お忙しいところご覧いただきありがとうございます。
今回は今フランスで起こっているデモのことを書きます。少し長くなるので、ご興味のある方だけお読みいただければ幸いです。
おそらく日本でも報道されているかと思いますが、フランスの高校生たちが連日デモを行っています。パリの郊外から始まった運動ですが、すでにフランスのすべての県に広がっています。
ここまで大規模になると注目を集めるのは分かりますが、メディアには燃えるゴミ箱とか機動隊との衝突だとか、暴力的な場面ばかりが、まるでエンタメの消費コンテンツのように強調されている印象を受けます。
高校生たちが求めているのは教育環境の改善、それだけです。
定員オーバーの教室、先生がいなくて授業は何科目も空白のまま。雨が降ると天井が落ち、壁の漆喰を押さえると水が吹き出てくる校舎。
そして将来の可能性を狭め、格差を助長するだけの不透明な進学制度。
ほんの一例ですが、こういった問題がたくさんあります。
そこへ追い打ちをかけるように、教育予算や教職員の削減が示されたとき、学校封鎖というかたちで政府に対する不満が噴出するのは時間の問題だったと思います。
ごみ箱を正門前に並べて入り口を封鎖し、そこで演説やシュプレヒコールを行う高校生は、本来はいたって平和的でした。声を合わせてマルセイエーズを歌う、健康的な集会だったのです。
ではなぜゴミ箱が燃やされたり窓ガラスが割られたりという破壊行為に発展したのか。
これは常軌を逸した警察の介入の仕方に大きな理由があります。
学校封鎖を解くという名目で送り込まれる機動隊は、子供たちに向かって催涙ガス弾を投げ、その混乱に乗じて彼らを制圧するという強硬手段をとります。機動隊は警棒や防御用の弾丸発射装置、催涙ガス弾などで武装していますが、一方の高校生たちは丸腰です。
この制圧の手段が度を越えています。
デモが始まって1週間ほどですが、そのあいだに、首を絞められ引きずられた子、片目を失った子、溺死させられかけた子、顎を損傷して歯を失った子、そしてついには手榴弾のせいで手を失った子まで、聞くに堪えない話ばかりが出てきています。
これが警察の取り締まりと言えるものなのか。
一部の人間による破壊行為は許容できませんが、政府側のこの弾圧的な態度を見ると、火をつけたから悪い、ガラスを割ったから悪い。一概にそう言えません。
警察の暴力に関してはなんの規制もないのに、高校生にばかり「お行儀のよさ」を求めるのは違うのではないでしょうか。
デモがあると必ずといっていいほど現れる全身黒づくめの「壊し屋」に紛れ込んだり、高校生に「扮装」して瓶を投げつけ、混乱を助長させようとしている人たちがいますが、彼らが本当は何者なのか、その正体もSNSの世の中ではごまかせなくなっています。
本来警察は運動をする市民を守るための存在であり、デモへの忌避感を煽るための工作員であってはなりません。
高校の教師や職員たちが、警察の暴力から子供たちを守るため、機動隊の前で「人間の鎖」を作っている様子を見たとき、胸が熱く、同時に痛くなりました。
教育関係者にとっては、自分たちの労働環境の悪さを子供たちが告発してくれているのと同じです。体を張って子供たちを守る教職員だけでなく、生徒の親や労働組合、一部の議員などが、現場で警察と子供たちの間に入って鎮静化を図ろうとしたり、非暴力を訴えています。
一方で政権側はこれを「子供たちを政治活動に使っている。暴力の煽動だ」と批判しています。彼らは燃えるゴミ箱にばかり目が行くようで、自分たちが原因である根本の問題から議論をずらすことに躍起です。そしてそういう政治家に限って、実際に現場に足を踏み入れて高校生たちと対話しようとはしません。高校生の訴えよりも、空調のきいたテレビ局でゴミ箱の心配をするのに一生懸命なのでしょう。
また、この問題を移民と結びつける言論もあるようですが、それは方向が違います。
たしかに抗議活動の発端はパリ郊外の、いわゆる低所得者層の多く住む界隈の高校から始まりました。移民二世や三世が多い地域です。でも高校生たちはフランスで生まれて、これからもこの国で生きていくフランス人です。
どうしても移民と結びつけるなら、むしろ彼らの居住区をないがしろにして、差別を助長してきたシステムのほうを考え直さなければなりません。こういった子供たちを、学力が低いとか勉強しないとか言うわりには、勉強できる環境を作ってくれと訴えられれば機動隊で報いる。その政府の矛盾した態度には疑問を覚えます。
いやな言い方をすれば、支配者層にとっては、彼らには勉強などせず単なる労働力として「底辺の者」のままでいてほしい、そんな思惑がひしひしと感じられます。
少なくとも、この件に関して、移民の暴動などという単純な決めつけはしないほうがいいと思います。
というのは、その反対側にいるエリート高校生たちも、同じように次々とこの運動に連帯しているからです。
フランスでも有数の名門公立高校の生徒たちも、ほかの高校生たちと同じく、ゴミ箱を積み上げて激しいシュプレヒコールを繰り返しています。
これは、このデモが一部の郊外の貧乏な高校生たちの反乱ではないということを物語っています。そして彼らは自分たちがエリート進学校という「特権階級」にいることを自覚していて、自分たちが発信することの意義を理解しているのです。
自分たちは安全なところにいるから関係ない、というのではなく、教育が国全体の問題だと考えているからです。
こういう子供たちを見て、若さゆえの理想主義とか、世の中を分かってないとか冷笑し、揶揄する大人もいます。要するに子供は黙って大人に従っていろ、ということでしょう。
でも僕が思うのは、今の若い人たちは、あまりにも大人たちの汚い部分を見せられすぎてきたのではないかということです。
今さえよければいい、金さえあればいい、自分さえよければいい、武力で支配すればいい。その汚さにうんざりし、その皺寄せが自分たちの肩にのしかかることを、彼らはちゃんと分かっているのではないでしょうか。
教育改善を求めて始まったデモがこれからどこへ向かうのか、僕には想像ができませんが、くすぶったままのほかの運動とも結びついて大きなうねりになり、来年の大統領選挙にも深く繋がってくるのではと思っています。
高校時代という大切な時期を、争いに費やすより、勉強や自分のために使うことができればどれだけいいでしょうか。
でもそれを可能にするのは大人しかいません。
彼らの道に明かりを灯す大人がひとりでも多くなること、そしてなにより政府の早急の「誠実な」対応を願っています。