第8話 山へ

 中央の山は常緑樹が多く生えているけど、花粉の多い木はほとんど無い。麓と頂上付近には桜があるし、紅葉する木も中腹にちらほらあるから、それなりに四季の移ろいを楽しめる山だ。


(……遠くから見てて、だけどね)


 何せ神社の敷地内だから、そううろちょろする訳にもいかない。せいぜい神社の境内から眺められる一部の紅葉と、麓から見る桜の白霞くらいしか観賞出来ないのさ。



 ……そう。神社に人がいる頃から、この山は遠くから眺めるだけの場所だった。



(梗平君もねえ……地元民なんだから、それくらい分かってるでしょうに)


 そんなに拘る何があるのか知らないけど、それで周りに被害を出してるようじゃまだまだ子供だなと、大人の世界に片足突っ込んでる大学生としては思う訳で。だからこそ尚更、止めようと思っちゃうんだよね。教育的指導な感じで、さ。



 山の麓に辿り着いた僕は、その場でバイクのスタンドを立てた。路駐だけど、夜中だしこの辺りは警察もそう来ないだろうし、まあ大丈夫でしょ。何かあった時に直ぐに乗って逃げられるようにしておきたいしね。


「さて、と」


 僕は呟いて、梗平君の魔力を探そうとした。占術の特訓で魔力の見分けも大分付くようになってるから出来るかな、と思ったんだけど。



 ……そう簡単に事が進んではくれなかったのである。ごっです。



「何コレ」

『りょーへーでもダメかー。俺達もこの辺りは良く分かんないんだよなー』


 うんうんとチビ達は呑気に頷いてるけど、僕は前言撤回で尻尾を巻いて逃げ出したくなってきた。


(山一帯に強力な魔力の気配がするとか、一体何なんですかねーこれは……)


 個々人の魔力なんて綺麗さっぱり掻き消してしまう程の強大な魔力が、山をすっぽりと覆い尽くしていた。下手な妖が近付いたら吹き飛んでるね、これ。


「チビ達が平気なのは何故かな……?」

『ここまできょーりょくな結界だと、俺達みたいな害の無い善良な妖はするーだぞ』

「どんだけなのよ、この山……」


 最近教えたばかりの横文字を使うチビの返答に、乾いた笑いしか出てこない。これじゃあ心霊スポットどころか、聖域とか神域って呼ばれててもおかしくない。


「……うん? じゃあどうして被害が多いんだろうね……?」


 フツーこういう場所って寧ろ安全地帯というか、駆け込み寺扱いされてそうなもの。それが人っ子1人いない上に、今じゃ最大の危険地帯。どーしてこうなるかな。


「まーとりあえず、梗平君を探しますかー……」


 こんな状態じゃ占術もまともに使えないから、ここは原点に戻って人海戦術……もとい、じん海戦術が1番かな。


「チビ達、ちょっくら彼がどこにいるのか探してきてくれない?」

『えええ、この広い山をかー?』

「1番早かった子はお菓子いつもの3倍で」

『こういう山は俺達に任せとけ!』


 面倒くさかったのか乗り気でなかったチビ達は、僕の一声で俄然やる気になって飛び出していった。

 ……良いのかね、人間の作ったものに釣られる雑鬼ってさ。


(けど……ごめんよチビ達)


 心の中で謝って、僕は1歩踏み出した。やる気満々だったチビ達には悪いけど、お菓子3倍は誰にも与えられない。なぜなら——



「……器用な真似をするね、梗平君」

「貴方程ではない。……雑鬼を従えるとは、驚いたな」



 ——なぜなら、彼はずっと僕達の目と鼻の先にいたのだから。



 言葉と同時にすいと現れた梗平君は、僕らが目を向けつつ話していた山の中——常緑樹の傍らにじっと佇んでいた。

 対妖用の姿をくらます結界。それがなくともあんまり自然にこの山に溶け込んでるもんだから、僕も危うく見落とす所だったけどね。


「従えるなんて離れ業は無理無理。子供の頃からの付き合いだから、結構心配して助けてはくれるけど。最近はお菓子の味を占めちゃったみたいで、さっきみたいなやり取りばっかだよ」


 そう言って軽く笑ってみたけれど、梗平君はにこりともしない。


「1週間。思ったよりも遅かった」


 挙げ句にそんな事を言うもんだから、流石の僕もむっと眉を寄せた。


「こーら梗平君。君が何を考えて何をしてるのかは知らないけど、一般人にごめーわくをお掛けするのは駄目でしょう。大体、この山は危ないから近寄るなって言ったのに——」

「——ならば、貴方は何故ここに来た」


 僕の言葉途中で遮った梗平君の言に、僕はびしりと人差し指を向けてみせる。


「き・み・が! 何を思ったのか僕との会話の後から世間様にごめーわくをお掛けしてるからだっての! 良心が疼くのさ、被害者が増えてるとか言われたら見て見ぬ振りはしづらいでしょ、君の身の安全も含めて!」


 久々にこんな厳しい声出した気がする。自分の声に新鮮さを覚えるとか、なかなか無い経験だね。


 梗平君は押し黙ったまま、僕をじっと見据えていた。彼の背後から今にも何か嫌なものが出てきそうで、怪談話は基本平気な僕でも、何だか背中がうそ寒い。


「ほら、もう帰るよ。この山が空恐ろしい場所なのは、こうして立ってるお互いがいやとゆーほど分かってるじゃないか。特別にバイクの後ろに乗せたげるよ。僕は基本かわいー女の子しか乗せないんだけど」


 そう言ってひらひらと手招きするも、梗平君は僕のジョークに反応するでもなく、僕の手招きに応じるでもなく、微動だにせずじっと僕を見下ろしていた。


「ねー……僕寒いし、帰りたいなーなんて思うんだけど、」

「貴方は、まだ選んでない」

「は……?」


 僕の説得を綺麗さっぱり無視してくれちゃった梗平君は、かんっぜんに無表情だった。僕の瞳の奥を覗き込む茫洋とした瞳にすら、感情の色はなく。

 能面のような顔の中、唇だけが動く。



「それほどの素質を持ちながら、ただ唯々諾々と眞琴に従うまま。何ら線引きもせず、常識は眞琴の言うそれを鵜呑みにし、既に半年以上も魔術師の世界と関わっていながらあまりにも普通。——それは、選んでいないからだろう」



「…………」



(何だか眞琴さんと同じような事を言ってる気がするんだけど、この子)


 聞き覚えのある言葉と、淡々と並び立てられた僕のアホさ加減。それに糾弾の色はなかったけれど、いつかチビ達に言ったように、人は本当の事を言われるとむっとするのだ。


「……君も、僕が魔女のドレイだとか言いたいのかな?」

「眞琴は人形が嫌いだ。今も昔も」


 婉曲な否定の言葉を放つ彼の表情は、やっぱり変わらなくて。その端整な顔立ちも相まって、それこそ人形のようで。



(……君は、眞琴さんが君を嫌っているとでも言いたいのかな……?)



「君が今こうして僕と話しているのは、店番の時に言ってた君と眞琴さんとは考えが違う云々が関係してる?」


 僕がそう聞くと、梗平君は初めて表情を動かし、微笑らしきものを浮かべた。


「頭も悪くない。……魔術師としての才はかなりのもの、しかも鬼使いの素質がある。それでいて「普通」である事が、どれ程「異常」なのか。それすら分かっていない……本当に、貴方は面白い」

「いや、面白がるとかどーでも良いから——」


 帰ろうという言葉はまたもや宙ぶらりんにさせられたまま、梗平君は僕に背を向ける。



「俺を帰す事に拘るのなら、ついてくると良い。貴方にはその「資格」がある」



 そして返事も聞かず、すたすたと歩き出す彼に、僕はふるふると震える拳を握った。


(こーのー、マセガキ……!)


 合金ワイヤー並みとは言っても、僕にだって堪忍袋の緒がぷっちり切れちゃう事くらいあるのだ。人の親切と忠告を水洗トイレよろしく流して言いたい放題ワケの分からん事を言った挙げ句に勝手に動かれては、僕だってかっちーんと来るのである。


「ああもう、ここで帰ってしまえない自分が腹立たしいよね……」

 低く低く呟いて、僕は1歩踏み出した。——梗平君の後を追って、山の中へと。



 梗平君の言動、特に最後のそれが挑発である事くらい、僕だって気付いている。あの子が何らかの目的を持って僕を山へと導こうとしている事は、噂を聞いた時からおおよそ予想がついていたのだから。さっきも1週間かかっただの言ってたしね。

 だからこれは疑いようのない誘いであり挑発なんだけど……どうやら僕は、この挑発に対して応じずにはいられない程度には、男の子だったみたいだね。



 ……中学生の掌で踊らされているのは気に食わないけれど、こうなったら最後まで付き合ってやろうじゃないの。




***




 梗平君は僕がついてくる事を疑いもせず、振り返る事さえせずにさくさく進んでいく。何度も通った道なのか、入り組んだ森の中だとゆーのに迷う様子も無い。


 ……これは1週間で慣れたとかいうレベルじゃない。この子ってば、通い詰めてるね。

 ほぼ確信を持って背中を軽く睨んだけど、梗平君は当然スルー。確かに眞琴さんの言う通り、対人会話が絶望的な模様。



 山の中は、想像していたのとは違いフツーだった。特に何かおっかない気配がある訳でもなし、みょーな音がする訳でもなし。風に流され木の葉が擦れる音も、枝がしなる音も。……地面に落ちた枯れ葉を踏みしめる僕達の足音も、どの山でも聞く音だ。



 山へと分け入った時から、僕達は一言も口を聞いていなかった。



(どこ行くのーって訊いても、やっぱし答えてくれないんだろうねえ……)


 さっきから口に出しかけては飲み込む問いかけを再び飲み込み、僕はそっと息を吐く。毎日バイクに乗ってるからか、この程度の運動はそれほど苦じゃない。だから息切れしてはいないんだけど、何でかどうにも息が詰まる。



「……魔法陣の構成要素を知っているか」



 唐突に沈黙を破ったのは、梗平君だった。眞琴さんの教育故か魔術関連の問いかけには条件反射で答えてしまうらしく、僕の口が勝手に動く。


「座標、規模、強度が必須内容で、後は発動条件とか持続時間とか性質とか、えーと対象の限定とかかな?」

「構成要素を形作るものは」

「魔法陣に描かれた文字や図形、その配置と関係性」

「記述魔法陣の利点は」

「イメージのしやすさ、正確性、大地の魔力線から魔力を利用出来る事」


 はたりと梗平君が足を止めた。僕も立ち止まると、梗平君は振り返らないまま抑揚のない声で問うてくる。


「気付いたか」

「……うん、ちょいと自分にびびってた所だから、そう言ってもらえてほっとしたかなあ、あははは……」


 色々誤魔化したくて乾いた笑いを上げたけど、案の定梗平君はそれに付き合ってくれなかった。辛い。



 さっきからすらすら答えてる知識は、確かに今までに詰め込まれたもの。けど、あれこれざっくりごっさり詰め込まれている僕の魔術の知識は、唐突に「問題です!」をされて即答出来るほど綺麗に整理されてない。てゆーかそんな細かい事まで覚えてる訳ないじゃない、僕ののーみそは決して立派じゃないのです。


 それが、この優等生顔負けの淀みない返答。自分の口から出てきているとはとても思えない程のすらすら度合いにびびりばびりだった僕が、理由がありそな梗平君のお言葉にヒジョーに安心したのは、世の道理というものだね、うん。


「今貴方が体験しているそれが、世の都市伝説の元凶の1つだ」

「……へ?」


 けど続いたその言葉はちょいと曖昧過ぎ、というか飛び過ぎ。つい上げてしまった間抜けた声に頓着せず、梗平君は淡々と続ける。


「貴方が直ぐに問いかけに答えられたのは、この地の魔力が貴方に知識を流しているからだ。元々貴方の中にある知識だからこそ、貴方は平然と情報を処理して俺の問答に答えているが、それが元々自分の中になかったとしたらどうなる?」

「……魔力持ってない人が魔術書とか魔導書手にした時みたいに、頭ぱーん?」

「表現が抽象的だから断定出来ないが、おそらく間違ってはいない」

(おーまいが……そりゃあ噂の被害者みたいになる訳だ)


 それまで全く無縁だっただろう魔術やそれに付随する神話ほか様々なオカルティックかつファンタジーな知識、しかも専門的に分析されたアレコレを、ココロの準備無しにいっぺんに叩き込まれたら、そりゃー頭がぱーんとなるよね。 

 山に入っただけで知識が怒濤の勢いで流れ込んできて頭ぱーんなるとか、どんな危険トラップだろうか。ああなんておっかない。


「なしてそんな事になるん?」

「俺の憶測に過ぎないが。この地に住まうものの知識が、魔力に溶け込んでいるのだろう」

「ほほー。今はいない、神社の神主さん達とか?」


 神主さんが魔術師顔負けの知識を持っているというのもみょーな話だけど。何でそこは陰陽師的知識じゃないのかね。


「さあ。そもそもこの地の魔力は、少々特殊な流れを持ってこの山を覆っている。……あるいはこれは、人間の知識ではないのかもしれない」

「……えええ」


 僕は思わず数歩後退した。何この山、本当にありえない。


「そこでヒトじゃないのが出てきますか」

「異形も人外も、常に俺達と背中合わせに生きている。特に、このような地では」



 そこで言葉を句切り、梗平君は再び歩き出した。



「ほとんどの人間は、山に入った瞬間に知識に侵され倒れる。だが稀に、この先へと迷い込む者がいる。その者達こそが、口をきけなくなる程自失する被害者だ」



 その言葉を聞いた瞬間、僕はぴっと敬礼する。


「すみません、僕はそんな目に遭う趣味はないのでこれにて」


 そしてそのまま踵を返して戻ろうと歩き出したけど、急に目の前に立ち上がった光り輝く壁に急停止を余儀なくされた。



「貴方はそうはならない。言っただろう、その「資格」があると」



 反射機能付きの障壁でとおせんぼしてくれた梗平君の保証なんて、嬉しくも何ともない僕は、精一杯の抵抗を試みてみる事に。


「僕は割とチキンなので、そんなおっかないものとは関わりたくないなあなんて思うんだけど、逃避権は無し?」

「俺を呼び戻しに来るという選択をした時点で、逃げるという行為には何ら意味がない。眞琴に話したのだろう、今日貴方がここに来る事は」

「……うん。見て来いって言われましたねえ……」


(眞琴さんや、僕の事心配してるのかおっかない目に遭わせたいのか、どっちなのさー……)


 思わず遠い目になってぼやいた僕は、ふかーく息を吸い込んでくるりと振り返った。こうなったらヤケだ、とことん付き合ってやる。明日は二日酔いならぬオカルト酔いかね。



 1歩踏み出した僕に、待っていた梗平君は再び歩き出す。

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