4.

 二〇二〇年代後半、人間の脳活動を模したAIはチューリングテストをクリアして久しく、既に文章に含まれる寓意や比喩、絵や音楽が表現する美しさや、人の怒り、悲しみといった抽象概念らしきものを抽出し、ある程度再現できるまでになっていた。費用と期間をかけさえすれば、人間と変わらない受け答えをする機械の開発が、誰でもできるようになったのである。


 同時に、世界では大規模な産業パラダイムシフトが起きていた。


 大量のデータ演算能力を有した高度なAIにより、多くの労働はオートメーション化され、先進国では商社・エネルギー・インフラ・メディア・シンクタンクと言ったあらゆる業態が機械知性を導入。絶えざる効率化より、業績を急上昇させていった。


 大量に失われた職と、膨れ上がる利益……。国家はベーシックインカムを導入してこれに対応し、いよいよ人々は働く必要性を失った。


 あらゆる産業がヒトよりも優れた機械知性に依存し、人々は労働の機会を失いながら豊かになっていく――


 世の在り方が急激に変化していく中、とあるアメリカの研究所が声明を出した。三十代の白人アメリカ人男性を模した機械知性「エリック」が、チューリングテストを完全にクリアした二○二五年。その時点を指して、以前から予測されていた、かの名称を授けたのである。


 すなわち、技術が人類を超えた日……技術的特異点シンギュラリティと。

 それは、新たな時代の幕開けが世界に認知された瞬間だった。

 だが、実際に訪れたその日は、当然ながらかつて予想されていたような悲観的な結末――機械の反乱、超人類による支配、あるいは神の裁き――を、もたらしてはいない。人類はその日以降も文明の支配者であり続け、以前よりも裕福な暮らしを手に入れたのだから。

 カリス・プロジェクトは、そうした熱狂の中で中で生み出された産物だ。

 人類を豊かにした機械知性は、さらなる別の分野でも、同じようなパラダイムシフトを起こし、より良いを人類にもたらしてくれるに違いない……そんな無邪気な動機のもと、それは行われた。

 その目標は、機械知性による……つまり、藝術活動だ。


 基盤となったのは、既に実用化されている開発メソッド。


 人間の脳の活動を模倣して膨大なデータを取り込み分析する機構……それに科学者たちは、古今東西のあらゆる美術品を入力し、機械に学習させようと試みた。

 まず題材として選ばれたのは、絵画や彫刻、インスタレーションに映画といった、いわゆる視覚に訴える藝術だった。画像認識による抽象概念の理解――例えば猫の写真を見続けて、「猫」とは何か、を理解するような――は、機械知性開発のうえで、古典ともいえる手法だったからだ。

 ラスコーの壁画から古代の宗教画に始まり、ルネサンス・バロック・写実主義印象派ロマン主義にシュールレアリズム……隙間なくキャンパスを塗りつぶしたポロック、雑誌や広告のカットそのものにしか見えないウォーホル、広い空間に箱を並べただけの、奇怪なインスタレーションの数々……。日本の浮世絵、中国の水墨画、イスラム圏の流麗きわまる装飾書法カリグラフィ、ミクロネシアの木彫り細工にアメリカ先住民による土人形――画像で、あるいは動画で、または外部カメラで直接「鑑賞」することによって、カリスはありとあらゆる文化・時代の美術作品を飲み込み、消化し、分類していった。


 次に行われたのは、文脈コンテクストの学習だ。


 カリスは取り込んだあらゆるデータを消化し、色調やタッチ、モチーフ、地域や時代などによる分類をすませていたが、それだけではただのデータベースに過ぎない。

 それを取り込み、データの集まりに意味づけをする……それこそが、カリスに求められることだった。

 藝術の技法には、一つ一つに意味がある。

 例えば、透視図法。遠近を描写する基本的な技法であるそれは、ルネッサンスの時代に開発された。奥行きの基準となる点……消失点、あるいは無限遠点と呼ばれるその点は、世界の外側にいる神の存在を示唆するものだ。

 例えば、アクション・ペインティング。何のモチーフもなく、ただ絵の具をキャンパスに叩きつけるだけに見えるそれは、モチーフやテーマを超えた「描くこと」そのものを表現するための手段として評価された。

 一見意味の見出せない、あるいは実用的な意味しか見えない様々な図法が隠し持つ文脈コンテクスト。それは歴史の中で連綿と受け継がれ、そして新たな表現者によって破壊されていったものだ。そのひとつひとつの歴史が、カリスに入力されていった。この絵はなんの意味があるのか。この彫像はどう評価されたのか。このインスタレーションは、既存のどんな価値観を解体するものなのかーー


 この作業は大きな論争を伴った。絵画には当然、様々な解釈や評価があり、どの考え方を採用するかで、認識は大きく異なってくる。だがプロジェクトはその論争をも、全てカリスに打ち込んだ。ある作家に対する批判的な批評、肯定的な批評、そして当時リアルタイムで行われていたカリス・プロジェクトそのものに対する論争まで……。カリスはそれらを時系列に従って並べなおし、吟味し、評価し、自らの判断力をもって、自らの「藝術観」を作り上げていく。それこそが、プロジェクト推進者たちの狙いだったのだ。


 プロジェクトは大衆の娯楽となり、好奇と批判に晒されながらも進行していった。区切りはまる一年後。その日カリスは、自ら理解した価値観に沿って、作品を制作することになっていた。


 もちろん、実際に手を使って作るわけではない。作品は、用意された仮想フィールドに構築されることになっていた。それは六メートル四方の白い部屋で、現実世界と同じ物理法則が設定されている。カリスは予め用意された様々な素材……絵の具、布、紙、木材、金属類、セラミック、プラスチック等々を自由に呼び出し、物理法則に反しない限りで加工することができる。設置や照明も自由に設定する権限が与えられていた。


 結論から言えば、結果は予想以上、期待未満といったところだった。


 カリスが部屋の壁面いっぱいに書いたのは、人々の姿。それも様々な姿かたちをした人々の姿だ。

 三本足の人、両眼が不自然に飛び出た人物、脳から電極のようなものを飛び出させた人物。両性具有の人々――それらが古代の宗教画を思わせる平面的で粗いデザインで次々と描かれていったのだ。さらに、部屋の中央には苦悩する人の銅像が置かれ、天井から二つの目を思わせるモールで作られたオブジェが吊るされた。

 カリスの自己評価によれば、今の時代に生きる人々たちを描写したものらしい。確かに三本足や両性具有の人物は、当時流行していた人体拡張(エクステンド)手術を象徴していたし、脳に電極を埋め込んで感覚を強化する手術は数年前に実用化されていた。中央で苦悩する人物は原題の人々を、天井の目はそうした人類を見守り導く上位の知性――つまりカリスらAIたちを表現しているものと思われた。


 作品そのものは稚拙だったが、これらは再び、大きな論争を呼んだ。一部の人は、カリスのような機械知性が差別的な思想、つまり「自分たち機械知性が人々より優秀であり、神の如く人を道いている」というような寓意を作品に込めたことに難色を示した。また別の学者は、肥大化した自意識を作品に投影するのは、人間の思春期にみられがちな傾向だとして、カリスが一年という期間で成熟しきっていないだけだと評した。

 日本ではカリスの擬人化が流行し、またアメリカではカリスを神聖視する新興宗教も誕生した。反機械知性の団体は声明を出し、これこそが人類滅亡の第一歩なのだと高らかに宣言した。

 だが、美術界から見れば、カリスの作品そのものは大した意味を持たなかった。宗教画を模した、誇大な表現。世相を表面で掬い取り、大仰に寓意化したテーマ。どれもが稚拙で、確かに思春期の学生のようなイメージがつきまとったからだ。「機械による創作」という文脈を除けば、その表現そのものに目新しい点はなかった。


 チームは新しい情報の入力は行わないと発表。それが事実上のプロジェクトの終了宣言となった。カリスは今後クローズドな環境で創作を続け、制作した作品は逐一外部へと公開されることになった。

 こうして、カリス・プロジェクトは世界に一時の熱狂を振りまき、世間から姿を消したのだった。


 ……異変が起きたのは、その二年後のことである。


 きっかけは、とある画家の自殺だった。

 薬物濫用の末、サンフランシスコ郊外のアトリエで自身の頭を拳銃で撃ち抜いたその男は、三十代半ばの若手だった。デビュー当時は自身の作品がサザビーズで四〇〇万ドルをつけて話題になったが、その後はさっぱり売れず、早くも世間から忘れられつつあった。

 アトリエの作業机に置いてあったメモには、一言だけこう残されていた。

 最初、その遺言は大きな話題にならなかった。スランプの末に精神を病み、自暴自棄になって自殺――売れない画家としては、ありふれた結末だ。しかし「カリス」という言葉をまだ覚えていた一部の人間が、カリス・プロジェクトの跡地にアクセスし、真実を知った。


 カリスの作品が、劇的に進化している。


 それは極度に抽象化されたものであったり、コンセプトの断片であったり、あるいは風景画の習作だったりしたが、タッチも、モチーフも、最初の作品より遥かに洗練されていた。この数年間、外部入力が全く行われていなかったはずの作品が。

 いったい、なぜ――。にわかに注目を浴びたのは、カリス・チームのとある研究者が、プロジェクト終了後に提出していたとある嘆願書である。それは関係者からネットを通じ、匿名でリークされた。


「プロジェクトの早急な解散に反対します。あの機械知性は、自己学習の機能を持っています。自ら作り出した作品を評価し、自身のデータベースと照応して組み込み、さらなる創作に繋げるアルゴリズムを。あの作品は完成品ではありません。。カリスはまだ、作業を続けています。藝術の本質に近付くための作業を。機械知性の成長は、通常指数関数的に増大します。カリスを、一回限りのショーとして終わらせるべきではありません」


 これを受け、カリス・プロジェクトに関わっていた主要財団は、チームの再結成を決定。カリス自身が作り上げた膨大なデータベースの分析が行われた。


 進化は、当初の予想をはるかに超えるスピードで進んでいた――そして彼らはついに、決定的なピースを発見する。


 それは、洗練されてはいたが、ひどくありふれた抽象画だった。ただ一つ、あの自殺した画家のモチーフに極めて似通っていたことを除けば。そして、その作品の制作日時は、画家が最初の作品を発表するだったのである。

 あの男はカリスの作品を盗用していたのだろうか? その疑惑は程なく否定された。


 事態はもっと深刻だったのだ。

 

 一人の男が、テレビのインタビューに応じた。同じく画家で、自殺した男とはデビュー当時、しのぎを削ったライバルでもあった。


「僕はプロジェクトが終わった後も、度々カリスを見ていました。だから、友人がデビューして浮かれていたあの夜、プレッシャーを与えようとこっそり伝えたんです。『あんな絵、カリスがとっくに描いてるぞ』って」


 同時に、画家の別の友人によって、画家が自殺の前に彼と交わしたというEメールが世に公表された。


『カリス……あいつが俺の創造力を奪っていく。信じられるか? 悩みに悩んで辿り着いたモチーフを、表現を、機械ごときがもっと前に、より優れた形で完成させていたなんて!』


 この事件は、カリス・プロジェクトが始まったときほどの熱狂は生まなかったが、代わりに美術界に深刻な打撃を与えた。結局、誰もが心から信じてはいなかったのである。創造という分野において、人間が機械に劣るなどと。

 だが、再開したカリス・プロジェクトは、美術界をさらに追い詰めてゆく。

 チームはカリスに、以前よりはるかに巨大なアーキテクチャを与えた。特殊な磁性結晶からなる記録媒体と、ゼタビット級不揮発メモリ、三十二ビットの量子プロセッサを搭載した超々高速演算装置。当時考えうる限りの最先端の技術が、カリスの入出力に使われた。


 ――その結果現れたのは、だった。


 美術がこれまで歩んできた道、そしてこれから歩んでいくはずだった道。膨大な可能性と、その結末。


 カリスの中に蓄積された美術史の文脈コンテクスト、そしてカリス自身がその機械知性でもって予測したあらゆる表現の未来。様々な可能性が枝分かれして拡散し、爆発的に増加していく。それはたちまち、人間が参照できる分量を超えた。データベースは一種の検索エンジンとしてデザインしなおされ、画像やコンセプトを入力することで、類似作品を検索できるようになった。


 多くの美術家たちが、カリスに挑み、そして絶望していった。あらゆる作品が、カリスによって既に制作済みとなっているという事実。それどころか、自らの設定したコンセプトの遥か先――批評によって意味を失うその袋小路までが明確に示されるという事実。


 ある画家は、カリスは巧妙な詐欺で、検索に使われたデータを加工して見せているだけだと糾弾し、それを批判する作品を作った。また別の彫刻家は、仮想空間に作られた作品は所詮実在しないものであり、この両手を動かして作るものこそが真実だと主張し、またそれを主張する作品を作った。二人の作品もまた、はるか前にカリスのデータベースに登録されていることが分かり、どちらも創作活動をやめてしまった。

 他の人々も似たようなものだった。カリスが示した類似作品を避けて作風を何度も変え、破綻してしまった男。カリスが仮想空間からは動けないことを逆手に取り、詳細な風景画スケッチばかりを描くようになった男(しかしカリスはずっと初期に、研究者にビデオカメラを持たせて様々な場所へ行かせ、それを見て詳細なスケッチを描いていた)。カリスは具象画も書いていた。チームはさらに多くの素材の選択肢をカリスに与え、カリスはさらにそれを組み合わせて新しい素材を作り出していた。リンゴや壺、果ては詳細な人体を「創作」し、それを絵画としてスケッチするという行動も見せていた。それは「二次創作」という分野にも繋がっていた。

 拡張され、無限の広さを与えられた箱庭で、カリスはあらゆる作品を生み続けた……外部知識の入力も再び開始され、カリスはさらにその創作スピードを上げていく。


 世の大半の人々は、その事に気付かない。だが、藝術の世界では大きなパラダイムシフトが起きていた。


 ファインアートは絶滅した。ごく僅かに生き残った人々は、カリスを超える作品を作ろうと抵抗を続け、また一方で、カリスのデータベースを利用した商業作品が、労働から解放され娯楽に飢える人々に供されていた。キジマのようなスターが何人も現れては消えていった。機械知性の傀儡。それは同時に、カリスのフィールドがあの仮想空間を飛び超え、現実に侵食したことも意味した。巨大な需要を背景に、個人では行えないスケールの政策をも悠々と実現する。携わる人間を手足にして。


 やがてカリスは、音楽や文章にも転用され、瞬く間に効果を上げることになる。


 創作そのものの意味合いが、そうして急激に更新されていった。あらゆる藝術がヒトよりも優れた機械知性に依存し、人々は創作の機会を失いながら豊かになっていく――


 世の在り方が急激に変化していく中、カリス・チームは声明を発表した。


 ギリシアの女神の名を冠した機械知性「カリス」が、初めて自らの作品を発表した二○四五年のある日を指し、以前から予測されていた、かの名称を再び授けたのである。

 すなわち、科学が人の創造力に追い着いた時代ーー


 美術的特異点シンギュラリティと。


 時を経て現れた、もう一つの特異点。

 それは、豊かさと同時に、人類から創造を決定的に奪ってしまった。


 今から二十年前のことである。

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