たく言う。


「まず、昼日中から妖と騒ぐな。一般人に見られたらどうする」

「……仰る通りです」


 引き攣った顔で素直に非を認めると、ノワールはチビ共に目を向けた。


「次に、俺はお前らのような害のない雑鬼にまで興味はない。魔力を解放している時ならともかく、今なら触れない限りは死にもしない」

(触れたら死ぬし、魔力を解放してたらあながち嘘でもないのね)


 ぶんぶんと頷いている雑鬼達がさっき自分の事を棚に上げて言った「化け物」という言葉に、うっかり納得しそうになる。


「最後に。お前は自分の特殊性を理解しろ。それほど雑鬼に気に入られているだけでも異常なのに、引き摺られないとはな。魔力の練度もそれで説明が付くが——」


 言葉を句切るノワールに思わず首を傾げかけた瞬間、彼と目が合って息を止めた。



「——堕ちるなよ。堕ちたら、俺はお前を殺す」



「堕ちる、て……何、ですか?」


 その暗く深い瞳に呑み込まれそうな錯覚と必死に戦いつつ、辛うじてそう聞く。それを聞いて目を眇めたノワールは、けれど答えなかった。



「……後は『魔女』に聞け」



 それだけを言うと、ノワールは転がっていたフォンデュトに手を伸ばす。魔力の糸のようなものがノワールの手から伸びた。それはフォンデュトに繋がっているらしく、ノワールがそれを掴んで引くと、フォンデュトは哀れズルズルと引き摺られる。


「売るものがあったら連絡を入れてくれ。こちらも許可が出たら持ってくる」

「ああ、頼むよ。じゃあ、そのうちに」

 眞琴さんの言葉に頷くと、ノワールはその場で消えた。フォンデュトごと、だ。


「……他人を連れた転移魔術?」


 それって、上位魔術師でも長時間かけて構築するレベルの代物じゃなかっただろうか。


「そう。凄いだろ」

 呆然と呟く僕にあっさりと頷いて、眞琴さんは僕ににっこりと笑いかける。


「おいで涼平。もう少し、君に常識を教える必要性が出てきたみたいだ」


 一も二もなく頷いて——またあんな風な目に遭うのはごめんだね——、僕はチビ達を振り落とし、眞琴さんと共にカウンターから繋がる部屋へと入った。

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