6.




 ――あの人形には、煙幕のほかに、もう一つの仕掛けがある。




 命を賭してまで、あの人形たちが踊り終わるまで待った理由が、それだ。

 踊りながら、あの人形は、動きに合わせて極小の分子を空気に放出し続けていた。それは花の香りをばらまくとともに、空調の気流に乗って、吹き抜けを上昇し……やがて天井にある、あの心臓のオブジェにまで至る。


 表面に付着した粒子はわずかな電位差を利用して他の粒子と連結し、いくつかの複雑な分子構造を自ら組み立て、一つの生体機械群バイオマシンを形作る。それはオブジェの内部に侵入し、内部にある館内の統御装置を、一時的にマヒさせた。



 つまり――



「なんですって?」



 つまり、ここのセキュリティは、

 警備ドローンはぴくりとも動かなかった。

 僕はそれを尻目に、端末へと駆け寄る。


 もちろん機能のマヒは一時的なものだ。あと数分もすれば館内の自己診断装置によって異常が検知され、すぐに修復されてしまうだろう。

 だが、その数分さえあれば、充分だ。

 端末のスイッチを入れる。複雑な操作は必要ない。一度内部の細胞を活性化させれば、あとは先ほど殺された研究者――確かヒガキとかいう名前だった――に仕込まれた因子が、勝手に全てを実行してくれる……!

 僕は安堵の息を吐いた。




 ――その脇腹に、重い衝撃が走る。



 受付嬢に蹴り飛ばされた。そう悟った瞬間には、宙を舞った僕の全身は壁に叩きつけられていた。肺の空気が搾り出される。ワンテンポ遅れて襲ってくる、強烈な吐き気。


「あっは」


 涙で滲む僕の視界に、笑顔の受付嬢が立っていた。

 その背後でゆっくりと僕に銃口を向けるドローンの姿も。


「やってくれたわね」


 ここまでか。

 僕は観念して目を瞑る。

 ――いいさ。


 役目は果たした。

 彼女がこれで救えるなら、僕に悔いはない。



『いや、まだだ』



 彼女の声がした。

 幻聴?



『まだ死んでもらっては、困る』



 いや違う。これは―ー

 


 覚悟していた痛みは、いつまでもやってこなかった。

 レーザーの強いオゾン臭が鼻をつくのに、熱さひとつ感じない。

 まるで時が止まったように、静寂だけが過ぎていく。


「あっは」


 それを破ったのは……場違いなほど暢気な、受付嬢の笑い声だった。


「なにこれ」


 目を開ける。

 粘着質の赤黒い何かが、僕の眼前を塞いでいた。

 僕の頭越しにもう一つの塊が伸びてドローンを破壊し、そのまま横薙ぎに受付嬢を巻き込んで、壁に叩き飛ばす。

 その間に、目の前の何かがさざめき、震えながら形を整えていった。

 これは……手?

 振り返る。


 赤黒い肉の巨人が、水槽から頭をもたげていた。その表面もまた……のたうち、震え、様々なパーツを形成していく。

 巨人の腹が、腰が、性器のない股間が、上半身に比して短く太い二本の足が、どろどろの粥の中から立ち上がった。

 十メートルはある天井に頭をつかえさせて、それは立ち上がった。


 声が出なかった。


 巨人の肌は立ち上がったあとも絶えず細かく震動し、表面からは太い体毛が……いや違う。あれは人体だ。分化しきれていない小さな人々の手足や頭が、ささくれのように飛び出して蠢いている。

 眩い閃光と共に、巨人の全身から煙が立ち上る。

 いつの間にか、部屋の入り口に警備員たちが立っていた。各々が武装し、手にはレーザー銃を持っている。


 巨人が、老若男女の叫び声を束ねたような咆哮を上げた。


 腕が振るわれる。それはゴムのように伸び、警備員ら全員を巻き込んで、廊下の壁に叩きつける。


 腕の途中から、まとまった塊が間断なくぼとりぼとりと零れ落ちた。それらはしばらく流動し……そして四本の足で立ち上がる。

 それは人体を無理やり犬の形に押し込めたような、異様な獣だった。彼らは巨大な赤子の顔から金切り声を上げ、走って廊下へと出ていく。その後を追うように歩き出す巨人を見ながら、僕はようやく、ふらふらと立ち上がる。


 これが、ガビマルの策。

 <プール>の中にあるリソースを再構成して、即席の戦闘員を現地で作り出すというトリックプレー。

 

 一時感じた達成感が、急速に冷えていく。

 分かってはいた。

 これはクマソたちがやっていることと、何一つ変わらない。

 死者を利用し、貶める行為だ。

 それに自らが加担したという罪悪感が、改めて胸をしめつける……。


「まぁ、細かいことはいいじゃねえか」


 だしぬけに響く声に、背が引きつった。


『ガビマル? ここじゃ脳話セレフォンは通じないはずだろう。いったいどうやって……』


「おいおい、脳話そっちじゃねえよ」


 そう言われてはじめて、彼の声がすぐそばから聞こえていることに、気付く。


「こっちだ、こっち」


 端末とシリンダー……<プール>の正規の出力装置。

 その中に立つ、全裸の男。


「首尾良くやってくれたみてぇじゃねえか。ええ? キジマ」


「ガ……ガビマル?」


「見ての通り、本人オリジナルじゃねぇがな」


そう言って彼は笑い、禿頭をつるりと撫で上げた。その頭頂部に、外注アウトソースユニットは装着されていない。


「しかし、再構成されるってのも、不思議な気分だな。産まれてくる時もこんな感じだったのかねえ?」


「暢気なことを……」


 変わらない口調に、思わず肩の力が抜け……。


「あっは」


 そしたまた、一気に強張る。

 彼女が……壁に叩きつけられた受付嬢が、無機質な笑顔をこちらに向けていた。


「ビビるな。あれはもう動けねえよ」


 ガビマルが言う。僕にもすぐ、理解できた。彼女の腕は二つともあさっての方向に折れ曲がり、背骨が飛び出した胴は、上半身の重みでつぶれている。行き場を失った腸が、押し出されるようにして床に落ちていた。


「あっは。してやられましたねえ。あっは。仮想襲撃ケースに、こういう想定もあったハズなんですがねえ。これは訓練不足でしたかねえ。あっは」


 掠れた声で、だが一切の苦痛の色も浮かべていないその表情が、逆にグロテスクさを際立たせていた。先ほど惨殺された自分の作品たちの姿が、脳裏に蘇る。手足が千切れても、胴が切り離されても、ダンスを踊り続ける意思なき肉人形――


「君は……<プール>から作られたのか?」


 思わず問うた僕への返答は、否定でも肯定でもなく、例の乾いた笑い声。


「あっは。だとしたら……何ですか? 被害者だと言うつもり? それとも私は人間じゃない? あっは」


「おい」


 ガビマルが口を開く。その手にはいつの間にか、警備員たちが持っていたレーザーが握られていた。


「答える気があるなら、死ぬ前に聞かせてくれよ。お前ら一体、何を企んでやがる?」


「あっは。カリスを打ち倒し、藝術を今一度人間の手に……」


「ナメてんのか。そりゃ表向きの理由だろうが」


 ガビマルが銃口を向ける。だが、彼女の表情は変わらなかった。


「違法技術を使い、人形を量産し、死者を弄んで、何を企んでやがる。本当の目的は何だ?」


「あっは。理由も知らずに、貴方は私たちを殺すのね」


 眩い光と共に、彼女のひしゃげた右腕が切断される。


「答えるつもりはねえ、ってことで良いか?」


「あっは。何を疑ってるのかしら? この会の目的はそれだけよ。。強いて言うなら、みんな何かを埋めたいのかもね。失った何かを……あるいは、最初から欠落していた何かを。あっは。純粋さを疑わなければいけない貴方たちは不幸ね。あっはは」


 そして彼女は笑みを浮かべたまま、動かなくなる。力の抜けた全身から、体液が入り混じり落ちた。


 まるで、<プール>の中の粥のように。


「行くぞ。やはり、頭を抑えなきゃならんらしい」


 銃口を下ろし、ガビマルは歩き出す。

 ……廊下の向こうからは、微かな悲鳴が折り重なって聞こえている。

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