第9話 原書と少年
「気を付け。前にーならえ!」
『おー!』
「まわれー、右!」
『いち、にい、さん!』
「なおれ! その場に座りましょー座れ!」
『やー!』
「…………何をしているんだ、貴方は」
多少の脱線はあったものの、おおよそ莉子さんを満足させられるだけのデートで身も心もリフレッシュした、次の日。眞琴さんの宣言は見事実行され、その日からしばらく『知識屋』は、僕と梗平君での代理運営と相成った。
「眞琴は俺と違い家から期待をかけられているから、呼び出されたのだろう。今までは休業にしていたらしいが、涼平さんが入った事で俺を利用する事に思い至ったらしい」
迷惑だ、と憮然とした口調でぼやく梗平君をまーまーと宥めつつ、それぞれ『表』と『裏』の営業を分担する事になった僕達。お互いに春休みだしちょーどいいやとちょっと早めに来てもらい、約束のチビ達の芸を見せる事となったのだ。
ちょいと時間も空いたので、追加のお菓子で釣って覚えさせた小技ごと披露してみた。普段からわいわいやってるからかチビ達の連携はお見事の一言だし、楽しそうにこなしてくれた。うん、君達ほんとーに長い刻を生きた威厳をどこかに落っことしてきたよね。
で、取引相手でもある梗平君はというと、何故か呆れきった溜息をふかぶかーと吐き出してのコメントを口にしたのだった。
「ありゃ、お気に召さなかった?」
「鬼使いが鬼を従える様は非常に稀少だ。故に雑鬼相手とはいえ対価として十分と判断したが……何故、人間の集団行動をさせようという発想が出てくるんだ」
「え、芸の基本じゃない? 集団行動」
「あの時の「芸」というのは比喩表現ではなかったのか……」
呆れきった溜息、再び。なんだろうね、人が折角楽し面白いもの見せたげたのにノリの悪い。
「でも面白いじゃないか。素直に楽しめば良かろうに、気むずかしいねー」
「少なくとも魔術師10人中8人は俺と同じ反応を返すと判断する」
「後の2人は?」
「涼平さんと眞琴だ」
うむ、納得。眞琴さんならきっと面白がってくれただろう。
(ううむ、この魔術以外に興味ありませんーなマセガキに、こーゆーお茶目な愛らしさは通じなかったか)
ちまっと器用に体育座りをして僕達を見上げているチビ達を見やると、一斉に声が上がった。
『りょーへー、なんかあんまりウケが良くないぞー』
『そこのおっかない子供の側に寄るだけでも、俺達みたいなぜんりょーな妖には大変なのに、頑張ったんだぞー』
『それなのに反応がいまいちとか、提案者は責任とれー!』
「……君達いつの間にか人間社会に適応してない? どこで知ったのそんな言葉」
やたら小難しく可愛げのない単語を並べたチビ達にツッコミを入れると、ぴょこんと立ち上がったチビ達が揃って胸を張った。
『てれびでえらそーな人間が言ってるのを覚えたんだ!』
『りょーへーがおれたちをじょうしき知らずとか言うから、べんきょーしたんだぞ!』
『どーだ見直したかー!』
「……貴方は一体雑鬼達をどうしたいんだ?」
「あはは……それ、こいつらにきーたげて」
斜めな方向に驀進する雑鬼の集団に額を押さえる梗平君の問いかけには、乾いた笑いしか出てこないよ。
……人間社会の常識をテレビから学んでいく雑鬼って、ナニカが激しく間違っている気がするんだけどどうだろう。
「ま、取り敢えずこれで良い?」
「……涼平さんに鬼使いとしての期待を寄せた俺が悪い。一応取引内容からは外れていないから問題はない」
「回りくどいねえ」
みたび梗平君の口から溜息。こらこら、中坊の時期からそんな溜息付いてると、幸せが全部逃げていくよ。
「というわけで、おっけーだってさ。ほい、今日は解散ー」
『おー!』
『りょーへー、今日のお菓子はちゃんと豪華にしてくれよなー』
「それは前払いしてるからダメ。用意はしておくけどね」
きぱっと言うと——余り甘やかすのも教育上良くないって言うしね——、チビ達はぶーぶー言いつつも方々に散っていった。
「ヘンな奴らだよねえ。アレで僕より長生きだってゆーんだから不思議」
「類は友を呼ぶと言う」
「え、どゆ事?」
「そのままだ。開店作業に入る」
さりげにさっくりと人を口撃する様は、流石魔女サマのはとこ。それ以上一言も言わずに作業に入ったマセガキの背中を眺め、僕はひとり肩をすくめた。
前と同じように『裏』を任せ、『表』のお客さんの応対開始。こっちのお客さんにとって一般開放の日は定休日扱いらしく、昨日の僕の有給合わせ「久しぶりだね」なーんて言ってくれる常連さんがちょいちょい顔を出してくれた。うーん、この温厚さを少しでいいから魔術師も見習って欲しいものだね。
その日も、その次の日も、『知識屋』の営業には何ら支障は無かった。今回は新規のお客様もゼロだったので、『裏』もスムーズかつ平和に稼げたらしい。……眞琴さんのぼったくりスキル、梗平君にも遺伝してるのかね。
とまあ、眞琴さん不在とはいえそこそこに平常通りな『知識屋』の日々は、3日目にやってきたお客様によって破られた。
その日、比較的忙しめだった『表』のお客様を無難にさばいた僕は、お客様もはけたしそろそろ閉店の準備するべと腰を上げた瞬間、鳴り響いたドアベルの音に、はてどちら様と首を巡らせた。
「あれ……莉子さん?」
「やあ」
それだけ答えた莉子さんは、ちょいと様子がおかしい。デートの翌朝別れた時には色香ぷんぷ……ごほん、にこやかだったんだけどな。
「本棚の配置、変えたんだね」
「え? あーうん、多少ね」
一般開放用の配置しか知らない莉子さんの言葉に、曖昧に返す。うん、やっぱ変。顔色も悪いし体調でも悪いのかな、火遊びした関係上多少は心配。迂闊な真似はしてないけども、人情として。
「ねえ、涼平」
「うん……?」
……けど、そんな暢気とも言える心配は、目が合った瞬間に吹き飛んだ。
「り、莉子さん……? どうかした?」
明らかに異様な色合いを映す眼差しに、辛うじてそれだけ尋ねる。それには答えず、莉子さんは1歩僕に詰め寄った。
「あの書、売って」
「……え」
どきりとする。あの書って、間違いなく僕が止めた原書だよね。
「ど、どしたの急に」
「必要なの。ねえ、売って」
そこで莉子さんはついと口の端を持ち上げて、艶やかな笑みを作った。一瞬僕が気を取られた間に、莉子さんは手を伸ばして僕の頬に触れる。
「良いだろ? 私と涼平の仲じゃない。楽しい事、またしたくない?」
「……莉子さん」
一瞬誘惑にぐらっとはきたものの、流石にそんな場合じゃないからぐぐっと我慢。……だって早くも見えるんだもの、危険信号レッドランプ。
「前も言ったけど、やめといた方が良いってば。あれは、莉子さんが迂闊に手を出して良いものじゃあ——」
「でも、涼平は読めるんだろ?」
「へ?」
僕の説得を遮って言われた言葉の意味が分からず、間の抜けた声を出すと、莉子さんはにこりと笑った。
「あまり「視えない」筈の涼平は、私には危なくて読めない本が読めるの? おかしいよね。ほとんど一般人だっていう涼平は読めて、私は読めないなんて」
(やーばーいー)
背中にだらだらと汗をかき、僕はこの状況から逃げ出す方法を割と真剣に考えた。普段なら眞琴さんに全力で助けを求めるけど、今はいない。いても莉子さんの事となると機嫌の悪くなる眞琴さんには頼みにくいだろうけど。
となると僕が対応しなきゃだけど……ああ、追求逃れるためとはいえ、はぐらかしすぎた自分が憎い。
「ええとね、莉子さん落ち着いて」
「落ち着いてるよ。でも、涼平が売ってくれたらもっと嬉しい」
頬に触れていた手が、ゆっくりと動く。覚えのあるその色っぽい動きに陥落しそうになる自分をココロの中でしばき、僕はその手を握り返した。
「ダメだって。莉子さんの為に言ってるんだよ? 僕の言う事、信じられない?」
しっかりとした口調を心がけて言うと——気を抜くと声震えそう、だってなんか莉子さん怖い——、莉子さんは少し考えるような顔をした。よし、もうちょい。
「またこないだみたいな書が入ったら連絡するから、あの書は——」
「売ってやったらいいだろう」
(はい!?)
まさかすぎる裏切りに愕然と振り返ると、声の主はなんと微かに笑顔。無表情少年が珍しいな、なんて暢気な事言ってらんない。あの笑顔は前に僕を厄介事に叩き込んだ時見せたモノ、覚えてますとも忘れられないってば。
「あれ……君は、売ってくれるの?」
途端目を輝かせた莉子さんの問いかけに、梗平君はくっと唇を持ち上げた。その顔を見て、何故かトートツに梗平君に初めて出会った頃の言葉を思い出す。
『——事実、俺と『魔女』は考え方が違う』
「ああ。貴方が欲しいのはこの書だろう?」
そう言って差しだした原書に、莉子さんが早足で近付く。手を伸ばして受けとらんとする莉子さんと、引き留めようとしていた僕は、
「ただし」
という梗平君の言葉に動きを止めた。というか、動けない。
(流石本職魔術師、言霊1つで僕達2人を止めますかーなんて感心してる場合じゃない、ちょっと危険信号レッドを通り越してアラート音聞こえてきてるんだってば、止まれこのマセガキ……!)
せめてもと全力で送ったテレパシーは虚しくもスルーされ、梗平君はゆっくりと続けた。
「条件がある。この栞を挟んだ頁より先は、読んではならない」
見せつけるようなゆっくりとした動作で、梗平君が金属の栞を挟んだ。ちょい、何やら魔力が視えますよ……?
「おそらく貴女には、ここから先の頁は繰れない筈だが。それでも「約束」してほしい。貴女は決して、この先の頁を、読んではならない」
「ちょ、梗平君——」
「いいよ。約束するから、早く売って」
梗平君の言葉に慌てて口を挟もうとしたのに、莉子さんが先走った。ええい、デートでは常に後手を心がけてた割にこんな時だけ手が早い……!
「「約束」は成立した。貴女に売ろう」
思わず頭を抱えた僕をちらりと見やった梗平君が、そう言って。
莉子さんに、原書を売ってしまったのだった。
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