第5話 師弟の日常
結局、その日の新規お客様はそのオジサンだけだった。後は数人ちらほらと『表』の本を買いに来たくらい。今日はこれでも多い方かな。
「お疲れ様、涼平。今日は結構な売り上げだったよ」
日もとっぷりと暮れた頃、満足げな顔をした眞琴さんが『裏』から出てきた。この顔をしている時は、本当に良い売り上げだったって事。僕としてもそれはありがたい話だ。
「こっちも今日は割と多かったかな。さーて、店じまい店じまい」
言いながらドアに近付き、シャッターを下ろす。それを確認して、眞琴さんがセキュリティとしての結界を張り始めた。
「随分ご機嫌だね?」
「そりゃー売り上げアップは嬉しいでしょ。僕らの懐も潤うし」
こちとら自由な大学生、お金があれば欲しいものもやりたい事も沢山ある。収入が増えるのは素直に嬉しいとも。
普段より上機嫌な僕を見て、結界を張り終えた眞琴さんが納得したように頷く。
「成る程ね。けど、そろそろ仕入れも必要だし、あんまり手元に入るお金は増えないよ。仕入れは結構値が張るから」
「そこは眞琴さんの手腕を信用してますよ?」
戯けて言うと、眞琴さんはにこりと笑った。
「それは嬉しいね。けど、今私が気になるのは涼平の手腕かな」
「おっと藪蛇」
首をすくめつつ、眞琴さんが部屋に外からの視界を遮る結界を張っているのに気付く。入り口から遠ざかり、眞琴さんに歩み寄った。
「指定は?」
「無いよ、ご自由に」
許可を頂いたので、昨日の夜に練習した魔術にする。右手を上にして、掌に意識を集中した。
魔術は、魔力で魔法陣を描く事から始まる。魔力で魔法陣を描いて、それに改めて魔力を流して発動するのだ。
上手い人はそれだけでOKなんだけど、僕のような未熟者はそれじゃあ色々と足りない。そういう時、普通は呪文を詠唱したり、魔石——魔力の篭められた石を使う事で補助するんだけど、ぶっちゃけ見た目がイタイよね。
それはヤダなとこぼしたら、眞琴さんは含み笑いと共にコツを教えてくれた。
つまるところ、魔術はイメージが肝心なのだとか。魔力を、魔法陣を使ってどんな現象を生み出すかをどれだけ強く意識しているかが、成功と失敗の境目。呪文はイメージを補強——言葉でどんな魔術か指定してれば自然とイメージするよね——するもので、魔石はイメージの足りない分を魔力で力尽くで補強するモノ。
だから、魔術を使った結果起こる現象をきちんとイメージ出来るなら、そのどちらもいらない。
そうと分かれば後はやるのみ、俄然やる気になって練習した僕だけど、流石にそれだけでは出来ず。泣く泣く妥協案として、「魔術が発動するタイミング」を言葉で指定する事にした。
でもこれは「今から魔術使いますよ」と自分に呼びかければ良いので、テキトーでよし。だから、大抵いつも遊ぶんだよね。
「えーと、札幌雪祭りならぬ『氷まつり』」
「……涼平のセンスって謎だよね」
眞琴さんの表情が微妙なのは、そうは言っても『魔女』である眞琴さんには、あんまりにもテキトーな呪文(?)は抵抗感があるからだそうだ。何でも良いんだから何でも良いじゃない。
「でも魔術は成功したから良し、でしょ」
「……そうだけどさ」
苦笑する眞琴さんにほっとする。良かった、合格だった模様。
今僕の周りには、氷の結晶が花を咲かせている。気温は下げないまま氷だけをあちこちに浮かせているんだけど、お店の薄暗がりと照明が良い感じだ。僕は別段ロマンチストではないけど、これは結構気に入った。今度あいつらに見せてやるかな。
あ、ちなみに。魔導書は、魔法陣を作って魔力を流して発動するってプロセスを、「魔力を流す」という作業だけで済ませてくれるのね。ただ安全性の為か、発動に言葉が絶対に必要だけど。
それでも魔法陣を描く手間が省ける分、魔術では使えないものでも簡単に使える。それこそが、眞琴さんが『資格』に拘る理由って訳だ。
「さて、もう良い?」
「うん、維持時間も十分だしね」
眞琴さんの許可を頂き、魔術を終わらせる。魔術を安定して発動させ続けるのも技術がいるんだってさ。何故か僕は、それに苦労した事がないんだけど。
眞琴さんが結界を解除するのを待って、僕はカウンターに置いていたリュックを取った。ひょいと背負い、ひらりと手を振る。
「じゃー、また明日」
「うん、また明日。今日読んでた魔術書が読み終わってなかったら……分かってるよね」
「うへえ」
きっちり釘を刺されて、首をすくめる。ふっと笑った眞琴さんにうっかり見惚れてしまいそうなのをぐっと堪えて、書店を出た。
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