エッセイを更新しました。
前に外国のトイレ番のことをエッセイの中に書いていらっしゃる方がいたので、自分もちょっと前に読んだニュース記事をもとに書きました。
あんまり愉快な話ではないので恐縮なんですが、よかったら見てやってください。
今回は向田邦子のエッセイもヒントにしています。
僕はこの作家のファンなので、短編やエッセイ集も全部持っているんですが、なかでも「父の詫び状」は名作だと思います。
昭和の、戦中戦後の日本の家族の姿を生き生きと写し取ったような話、さりげないのに考えさせられる含蓄のある話も多く、読み応えがあります。
特に向田さんの父に対する視点がいいです。
このお父さんは、いかにも昭和のモラハラパワハラ親父で、もしも今SNSなんかにエピソードが投稿されたらあっという間に炎上しそうな人。
でも向田さんはそんな父親の話を、娘の客観的な視点で、しかも臨場感と可笑しみを込めて書いています。
それは歳月を経て俯瞰的にものごとを見られるようになったからなのか、それともこの方は少女時代から鋭い観察眼で大人の世界を見ていたのか。どちらかは分かりません。
子供心にも理不尽だったり疑問に思うような出来事を、大人になった現在の視点で語ることで、感情的なものではなくもっと俯瞰した境地になるのでしょう。筆者の子供時代を追体験するような心地とともに、大人である読者の自分にも返ってくるものがあります。
いずれにせよ、主観と客観の絶妙なバランスを感じます。
感情的にならざるを得ないようなことがたくさんありすぎると、なかなか心のバランスを保つのが難しいです。
でも、平常を保つために無関心無感情でいればいいかというと、そうではない。毒になりそうなものも取り込んだうえで、言いたいことを封じるのでも、黙って冷笑するのでもなく、自分が自分でいられることが試されているような気がします。