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二十年のちのディストピア

去年、「二十年のち」という短編を投稿しました。読んでくださった方には、どの国がモデルになっているか明らかだと思います。
あの小説の舞台は今から二十年のちの「ディストピア」でした。侵略した土地の住人を抹殺して、そこにリゾートやカジノやホテルを建てているという設定です。自分がこうなって欲しくない未来をあえて舞台にしました。

ところが今日それがまさにAIの映像になって垂れ流されているのを見てしまいました。30秒ほどのビデオですが、見た途端胸が悪くなって寒気がしました。
あまりの趣味の悪さにどこかの一般人の下品な悪戯かと思えば、かの大統領直々の発信。以前も王様のような冠をかぶった姿を公式に晒していましたが、こんなビデオまで公開するとは狂気の沙汰です。
これを本気で作っているのなら浅ましい植民地支配根性としか言いようがない。あまりの内容にギャグかとさえ思ったんですが、冗談なら住民に対する下劣な侮辱。自分の家族を惨殺して家を乗っ取った強盗が、我がもの顔でパーティしている、そんなシーンを見せつけられるかのよう。人間の邪悪な部分が凝縮したような内容。
各国はこのビデオに抗議をしないのか。フランスの報道をざっと読んだ限りでは「ショックな映像」ぐらいの表現でしかなかったのが残念です。

短編では、作者として人間性の勝利と敗北を書いたつもりでした。でも現実の世界では人間性以前の問題がいっぱいある。自分のこと以外は何も感じない人たちがトップになって罪のない庶民を脅かす。そして、そういう人たちに慣れてしまうこと、あるいはその言動に魅力を感じてなびいていく風潮が恐ろしいです。独裁とはほんの少しの違和感を見過ごすうちに取り返しのつかないところまで近づいているものだから。

好きなことができるのは今日の命が保証されているからだとひしひし感じます。そして好きなことを守るのは自分たちの良心と流されない意思にかかっているのだとも思います。危うい方向に傾く世界で「書くこと」にも不穏な陰が忍び寄ってこないよう、心から願ってやみません。

16件のコメント

  • 最後の数文がガツンと来ますね。

    世の中には自分のこととなると過剰に反応するのに、他者や社会については創りものを眺めているような風潮もある。
    「書くこと」で、立ち止まって考える機会を作りたいものです。
  • あの大統領は、何も考えていないと思います。
    (政治的にどんな意図があるかは私にはわかりませんが)
    ただただ、「僕ちゃんはえらい!なのにみんななんで僕ちゃんを敬わないんだ!僕ちゃんはどうしてこんな不幸なんだ!」という思いだけを抱えて生きている。

    問題は、仮にも民主主義の国がそんな人間をリーダーとして選んだということです。踊らされている、という言葉がぴったりですね。
    アドルフ・ヒットラーもこんな空気の中で選ばれたのだろうなと感じる今日この頃。
    (昔は、ヒットラーには何かしらの魅力があって選ばれてしまったのだと思っていましたが、今は気持ち悪い時代に、気持ち悪い人間が選ばれたということなんだろうな、と某大統領を見ていて思います)

    >「書くこと」にも不穏な陰
    なんて恐ろしい言葉でしょうか。この数年間、私も実は同じことを感じています。
  • 「自分さえ良ければいい」という考えがなぜ出てくるのか、私も考える事があります。一つには、周りを考えなくても良い立場であったこと、また一つには周りに優しくすると自分の何かが奪われてしまう場合。後者は弱者である事が多くて。民主化したドイツでユダヤ人が商売繁盛する中、ドイツ人庶民は生活に苦しみ…ヒットラーが祭り上げられていく。
    柊さんが挙げる国でも、今、他の国でも極右が台頭するのは、それも理由の一つかな、と。でも、発端は前者の富裕層や地位のある人々が他国・他者を利用したからこそ混乱や歪み合いが発生する場合が多いですよね。いつの時代も苦しみを味わうのは弱者である事が切ないなと思います。
    今後AIの台頭で、「書くこと」にも洗脳や規制が生じてくるかもしれませんね。
  • 本当に、憂鬱になります。ただ、ヒットラーもそうですが、選んだのは『我々民衆』なんです。そう、我々。「他国のことだから自分とは関係ない」、いや、そんなわけないんですよね。柊さんの仰るとおり、『自分たちの良心と流されない意志』、眼前の世界はその有無でがらりとその姿を変えるのでしょう。関係ない人なんて、一人もいない。侵略と強奪が肯定されてしまう世界、これを誕生させない為に踏ん張ることが無意味でしょうか?『他国に多大な支援などせず自国の福祉に回せ』、いやいや、他国のことじゃないんです、我々の世界で現に発生している事態なんです。もちろん福祉は重要です、でも夜警国家すら成立できていない世界に福祉国家が成立するのですか?
    自分に出来ることは、確かに僅かです。でも、自身の半径二メートルだけだとしても、この世界が心地よい方向に進むよう励んでみたい。そういう気持ちを宿し続けたいと思っております。

    ガツンとしたお言葉っ!ありがとうございました!
  • 人の痛みを感じる良心的な目で世界を見ると、苦しいですよね。いっそ、自分とは関係ないと切り離したくなる。
    無関心な人たちって、本来の性質ではなく、感じることに疲れて心を閉ざしてしまった人たちが多いかもしれないですね。
    すべての人が幸せになりたいと思っていると思うのですが、それが「奪う」という形であるのが間違いなのかなって思います。
    どんなに辛くても悲しくても心が痛くても、良心を守れるのは自分しかいない。たとえギリギリのところであっても、強くいたいですね。
    私はその映像のことは知らないのですが、AIの恩恵を受けるよりも、悪い使い方をする人が多いように感じます。

  • 柊圭介さん。

    「二十年のち」という短編は心に深く刺さったことを思い出しました。
    そんなことが現実に!
    しかも、かの大統領直々の発信とは……💦

    AIの恩恵をそんな風に使われるのは恐ろしい事ですね。
  • ポロさん、
    そういうところ、ありますね。自分をかえりみてもそうだと思います。立ち止まって考えること、言葉にすることの大切さを感じます。
  • 蜂蜜の里さん、
    思いついたことを反芻する前に口にするイメージですが、それが一国を代表する立場になることが恐ろしいです。
    民主主義って難しいシステムで、時間をかけてゆっくり構築しなければならないと思っています。でもすぐに答えが欲しくて、すぐに答えを出してくれそうな人を選んでしまう。人間の性質なのかもしれませんが、生活が厳しくなるほどにそれが表立って出てしまうんでしょうね。ヒトラーを選んだドイツの空気感が世界にも広まっているような気がしてなりません。
    やはり同じことを考えておられましたか。もうすでに禁止図書や言葉狩りが行われているというのを聞いて、同じ道を進んでいることに危機感を覚えています。
  • 葵さん、
    >周りに優しくすると自分の何かが奪われてしまう
    ああ、それ、まるでフランスのことを言われているようです。そして仰る通り、そもそも搾取しているのは誰かというところに考えが及ばない。スケープゴートを拵えてそっちに矛先が向くようにしているのは、本来の問題に気づかれるとまずいからですね。人間の弱いところにつけこんでいてすごく不愉快ですが、なぜ繰り返すのでしょうね。
    AIが洗脳や規制……あり得るだけに恐ろしいです。
  • 呪文堂さん、
    そうですね、多数決である限り選んだ方にも責任があります。
    しかし選ばれたことがすべての免罪符というか、大きな権限を与えてしまうことが危ういですね。ちゃんと見張る側がいなければなりませんが、警鐘を鳴らすことを冷笑したり無関心でいるのが一番みたいな雰囲気を作られたり。他国のことは関係ない、というのはもう今の時代には通用しないので、なんらかの形で関わっていることをいつも自覚していなきゃいけないなと思います。
    半径二メートルが重なり合えばどんどん心地よい世界が広がるんですよね。いつも前向きなコメントをありがとうございます。こちらこそ感謝です!
  • 遊井さん、
    >感じることに疲れて心を閉ざしてしまった
    それ、大きいかもしれませんね。まともな神経ならこちらが病みそう。「見ぬこと清し」といいますが、しんどくても知らなければならないこと、いっぱいありますよね。黙っていることは肯定しているのと同じになってしまうというか。
    ともかくこんな偽ユートピアを発信する神経が人間ではないです。AIもこういう使い方をするとろくなもんじゃないと思います。
  • この美のこさん、
    「二十年のち」覚えてくださっていてありがとうございます。
    あの映像は滑稽を通り越して愚かとしか言いようがありません。
    AIの悪い使い方のお手本のようです。みんなあれを見てなんと思うんだろう……
  • 柊さん、『兎国稗伝』に素敵なレビューコメントを、ありがとうございました!
    長編では人間をしっかり書くことを意識しているので、そこを汲み取ってくださって、すごく嬉しいです。続きを書く元気をいただきました。これからも妥協せず、書きたいものを本当に表現できるよう、頑張っていきます<(_ _)>

    こちらの近況ノートで取り上げられていた動画、見ていなかったので、検索して見てみました。
    そもそもガザを米国が所有する発言からして、反吐が出るなと思っていたのですが、こうして映像にされると暴力そのものですね。
    ファーストインパクトを狙った政治的パフォーマンスの側面もあるのかもしれませんが、やっていいことと悪いことがあります。
    想像力のない人間が政権を握るとこうなるのだという、後世への教訓にするくらいしか使い道がありません。文明レベルを何世紀遡ったら気が済むのでしょうかね。

    「二十年のち」に描かれていた人間の愚かさと尊さは、いろんなレベルであらゆる場所に存在しているのだと思います。せめて尊さが少しでも量として勝るよう、こうした映像にノーと言える準備は、いつでもしておこうと思います。
  • 鐘古さん、
    わざわざ書き込みいただき恐縮です。実はもう星を入れていたものと思い込んでいたんです。今日まだだったことに気がついて、この機会にと思って。拙くて作品の邪魔になってないといいんですが……そう言って下さると安心しました。短編でもすごく人間を濃く描かれてさすがプロ級だと思いますが、長編だとさらにじっくり炙り出すことができるのだろうと思います。この先の執筆も頑張ってください。

    映像の件、ご覧になったんですね。鐘古さんの仰ること、本当にその通りです。後世への教訓に……なんか人間って定期的に馬鹿なことを繰り返さなければならないのでしょうかね。もう次はない気がしますが。。
    現実を見ると自分の書いたことなど所詮お花畑なのかと思ってしまいます。尊さなんて言ってもらえたらすごく感激します。そうですね、少しでも人間性が量として勝ってほしいです。
  • こういう事って書くのもコメントするのも勇気がいるし難しい事だと思いますが、柊さんもコメントを入れている皆さんも凄いなって思います。
    自分もそういう人間になりたいなって思いながらもなかなか難しいのです。
  • 風羽さん、
    具合はいかがですか?お返事いただいて、やはり痛みが強いのかなと心配になりました。
    もう少し励みになるような愉快なことが書けたらいいんですが。
    こういう内容でもコメントしてもらえるのありがたいです。
    色々考えさせられることばかりですが、まずは自分の体あってこそですよね。風羽さん、回復に向けて頑張ってくださいね。
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