知識屋

吾桜紫苑

まえがき

序章

「この世には、沢山の武器がある」


 ソファに身を沈めた彼女は、どこか楽しげに言った。


「糧を得る為、生き残る為、人は沢山の武器を作り出してきた。槍、弓、剣。これらが狩りの効率を跳ね上げ、人間社会は栄え始めた」

 それが良くなかったのかな、と言う彼女は、シニカルな笑みを浮かべたまま、唄うように言葉を紡ぐ。

「いつからか人は、領地拡大などといった、己の欲望の為に武器を作るようになった。拳銃や大砲、原爆。飛行機もコンピュータもホッチキスも、戦争用の武器が日常に還元されたものだ。私達の身の回りには、驚く程多くの戦争の産物が存在する」


 どうして、平和な時よりも沢山の研究が進むのか。平和で腰を据えて研究した方が、捗りそうなものなのに。


「うん? それは当たり前だよ。研究者達は、仲間達に生きて帰ってきて欲しいもの。自分の研究で国が勝つ要素が上がる、仲間が生き残る可能性が高まるのなら、少しでも早く結果を出そうとするだろう? どんな手を使っても、ね」

 僕の心を読んだかのように、彼女はこともなげに言う。楽しげに、皮肉げに。

「結果、彼等の技術は沢山の人を殺した。中には、純粋に生活水準向上の為に研究をしていたのに、戦争の武器として使われてしまった人もいる。悲劇だね」


 悲劇と言いながらも、彼女の笑みは消えない。足を組んで座る彼女は、その悲劇も戦争の産物だというのだろうか。


「違う違う。その人は、気付いてなかっただけなんだよ。この世に存在する、目に見えない武器の存在にね」



 目に見えない、武器。



「剣も、拳銃も、兵器も、その武器から生み出されたというのに。誰もが「目に見える」殺傷性に気を取られて、その存在を忘れてしまう」


 彼女はシニカルな笑みを、挑むような不敵なそれに変えて唄い続ける。その唄は、コンピュータのキーボードで叩かれたように、僕の脳に一字一句違わず刻みつけられていく。


「武器も、技術も、生きる術さえも。全ては人の手で生み出される。動物にこれだけの武器は生み出せない。その違いは——これだろ」

 これ、と言って、彼女は指先でこめかみを2度叩いた。

「頭脳、思考力、表現する言葉はいろいろあるね。新たな発見をする人というのは、発想力や応用力、そして研究を続ける忍耐力かな? そういうものに優れている」


 それはきっと、人にしかない能力。言葉を交わし頭を使う人間は、その非力さと脆弱さにもかかわらず、ここまで栄えてきた。


「でも彼等とて、まっさらな状態から全てを生み出したわけじゃない。先人の残した書物、今までの経験、自分や他者の研究。そういう手がかりを元に疑念を持ち、仮説を立て、「新たな発見」をした。そういう意味では、全く新しいものなんて、この世に存在しやしない。彼等は、誰もが忘れる武器を使って結果を出しているだけなんだよ」


 その武器の価値を知り尽くしている彼女は、その武器の名を口にした。



「——知識。誰もが持つもの。それを所有すればする程、人は力を手にする」



 気怠げに首を傾げた彼女は、僕の顔を見上げてうっそりと笑う。


「武器の発明だろうが電気の発明だろうが、研究者の生み出すものはそれ自身じゃない。それを作る為の、知識だよ。知識を生み出す才は希有なものだけど、知識を応用する才はそうじゃない。1度知識を生み出した以上、それがどういう風に使われてもおかしくない。知識を生み出す者は、その責任をも負わなければならないのさ。大変だよねえ」


 私にはとても無理だね、と嘯く彼女は、確かに知識を「生み出し」はしない。


「訓練されていない人間に拳銃を持たせると、暴発させて仲間ごと傷付けてしまう。なればこそ、武器は正しく扱える人間が持たなければならない。それは、知識も例外ではないんだよ」

 それを分かっていない人間が『知る権利』とやらを唱えると、大層面倒なんだけどね。彼女はそう言って、そういう人達への嘲笑を浮かべた。

「『知る権利』というのはね、知る資格を持つ人間が、知識を欲した時自由に得る事が出来る権利だ。誰もが知りたい時に何でも知る事が出来る権利じゃない。大学の図書館に沢山の新しい専門書が置かれていて、一般の図書館にはほとんど無いのは、そういう事だろ? 「大学に合格した」という条件をクリアした人間だけが、知識を手に入れて良いんだよ。一般人が薬物の取り扱い方法を知ったって、碌な事にはならないじゃないか」


 知識を持つ資格。彼女は、何よりもそれを重んじる。


「私は、知る資格はそこそこ持っている。けど、欲しいとは思わないな。何かを手に入れれば、それに付随する責任を負わなければならないもの。持つ資格の分だけきちんと知識を手に入れて、責任を果たしつつそれを活用する人間は、本当に尊敬するよ。君は私がお客様に丁寧に頭を下げる事に驚いていたけど、当たり前だろう?」


 そう、お客様。

 彼女のお客様は、知識を欲する人間だ。


「資格有る人間に、資格分の知識を与える。私は知る資格以上に、資格有る人間を見極める能力を授かった。それを使うのが、私のすべき事。だから私は知識を売る」


 相手の資格を見極めて。相応しいだけの知識を。


 責任を負ってでも知識を欲し、知識を使って知識を生み出す人々に。


 与えすぎず、与えなさすぎず。公平に知識を売る。



 それが彼女の——この店の、売り物だ。



「時々私の事を「情報屋」なんて呼ぶ馬鹿がいて、腹立たしいね。私が扱うのは情報なんて不確かなものじゃない。私は知りたくないんだから、情報を手に入れて売る訳が無いじゃないか。私は、資格ある人にそれを与える仲介者だよ。第三次産業だね。私は——」


 不敵な笑みは、傲慢ですらあって。けれどそれは、彼女に不相応なものじゃない。


 それこそ、その笑みを浮かべるだけの『資格』ある女性だ。


 なぜなら、彼女は。



「——『知識屋』、だからね」

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