5.

 小休止を挟み、くじ引きが行われた。

 作品の発表順を決めるためだ。


 わたしの発表は、午後の部の最初から二番目。以前よりも参加人数が増えたぶん、余計に長く待つことになる。


 品評の様子は二階のミニシアターで上映される。選評の様子を参加者全員に見せるためだ。いつもなら自分の順番が来るまで一人で過ごすところだ。しかし、わたしは今、久々にほかの作品を鑑賞する気になっていた。多少気分が浮かれている……自身の気紛れの正体を、わたしはそう分析する。


 薄暗いシアターの中には、ねじくれたオブジェが至るところに飾ってあった。時々痙攣するように震えるのは、このオブジェがいるからだ。脳も臓器もない、血液を人工心臓で循環させているだけの肉塊を生命と定義するなら、だが。

 不均一なパターンで並べられた椅子の一つに腰を下ろすと、衣服越しに伝わる生温い体温。椅子に張られているのは正体不明の哺乳類の皮膚で、クッション代わりに中へ詰め込まれているのは脂肪の塊、屹立するオブジェと椅子とは床下を通じて血管が繋がっており、オブジェの律動と合わせて、椅子全体が微かに脈打っている。


 スクリーンには、長机の前に座るクマソ氏ら四人の品評員と、机に向かい合って立つ一人の壮年男性の姿が映し出されていた。


「では、最初の方は、ええと……イヌマキさん、ですな。お待たせいたしました。はじめるとしましょうか」


 クマソ氏がにこやかに宣言し、指を鳴らすと、受付嬢が現れた。手に、大きな銀盆を持っている。曇りひとつなく磨き抜かれたその上には、立方体の箱。彼女の表情は相変わらずしまりがないが、しずしずと歩むその足取りは水銀のように滑らかで、不思議な気品すら感じられた。

 テーブルに、音ひとつ立てずに、盆が載せられた。。

 その上に乗る箱は、和紙のような素材でできているらしかった。クマソ氏はそれを掴んでそっと持ち上げ、箱の中にある『作品』を露にする。


「ほう、これは……」


 それは小さな裸の少女だった。高さは四十センチくらいだろうか。しかし、その等身と体格は成人女性そのもので、頭髪も生え揃い、胸も膨らんでいる。ただ、頭以外の部分には、まったく体毛は生えていなかった。肌の色は透き通るように白く、伏せた睫毛はまるで蝶の翅のように、ライトを受けてオーロラ色に輝く。

 わたしの周りでスクリーンを見上げていた何人かが、ため息をつく。……画面越しに見てさえ、その顔立ちは寒気がするほどに美しかった。 


「なるほど。精巧ですな。生体パーツを使ったフィギュアといったところでしょうか?」


 クマソ氏の問いかけに、イヌマキ氏は静かな微笑みだけを浮かべる。


「違うわよ」


 代わりに応えたのは、鈴のように透き通った声。それは、テーブルに置かれた少女だった。閉じていた目が見開かれ、ニコリと華やかな笑みを浮かべて見せる。

 品評員たちは感嘆の声を上げた。


「生きているのか」


 品評員の一人である白髪の老人が、身を乗り出して尋ねる。

 コウヅカ氏。旧世代藝術を専門とする評論家だ。


「はい。消化器はありませんが、自発呼吸と簡単な応答機能を持たせてあります」


 答えたのは、こんどはイヌマキ氏だ。


「動けるのかね?」


「もちろんよ」


 少女は立ち上がり、軽快なステップを踏む。


「よっ、ほっ……。どう? 逆立ちだってできるんだから!」


 と、実際に手をついてみせるが、バランスを崩して倒れこみ、嬌声を上げた。

それを見つめるコウヅカ氏は、顔いっぱいに笑みを浮かべている。


「なるほど、なるほど、造詣のデフォルメは二○二○年のアニメ文化を意識しているのですな……よく研究されていますね」


「気に食わないわね」


 コウヅカ氏の隣に座る女性が、苦々しげに口を挟んだ。

 ウサキ氏だ。


「旧世代の市場主義の中で歪に抽象化された女性のメタファーってことかしら? 市場主義が半ば崩壊したこの時代にこれを出すのは、ある意味で皮肉ね。だけど、着眼点はともかく、ちょっと安易すぎる。何より悪趣味に過ぎるんじゃないかしらねえ」


「なに言ってるの? おばさん。あたし、難しいこと言われてもよくわかんないんだけど」


「お、おばさ……」


「見苦しいわよねー。年増って。自分がもう若くないもんだから、若くて綺麗な女性に難癖つけたくてしょうがないんだわ。みっともないったらない!」


 少女は豊満な(サイズに比して、だが)バストを揺らして、挑発的な笑みを浮かべる。苛立たしげに鼻を鳴らすウサキ氏。クマソ氏が慌てて取り成す。


「落ち着いてくださいウサキさん。それはあくまで『作品』なんですから……ね? とりあえず、品評を進めようじゃありませんか」


 ウサキ氏がしかめ面で顔を逸らすと、コウヅカ氏が待ち切れないといった様子でイヌマキ氏に聞いた。


「で、?」


「手づかみでガブリとお願いします」


「大丈夫よ、逃げたりしないから。でもそうね、まずは手足から食べるのを薦めるわ。頭や肺から食べちゃうと、アタシの美声が聞こえなくなっちゃうから!」


「なら、まず私が一番に食ってやるよ」


 ウサキ氏が目を光らせ、少女の右腕を掴んで引っ張る。


「ちょっと、乱暴にしないでよね。アタシ結構繊細なんだから。もう!」


 彼女は構わず、少女の二の腕のあたりにかぶりついた。少女は、きゃらきゃらと楽しげに笑う。

 

 肉を引き千切る音。


 テーブルの白いクロスに、赤黒い粘性の液体が垂れ落ち、べとりと張り付いた。今度はコウヅカ氏が少女を引き寄せ、その胸に顔をうずめる。両手の指を少女の滑らかな肌に滑らせ、深呼吸を繰り返す。


「ああ……いい香りだ。これは薔薇ですか?」


「花の香りに、わずかな女性の体臭と、フェロモンを混ぜたものよ」


「ふん、どうりで、わたしには気持ち悪いはずだわ」


 ウサキ氏は、もいだ腕の肉を、骨ごと食いちぎっている。


「あら、冗談でしょ? このフェロモンは女性にも作用するはずだけど」


 コウヅカ氏が胸から顔を離し、二つの白いふくらみにある桃色の突起に舌を這わせる。少女は身をくねらせ、鼻にかかった吐息を吐いた。少女の左足首が掴まれ、捻られた。こきん、と涼しい音を立てて、少女の足が膝から取れる。コウヅカ氏は名残惜しそうに少女から身体を離すと、その足先を様々な角度から眺めつつ、指から少しずつ齧っていった。噴出した血がたるんだあごの皮膚をつたって細い筋を作る。

 

 それからクマソ氏と、もう一人の品評員……イノサコ氏が、残った左腕と右足を仲良く分け合って食べはじめたた。

 四肢をもがれると、少女は静かに歌い出す。


「Wir essen und leben wohl In rechten Osterfladen…」


『われら食らいて生命に歩まん』――J.S.バッハが復活祭のために作曲したカンタータ『キリストは死の縄目につながれたり』の中の最終曲。キリストの死と復活を喜び、その聖体であるパンを食べる喜びと感謝を、少女の美しい声が歌いあげる。咀嚼音や血を啜る音が、その伴奏だ。


「Der alte Sauerteig nicht soll Sein bei dem Wort der Gnaden,」


 腕を食べ終わったウサキ氏が、血まみれの口で少女の首筋に噛み付いた。少女の鼻と口から血が吹き出し、歌声に気泡の音が混じる。


「ちょっと、頭は最後まで残しておいてくださいよ」


 コウヅカ氏がそう言いながら腕の最後の一欠けを飲み込み、今度は少女の股間にむしゃぶりつく。


 少女の胴体に四人が群がる。歌声は細くなり、破裂したように血しぶきが上がると、唐突に止んだ。あとには濡れた雑巾を踏むような、湿った咀嚼の音だけが続く。


 ただ一人不満そうにしているのはイノサコ氏だった。彼は腕を……いや、正確に言えば、細かい繊毛の生えた半透明で関節のない六本の職腕を銀の円筒状の胴体の前で組み、唯一人間のままの顔には不機嫌なしかめ面を浮かべて、むっつりとおし黙っている。皿の上にはとりわけた足一本のみが、半端にかじられた状態で残っていた。


「あ、あ、あの、どうですかね、あの人。いい線、いくと思います?」


 いつの間にか、わたしの隣の椅子に、ひょろりと長いシルエットが座っていた。先程ハミナと名乗った男だ。わたしが黙っていると、聞こえていないと思ったのか、彼はもう一度聞いてきた。


「あ、あの、あの人、イイ線いくと思います?」


 室内は暗いため、その表情はよく見えない。意識して視界を暗順応させる。

 ぞっとするほど、卑屈な笑みがあった。死に瀕した人間が、現実を受け入れられないままただ口角を引き攣らせる。その瞬間を切り取って顔面に貼り付けたような。


 だが、その心理は相変わらず掴めなかった。不定形の汚泥に、様々な感情が雑多に溶け合って、輪郭を失ったまま暴れまわっている。

 病的。

 そんな言葉が思い浮かんだ。考えの読めない人物に出会ったのはこれが初めてではないが、珍しいことには変わりない。厭な男だ。

 彼はきょどきょどと眼球を小刻みに揺らしながら、口元を動かさずに、三度目の質問を口にする。

 無視しても良かったが、このまま黙っているのも面倒だ。

 わたしは答えてやることにする。


「まぁ、微妙なところだろうね」


「え……なんで? なんでなんでなんで?」


「すぐに分かる」


「ええ、なんでだろう。気になるなあ。僕からすれば、結構いいセンスだと思うんだけど。いやスナドリさん、もちろん貴方ほどじゃありませんけど。でも何でだろう。何が駄目なんだろう。不思議だなあ。不思議だ。不思議、不思議不思議」


 少し後悔した。ハミナはわたしが答えるや否や、小刻みに首を上下に揺さぶりながら早口でまくし立て始めたのだ。ボサボサのその頭からフケが飛び散って舞う。見た目の不潔さ以上に、この男には何か、人を嫌悪させる要素がある。


「ねえねえねえ、教えてよ。気になるなあ。なんで駄目なんです? 何が駄目なんですか? いいじゃないですかあの作品。血がバッと飛ぶところなんか素晴らしい。不思議だなあ。ねえ何が駄目なの? ねえねえねえねえねえ……」


「ちょっと、静かにしてくれないかな」


 口を挟んだのは、わたしではない。前方の暗がりから誰かがこちらを見ている。

 キジマだった。


「他にも見ている人がいるんだ。黙っているのがマナーというものだろう」


 スクリーンの反射光に隠れてその表情は分からないが、声の調子は尖っている。


「ああ、すみません。はいはいはいはい。どうもすみませんね、ええ。はいはいはい」

 ハミナは大声で言い返す。暗がりから、舌打ちの音が聞こえた。ハミナはハミナで、「なんだあいつ、偉そうに、偉そうに」と小声でブツブツ呟いている。わたしは無視して、スクリーンに目を戻した。


 すでに食事は終わっていた。四人は元のようにテーブルに座り、イヌマキ氏と向かいあっている。絨毯の血だまりや染みだらけになったテーブルクロス、返り血を浴びた彼らの服まで、いつの間にかすっかり新しいものに入れ替わっていた。もっとも、絨毯は元から血のような色だから、本当に取り替えたのかどうかは分からないが。


「いやいや、素晴らしい作品でした。ねえ? 皆様方」


 クマソ氏がそう言って三人を見渡し、にっこりと微笑む。

 コウヅカ氏が喜色満面で口を開いた。


「架空のキャラクターの身体そのものを消費するという表現は面白い。旧世代以前のアニメ作品――それも、大衆化の極地にあった二〇二○年の造詣を使ったのは、資本と市場の餌になり尽くした旧世代へのアイロニーでしょうか? また、やや技術的な面での評価にはなりますが、味や香りといった要素にも、細やかな気配りがありますね」


「試み自体は悪くないとは思うがね」と、口を挟むのはイノサコ氏だ。


「造詣そのものが古すぎて、普遍性に欠けるように感じるよ。二つ足という、今やごく限定された一形態をテーマとして選ぶのは現代性に欠ける。藝術は社会形態と不可分のものだ。キャラクターを取り出すなら、せめて三つ足ぐらいでないと……」


「そりゃアンタが身拡原理者エクステンダリストだからでしょ」とウサキ氏が鼻で笑う。「この改造マニア」


「なんだと?」


「いつも自分が中心で、嫌になるわよね。拡張身体エクステンドは技術としては新しすぎるでしょう。下手に現代に寄せると、旧世代藝術の再解釈ってコンセプト自体が曖昧になってしまう」


「それでも陳腐だ」


「ふん、なんで急進派って、こう頭が固いのかしら。……でもまぁ、確かに古臭いっちゃ古臭いわよね。食べるイコール消費って構図も、性欲と食欲の一体化も、コンセプト自体はそう珍しいわけじゃない。技巧に溺れているような印象もあるわ」


「ほうほうほう! 皆さん、やはり手厳しいですねえ」


 クマソ氏が胸の前で両手を揉み合わせ、嬉しそうに呟く。


「僕はいいと思いますけどねえ……これ」


 コウヅカ氏が再び、異議を唱える。

 三人は再びめいめいに主張を始め、議論を重ねていく。せわしなくテーブルを動く。彼らの手元には、モニターが展開されていた。

 作品の評価を下しているのだ。


「すごいですね! スナドリさん。貴女の言った通りです! すごいすごいすごい……」


 隣のハミナが、興奮した様子で叫んだ。

 鬱血したような顔を、しきりに上下する。痙攣するように、小刻みに。


「いやあ、すごいなあ。うん。うんうんうん」


 この程度の内容、参加者なら知っていて当然のはずだ。彼は何者だ? 部外者が紛れ込んだのか? それとも、知らないふりをしているだけだろうか? 相変わらずその感情は、探っても掴み切れない。あるいは、彼自身すらも分からないのかもしれない。そもそも、このぐちゃぐちゃな精神状態で、一応の意思疎通が取れること自体が一種の不思議でもあった。


「おい、いい加減にしろ」


 怒声と共に、一人の男が近づいてくる。確かめるまでもなく、それはキジマだ。神経質そうに腕を組んだまま近くにやってくると、わたしたちを交互に睨みつける。ピリピリとしたストレスの波動。


「不快だから静かにしろ、というのが分からないのか? 常識で考えろよ」


「これはこれは」


 だがハミナはその視線を真っ直ぐ受け止め、口を歪めて笑う。


「これはこれは。これはこれはこれはこれは。さすが、表の有名人は言うことが違いますねぇ。常識! なんとご立派な言い種!」


「何だと?」


「古株のくせに、未だにそんな見当外れの言葉を口にするとは、さすが天下のキジマセンセイだなあ。ヒヒ! ヒヒヒヒ!」


 ガラスを掻いたような笑い声。キジマの顔が曇る。


「君のような気狂いが、僕を知っているのか?」


「もちろん! もちろんですよ。ヒヒ! お外では大層な御人気のようでねえ……。ただいい加減、女の尻を追ってこの会に混じるのはおやめになった方がよろしいのでは?」


「……それは侮辱と受け取るぞ」


「侮辱! まさか。貴方、この会で散々噂になっているの、ご存じでしょう?」


 肩に、無遠慮に手が乗せられる。長く伸びた爪は痙攣し、白衣の表面を擦ってかりかりとわたしにしか聞こえない音を立てた。思わぬところで例のゴシップを持ち出されたことに、少し驚く。しかも、こんなあからさまな形で。


「昔々、美大に通うとある学生が、同級生の女性に、劣情を抱いてしまいました。しかし、その欲望は叶いません。女性は真の藝術を求め、くだらない男との交際など、鼻糞ほども望んでいなかったのです。しかし男は諦められず、表で得た偽りの名声を利用して、今も彼女を追いかけているのでした――。いやいやいやいやいや、迷惑な話ですね? スナドリさん?」


 肩を、彼の手が不快に撫で回す。振り払って席を立とうとしたが、出口への通路をふさぐような形でキジマが立っていることに気付いた。石像のように胸を逸らした彼は、当然ながら道を譲る気配はない。反対側にいるハミナも同様だった。

 わたしの頭越しに二人はにらみ合う。

 身動きがとれない。


「何を言い出すかと思えば。確かに彼女とは昔なじみだが、それ以上の感情はない。ただ、同級のよしみという奴でね。こんな非人間的な会に、彼女はふさわしくない」

 

 吹き出す音。


「何がおかしいんだ」


「そりゃそうでしょうよ。貴方、それ、余計なお世話っていうんですよ。知りませんでした? 毎回毎回、全く相手にされてないそうじゃないですか、ねえ、貴方。ねえねえねえ?」


「それは……」


「ヒヒ! 無駄な努力なんですって、貴方のやってることは。ふさわしくない? 彼女こそ、最もここで必要とされている人間なんですよ。『常識的』な貴方と違ってね。身の程知らずもいいところだ。ヒヒ! ヒヒヒヒ!」


 引きつれたように笑うハミナ。顔をみるみる紅潮させるキジマ。平静を装っているが、発汗量は増え、わずかに肌に赤みも差している。その心中を覗くと、動揺と羞恥のゼリーが小刻みに震えていた。

 自己のコントロールがここまで下手な人間も正直珍しい。

 しかし……このハミナという男、品評会のルールもロクに分かっていないくせに、こうした事情には驚くほど詳しい。以前からの参加者と知り合いなのか、それとも噂は予想外に広がっているのか……まあ、どちらでもいいのだけれど。


「お前に、彼女の何が分かる?」


「わかりますよ! わかります、わかります……彼女と僕は同類ですからね。貴方と違って」


「君のような怪しげな男と同類? それこそ失礼だ」


 この点に関しては、キジマに同意したかった。彼が何を思おうと勝手だが、勝手に同類にされたくはない。しかし、口を挟む余地はなかった。融鉄のように赤熱した感情が、二人の間で渦を巻いていた。


「ヒヒヒ! さすが、振られ続けた人のいう事は含蓄がありますねエ」


「……お前、僕が誰だか分かってるんだろうな」


「もちろん! もちろんもちろん。祁寺馬きじま孝。表の方じゃ新進気鋭の藝術家……ヒヒ! カリスの奴隷と言った方が適切ですかねえ? 作られた天才。操り人形。藝術タレント。そしてここでは、良い子ちゃんぶったありきたりな作品しか作れない劣等生!」


「貴様らの狂った価値観を基準にするんじゃない!」


「貴方の言うその狂った価値観が支配するのが、この『品評会』なんですよ? そんなに表の世界が大事なら、大人しく帰ればよろしいのに」


「まったく嫌になるほど下品な物言いだな。彼女の目が覚めれば、すぐにでも出て行ってやるさ」


「ヒヒ! まだ言ってやがる。だから、彼女自身がそう思ってないんですって! 目を覚ますのはあんたの方ですよ。あんたあんたあんた……」


 狂ったように言葉を繰り返す。キジマは怯み、目を細めて眉根を寄せる。その意識が、次の言葉に向けて、一瞬、息継ぎをした。


「少し席を外してもいいか」


 その機を待っていた。

 わたしは立ち上がり、返事も聞かずに、ハミナを押しのける。


「あぁ! これはこれは。これはこれはこれは。すみません、すみませんすみません」

 彼はオイルの切れた機械のように、ギクシャクと身を引いた。

 その横を、無言ですり抜ける。


「おい、スナドリ……」


 追いかけようとする声。だがすぐさま、かん高い声が覆いかぶさる。


「ああもう、本当にデリカシーがない人だなあ。このセンセイは? だから、お呼びじゃないんですって。彼女を理解できるのは、僕だけです。ねえ、スナドリさん!」


 無視する。


「スナドリ。こんな奴等に、こんな会にかかずらうのは、時間の無駄だとまだ分からないのか!」


 無視する。


「スナドリ! 分かってるな。今度こそ僕の作品が君の評価を上回ったら、一緒に来るんだぞ」


「ヒヒ! まだそんなことを。一度も勝ったことない癖に。ねえスナドリさん! 僕がこの男に思い知らせてやりますよ。僕こそが貴女の理解者なんだ!」


 叫ぶ声が部屋を反響した。これ以降、参加者の間でわたしについての妙な噂がひとつ増えることになりそうだ。

 ともあれ、キジマの執着が健在であることを確認できたのは悪くない。

 あの感情は、わたしにとって必要不可欠のもの。


 ――ただ、面倒であることに変わりはないのだが。

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