7.

 悲鳴と怒号で溢れる廊下を僕たちは進み、玄関ホールに出た。

 そこには、追い立てられた人々の群れがあった。七十人ほどだろうか。それを数えている間にも、グロテスクな四足獣に威嚇された参加者が次々と輪に加わっていく。


「なんなんだねこれは! 誰か説明したまえ!」


 叫ぶ中年男性に四足獣が迫り、黙らせる。他の人々は、恐怖に縮こまって震えて居た。まるで牧羊犬に追い立てられた羊のように。それ以外のあちこちには、体の一部が欠損した死体が転がり、赤い絨毯に黒い染みを作っている。


「一階は、これで全員か?」


 ガビマルがそう言いながら、人の群れを一人一人確かめる。彼は警備員の服を奪い、身につけていた。べっとりとついた血の染みはもちろん、本人のものではない。


 僕もその後ろで、必死に人々の顔を眺めまわした。

 彼女は……スナドリはどこだ?


「ああああ! お前、おまえおまえおまえ……」


 一人の男が輪から飛び出したのはその時だった。そいつは金切り声を上げながら、僕のに迫ってくる。

 だが、それを目ざとく見つけた四足獣が足に噛み付いた。

 あっけなく床に引き倒されたそいつには、見覚えがあった。


「何だぁ? コイツ。知り合いか」


 ガビマルが問い、銃口を彼に向ける。

 だがその男……ハミナは、そんなことはまるでお構いなしといった表情で、僕をにらみつける。


「お前、おまえおまえおまえおまえ……なんだ、なんだこれ? どういうこと? 裏切ったな? 裏切った! 敵だ!」


「うるせえ」


 ガビマルがそう言い、銃把でその顔を横ざまに殴りつけた。再び倒れた体に、だめ押しとばかりに獣たちが群がる。

 悲鳴が上がった。


「待て。そいつはクマソの甥だ」


「なに?」


 ガビマルが合図をすると、獣たちはすぐに離れた。だが、彼の体はその一瞬のうちにもうボロボロになっている。破かれた白衣。ぱっくりと開いた傷口。転がったまま甲高いうめき声をあげ続けるハミナを、ガビマルは軽く蹴った。


「ちょっと!」


 人の群れから抗議の声を上げ、出てきたのは……ウサキだ。


「あんた、なんなの? 何の権限があって……」


 しかし、その剣幕はたちまち尻すぼみになった。獣たちが近付き、唸り声を上げたからだ。かわりに上機嫌になったのはガビマルだった。


「おお、アンタは兎埼うさきさんじゃねえか。今更ジェンダー論を持ち出して、まったく新しい性がどうのこうのと言ってるらしいな。ご苦労なこって。おっ、そこのアンタは甲津嘉こうづかか? それに猪迫いのさこもいるじゃねえか。旧世代趣味のロリコンに、人体改造狂……随分とまぁ、ラディカルな面々がそろったもんだ。ここは反動主義者の博物館か? えぇ、おい。政府転覆でも企んでんのかよ?」


 ガビマルはせせら笑う。


「悪いがあんたらも拘束対象だ。分かってるとは思うがな。ついでに、アンタらの親玉がどこに行ったのか、教えてもらえると助かるんだがねえ」


「強権だ! 主権の侵害だ!」


 どこかで上がった声は、獣の声と悲鳴にとって代わる。再びの沈黙。


「主権侵害だあ? ハッ。悪いがなあ。もうの方じゃ話がついてんだよ。クマソのミソッカスどもが寄り集まって、何を企んでたんだか知らねえがな」


 そんなやり取りの間にも、僕は集められた参加者たちに目を走らせ続けていた。だが女の姿は見当たらない。焦りばかりが募る。


 参加者たちは互いに目を合わせ、数と形の違う手足を蠢かせてひそひそと話し合い、中には、三人の審査員たちに敵意の視線を向ける者もいた。こいつらのせいで、俺たちがこんな目に……。そんな呪詛の言葉が漏れ聞こえてくるようだ。対する三人は、メインホールで品評にいそしんでいた時とはうって変わって、きょどきょどと周りを見回し、萎縮していた。


「早く言えよ。お前ら、同じ部屋にいたんだろ?」


 低い声でガビマルが問い直す。


「わ、私も知らないんだ」


 伏し目がちに切り出したのは、コウヅカだ。


「私たちも、キジマ君が使った煙幕で、何も見えなくて……気付いた時には化物たちが周りにいて、そしてクマソさんだけが姿を消していた」


「あいつは裏切ったんだ!」


 イノサコが唸るように声を絞り出す。その激昂に呼応するように、円筒状の胴体に赤いさざ波が、波紋を描くようにしていくつも駆け抜けた。


「我々をスケープゴートにして、自身は逃げおおせるつもりだ。きっと我々にも知らされていない秘密の通路か何かがあるに違いない」


「ふうん? その言葉、嘘は無ぇだろうな」


 ガビマルの問いに、三人は競うようにして頷きあった。


「外に通じる通路があるなら厄介だが……。ま、今細かいことを考えても仕方がねえ。上も探してみるか。行くぜ、キジマ」


 だが、僕は人ごみから目を離さなかった。


「何だよ、早く行こうぜ」


「待ってくれ……いないんだ」


「ああ?」


「スナドリが、いない」


 もう三度は確認した。だけどやはり、彼女の姿は見当たらないのだ。


「上にまだ残ってるんじゃねえのか?」


「いや、参加者はほぼこれで全員のはずだ。途中で大勢死んだし、僕も一人一人覚えているわけじゃないが……。繰り上げられたプログラムを見れば残っている人数はだいたい把握できる」


 大勢死んだ。

 倒れている死体たち。


「おいおい、あいつらは攻撃対象じゃねぇから、殺されてるってこたぁねぇはずだぜ。こいつらが殺すのは警備員だけだ。民間人を殺すと、後々面倒だしな」


 ガビマルの言葉に、僕は無理やり冷静さを取り戻す。そうだ。殺されているはずがない……。今はそれを信じるしかない。

 

「ス、スナドリというのは、あの無愛想な女性のことか」


 人垣からの声。そこには、傲慢そうな顔をした中年男性がいた。その下半身には四足。彼のことは知っていた。確か、ササキ氏……表でもかなり有名な人物のはずだ。

 

「そ、そいつなら、直前まで二階のシアタールームに居たぞ」


「本当ですか?」


「ああ。あ、あいつ……あいつ、ヒガキを見殺しにしやがったんだ。俺の教え子を!」


 男性はそう言って、歯を食いしばる。

 ガビマルが、その言葉に微かに反応したのが見えた。

 ヒガキ……。二番目の発表で受付嬢に殺された男の名前だ。<プール>に仕掛けを埋め込むだけの容れ物キャリアとして使われた、哀れな被害者。

 だが、さらに恨み言を続けようとする男に、ガビマルは冷たく言い放つ。


「時間がねえんだ。


 ちょうど声を出そうとした僕の喉が詰まった。その言葉は、中年男性ではなく、僕に向けられている。余計なことを言うな。言えば、もう便宜ははからねえ。

 その言外の脅迫に、僕は口を閉じてしまう。……情けないとは思いながらも。


「で? あいつはどこにいるんだよ」


「……騒ぎが起こる前まで、そこの男の発表を見てたよ。受付嬢に襲われて、逃げ回ってるところもな。俺たちはその時はまだ何が起きたのかよく分かっていなかったが、彼女は急に立ち上がって部屋を出て行った。それからあの爆発が起きて、ざわついているうちに今度は化け物が……」


「勘付かれた? バカな。一体どうやって……」


「ッヒヒヒ! すげえ! すげえすげえすげえ! やっぱり最高だ、あの人は……」


 突如として笑い出したのは、床に転がっているハミナだ。


「全部、ぜえんぶ滅茶苦茶にしやがった! すげえ、すげえすげえすげえ……」


「おい」


「イッヒヒヒ! あんたら出し抜かれたんだ! あの人に全部! ざまあみろ! 偉そうにしやがって」


「黙れよ、てめぇ」


「アッハハハハ! ざまあみろざまあみろざまあみろ。お前らちっぽけな人間のやることなんて全部お見通しなんだよあの人は! 醜い機械の歯車め。ざまあみろざまあみろざまあみろ……」


 ガビマルが黙って銃口をハミナに向ける。その目がスッと細くなる。

 僕は思わず口を開いた。


『やめろ』


 ガビマルが、驚愕した顔でこちらを見る。

 ……だがそれは、僕のものではなかった。


『無駄なことをするな』


「……スナドリ?」


 呼びかけは虚空に消える。だが、間違いなかった。僕だけじゃない。ガビマルも、ハミナも、その場にいた全員が、一様に天井を見上げている。


「バカな。館内全域に脳話セレフォンだと? そんな芸当、どうやって……」


 呆然としたガビマルの表情はだがすぐに変わり、「……クマソか」と呟いた。


『そうだ。わたしはクマソと一緒に屋上にいる。待っているぞ、キジマ』


『何を考えているんだ、スナドリ! 逃げるつもりなのか? きみはクマソと既につながっているのか? 答えてくれ! おい!』


 脳話セレフォンでありったけ呼びかけるが、返答はない。ガビマルが小さく舌打ちをした。おそらく同じ結果に終わったのだろう。


「行こう、ガビマル」


 ガビマルは渋々といった様子で頷く。


「誘われてるような感じで、気に食わねえんだがな……」


 ハミナは相変わらず、狂ったように笑い続けている。

 それを一瞥して、僕たちは駆け出した。

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