第7話 魔法の書

 空恐ろしい笑みでちらりと僕を横目で捉えた眞琴さんは、肩をすくめた。 

「まあ、涼平と貴女の関係に口出しするのは野暮ってものだね。ここに貴女が来たという事は——貴女は、『知識屋』の客たる資格がある」


 つい、と。眞琴さんの口の端が、笑みの形に吊り上がった。お得意のチェシャ猫のような笑顔に、莉子さんは何度か瞬く。


「……えっと、ここは「バームウィプフェル書店」、だよね」

「それは『表』の書店名。ここは——今貴女がいる「場」は、『知識屋』。魔術の知識を売る店だ」

 眞琴さんの言葉を聞いた、その途端。莉子嬢の目が、異様な輝きを帯びた。


(……え?)


 その瞳の色に、ここ最近関わってる困ったマセガキと同じものを見つけて、目を疑う。


「……魔術? 魔法? 現存するの?」

「おやおや、過去にあった事を肯定するような質問だね」

「大学の文献を読んだだけでも、そうでなきゃ説明のつかない事が沢山あったもの。ねえ、本当? 本当に、魔法はあるの?」

 莉子さんが熱に浮かされたように眞琴さんに問いかける。眞琴さんは——『魔女』は。そんな莉子さんの瞳を真っ直ぐ覗き込んで、歌うように諳んじた。


「例えば貴女の部屋の片隅で、世にも不思議な出来事が起こるとしよう。どんな科学でも証明出来ない現象が、貴女の目と鼻の先で起こるんだ」


 どこかで読んだ覚えのあるコトバ。莉子さんが食い入るように『魔女』の言葉に聞き入る中、『魔女』の声が朗々と響く。


「けど、貴女の机は少し大きすぎる。だから、魔法は机の陰に僅かに隠れて見えない」


 『魔女』が、にっこりと笑んだ。


「——つまり、それが魔法だ」


 莉子さんが、歓喜の声を上げる。

「凄い! じゃあ、私はそれを見る事が出来るのかな?」

「そうだね……」

 立ち尽くす僕に一瞬視線をくれて、眞琴さんは留めた言葉を続けた。

「……貴女の資格はそこまでない。そう……、あの棚にある書が限度だろう」


 そう言って眞琴さんが指差したのは、魔術書の中でも魔術の世界についての考察書が置かれた本棚。魔術書とゆーより、大学にあるやたら分厚い本のお仲間だ。


「魔術を理論的に考察した書が置かれてる。知的探求心旺盛な貴女にはぴったりだと思うよ」

「見せてもらっても良い?」

「どうぞ。涼平、案内してあげて」


 眞琴さんに促され、僕は莉子さんを連れて目当ての本棚の前まで歩く。莉子さんは待ちきれないと言わんばかりに書棚に近寄り、1冊1冊背表紙を確認し始めた。


「うーん……この辺りは大学で読んだなあ」

「……莉子さんって、魔術に興味あるお人だったん?」

 今更と言えば今更な確認事項を尋ねると、莉子さんは書から目を離さず頷いた。

「昔からオカルトとか超自然現象が大好きでね、それが高じて大学の専門までそういうものになったんだ。大学院を選んだ理由も、この地域が不思議現象が多いから」

「へー……ま、確かに多いけど」


 黒い人事件然り、マセガキ事件然り。こんな派手な例を挙げなくとも、この街は怪奇現象がホント多い。そもそも、チビ達がわらわらと群れてるのも不思議現象だしね。


「けど、大学に置かれているのよりは詳しいと思うよ?」

 眞琴さんの仕入れたものだし、とココロの中で付け加えておく。いやだって、どこにでもありそーな知識をこのお店で売る真似はしないって前に言い放ってたし。


「そうだなあ……これとこれ、それからこれは買う」

「まいどー。まだ見るなら預かっときますよ」


 莉子さんが選んだ書をさりげなく受け取ってカウンターに運ぶ。単なるゆっくり選んで貰う為の配慮だったんだけど……その時莉子さんは、「それ」を見つけてしまった。


「——あ」


 莉子さんの声が、違う響きを孕んだ。カウンターに丁度書を置く所だった僕は何気なく振り返って、驚く。

 莉子さんは、はっきりと魔力が視て取れる魔術書を手に取り、凝視していた。初心者向けとはゆーものの、れっきとした原書だ。


「莉子さん、それは——」

 わりとおっかない魔術書だからダメ、と止めかけた僕を、眞琴さんがすっと手で制す。


「——それが、どうかしたかな?」

 眞琴さんの落ち着いた声に、けれど莉子さんは顔を上げないまま答えた。

「これ、欲しい」


 やけに平坦な声を聞いて、眞琴さんは楽しそうにチェシャ猫の笑みを浮かべる。小さく首を傾げた『魔女』は、ゆっくりと告げた。


「止めた方が良い。それは、貴女の「資格」と釣り合わない」

「……資格?」

 やっぱり平坦な声で繰り返し、莉子さんはゆっくりと顔を上げて『魔女』を見据えた。

「そう、「資格」。知識はね、それを得る側の資格が何より大事なんだ。資格を超える知識を受け止める事は、出来ないんだよ」

「……何で、貴女が私の資格について言えるの」


 平坦な声に力強さが混じる。莉子さんは立ち上がり、僕達に……いや、『魔女』に詰め寄った。無意識に、僕の足が下がる。

 反対に眞琴さんは1歩踏み出して、莉子さんと真っ直ぐ対峙した。


「私は、『知識屋』の店主だ。この店はね、求める者の資格に相応しい知識を与える。その店主である私が、お客様の資格を見極め、知識を売るか売らないか決めるのは、当然の事だろう?」


 誇りすら感じさせる口調に、莉子さんが少し怯んだ。けど諦めきれないようで、更に食い下がる。


「でも、欲しいの。お願い、売って頂戴」

「駄目。私は、それを売る事は出来ないよ」

 きっぱりとした物言いを聞いて、莉子さんは僕の方を向いた。

「……ねえ、売ってくれない?」


 媚びるような甘い声。女の子のこーゆーおねだりには大抵応じる僕だけど、妙に引っかかる笑顔とかどこかのマセガキを思い起こさせる目とか、嫌な予感しかさせてくれないモロモロが、警戒信号をがんがん鳴らしている。


 ここで「いいよー」と言ってあげられる程、危ない橋を渡る度胸はない。チキンというなかれ、うっかり魔術の世界に引きずり込まれたひ弱な一般人に必要な危機管理とゆーものである。


 かといってすっぱり切り捨てるのも気が進まないので、逃げの戦法を打つことにする。だってもうすぐデートだもの、好感度は維持しておきたいじゃないか。


「……ええと、僕はしがない雑用店員だからさ、独断で売れないとゆーか」

 やんわりと責任の所在を流そうとした所で、思わぬ横からの声に堰き止められる。

「おや、別に構わないよ?」

「へ!?」


 ぎょっとして眞琴さんを見やると、この上なく楽しそうな笑顔で僕を見ていた。なんだろうね、このイキイキとした雰囲気は。


「知り合いなんだろ? 良いよ、身内特権という事にするから。涼平に判断を任せよう」

「えー……何その今決めましたー的な新システム……」


 ぼやくよーにクレームを入れるも糠に釘。にこやかな眞琴さんとちょっとおっかない眼差しの莉子さんが返事を待つ中、僕は滅多に酷使しない頭脳をフル回転させてみた。


 結論。


「……うん。莉子さんや、資格無いのに手を出すのは、心の底からやめておいたほーが良いと思う。ちょいと身の危険がシャレにならないから」


 ここ最近巻き込まれた諸々の事件を鑑みた僕が、お願いだから久々のアソビ相手である素敵レディにおっかない橋を渡らないで欲しいと思うのは、ごくごく自然だと思うんだ。

 ……勿論、莉子さんの身も心配だけどさ。梗平君や眞琴さんのシャレにならない予言もあるし、僕としては全力で危機回避に努めさせて頂きます。


 莉子さんは僕の切なる忠告にしばし沈黙していたけれど、やがてこくりと頷いた。


「……そっか。じゃあやめる」

「へ」


 そうはいっても粘るだろーと思ってたのに、あっさりと引き下がられた。気が抜けて変な声が出たじゃないか。


 思わず目を丸くした僕を尻目に、莉子さんは眞琴さんに向き直った。

「彼の言う通り、止めるわ。さっき選んだ分だけ買います」

「はい、ありがとうございます」


 イキナリな展開について行けないのは僕だけのようで、眞琴さんはにっこりと笑って莉子さんからお金を受け取る。莉子さんは重たい書が入った紙袋を腕に提げ、笑顔で僕に手を振った。


「じゃあ、また3日後にね」

「え、あ、ハイ」

 咄嗟に頷いた僕に笑顔で頷き返し、莉子さんは『知識屋』を去った。


(……ううむ)


 最後に見せた笑顔に何か引っかかるものを感じたけど、まーひとまず話が纏まったからいーやと自分を納得させ、そもそも心配性とは縁遠い僕は、すっぱりと気にするのを止めたのだった。

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