6.

 キジマと知り合ったのは、クマソよりも少し前。


 彼を見たとき、わたしはそこに父の面影を見出した。

 理由は自分でも分からない。 

 取ってつけたような気安さも、底の浅い思想も、自らを大きく見せようとする、芝居めいた身振りも、どれ一つ取っても父とは似ていなかった。むしろ真逆と言えた。


 似ているとすれば――それはきっと、父がわたし以外の人に見せていた顔だったのだろう。この男の関心はずっと自らの外に向いている。自らの成功、自らの名声。そのために善人の皮を被り、常識人としての振る舞いを身につけている。


 事実、彼は大学でも有名人だった。成績は優秀。学内外でも精力的な活動で知られ、姿はルネサンス期の彫刻のように眩い。しかし、藝術家特有の内向きさや気難しさはなく、明るく、落ち着いていて、なお自らの実績を驕ることもしなかった。その気質は、彼を能力以上に魅力的に見せていた。それは彼の才能だったのだろう。自らを演じ続ける才能。他人から好意を掠め取る才能。


 在学中にも関わらず、既にいくつかの企業が彼のマネジメントを打診しているという噂を聞いた。カリスからの引用にどっぷり浸かったエンタメ産業は、傀儡としてのスターをひたすら求めていた。デザインや作品の「発案者」として。キジマの気質は、まさにうってつけだったのだろう。こうした話は自ら聞くまでもなく、彼の友人や知り合いを名乗る人間が、折に触れ語り、囁き、半ば公然の秘密として広めていた。わたしのような学生の耳にすら届くほどに。


「君もこのゼミ? どうしてそんな端に座っているんだい」


 あの狭い講義室で出会った時、彼がそう話しかけてきたのも、きっと彼の演じる善意が、そうせよと命じたからだろう。だがその時のわたしは、一瞥した彼の瞳に、束の間打算の光が走るのを目ざとく見つけた。だから、何も言わなかった。

 一斉に向けられる大勢の目。あのキジマの好意をあからさまに弾き飛ばしたことへの敵愾心。あるいは好奇心。


「……つれないな」


 彼はそう言って薄く笑い、顔を背けた。

 彼に見た、父の面影。その直感が確信に変わったのは、その時だ。

 笑顔が消える刹那。演技が、次の演技へと移り変わるそのごく僅かな間隙。

 そこにあった感情の亡い目。

 あの日の父とそっくり同じだった。自らの利に沿わぬ者を、存在ごと無かったことにしてしまう、ガラス玉のように透明で無感情な視線。生まれた時、ガラス越しに目にした最初の瞳。そして、病室を無言で出て行った父の瞳。


 胸の奥がざわついた。


 喉の奥で火が燃えた。


 もはや彼は、わたしなどを一瞥もしない。わたしに話しかけた事実など最初からなかったかのように、穏やかな目をしている。


 分かっている。これは逆恨みだ。

 だけどそうと分かったところで、それは収まるはずもなく――


 だがわたしは、逆巻く感情を胸にしまう。

 また作品を作ろう。そう思いながら。


 クマソに出会いスカウトされた時には、私はもう、彼を使ことを決めていた。

 

 

  

 キジマとハミナの言い合いの後に、またちょっとした騒ぎがあった。

 起きた場所は、メインホール――つまり、品評会の会場である。そろそろ二人も落ち着いたころだろうと思ってシアターに戻ってみると、室内は妙に落ち着きのないざわめきで満たされていた。


「大変です大変です大変です」


 ハミナが目ざとく見つけ、駆け寄ってくる。


「あれ。あれあれあれ」


 そう言って指差すスクリーンには、机に突っ伏して倒れているクマソ氏の姿が映っていた。クマソ氏だけではない。ウサキ氏も、コウヅカ氏も、イノサコ氏も……。

 各々の手には、空のグラスが握られている。琥珀色の液体がグラスからこぼれ落ち、床にシミを作っていた。

 一人だけ、満面の笑みを浮かべて立っている男がいた。長い足は四つあり、神話の半獣半人のような見た目をしている。イノサコ氏と同じ身体拡張者(エクステンド)。この手の造詣を選ぶのは大体がナルシストと相場が決まっているが、例に漏れず、幼い顔に陶酔の色を浮かべていた。おそらく二十代前半だろう。見知った顔ではないので、おそらく初参加のはずだ。


「ご気分はいかがですか?」


 青年は笑って、倒れた四人に語りかける。と、四人はそれに応えるように、ふらふらと体を起こした。全員、目の焦点が合っておらず、上から細い糸で吊られているかのように、前後左右に揺らしている。それぞれの口から、ああ、とか、うう、とか、判別不能のうめき声が漏れた。


「よろしい。では、そのまま、僕の話を聞くように」


 男は傲然と言い放つ。

 それを聞いたハミナが、あたふたと解説する。


「あのカクテルを飲んだら、みんな机に突っ伏しちゃって。それで……」


「薬物だな」


 聞かなくても分かっていた。別段珍しいことではない。

 薬物による幻覚をもたらす薬……。それも、恐らくこの会のために作ったオリジナル。成分によっては違法となるこうした物質もまた、「品評会」では、何一つの制限なく、素材の一つとして認められていた。

 そうしたルールの隙間を突こうとする愚か者は、どこにでもいるものだ。


「これは、フルニトラゼパムをデザインして作ったドラッグです。覚醒状態のまま運動中枢を麻痺させ、前脳部の活動レベルを阻害する。単純に言えば……自由意志と関係なく、第三者の命令を受け入れるようになるんです」


 男は得意気な表情を浮かべ、人形のようになった四人に向かって、一人で演説を始める。


「悪いけど、手っ取り早い方法を取らせてもらいました。何をしても自由……そう謳われるこの会なら、こうした裏技も許されるはずでしょう? ああ、ご心配なく。この薬はカリスからの引用ではないから。僕が自作した機械知性の発想ですよ」


 四人は口を半開きにしたまま、否定も肯定もしない。


「いま、どういうお気持ちですか? クマソさん」


 男が聞いた。


「……何も……変らない……普段と……同じ……」


 クマソ氏が、途切れ途切れの口調で言う。


「そうですか。ほかの皆さんはどうです?」


 三人が似たような答えを返すと、男はそれを聞いて満足そうにうなずいた。


「これ、いいんですか、これ、これこれ」


 ハミナがスクリーンを見ながら、耳元で執拗に騒ぐ。


「大丈夫だ」


「え?」


「まあ、見ていれば分かる」


 スクリーンの中では、男の独演がいよいよ盛り上がっている。


「……はっは! なんというザマだ! 人間の知性を信じた挙句がこの醜態! これがヒトの限界だ! ……ねえ、クマソさん。人類が創作に関わる時代はもう終わったんですよ。カリスは僕が打倒します。僕がデザインした新たな機械知性がね。だから安心して、僕に身を委ねてください。さあ、評価の時間だ。絶賛をお願いしますよ」


 だが。


「いやいや、この程度じゃとても評価はできませんなあ」


 クマソが苦笑いをし、男が目を見開いて硬直した。


「そうそう。こんな子供騙し、どうやって評価すればいいっていうのよ」


「薬剤の組成にしろ、効用にしろ、何一つ美しさがない。既存の藝術の安易なコピー。評価のしようがないね」


「もう少し面白いものを期待していたんだが、単に動けなくなるだけとはね」


 審査員らは口々に言い募る。その動きも、完全に正気づいていた。


「ど、どういうことだ?」


「なに、簡単な話ですよ」


 クマソ氏が言う。


「われわれの体には無数の生体機械群バイオマシンが搭載されておりましてな。それは私たちの身体データの変化を評価に加えると同時に、我々の自由意思に関わる脳機能や、判断を鈍らせる薬物の類から保護しているんですよ」


「幻覚や幻聴、薬物による高揚感はそのまま再現されるけどね。あんたの作品には、そういう気の利いた効能は一つもなかったけれど」


「そんな……」


「もういい」


 イノサコ氏の触手が、机を叩いた。


「この作品の評価は、言わなくても分かるだろう。出て行きたまえ」


 男は何かを言い返そうとしたが、口をつぐんで踵を返す。


「ああ、そうそう」


 クマソ氏が呼び止める。

 男は振り返り。


 その首が、宙を舞った。


 いつの間にか男の傍に現われた受付嬢が、頽廃的な微笑を浮かべて立っている。その手に持っている大振りの刃物には、僅かに付着した血が滴っていた。


「君のやったことは、我々への明確な敵対行動だ。申し訳ないが、それ相応の罰は受けてもらわんとねえ」


 そう言ってクマソ氏が受付嬢に目線を送ると、彼女は床に落ちた首に足を乗せた。

 男の首は、まだ生きていた。自分に何が起きているのかよく分からないといった表情で、眼球を小刻みに左右に移動させている。

 そして――



「あっは」



 西瓜を踏み潰したような音と共に、絨毯にドス黒い花が咲く。


「今日の品評は、やたらと会場が汚れるわねえ」


「まったく、せっかくレベルの高い作品が出てきたと思ったら、これだ。クマソさん、むやみに新人をスカウトするのも考え物ですよ」


「いやいや、申し訳ない。意気軒昂な若者を見ると、どうしてもチャンスを与えたくなりましてねえ……」


「……」


 そんな審査員らのやり取りを尻目に、受付嬢は男の身体を引きずり、部屋を出て行った。首を失った肉体は、不規則に痙攣していた。


「ほら、大丈夫だったろう」


 わたしは言う。


「……」


 だが、ハミナは俯いたまま、返事をしない。

 会場もまた、水を打ったように静まり返っていた。

 薬物による自我の操作など、彼らが認めるわけもない。ある意味で当然の処理だと、この会の常連ならば分かっているはずなのだが……。ああ、そうか。今回は初参加の人間が多いんだったな。

 やがて、ヒステリックなざわめきがそこかしこで起こり、その音量が徐々に大きくなりはじめた。

 キジマは前方で、苦々しい顔をしながらスクリーンを睨んでいる。

 わたしは隣で黙ったままのハミナに言った。


「まあ、ああいった姑息な真似をしない限り、余計なことはされないよ。最も、もし自分の作品に心当たりがあるというんなら、別だがね」


 感情が動いた気配はない。

 その顔を横目で盗み見る。

 


 ――彼は笑っていた。

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