第5話 お客様、再び

 ひとり結論づけた僕を尻目に、眞琴さんは小さく笑って首を傾げた。


「梗の字って運が無いというか、運を掴み取る才は無いんだよね。涼平は求めもせずに運を引き寄せるというのに」


(へ?)

 いきなりよく分からない評価をいただいた僕は、脈絡のない発言について問いただすより先に続いた言葉に、喉から心臓が飛び出すような思いをした。



「——原書の著者に会う光栄を涼平が2度も手にしてるって知ったら、あの子は何て言うと思う? ノワール」

「俺が知るか」



(……今眞琴さん何て言ったかなーというか、真後ろから聞こえた声にとっても聞き覚えがあるなんて事実はちょーっと認めたくないんだけど、このまま知らん振りなんかしたらまたきゅっとされちゃいますよね分かります)

 心の中で深呼吸。よし、落ち着いた。


 立ち上がって振り返れば、半年前にお目にかかった、やたら物騒な黒い人がそこにいた。気怠げな様子で壁にもたれ、斜に構えた姿勢で僕達を眺めている。……相変わらず、不遜な態度が板についていらっしゃる。


 眞琴さんが僕の隣に立つ。そのまま、深々と頭を下げた。


「いらっしゃいませ。『知識屋』へようこそ」


 眞琴さんの言葉に続いて僕も丁寧に頭を下げる。頭上からノワールの声が降り注いだ。

「頭を上げろ、今日は卸しに来ただけだ」

「それは嬉しい知らせだね」

 上機嫌ににっこり笑った眞琴さんは、さっきまで僕が座っていた椅子をノワールに勧め、足取りも軽く元いた椅子に舞い戻った。

 僕は梗平君のいた椅子に腰を下ろす事なく、テーブルの上に放置されていた3つのカップとクッキー皿を回収し、奥に入って新たに紅茶を2人分淹れる。


(お茶菓子は……うん、いらないよね)


 ノワールが甘いものをぱくつくとも思えないし、今あるお茶菓子って眞琴さんの好みに合わせて特に甘いものばかりだし、まず食べないだろう。淹れたお茶だけ持って戻った。

「ありがとう、涼平」

 眞琴さんのお礼を一礼して受け取る。今はノワールがいるから徹底して「魔術師見習い」としての態度を貫きますとも、前回を思い返せば無駄っちゃ無駄だけどね。


 ノワールが持ってくるのは『裏』の書だ、『表』の店番係な僕は関わりがない。よってさっさと帰っちゃおうと思ったんだけど、眞琴さんに何故か引き留められる。

「涼平もいな。良いだろ、ノワール?」

(いや、僕は全然良くないんだけど?)

 常時変わった人募集中の梗平君じゃあるまいし、僕は彼とは出来る限り関わり合いになりたくない。前回うっかり殺されそうになったのだ、とーぜんの心境ってものである。


 そんな僕の切実な希望は殆どテレパシー状態だったんだけど、眞琴さんはスルーしてくださった。いや、分かってたけどね。


 問われたノワールの方はといえば、僕に一瞥を投げかけ、訝しげに眉を寄せた。

「……魔術師としてよりも鬼使いとしての才を伸ばしているのか?」

「イエ滅相もない」


 ここ最近スパルタに次ぐスパルタで魔術をみっちりと詰め込まれている僕は、思わず即答した。あれだけ脅されたのにそんな無謀な事する筈ないじゃないか、僕にそんな蛮勇は無いと断言するね。


 けれどノワールは僕の返答に納得いかないご様子で、更に追求してきた。

「以前よりも鬼の気が強くなっている。堕ちても呑まれてもいないようだが、一体何を考えている」

「この間ご覧の通り、涼平は雑鬼達と仲が良いからね。最近家にも上げてるみたいだし」


 眞琴さんが可笑しそうに合いの手を入れる。さりげなくチビ達を家に招いてるのがばれているのはこれ如何に。


「いやー……気の良い奴らだし。というか魔術見て喜んでるから害は無いよ、絶対」

 僕の保証に、眞琴さんは何とも言えない顔をした。その気持ちはとてもとてもよく分かる、僕も毎晩そんな気分だとも。

「……彼ら、生存本能はどうなってるの?」

「僕もそれ知りたい。けど聞くだけ無駄、こないだ面白いは正義って言ってた」

「ああ……うん。涼平に寄ってくるだけあるね」

「ちょいと、それはどういう事かな」


 聞き捨てならない台詞に思わずツッコミを入れた所で、ノワールが溜息をついた。


「どうでもいい。とにかく、奴らと関わった結果はお前が責任を取れ。一般人に累が及べば、お前ごとあの妖共を滅する」

「…………頭と心に刻みつけておきます」


 さらっと口にされた脅しが本気と書いてマジなのは、眞琴さんのよーに嘘を見破れない僕でも疑う余地はなかった。厳かに胸に手を当てて誓いましたとも。


 僕の誠心誠意をありったけ込めた誓いはどうしてか信憑性が無かったらしく、ノワールはしばらく僕を胡乱げな目で見ていたけど、やがて視線を眞琴さんに戻した。


「原書閲覧の資格を持つ以上、『魔女』が良いなら俺に反対する理由は無い」

「……ん? もしかしてノワール、結構前からいたの?」


 眞琴さんが少し驚いたように尋ねる。僕も驚いてノワールを見やれば、彼は肩をすくめた。……年齢にそぐわない癖に堂に入る仕草の披露、本日2人目。


「そいつが無知を披露したくらいからだ。……あのガキ、宝の持ち腐れだな」

「へえ、ノワールはそう見るか」


 眞琴さんが面白そうな顔になる。僕はしょーじき、ぽかん。あの魔術を思う存分使いこなして好奇心の赴くまま暴走する梗平君を「宝の持ち腐れ」って。ノワールはあのマセガキを一体どこに向かわせる気なのか。


「才はあるが、目的が無いせいで『魔女』の言うように運を掴み取る事も出来ない。惰性で身に付けた魔術など錆びた刃物にも劣る」

(いえいえ、ですから彼が目的なんて持ったら空恐ろしい事になりますって……)

「ああ、そういう事か。まあね、梗の字の場合は自業自得だよ」

「そうか」

(え、納得しちゃいますかそこで)

「あの程度の魔術師にそこまでの興味は無い。暴走してもたかが知れている」

「あ、えと、はいすみません」


 どうやら心の声はダダ漏れな模様。声に出さない合いの手にフツーに答えられてしまった僕は、他にどうとも言えずにそう返した。


 ……いや、たかが知れているってゆーのには一被害者として物申したいけど、発言者が他ならぬノワールだしいいやと。眞琴さんにさえ会話聞いてたの悟られないくらいだもの、この人何でもアリでしょ、もう。


 呆れ半分感心半分な僕の気分は、続いて放たれた警告に凍り付いた。



「ただ、1つだけ伝えておけ。——この地の護りを揺るがすようなら、殺すと」



 気負いもなく、脅しの響きもない淡々とした言葉。けれど、いや、だからこそ、僕の時以上に本気が窺えた。



 瞬時に全身鳥肌が立った僕とは裏腹に、眞琴さんは動揺した風もなく静かに微苦笑した。



「……それはこの地を支える者達の仕事だよ。貴方の手は煩わせない」



 身内に対して無情とも言える発言に、ノワールはどうという素振りも見せずに頷く。

「そうしてくれるなら、こちらは干渉しない。……本題に入るか」


 言葉通り関心を失った様子のノワールは、続いて右手を無造作に振った。同時にテーブルに山と積み上げられる、分厚い本達。


(……どこから湧いてきたんですかーとか、びっくりするだけ無駄ですよね分かります)

 驚くのも疲れてきた僕を尻目に、毎度の事なのか眞琴さんは平然と本に手を伸ばし、検分を始めた。


「今回は許可の下りた魔術書ばかりか。ノワールのは無いの?」

「近頃忙しい」

「へえ、やっぱり誰かの面倒を見始めたって噂は本当なのかな」

「……不本意だが」

(おお?)


 初めて聞いたよ、彼の苦い声。驚いて窺えば、ヒジョーに面倒くさそうなノワールと、面白いものを見たと言わんばかりに目を輝かせる眞琴さんが目に入る。眞琴さんの平常運転度合いには本当に脱帽。


「ふうん、まあ良い事だ。教え子がいると日々に彩りが出るしね、そうだろ涼平」

「……うん、まあ貴女にとってはそうじゃない」


 僕をビシバシしごく時は必ずイイ笑顔を浮かべる、Sっ気たっぷりの眞琴さんならそうでしょーともよ。


 そんな僕らを見やったノワールは、相変わらず面倒くさそうに言葉を返した。

「彩りだか何だか知らんが、とにかく手間がかかる。あれだけ教え込んでもまだ使えん」

(あ、使う気満タンなのね……)

「じゃなきゃ引き受けるか」

「ですよね」


 だってノワールだもの。ボランティアとか言いだしたら、僕だって眞琴さんだって魔法士協会だってがちでびびるに違いない。


「うん、ノワールが「使える」と判断したって事は、協会も他に預け手いないねその子。……それはさておき今回の書だけど、これはちょっとこのままじゃ売れないな。随分質の良い原書だ、この世界で読める人はほぼ0に等しいよ」


 さらっと見も知らぬ人間を危険物扱いした発言には頓着せず、ノワールは商談モードに入った眞琴さんの言葉にまた肩をすくめた。


「抽出でも要約でも好きにしろ、抽出書にこの世界の解釈を加えるなら買い取る」

「その提案はとても魅惑的だけど、私にしか出来ないから時間かかるよ」

 眞琴さんの言葉に、ノワールは少し意外そうに眉を上げる。

「あのガキやそいつは」

「梗の字は一応可能かな、やってくれるか分からないけど。涼平はまだそっちの世界のでは、ノワールの魔術書を読むので精一杯だよ」

(えぇと、それはあのややこしいにも程があるノワールの魔術書の暗号があちらの世界では簡単って事ですかそうですか。……どんなのーみそしてるんだろ)

「魔法士としては普通だ、魔術師でも出来なくはない」


 またもや僕のココロの声に律儀に返答したノワールは、今度は僕の方を向いて微かに眉を顰めている。反射的に首をすくめた僕をしばし眺め、彼は眞琴さんに向き直った。


「珍しいな『魔女』。資格あるものに知識を、それがお前の口癖だろう」

「少し違うね。私は求める人の資格に見合った知識を与える。梗の字はともかく、涼平は求めない。涼平が選んだのはね、「普通」なんだ」

「魔術師としては致命的だな」

「それでもそれを選んだのは涼平なんだから、いいんだよ」


 ね、と僕に微笑みかける眞琴さんに、どう答えて良いか分からず曖昧に頷く。


「……甘くなったな」

「どうも」


 冷たさと僅かな軽蔑を孕んだ言葉に、眞琴さんはお得意のチェシャ猫のような笑顔で答えた。どこまでも我が道を行く眞琴さんの態度に、ノワールは嘆息して首を振る。


「検分が終わったなら、対価を」

「はい。今回はものが良いし、これくらいで」

 眞琴さんが立ち上がり、奥に置かれた金庫から大量の札束を持ちだして渡した。どんだけ溜め込んでるの、この人。


 僕なら触れるのも遠慮したい量の札束をごく普通に受け取って確認した16才は、1つ頷いて立ち上がった。


「抽出書が書けたら連絡しろ、買い取りに来る」

「良い値段がつくように頑張るよ」

「『魔女』の書はあちらでもそれなりの価値が認められている」

「それは嬉しいね。——毎度ありがとうございました」


 眞琴さんの型通りの挨拶が終わる頃には、ノワールは既に姿を消していた。


 やれやれと肩の力を抜く。途中から半分以上空気だったけど、それでもこの場の雰囲気は胃によろしくなかったよ、全く。



「任務とは言え、周りに目を向け口を出すようになった時点で、人の事言えないくらいには甘くなってるんだけど……本人、自覚あるのかな」



 脱力する僕とは裏腹に楽しそうに呟き、眞琴さんは僕を促し戸締まりに取りかかった。

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