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セザンヌが愛した山

南仏記、最後の話は「セザンヌが愛した山」サント=ヴィクトワール山です。
セザンヌは故郷のエクス=アン=プロヴァンスでこの山を何十枚も描いたのだとか。モネの睡蓮のように、山の移り変わる表情もきっと画家の心を浮き立たせたでしょう。
パリが合わなかったセザンヌにとっては、サント=ヴィクトワールは女神であり癒しと活力を与えてくれる存在だったんじゃないかな、と素人ながらに思います。

南仏記にお付き合いくださり、ありがとうございました。
パリはすっかり秋っぽい気温になってきましたが、皆さまも残りの夏を穏やかにお過ごしください。

17件のコメント

  • セザンヌも同じ景色を見ていたんですね~。
    日本にいながらの共有、ありがとうございます。
  • セザンヌの絵画のおかげで三角形の印象が強いですが、遠景だとこうなるのですね。
    芋虫みたいに地を這って進んでいきそうです。
  • 柊さんのこの写真は、エクス・アン・プロヴァンスの南のカルダンスから撮られたものですよね。山並みがなだらか。
    セザンヌが描いたヴィクトワール山の多くは生地のエクス・アン・プロヴァンスからの景色で、三角形の男性的な岩山ですよね。
  • 柊圭介さん、こんにちは😊

    本編を読んでこちらに来たら、思っていた以上にインパクトがあるサント=ヴィクトワール山でした。
    雄大ですね。

    柊さんが仰るように、あたかも白い龍が体を横たえているみたいに見える。
    そんな感じですね。
    写真でも圧巻ですが、実際に見たらなお感動するでしょうね。
    素敵な写真、ありがとうございます✨✨
  • 上月さん、
    時代は変わっても山は変わらないっていいですよね。
    こちらこそいつもご覧くださり、ありがとうございます!
  • 朝吹さん、
    実は横長の山でした。セザンヌは左の端の方から見ているので三角形になるんですね。
    いつかアトリエに行ってみたいです。
  • 九月さん、
    山が東西にのびているので、南から見るとゆったりと長いですね。見る角度によってこうも印象が違うものですね。自分は女性的な(力強い意味で)印象を受けました。
  • この美のこさん、
    ほかの山は緑が多いのですが、この山だけ白くてとても目立ちます。そうですね、実際に見るとなかなかの迫力で、僕には美しい龍に見えました。
    こちらこそ、本編にもずっとおつきあいくださり、ありがとうございます!
  • うわあああっ!無茶苦茶素敵な写真っ!
    南仏の日差しと澄んだ風のなかで微睡む龍。…美しいです…

    背に登って歩いてみたいっ!東西18キロ!尻尾から登って頭まで?頭に十字架を掲げているのでしょうか?
    エクス・アン・プロヴァンス、また是非訪れたくなりましたっ!
  • 呪文堂さん、
    わー嬉しいです! アップされていた山の上の素晴らしい風景を拝見したあとだったので載せるのに勇気が要りましたけど、よかった。
    呪文堂さんだったら18キロ軽く行けそうですよね。1000メートルだし。十字架を掲げているのは左の頭の方です。ぜひ制覇してほしい……!(お前は登るつもりはないんかい、というのは言わない約束で笑)
  • 柊さん
    拙作に過分なお星をありがとうございました!
    励みになります。

    写真綺麗ですね。女神が手のひらを広げて、迎え入れてくれるように見える。

    新作画家の小説にしちゃったので、僕の絵画の浅学がひどい時は言ってください苦笑
  • リクさん、
    遅ればせながらお邪魔しました。これまで拝読した分だけでもそれぞれの心理がすごく伝わって、その先どう絡み合っていくのかが楽しみになりました。
    この写真は偶然帰り道で見かけて撮りました。セザンヌにもそう見えていたかな、なんて想像しますね。
    あ、でも絵には詳しくないです(笑)
    リクさんの文章、久々に読めて快感です。この先も応援してます。
  • こちらに失礼いたします。

    拙作に素晴らしいレビューを頂き、ありがとうございました。一文一文がまさに私が書き表したいと思っていた内容で、感激いたしました。「自分の歌」を歌えるまで というところ、物語の中枢を読み取って下さり感無量です。いつもお読み頂き、ありがとうございます。完結までもう少し、がんばります。

    写真、色のグラデーションが素敵ですね。空にまで濃淡があって。パリはもう秋ですか。季節柄、お身体どうぞご自愛くださいませ。
  • 葵さん、
    こちらまでわざわざ書き込んで下さってありがとうございます。よかった、そう言ってもらえて安心しました。「自分の歌」を歌うことは沙羅の大事なテーマですね。色んなことを感じさせて考えさせてくれる物語で、読むのを楽しみにしています。執筆頑張ってください。

    こちらはもう秋に入ってしまったようで、今日は雨です。でも嬉しいメッセージをいただいて気持ちが上がりました。葵さんもご自愛ください。
  • そういえば、夏休みの思い出ですが(唐突に始める人)
    東日本大震災で避難区域になった、浪江町と双葉町に行ってきました。
    津波に飲み込まれた小学校や、原子力災害伝承館など見てきました。
    全部の場所が住めるようになったわけではなく、山のほうには立ち入り禁止の看板があって、その奥には戻ることのない人々の家があったりします。
    過疎の町とは全然違う。道路も建物も新しくて、原子力災害伝承館とかすごいオシャレな作りなんです。この設計者、センスいいって思いました。あれ、相当お金かかっています。維持費もすごいに違いない。
    そんなふうに、津波に襲われて平坦になってしまった場所に復興を目指して会社などが建っているのですが、住民の多くは戻ってきていないと思います。
    だから、生活感がある町なのに人の気配が薄いっていう、ホラー映画みたいな感じ。
    ちょっと前までたくさんの人が住んでいて、生活感がまだ残っているのに、なんで人がいないんだろう?みんなどこに行っちゃったの?みたいな。
    背筋がゾッとするような雰囲気があって、一緒に行った母も、なんだか怖いねっていっていました。
    津波の被害だけなら違ったと思います。
    外見だけは復興が進んでいるけれど、人々の気持ちはそこにはないって感じがします。
    「人類は進歩という巨大な子供に靴をはかせた」という作品があって、それは原発とは全然違う話なのですが、
    原子力発電所の事故は、進歩という巨大な子供を操っているようで実はコントロールなどできない、人間の驕りが招いた事故なのかなって思いました。
    そんな感じの夏休みでしたー。
  • 伝承館、オシャレって書くと語弊がありますね。展示物がよくできていて勉強になりました。
    否定も肯定もしない、ニュートラルな感じでした!
  • 遊井さん、
    貴重なお話、ありがとうございます。
    もう13年ぐらい前になるんですね。あの当時はフランスでも大きく報道されていたんですが、その後から現在のことは全然知りませんでした。
    原子力災害伝承館、サイトを見てみました。
    こういう施設で事実を残すのは有意義だと思いました。肯定も否定もしないスタンスは見学者に考えさせる余地を与えてくれるでしょうね。日本人だけじゃなくて外国人も見学した方がいいかも。フランスは原子力に大きく頼ってますし。
    (フランスは地震の危険はないですけど、発電所が老朽化していてすごく問題なのです。)

    こちらのコメントを読んでから町の画像を見てみたんですけど、かえって分かりづらかった。遊井さんの見て感じられた言葉がずっとリアルです。
    人が戻ってこない現実。変なたとえですけど、けがを治したのに血が巡っていない体のような感じがします。体温が感じられないといいますか。怖いというのも想像できます。

    >津波の被害だけなら違った

    それが本音ですよね。人間が作ったもので人間が住めなくなるという皮肉。
    安全神話も事故後の対応も操る側の驕りからくるもので、実際に住む場所を奪われるのは責任のない普通の人たちという……
    色々考えさせられました。
    遊井さん、こういうお話、エッセイとかに書かれたらどうですか?
    なかなか知られないことで、とても貴重だと思うのですが。
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