8.

 ロックの解除されたドアを開けると、切りつけるような強い風が頬を撫ぜた。


 屋上。日は既に落ちている。正方形に囲まれた広場の四方で、白い照明が痛いほどの光を放ち、闇夜の中、鼠色の床を不気味に浮かび上がらせていた。

 遮る物のない、四角い平面……その真ん中にスナドリは立っていた。その隣に立つのはクマソだ。照明に照らされ、その影は長い尾を引いている。

 彼女たちはすでに、四足獣たちに囲まれていた。


「やあ、キジマ。それに久しぶりじゃないか、ガビマル。会えて嬉しいよ」


 だがそう言って微笑む彼女の様子は、まるでいつもと変わらない。


「あぁ、俺もだ、スナドリ」

 

 ガビマルも笑った。


「ここは三人で、ゆっくりと旧交を温めたいとこだがな、生憎、俺ぁそこのオッサンに用があるんだ。……熊襲出彦だな。ちょっとウチまで来てもらおうか」


 そう言って顎をしゃくったガビマルだが……クマソの様子がおかしい。目の焦点がまるで合っておらず、向けられた銃口にも無反応なままで、ぼんやりと立ち尽くしている。自らの足で立ってはいるが、まるで作り物のような――


「無駄だよ」


 代わりに答えたのはスナドリだ。


「彼はもう、


 なぜか、背筋がぞくりと震えた。


「あぁ?」


「なに、つまらん作品さ。習作と言ってもいい。手順そのものも、今回君たちがやったものと、さして変わらない」


「スナドリ……君は、彼に何をしたんだ?」


生体機械群バイオマシンだよ」


 スナドリはそう言って、クマソの下顎を片手で掴む。力なく開いた口から、涎の糸が垂れて風に舞う。


都市管理機構きみたちが配給糧食にパーツを仕込み、哀れな研究者に食わせたように……。わたしも自身の作品にそれを仕込んで、彼に食わせたのさ」


「だけど、彼らは有害な異物を全てシャットアウトするはずじゃ?」


「おいおい、キジマ。君はついさっき自分がやったことを忘れたのか?」


 その言葉にはっとする。そうだ。僕は彼らの監視をすり抜けるために……。


「ネジ一つで人は殺せない」


 スナドリが続ける。


「だが、いくつものパーツを組み合わせ、拳銃を組み上げれば、それは人にとって危険な代物になる」


「じゃあ君は三年間、クマソに少しずつ、作品を通じてパーツを食わせ続けたっていうのか? 今日、この日のためだけに」


「そうだ。……ハミナとかいう男が余計なことをしてくれたおかげで、面倒な調整をさせられるハメになったがね」


 ガビマルは、この突入を実現させるために、糧食に生体機械群バイオマシンのパーツを仕込んだ。

 僕は彼が仕込んだ仕掛けを作動させるために、それ単体では有害ではない物質を作品に組み込み、使った。


 ……彼女は、

 僕らよりも長い時間をかけ、ぼくらよりも高い精度で、しかもたった一人で。

 その時僕が感じたのは、恐怖でも怒りでもなかった。

 それは……敗北感。

 同じ藝術家としての、作品の完成度の違い。それに対する敗北感。


「だが、今日この日のためだけに……という言い方は正確ではないな、キジマ」


「どういうことだ」


「先ほども言っただろう? これは習作だと。今日の出来事は、単なる始まりに過ぎない。わたしの作品は、綴られるのさ」


 そう言って彼女は僕の目を真っ直ぐに見つめる。あの時、廊下で見せたのと同じ瞳。漆黒の虹彩を、怪しい情熱で艶めかせた視線。そうだ、この目は昔と何一つ変わっていないんだ。だからこそ、僕は……。


「ヨタ話はその辺にしてくれねぇか」


 ガビマルの声が、僕の思考を分断する。


「どちらにしろ、そいつの身柄は引き渡してもらうぜ」


「ふむ。それは困るな」


 まるで画材が足りなくなった時のような気軽さで、スナドリは言う。


「これでもそれなりに労力をかけた作品でね。おいそれと渡すわけにはいかない」


「ふざけてんじゃねえぞ」


 ガビマルの目が険しくなる。


「てめえがやってるのは、都市管理機構への明確な反逆行為だ。今こうして生きてるのは、俺の気紛れでしかねえ。理解してんのか?」


「はっは。面白いことを言うな、君は。俺たち? お前はただの人形に過ぎんだろう。ヒトより優秀な機械知性の決定をただ遂行するだけの、ただの歯車」


「てめぇ……」


「怒るなよ。馬鹿にしているわけじゃない。君だけじゃない。おまえの本人オリジナルも、キジマも、今この世界に生きている全員が、彼らに従う歯車でしかない。みんな人形さ。


「はっ、てめぇは違うとでも言いたげだな?」


「とんでもない。逆だ。わたしこそが、最も忠実な下僕なのさ。……君に分かってもらおうとは思わんがね」


「話にならねぇな」


 ガビマルの低い声。


「もううんざりだ。てめえらの妄想に付き合ってる時間なんてこっちにはねえ。大人しく引き渡す気がないなら……もう、殺す」


「ガビマル!」


 放とうとした一言は、彼の鋭い目に遮られた。

 分かっている。今この場では、彼の方が絶対的に正しい。


「旧友を殺すことになるなんて、残念だよ」


 そう、クマソは裁かれるべき人間で、それを庇うスナドリは、彼への明確な加担者。ガビマルは正しく任務を遵守しているだけだ。


「じゃあな、スナドリ」



(理由も知らずに、貴方は私たちを殺すのね)



 その瞬間、なぜか頭をよぎったのは―ーあの受付嬢の言葉だった。


「てめえ!」


 気付けば僕は、彼の銃に飛びついていた。


「何のつもりだ、おい!」


 ガビマルの咆哮が響き、視界が揺れる。

 無我夢中で彼に組み付きながら、僕は叫んだ。


「逃げろ! スナドリ! 早く!」


 次の瞬間、視界がぐるりとまわり、夜空が足元に見えた。床が抜けたのかと錯覚し、地面を失った足が宙をかく――

 そして次の瞬間、硬く巨大な何かに背中を強打された。衝撃が胸を突き抜け、呼吸が止まる。

 地面に背中から叩きつけられた――そう理解する前に頬を殴られた。視界が白飛びする。間髪をおかず、二度、三度。僕は痛む体を必死で起こし、背中を向けて丸くなった。硬い何かで、矢継ぎ早に背中を殴打される。


「この、バカが!」


 ガビマルの怒声を聞きながら、僕はまるで他人事のように、自分の行為を省みていた。一体なんてことをしてしまったんだろう? かつての同級生の姿をしているとはいえ、都市管理機構の実行部隊に反抗するなんて。確かに頭では理解していたのだ。だが、あの受付嬢の言葉を思い出したとたん、なぜか体が勝手に動いてしまっていた。

 理由……。

 そうだ、何か理由があったはずなのだ。彼女にも、スナドリにも。

 おかしな気持ちになる。殺されそうになった相手を、庇おうとしている自分に。だが全ては、ただの蛮勇だったけれど。

 きっと今、僕は銃把で体を滅多打ちにされているのだろう。その後はどうなる? きっとガビマルはスナドリを殺すだろう。あの銃で撃つのか、それとも四足獣に命じて全身を噛み千切らせるのか。それからクマソを確保して……。

 僕も殺されるのだろうか。

 そこまで考えたところで……不意に、気付いた。

 僕を殴る手が止まっていることに。

 あたりは奇妙なまでに、静かになっていた。ガビマルの声も、あの四足獣たちの息遣いも聞こえない。

 ただ吹き抜ける風の音だけが、頭上でずっと鳴っている。


 視界は床の方を向いたまま、明滅を繰り返している。体の痛みはない。たぶん、感覚できる閾値を越えているのだろう。調整臓器がアドレナリンでも分泌して、痛覚をマヒさせているのかもしれない。

 空白のような静謐の中、やがて、コツ、コツ、と静かな足音が僕の方に近付いてくる。なぜか僕は、見てもいないのにそれがスナドリのものだと直感した。


『やれやれ、これ以上壊されても、たまらないのでね』


 脳話セレフォン越しに脳へと響く、彼女の声。僕の背中に、彼女の手が触れた。ひやりと冷たい、羽毛のような感触。僕は震えた。声を出そうとしたが、何かが喉の奥に貼り付いたように、言葉が出てこない。かわりに僕も、脳話セレフォンで呼びかける。


『スナドリ』


 返事はない。 


『スナドリ。そこにいるのか? ガビマルはどうなったんだ? 君は無事なのか?』

 

 彼女の手が、またふわりと離れた。


『スナドリ! 待ってくれ。君は何を考えているんだ。クマソと結婚するっていうのは本気なのか? スナドリ!』


『ひとつ、予言をしてあげよう』


 出し抜けに声が降ってきた。静かな声。それは脳話セレフォンなのか、それとも直接話しかけているのか、僕にはもう分からない。声はただ、僕の内側で幾重にも反響し、浸透する……ひび割れた地面が、雨水を吸い込むように。


『これから君は少しの間、苦しい思いをすることになるだろう。だがそれが終わった時、苦悩を抱えた男は生贄によって導かれる。語り手は同期し、叙事詩は紡がれ、藝術は意味を取り戻す。そして作品は完成し、祝福が訪れる。カリスの祝福……』


『何を言ってるんだ、意味が……』


『次に会う時を、楽しみにしているよ』


 風の中、微かに別の音が混じっていることに、僕は気付く。あれは……羽音?

 それは徐々に近付き、やがて全身を振るわせるほどの轟音になる。

 その中で、確かに聞いた。

 コツ、コツ、と音を立てて、僕から離れていく足音を――


『ではまた、近いうちに』


 待ってくれ、スナドリ。

 その言葉が形になる前に、僕の意識は闇に落ちた。

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