2.

 それから僕は、再び入院させられた。


 僕の脳……詳しく言えば自我や情動を司る大脳新皮質は、ガビマルたちの拷問によって完璧に破壊されていたらしい。今僕がこうして明瞭な自我を保っていられるのは、スナドリが脳内に仕込んだ生体機械群バイオマシンが、失われた脳の代わりを果たしてくれているおかげだ。

 スナドリとの会話で、自分の人格が書き換えられていたことは知っている。しかし、一度自分が死んだのだと聞かされると、やはり不思議な気持ちだった。

 脳の全体が死んでいるわけではないので、ロボットとは見なされない。また<プール>による再構成が行われたわけでもない。外注脳アウトソースユニットで脳領域を拡張しているわけでもなく、元の人格を改変されたわけでもない。法的な扱いは微妙なところだったが、様々な検査の後、僕はどうやら、僕のまま生きていくことを許可された。


「別人として戸籍を作り直すべきだ、って話もあったがな。生体機械群バイオマシンの思考パターンは生前のお前を忠実にトレースしているし、記憶もほぼそのまんま。色々と面倒な手続きをするより手っ取り早く本人と判断した方が合理的、ってことになったのさ」


 そうガビマルが説明してくれた。

 当然、表向きにはこれらの事実は伏せられている。僕はガビマルらの『突入』に協力した際、脳に深刻な損傷を受けたが、奇跡的に回復した――と、いうことになった。父や母や、多くの人が見舞いに来て、ねぎらいの言葉をかけてくれた。

 それから、同情の言葉も。


「スナドリさんのことは、残念だったね」


 彼女は……クマソと共に逃亡し、その後都市管理機構に逮捕・拘束されたことになっている。罪状は様々だ。違法倫理技術の使用、突入の妨害、違法薬物の使用、人格の改変による洗脳。公判はまだだが、そのうち獄中死のニュースが報じられるのだろう。全ては闇の中、というわけだ。

 だが、もはやどうでも良かった。

 僕は脳話セレフォンをかけ、取引先に創作を引退すると告げた。形ばかりの慰留があったが、結局あっさりと承諾された。当然だろう。今まで認められたのは、僕の作品ではなく、はたまた僕の容姿でも名前でもない。機械知性によって作られた僕というキャラクターと……それに付随する物語だったのだから。

 彼らはまた適当な別の人間を探し、サジェストに従って、人々の望む物語を付け、売り出すだろう。それでいい。それで誰もが満足する。僕じゃなくても。

 誰もが交換可能で、誰もが等価値な世界。


(そんな世界で、わたしたちに何ができると思う?)


 彼女の問いに、僕はまだ答えられない。

 だが、仮説を立てることはできる。

 彼女の思いを。

 彼女の願いを。

 ……久しぶりの外は既に眩しい陽光に満ちていた。

 手で庇を作り、突き刺すような光線から目を守る。

 天気予定プレキャストによれば、梅雨は明け、ここから気温は上がっていくらしい。

 目が慣れるのを待って、僕は歩き出す。

 自動清掃ロボが巡回する街区には、ゴミ一つ落ちていない。

 道をゆく人々の表情は、皆柔らかだ。

 いつもよりあたりの空気がのんびりしているような気がした。今日は休日だっただろうか、と僕は少し記憶を辿る。義眼にアクセスし、視界に表示された今日の日付を見て僕は納得する。


『技術の日』


 カリスが生まれるよりもずっと前。二○二五年、三十代の白人アメリカ人男性を模した機械知性「エリック」が、チューリングテストを完全にクリアした日。技術的特異点。人類の新たな門出として設定された、記念すべき祝日。

 思えばこの日が、すべての始まりだったのだ。

 この不自然でちぐはぐな、僕らの社会の……。

 

 

 

 一つだけ、望んだことがあった。

 僕の考えをトレースし、脳話セレフォンに乗せて発信し続ける機能。

 不意の分断により休眠状態にあったそれを、再び稼動させてほしいと頼んだのだ。


「冗談だろ? プライベートを垂れ流しながら歩くようなもんだぜ」


 ガビマルは止めたが、僕はどうしてもと頼み込んだ。もとより、僕らの脳話セレフォンは常に監視されているのだ。今更僕自身の独白がオープンになったところで、そこに何の意味がある?

 梅雨明けの風は、まだ湿気を含んでいて重たい。入院の間に伸びた髪を切ろうかと僕は考えている。道路を挟んだ向こうの通りを、老夫婦が仲睦まじく歩いている。

 足元には石畳。何色かに分かれた正方形のタイルが、ランダムなパターンで敷き詰められ、モザイクのように抽象的な幾何学模様を作っている。銀色の無人車がモーター音を響かせて僕の横を通り過ぎていった。

 こうした一つ一つの手触りを、そのたびに生まれる心のさざめきを、僕は脳話セレフォンに乗せて虚空へと放つ。

 それは作品ではなく。

 それは藝術でもなく。

 ……目覚めてからずっと、疑問に思っていた。

 なぜ僕は、体を動かせるようになったのだろう?

 思考だけを再構成し、主観を語る狂言まわしとして利用する――僕が彼女が与えた役割。

それが失敗に終わった今、僕を動かす生体機械群バイオマシンもまた、停止して当然ではないか。

 僕は思い出す。


(願わくばこの続きを。ここからの物語を)


 彼女の叫び。機械知性に託した願い。

 だがカリスは結局、物語の続きを語りはしなかった。

 そしておそらくスナドリは、こうなる可能性をも予見していたのだ。

 だから彼女は僕を残した。

 すべてが企てが失敗した後もなお、この物語を記憶し、語り続けるための存在……安全機構フェイルセイフとして。

 いいさ。

 あえてそれに乗ってやろうじゃないか。

 だが勘違いするな。

 それはスナドリに対する感傷からなんかじゃない。そんなものはもう、とっくの昔に無くなっている。

 歪に最適化された社会で。過干渉の幸福の中で。管理された自由意志の中で。それが滑稽な一人芝居に過ぎなくても。機械知性の掌の上で踊っているに過ぎなくても。あるいはその衝動すら、スナドリが僕に残した生体機械群バイオマシンの命令なのだとしても――


 僕は記録して、叙述して、叫ぶ。


 そうして僕という存在を、僕という意識を、の耳元で主張し続けてやる。


 高く昇った日が、あたりを白く染めている。街路樹のざわめき。雨上がりのにおい。どこかで子供が叫ぶ。足裏から伝わる地面の硬さと、少し痩せて軽くなった自分の体重。クラクション、足音。心臓の鼓動。歩道の空き缶を、清掃ロボがするりと持ち上げ、背中の籠にしまった。丸みを帯びたクリーム色のボディ。すれ違いざま、その表面に丸く歪んだ僕の顔。

 角を曲がると、子供とすれ違う。たしなめる両親の年齢はまだ若い。くたびれたトレーナー。男性の目じりに浮かぶ笑い皺。女性は眉を潜めて不機嫌そうな表情。視線を上げると、そこは噴水広場だ。開けた視界に、風が吹き抜ける。ベンチには若い恋人たち。その足元には、艶やかな新緑。床のタイルは鮮やかなオレンジ色だ。中央の噴水から、青みを帯びた水が高く上る。

 その向こうで立ち上る入道雲。予定通りの夏の気配。

 

 僕は語る。

 

 語り続ける。

 

 この物語が終わるまで。

 

 この物語が終わっても。




 忘れるな。

 僕たちは生きている。

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