第9話 せかい
訪れた沈黙。時間としては、相当経過しているんじゃなかろうか。僕の方向感覚が狂っていなければ、梗平君はさっきからみょーな経路を通ってるけど、時間経過と感覚的にそろそろ山頂近い、と思う。
軽く1時間以上経ってるんだけど、チビ達は今頃何をしてるのかね。梗平君は見つからない、僕もいないで、もう帰って寝てるかも。
(…………あ)
チビ達の様子をなんとなく想像した僕は、唐突に足を止めた。
(……なんで)
なんで、気付かなかったのだろうか。
(生き物の気配が、ない……?)
木々を風が吹き抜ける音は聞こえても、鳥や虫の鳴き声や動物の彷徨く気配が、一切無い。——生きたモノの気配が、ない。
(魔力は、あるのに……)
こんなに強力な魔力の気配と、豊かな自然が存在するのに。それを享受する筈のいきもの達の息づかいが、存在しない。
——その違和感は、1度気付いてしまえば何故今まで平気だったのか不思議なくらい、壮絶な不快感をもたらした。
「梗平君……っ!?」
連れてきた張本人に訴えようと顔を上げ、僕は目の前の光景に絶句する。
木によって微妙に色が違うとはいえ、緑一色だった筈の世界。その中にぽつんと存在する、小さな湧き水の溜まり場。……水音を聞いた覚えはないのに。
そして。湧き水の傍らに佇み、水面に映った月を見つめる梗平君を取り巻いているのは、
——むらさきいろの、せかい。
明るくも暗くも見える、綾織りのむらさき。明と暗、対極の2色を混ぜ合わせる矛盾が、これ程に複雑な色合いを生み出すのか。なら、この突き抜ける透明感は何なのだろう。
……濁っているようで、透き通っている。そんな、矛盾したむらさき。
彼を巻き込み広がらんとしている先に視えるそれは、果ての無いむらさきの荒野。
視界が、ぶれる。
いや、ぶれているのは、世界か。
「……世界は常に背中合わせ。合わせ鏡の先に見えるは、背中合わせの世界」
低い、声。
大人の低さに、子供の純粋さが響く、キレイな声。
その声が、呪文のように。
言葉を紡ぐ。
「背中合わせに在る世界は、ほんの僅か水を向けるだけで現界する。……常に、この世界へと手を伸ばしているからだ」
ぶれた世界の中で唯一輪郭を保つ少年が、ついと片手を伸ばす。
学生服の袖に纏わり付くむらさきを、じっと見つめて。
きたない、むらさき。
きれいな、むらさき。
「永きに渡り俺達の世界を裏張りしていたこの世界は、それ故に、俺達の世界をなによりもよく識っている」
むらさきは広がり、少年を取り巻く。
くろい服を彩る、むらさき。
少年は、動かない。
「求め続けているからだ。手を伸ばして。——まるで、幼子のように」
やがてむらさきは少年を包み込み、更に広がっていく。
僕の、方へと。
——子供が、手を伸ばすように。
(…………)
ふらりと、足が動いた。
進む。
どこへ。
前へ。
後ろへ。
違う。
——伸ばされた、手の方へ。
「それでも、手は届かない。常に側にありながら、決して触れる事は叶わない。それ故に、世界はこちらのモノに手を伸ばし、こちらのモノを取り込もうとする」
さくさくと。
足元で聞こえるのは、何の音だったか。
とくとくと。
身の内から聞こえるのは、何の音だったか。
「こちらから手を伸ばさせる事が出来れば、仮初めにも触れられる。だからこそ、知識を与えようとする」
声が響く。
外から。
違う、頭の中から。
聞こえるのは、誰の声。
「いつの世も、ヒトはその知識を取り込みたがる。——識りたいからだ。己の世界と、それを支える世界を」
おいで、と言う声。
行きたい、と言う声。
むらさきのせかいから聞こえる、声。
僕の、声。
「だが、こちらの世界の知識とあちらの世界の知識は、——決して相容れない。どちらかしか、選べない」
——りょーへー!
ふと、足が止まる。
いまのは、だれのこえ。
瞬く。
せかいが、重なる。
——おおい、りょーへー! どこにいるんだよ!
——かくれんぼしよーだなんて、言ってないだろ!
「……チビ」
識っている。
違う。
知っている。
名前はなくとも。
僕は。
彼等の、事を。
「……ばっかだな。帰って、寝てれば良いのに……」
声が、出た。
声が、聞こえた。
今まで僕を捕らえていたナニカが、消える。
「——止まるか」
不意に、強い響きを帯びた声が耳朶を打った。顔を上げると、むらさきに包まれた梗平君のくろい目にぶつかる。
——早く出てこいよー!
——お菓子2倍って言ったのは、りょーへーじゃないかー!
一瞬、またむらさきとくろに吸い込まれかけたけれど、チビ達の声に引き戻される。
「資格はある。眞琴よりも。俺と、同等に。知識欲もある。魔術師に、相応しく」
梗平君は能面のような顔のまま僕を見て、唇だけを動かしていた。
(……いや)
その目だけは、むらさきのせかいを。
じっと、見つめていた。
「なのに貴方は識りたがらない。知る事は許容し、識る事は忌避する。魔術師に触れても、異界に触れても、人間の根源に触れても、貴方は「貴方」のまま、揺らがなかった」
梗平君が手を振った。
ざあっと、世界が動く。
違う。
動いているのは、僕。
「貴方は、「止まる」事を選んだ。「素質」に選ばれるのでなく、「貴方」を選んだ」
「梗平君……!」
遠ざかる。
むらさきから。
せかいから。
——梗平君、から。
「ならばもう、ここにいる理由はない」
「ちょ、こら……!」
手を伸ばす。届かない。
梗平君が、遠くなっていく。
「——貴方は「貴方」のまま、進むと良い。俺は——」
その先の言葉は、聞こえない。
もう、聞こえない。
——見えない。
「梗平君! ……って、わああぁぁああ!?」
『りょーへー!!!』
チビ達の合唱がいきなりくっきりはっきり聞こえた。僕の全身全霊の悲鳴も。
何でいい年の大学生がみっともなく悲鳴を上げてるかって? そりゃあコンクリの地面目掛けて何メートルも上空から自由落下させられたら、悲鳴くらい上げるじゃないか。
(けどこのまま悲鳴上げてれば助けてもらえるヒロイン補正なんて、僕にはないし欲しくもないし、何より僕は魔術師見習いですからね、自分で何とかしないとまた眞琴さんに扱かれるフラグで、ってああもう自分でも何言ってるのか分からなくなってきたからとりあえず!)
『れびおーさ!』
頭で考えるというプロセスをすっ飛ばして呪文が口から飛び出た。つくづく脊髄反射で呪文を決める性格でよかったと思うよ。
ふわりと風が渦巻き、僕の体を包み込む。無事に重力の呪いを断ち切った僕は慎重に、これがエレベーターなら故障だよねってノロさで降下した。
固い地面に無事辿り着いた僕は、イロイロなものがぶっつり切れ、へなへなとへたりこんだ。
「し……死ぬかと思ったああ」
『りょーへー、何楽しそーな事してるんだよー!』
『俺達も混ぜろよなー!』
「君達ね、今のが遊んでるよーに見えたなら是非とも眼科に行く事をオススメするよ!」
妖用の眼科なんて愉快なモノがあるかどうかはともかくとして、だけどね。
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